97 瓶には亀の良さがある
登場妖怪紹介
『ふらり火』
《カフェまよい》の厨房で働く『かまど鬼』のひとり。元鬼火。
基本は石窯を担当している。
石窯を使わないときは、風炉で鉄瓶を沸かしたり、厨房以外でも母屋の風呂焚きをしたり、燻製つくりのときにかりだされたりと仕事は多様。
曰く「テクニックではアタシが一番よ。」
好物は使い終わった油。
妖異界にただひとつ、人間の店主が営む茶屋 《カフェまよい》。
その厨房では、水道も通っていないしポンプもないのに、蛇口をひねれば水が出るし、いくらつかっても枯れる事がない。
それは、厨房の一角に置かれたおおきな水瓶に座った小さな幼女の姿をした妖怪、『沢女』のおかげである。
彼女がとり憑いた水瓶の水は、どれだけつかっても減ることがなく、管をつかって送ることで蛇口から自由に出せるようになっている。
そんな、店にはなくてはならない存在の妖怪であるが、彼女はいつも何も話さず、何も語らず、ただ水瓶のふたの上に座って、厨房の様子を見守っている。
《カフェまよい》の朝は早い。
菓子の仕込みも、ランチの仕込みも、ほとんどが朝やるため、仕事の数も多く、茹でたり蒸したりと時間のかかる工程もあるのでどうしても朝早くからはじめないと開店に間に合わない。
春先などは外がまだ暗いうちから仕込みを始めていたが、最近は夜が明けるのが早くなってきたので、今日、真宵が厨房に入る時にはもう外は明るくなっていた。
「おはよう。みんな、今日もよろしくね。」
真宵が厨房に入ると、今日はすでにみんな揃っていた。
朝が早い真面目な右近や、通いで働いているのに元気な小豆あらいはいつものことだが、気ままで手伝ったりいなくなったりする座敷わらしも今日は早起きしている。
「今日はみんな早いね。じゃあ、朝の・・・・え?」
先程、「みんな」揃っている、と思ったのはどうやら間違いであったようだ。
右近も小豆あらいも座敷わらしも、ついでにかまど鬼もつらら鬼も冬将軍もちゃんといたが、ひとり大事なメンバーが欠けていた。
いつも当たり前のようにそこにいて、当たり前のように微笑んでいたので、今日もそうだとばかりおもっていたが、真宵の目には彼女の姿は映ってなかった。
『沢女』。
いつも厨房の水瓶の蓋の上に座っている小さな幼女の姿の妖怪。
その姿は今日はなく、かわりになにやら見慣れぬものがいつもの場所に座っていた。
「ど、どーしちゃったの? 沢女ちゃんは?」
沢女のいつもの場所に座っていたのは、亀の甲羅を背負った右手に杖を持った老爺だった。
長いあごひげも髪も真っ白で、いうなれば玉手箱を開けて年をとった浦島太郎のようだ。
沢女とは似ても似つかないが、奇しくもその大きさだけは同じだった。蓋の上にちょうど乗れるサイズだ。
「マヨイ。実は沢女に用事ができての。何日か休みが欲しいそうじゃ。」
混乱する真宵に座敷わらしが説明した。
「沢女ちゃんが? なにかあったの?」
今日は月曜日。
昨日と一昨日は真宵は人間界で過ごした。
なにか大変なことがあってもわからない。
「いや。梅雨の長雨やら夏の日照りやらで、沢女が川守をしていた川が少し濁っているそうでな。何日か手伝いに行くそうじゃ。」
「だいじょうぶなの?」
沢女はもともと川を守る水神だ。それを迷い家を通じてお願いして、《カフェまよい》を手伝ってもらっている。もし、そのせいで川が濁ってしまったのなら、責任の一端は真宵にもある。
「問題ないじゃろう。後任はきちんと決めてきたと言っておったしな。川が増水したり濁ったりするのはよくあることじゃ。」
「そう。ならいいんだけど。」
「それで、土産に冷蔵庫にあった『羊羹』と『岩清水』をいくつか持たせたが、かまわんかったか?」
「ええ。それはもちろん。前々から言ってくれてれば、もっとちゃんとしたお土産をたくさん用意したのに。」
沢女が里帰りするなど初めてのことだ。
いつも世話になっているので、こういうときくらいちゃんとしてあげたかった。
「それで、沢女不在のあいだはかわりに『瓶長』がかわりに来てくれることになった。沢女とおなじでこやつが憑いた水瓶の水はいくら使っても減らぬ。」
『瓶長』
亀の甲羅を背負った小さな老人の姿をした妖怪。
瓶長が憑いた水瓶の水はどれだけつかっても減ることがない。
「あら。そうだったのね。えーと、瓶長さん? 沢女ちゃんが戻るまでよろしくお願いしますね。」
真宵は水瓶の上の小老人に視線をあわせて挨拶した。
「ホッホ。こちらこそ、よろしくたのむぞ。ああ。えーと、それでな。座敷わらし、例の件を・・・。」
瓶長はなにやら遠まわしに言いたげにしている。
「わかっておる。マヨイ、それで、瓶長の駄賃のことなんじゃが、人間界の酒が飲みたいらしくてな。御猪口に一杯ほどでよいから、一日の仕事終わりにでもやってくれぬか? こやつは無類の酒好きでな。」
座敷わらしが説明した。
「ええ。それくらいなら、全然かまわないけど・・・。」
「ホッホ。よろしく頼む。なにしろ、店では出さぬここの秘蔵の酒は妖怪仲間ではちょっとばかし有名だからのう。」
瓶長は笑った。
(有名になっているのか・・・。)
真宵は若干笑顔がひきつった。
冬将軍といい、瓶長といい、うわばみや濡れ女といい、なんで妖怪にはのんべぇが多いのだろう?
「わ、わかりました。それじゃあ、仕事終わった後に、ってことで。よろしくおねがいします。」
「ホッホ。了解じゃ。」
「じゃあ、仕事はじめましょうか。小豆あらいちゃんは小豆あらってくれる? 右近さんはご飯炊いてください。座敷わらしちゃんは客席のお掃除。私は朝の賄い作るから。」
「わかった。」
「わかったゾ。」
「承知した。」
それぞれ、仕事を分担し、朝の支度に取り掛かった。
真宵は料理人の基本として、まず、しっかり手を洗おうと蛇口をひねった。
「あれ?」
蛇口をいくら回しても、水が出ない。
「すみません、瓶長さん。お水が出ないんですけど。」
「ん?なんのことじゃ?」
真宵の言葉に瓶長は白髪頭をかしげる。
「えーと。いつもは沢女ちゃんにこの管をつかって、水を送ってもらってたんですけど・・・。」
「ホッホ。お嬢さん。瓶の水は勝手に流れていくもんかい?」
「え?」
意味がよくわからない。
「わしは瓶の妖怪じゃからな。瓶の中の水をきれいにしたり、減らないようにはできるが、水の流れを操ったりはできん。川の神でないからのう。」
「そ、そうでしたか。てことは、つまり・・・。」
沢女が戻るまで、水道は使えない。
水瓶の水を汲んでつかえ、ということだろう。
「そうですか。そうですよね。慣れない仕事の代理ですもんね。いつもどおりにってわけにはいきませんよね。」
そうして、沢女のいない《カフェまよい》一日が始まった。
閉店後。
がっくりとうなだれる従業員の姿があった。
とくに小豆あらいと右近の疲弊がすごい。
「だ、だいじょうぶですか? 右近さん、小豆あらいちゃん。」
「も、問題ない。」
「・・・・・。」
右近はまだ虚勢をはれる余裕もあったが、小豆あらいは疲れきって返事もできない。
いつも元気な小豆あらいからすると、かなりこたえているらしい。
なにしろ、料理するにも洗い物をするにも、そのたびに水瓶のところまで行って水を汲み、運ばないといけなかった。
例えば、洗い場から水瓶まで、小豆あらいの子供の足でもほんの十数歩という距離だが、一日中、何往復もとするとなるとかなりの負担だった。
水は意外と重いのだ。
特に、右近と真宵は客席と厨房を交代で担当しているが、小豆あらいは一日中厨房にいたので疲弊が激しい。しかも、洗い物には大量に水をつかうのでなおさらだった。
真宵は途中で、洗い物担当を交代するよう打診したが、責任感が強いのか、仕事をとられるのを嫌うのか、小豆あらいは頑として拒否した。
その結果が今の惨状である。
よくよく考えてみれば、もし、沢女も瓶長もいなければ、店で使う大量の水を、すべて井戸なり湧き水なりをいちいち汲みに行かないといけないのだ。
嗚呼、なくなってはじめて実感できる『あたりまえ』につかっていた便利さ。
(沢女ちゃん。お願いだから早く帰ってきて・・・。)
真宵は心の底からそう願った。
読んでいただいた方、ありがとうございます。
『瓶長』でございます。
敬愛する鳥山石燕さまの創作オリジナル妖怪とも言われてますが、どうなんでしょうね?
もとは甌長と書くのですが、あまり使われない古い字なので、どうかなあと瓶にしました。
いままで、沢女のおはなしとかで水瓶と書いてきたのですが、水瓶って書くとちょっと小さいカメをイメージしちゃうなあと、ちょっと後悔してます。
古い台所に置いてあるような大きなカメって、瓶より甕のほうがしっくりきます(自分の中で)。
でも、甕にすると、スマホとか小さい画面で読んでくださってる方だと、字が潰れてみにくいかなあ、とか思ったり。瓶にとりついてるのに甕長じゃ変かなともおもったりで、結局、瓶長になりました。
うーん、漢字って難しい。
そもそも、甕と瓶の差ってなんなんでしょうかね?