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妖怪道中甘味茶屋  作者: 梨本箔李
第四章 青嵐
94/286

94 ぶんぶくお茶屋

登場妖怪紹介


『しゃんしゃん火』

《カフェまよい》の厨房で働く『かまど鬼』のひとり。元鬼火。

ふたつある釜戸の左側を担当している。

安定した火力で正確に米を炊いたり、小豆を煮たりしてくれる。

曰く「私、失敗しないので。」

好物は使い終わった油。


妖異界にただひとつ、人間の店主が営む茶屋 《カフェまよい》。

先月、メニューに登場した『抹茶セット』は好評で、すっかり定番メニューとして定着していた。

雅ごとの好きな花街の妓女妖怪をはじめ、このメニュー目当てに来店する妖怪も少なくない。

丁寧に点てられた抹茶の香りは、人間にも妖怪にもひとときの安らぎをあたえてくれるようだ。




「いらっしゃいませー。」


新たに現れた客に、店主である真宵が笑顔で迎えた。


「こんにちは。はじめてのお客様ですか?」


真宵とて、すべてのお客の顔を覚えているわけではないが、おそらくは初めて見る顔だ。

立派な薄い草色の着物と袴。同じあつらえの羽織を着ている。

『遠野』の山間の峠にある茶屋に、こういった服装で訪れる妖怪はそんなに多くない。


「うむ。はじめてだ。ある方から紹介いただいてた。機会があれば行ってみるといいと。それで、今日、足を運ばせてもらった。よろしくお願いいたす。」


男性は神妙に頭を下げた。

みためには、初老にさしかかるかどうかの中年男性だが、なにやら、物言いがやけに仰々しい。


「こちらこそ、よろしくお願いします。店主の真宵といいます。ええと、どなたかからのご紹介なんですか?」


《カフェまよい》は特に宣伝をしているわけではないので、基本的には口コミだ。

ご紹介、などというほど敷居の高い店ではないのだが、誰かが宣伝してくれたのだろう。


「うむ。隠神刑部いぬがみぎょうぶどのから、紹介いただいた。手前、分福ぶんぶくと申す。」


「隠神刑部・・・、ああ、あの、すごい偉いっていう狸妖怪さんですか。」


妖異界でも五指にはいる大妖怪、隠神刑部狸を、「すごい偉い狸さん」で片付けてしまうのが真宵のすごいところである。


「以前、たくさんの狸妖怪さんを連れて来てくださったんですよ。もしかして、分福さんも狸妖怪さんですか?」


猫妖怪のねこまたや兎妖怪の望月兎などは、耳やら尻尾やらもとの動物の特徴を残していてわかりやすかったりもするが、妖怪の中には完全に人間に化けてしまうものもいて、外見だけでは何の妖怪かわからないものも多い。

分福も、みためは完全に人間だ。


「うむ。手前もまた、狸妖怪だ。 茶をいただくには、人間の姿のほうが都合がよいと思ってな。」


「そうでしたか。来てくださってうれしいです。あ、すみません、こんなところで立ち話しちゃって。どうぞ、好きなお席に。すぐ、メニューをお持ちします。」




「どうぞ。こちら、メニューになります。」


真宵は、分福にメニューを渡すと、初めての客ということで、簡単な説明をしようとした。

しかし、それより先に分福の質問が飛んだ。


「失礼。この『抹茶セット』につくという茶菓子はどのようなものであるか?」


一番目立つ場所に書いてある看板メニューの『おはぎセット』にも、先日加わったばかりの新メニュー『かき氷』にも目もくれず、『抹茶セット』に飛びついたのは少々珍しい。

隠神刑部狸からなにか聞いていたのだろうか?


「あ、はい。今月の『お抹茶セット』の茶菓子は『岩清水』です。錦玉羹ていう寒天を固めたお菓子です。透明で涼しげな夏にはぴったりのお菓子ですよ。」


七月の茶菓子『岩清水』。

いくつか試作した中で、いちばん夏らしいのと、先月が練りきり餡の菓子だったので、目新しいだろうと考え、採用された。


「ほう。『岩清水』か。岩の隙間から湧き出す冷水を思い浮かべるよい名前だ。けっこう。では、その『抹茶セット』をひとついただこう。」

他のメニューに関しては何も聞かず、注文を決めた。


「かしこまりました。『お抹茶セット』ひとつですね。少々お待ちください。」





「おまたせしました。どうぞ、先にお菓子のほうをお召し上がりください。こちら『岩清水』になります。」


皿にひとつのせて出された菓子は、四角に切られた寒天のお菓子で、綺麗な透明だった。

試作品ではうっすらと緑色をつけて自然の湧き水を意識してつくったのだが、某従業員にカエルの卵と揶揄されたので、試行錯誤を重ねていまのかたちとなった。

錦玉羹には色をつけず、むしろ透明感が命と混ぜる砂糖の種類や量にも気を配った。

中に入れたのは小豆と水草を模した餡と同じだが、試作品が苔むした岩の割れ目から染み出す湧き水なら、完成品は湧き水がつくりだした、底まで透けて見える小さな一筋の清流だ。

これでもう、カエルの卵などとは呼ばせない。

真宵が試作と失敗を繰り返してできた一品だ。


「ほう。これはまた美しい。涼しげな夏の清流を思わせる。寒天のなかに入れた数粒の小豆は川底の小石といったところかな?」


「はい!そのとおりです。」


真宵はおもわず顔がほころんだ。

苦労して改良を重ねた甲斐があったというものだ。


「では、ごゆっくり。あとで、お抹茶をお持ちしますので。」


真宵は席を後にした。


『抹茶セット』はお菓子を先に出して、すこし時間をおいて抹茶をお出しする。

いちおう茶道のセオリーに倣っているのだが、抹茶を出すタイミングは意外と難しい。

菓子を出してすぐひと口で食べる客もいれば、その造形を思う存分、目で楽しんだ後、ゆっくりと味わう客もいる。なかには、お茶と交互に楽しみたいという客もいる。

抹茶のほうも冷めてしまっては台無しなので、けっこう気を使うのだ。






抹茶を出した後も、問題はなかった。

『岩清水』の味のほうもおいしいと言ってもらえたし、抹茶もおいしそうに飲んでいたように思う。

だが、飲み終わったあとに、「店主どの、少々よろしいか?」と呼ばれると、分福はずいぶんと難しそうな表情をしていた。


「はい。なんでしょうか?」


「・・・・。」


真宵が聞いても、分福は眉間にしわを寄せて、なにやら考えている。


「・・・もう一度、抹茶をいただけるだろうか?」

分福がやっと口を開いた。


「は、はい。お抹茶だけですか? お菓子のほうは?」


「いや、菓子はけっこう。茶だけでかまわないのでお願い致す。」


「かしこまりました。」


お茶やお菓子のおかわりは、別段珍しいことでもないのだが、なんとなく、おいしかったからもう一杯という感じではない。


(なにか、お気に召さないことでもあったかしら?)


真宵はいろいろ考えながら。追加の注文を通した。




「おまたせしました。抹茶のおかわりです。」


分福は軽く礼をすると、テーブルに置かれた抹茶碗を大事そうに持ち上げると、小さく三回まわした。


(やっぱり、この分福さんて、茶道の所作を知ってる方よね。)


真宵もそれほど詳しいわけではないのだが、茶道につかわれる茶碗には正面があって、お客に出すときは、必ず正面を向けて出すのがマナーだ。

正面には絵が描かれていたり、釉薬が多めに塗られていたりと、わかりやすいものもあれば、よく見ないとわからないものもある。

お客はお茶を飲むときは、逆に正面を避けて口をつける。そのために小さく三回まわすのが茶道の所作だ。


(そういえば、分福さんの着ているものって、茶人ぽいっていえば、ぽいのよね。)


立派な袴姿で足元は雪駄にきちんと白足袋を履いている。

ひとつひとつの所作も、流れるようで無駄がない。


分福は抹茶を飲み干すと、空になった茶碗をいろんな角度から見つめた。

これも茶道では普通のことで、つかった茶道具を拝見させてもらうことで、お茶や菓子の味だけでなく器や場の雰囲気までもしっかり堪能するということらしい。

とはいえ、《カフェまよい》は茶室でも茶道教室でもないので、そこまでの器を使っているわけではない。

いちおう、ちゃんとした焼き物の抹茶碗ではあるが、有名な陶芸家の作品でも銘があるわけでもない。普通に普段使いできる値段の茶碗だ。


(そ、そんなに穴が開くほど見てもらえるようなお茶碗じゃないんだけどな。)


真宵の心の声をよそに、分福はこころゆくまで茶碗を観察したあと、丁寧にテーブルに置いた。。

しかし、また、難しそうな顔で押し黙る。


「あ、あの。なにかご不満な点とかありましたでしょうか?」


我慢しきれず真宵が尋ねた。

不満な点があれば改善したいし、希望があれば叶えてあげたい。

ただ、ここはあくまで普通にお茶やお菓子を楽しむ甘味茶屋なので、どこぞの有名な茶人が開く茶会のような高価な茶道具や器を期待されても、少々こまってしまう。


「あ、いや。失礼。不満などいうつもりはないのだが、少し、もったいないと思ってしまってな。顔に出ていたなら申し訳ない。」

分福は丁寧に謝った。


「いえ。とんでもない。もしよかったら、なにが足りないか教えていただけませんか?」


改善できるかどうかはわからないが、聞いてみる価値はあるとおもった。


「やっぱり、器でしょうか?」

真宵から聞いた。


「器?」


「ええ。そんなに立派なものじゃないし、ありきたりのもので。」


しかし、分福は首を振った。


「いいや。たしかに、そんな高名な陶芸家の作品ではないが、趣味はいい。おちついた風合いでほっとさせてくれる。よい器だと思うが。」


「そうですか?」

真宵は喜んだ。

この器は、人間界から持ち込んだものだ。

真宵がお店や陶芸市を巡って、安くて好みにあうものを買い集めた。

いわば真宵の趣味である。


「じゃあ、お抹茶の質でしょうか?そんな高いお茶じゃないし。」


抹茶の値段は幅がすごい。

最高級とされる宇治の抹茶などは、目玉が飛び出るような値段で売られていたりする。

もちろん、《カフェまよい》でそんな高級品を扱えるわけはなく、それなりの値段のもののなかから、真宵が選んで買ってきている。

真宵にしてみれば、値段の割にはとてもおいしい良い茶だと思っているのだが、あくまで真宵の評価だ。


「抹茶か? とてもよい茶だと思うが。品のいい苦味も程よく香りも高い。」


「そうですか?」

また、真宵は喜んだ。

店で出すお茶や抹茶にはかなりこだわったつもりだった。

何種類も飲み比べて、値段とにらめっこして、かなり悩みぬいて選んだ銘柄だった。

故に、認めてくれると嬉しさもひとしおだ。


「じゃあ、あとは・・点て方でしょうか?」


分福が飲んだ抹茶を点てたのは、真宵ではなく小豆あらいだが、それを教えたのは真宵であり、点てかたはなにもかわりがない。

そもそも真宵も、そこまで茶道をしっかり習ったことはなく、お茶の点てかたもほとんど自己流である。

もし、点てかたが悪いというのなら、その責任は小豆あらいではなく、真宵にある。


「・・・・。」


分福はなにやらまた考え込むと、不意に立ち上がった。


「少し、厨房にお邪魔してもよろしいか?」


「え?は、はい。」


いきなり言われても、なんのことやらわからなかったが、とりあえず、案内した。





「抹茶はここで点てられているのであるか。」


分福は厨房に入ると、まわりを見渡した。

抹茶を点てるための茶筅や茶漉しを見つけると、興味深そうに手に取る。


「マヨイどの? このかたは?」

いきなり、厨房にはいってきた妖怪に、右近は眉をひそめる。


「あの、厨房を見学したいっていわれて・・・。分福さんっていう狸妖怪さんなんだけど。」


「ぶんぷく・・・・、どっかで聞いたような。」

右近は首をかしげる。


「おお。沢女どのではないか? こんなところでなにをしているか?」

分福が声をあげた。


「分福さん、沢女ちゃんとはお知り合いですか?」

なんとも意外な組み合わせだった。


「うむ。以前、きれいな水を提供してもらったことがあってな。そうか。よい茶にはよい水が欠かせん。ここの水は沢女どのがつくっておったか。」


沢女は、静かに微笑むだけでなにもしゃべらなかった。

ただ、水瓶の上からそっと手を振った。


「しかし、沢女どのの水をつかっているわりには・・・・。」


再び、分福はなにかを探すようにあたりを見まわす。

そこに、今度は右近が声をあげた。


「分福・・・、分福って『茶の湯の分福』か?!」


「有名なかたなんですか?」

真宵が問う。


「あ、ああ。おれは茶の湯など縁がないのでよくは知らないが、その道では有名な茶人だ。『妖異界の利休』などとも呼ばれている。」


「よ、妖異界の利休、ですか?」


また、いきなりとんでもない名前が飛び出したものだ。

利休といえば茶道に精通してなくとも、名前ぐらいは誰もが知っているビッグネームだ。


「そんなたいしたものではない。ただの茶好きの狸だ。」

分福は笑う。

しかし直後、釜戸におかれたあるものを見て、声を荒げた。


「これだ! なんで、こんなもので茶を点てておる。これでは、良い抹茶も、沢女どのの水もだいなしではないか!?」


分福はおおきく右手を持ち上げた。

手に持っていたのは『やかん』だ。


「それは、マヨイどのが人間界から持ってきたやかんだ。妖異界のものより軽くて便利なのだが・・。」


そう。

ただのやかんだ。

ステンレス製の。


「便利さにかまけて、最高の茶が点てられるかぁーー!!!」

分福が一喝した。


「店主よ。こんなもので茶を点ててはならん! 即刻、別のものに変えなさい!」


「え?そ、そう言われましても・・・。」


ここは厨房なので、探せば鍋やら寸胴やら湯を沸かせそうなものはあるだろうが、やかんよりまともなものと言われると、簡単には思いつかない。


「ないのか?」


「え、えと、ごめんなさい。適当なものがなくって・・。」


ふう。

分福はおおきくため息をつく。


「しかたない。手前が用意して差し上げよう。」


分福はおおきく手を広げると、パンと拍手を打った。

すると、どこからともなく真っ黒な鉄瓶が姿を現す。


「これを、お使いなさい。」


それを見て、真宵の顔色が変わった。

それは、真宵が、《カフェまよい》の開店にむけて色々準備に奔走していたときに出会った鉄瓶にそっくりだった。

昨今ではステンレス製品に押されて数は少なくなったが、昔ながらの鉄瓶もまだ作られている。

代表的なのは南部鉄瓶で、その造形の美しさからインテリアとしても評価されたり、茶を煎れるときにつかうと味がまろやかになるといわれてちょっとしたブームになっていたりもする。

真宵もとある店で、その美しさにひとめ惚れしたが、店で使う大きめのサイズの物となるとその値段がなかなかのもので、手を出せずに断念していた。

もちろん、模様や細部は若干違っていたが、そのかたちといい色といいあの恋した南部鉄瓶にそっくりだった。


「こ、これ、もらっちゃっていいんですか? ・・・いや、でも、こんな高価なもの、お客様からいただくわけには・・・。でも、すごい素敵。」


おもわず真宵は目の色が変わっている。


「ふふ。かまわん。この鉄瓶でもっとうまい茶を点ててくれ。今度、手前が来たときにはもっと腕をあげていることを期待してるぞ。」

分福は笑う。


「はい。ありがとうございます。大事につかいます!」


真宵は目を潤ませて礼を言った。

そこに、右近がよけいな一言を言ってしまう。


「同じ湯なのに味が変わるのか? 軽いやかんのほうが便利そうだが。」


すると、分福と真宵のふたりが右近を睨みつける。


「ばっかもーーん!! 茶の湯を何だと思うとる!」


「そうですよ! なんでこの鉄瓶のよさがわかんないんですか!」


ふたりに怒鳴られ、右近は押し黙るしかなかった。





かくして『妖異界の利休』こと分福狸から鉄瓶を贈られ、以降の茶は、この鉄瓶で沸かした湯がつかわれることになった。


その後、《カフェまよい》の茶が前よりまろやかになったかどうかはさだかではない。






読んでいただいた方、ありがとうございます。

今回は、分福狸でございます。

有名な狸妖怪さんですね。

「ぶんぶく茶釜」のたぬきさんといったほうが、ピンとくるかもしれません。

厨房で茶釜は使いにくそうかなーと思い鉄瓶にしましたが、憧れなんです、南部鉄器の鉄瓶とか茶釜とか。素敵ですよねー。

ほんとにお湯やお茶の味が変わるのかは、懐疑的なんですが。



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