85 団体様御一行いらっしゃい
《カフェまよい》 メニュー
『草餅』
上新粉と白玉粉でつくった餅にヨモギを練り合わせた菓子。
きな粉をまぶしてあり、中はつぶあん。
餅に砂糖を加えてあるため、時間がたってもやわらかい。
『まんじゅうセット』の菓子としてよくつくられる。
注 《カフェまよい》の『まんじゅうセット』では、大福や餅なども饅頭として提供されることがあります。
妖異界にただひとつ、人間の店主が営む茶屋 《カフェまよい》。
梅雨が明けてから日増しに強くなっていく日差しのにも負けず、店のものたちは元気に働いていた。
「いらっしゃいませー。」
入り口の戸が開き、またひとりの客が店にはいってきた。
客は熟年の男性で、恰幅のいいお腹をしていた。ちょうど、七福神の布袋さんのようだ。
顔も大きなタレ目と肉づきのいい頬っぺたが、なんとなく縁起の良さをおもわせる。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
「ああ、えーとな。・・・・。」
お客の男性が返答する前に、厨房から烏天狗の右近が飛び出てきた。
歩いて出てきたのではなく、けたたましく音を立てて飛び出してきた。
何事かと、真宵が振り向くと右近があせった顔でこちらを見ていた。否、客を見ていた。
「右近さん、どうかしました?」
真宵の問いかけにも応えず、客から目を離さない。
「なんじゃ。どでかい妖気がだだ漏れなんで、誰かとおもえばお主か。」
比較的、暇な時間帯なので、姿を消していたはずの座敷わらしがいつの間にか真宵の隣に立っていた。
どうやら、この客のことを察知し、姿を現したらしい。
「『隠神刑部』、おぬしがわざわざなんのようじゃ?」
座敷わらしは視線をそらさなかった。ここまで警戒心を隠さない態度も珍しい。
座敷わらしだけではない。右近や客の妖怪までもがこの恰幅のよいひとの良さそうな妖怪の一挙手一投足を見守っていた。
真宵はふとこの前に狐妖怪の女性が来たときのことを思い出した。
たしか、あのときもこんなふうにピリピリした空気になっていたように思う。
だが、今回はあの時以上だ。
「い、いぬがみぎょうぶ、ってことは、犬の妖怪さんなの?」
隣にいる座敷わらしに小声で聞いた。
「プワッーーハッハ。」
それに反応したのは、座敷わらしではなく、隠神刑部の方だった。
おおきな腹をポンポンと叩いて大笑いする。小声で言ったつもりだったが丸きこえだったらしい。
「おもしろい娘さんが妖異界で、茶屋をやっとると聞いたから来てみたが、なかなか肝の据わった娘さんじゃ。気に入ったぞ。」
よくわからないが気に入られたらしい。
そう思っていると、座敷わらしが教えてくれた。
「犬ではなく狸じゃ。それも、こやつは八百八の眷属を束ねる大狸、隠神刑部じゃ。正直、こんなところにフラフラと現れる妖怪ではないはずじゃがの。」
座敷わらしは隠神刑部をしっかと見つめた。
『こんなところ』、がこの『遠野』の地という意味なのか、この店のことなのかはわからない。
「ふはは。そんなに警戒せんでもよかろう。 べつに、『遠野』にもこの店にもなにもしようとは思うておらん。ただ、うわさで、狐のやつらに喧嘩を売った人間の娘がおるって聞いての。そんな愉快な人間なら、一度は挨拶位しておかんといかんと思うて、足を運んだまでじゃ。」
隠神刑部はおもしろそうに笑う。
見た目にだまされているのかもしれないが、真宵にはこの妖怪がそこまで警戒するほど危険なようには思えなかった。むしろ、ひとの良さそうな妖怪に思える。
それより、なにかおかしなことを言っていたようで、そっちのほうが気になる。
「座敷わらしちゃん。狐さんに喧嘩を売ったとか売らないとか言ってたけど、どういうことかしら?」
小声で聞いてみたが、座敷わらしは聞いてないふりで、そっぽを向いた。
狐の妖怪と言えば、前に銀狐という妖怪が一度来たっきりで、他に覚えはない。
たしかに、銀狐は機嫌を悪くしたように見えたが、それ以来、音沙汰はないし、喧嘩を売ったなどといわれるようなことはしていないはずなのだが。
座敷わらしがこっそり、妖狐とその眷属すべてを出入り禁止にしていることを知らない真宵は首を傾げるしかなかった。
「え、えーと、じゃあ、とりあえずご挨拶させていただきます。ここ《カフェまよい》で店主をさせていただいています真宵といいます。はじめまして。それで、今日は、お寄りになっただけでしょうか? うちは甘味茶屋なので、よろしければ、お茶やお菓子など召し上がれますけど、いかがですか?」
「プワッーーハッハ。」
隠神刑部はまた爆笑した。
今度は座敷わらしまでプッとふきだした。
真宵にしてみれば、挨拶しにきただけ、と言われたので、よかったら、なにか食べていきませんか?と言っただけなのだが、なにやら妖怪さんがたにはおもしろかったらしい。
「いや、ほんとうに豪気な娘さんだ。お言葉に甘えたいのはやまやまじゃがな。わしもいろいろ面倒くさい立場の妖怪でな。ひとりで出歩くこともままならんのじゃよ。ちぃとばかし連れがおるんじゃが、いいかのう?」
「え?お連れ様ですか? もちろん、かまいませんよ。何名さまですか? ・・・あ。」
真宵はドキリと思い出した。
さっきなにやら、八百八の眷属を束ねる妖怪などと聞いた気がする。
「あ、あの、まさか、お連れさんが八百八人いらっしゃるなんてことは・・・・。」
「ウハハ。さすがに、山を空にして全員でというわけにはいかんからな、連れてきたのはほんの一部じゃ。」
「そうでしたか。それなら、ぜんぜん・・・。」
「ほんの、三十人ほどじゃな。」
「え、さんじゅう・・・。」
隠神刑部がパンと拍手を打つと、まわりに煙が立ち、人影が現れる。
しかも、ひとりやふたりではなく、後ろには店の外まで人影が続いている。
おそらく、全部で三十人ほどいるのだろう。
「もし、迷惑なら、何人か残して、残りは外で待たせておくことにするが?」
真宵の反応を気にしたのか、遠慮気味に言ってきた。
しかし、飲食業たるもの、お客に気をつかわせるのでは情けない。
「い、いえ。だいじょうぶです。どうぞ。申し訳ありませんが、席のほうは詰めてお座り願えますか。」
真宵は腹をくくって、団体の狸妖怪たちを席に案内する。
《カフェまよい》の店内は、ほとんどが四人席のテーブルと二人席のテーブルだ。
だが、意外と四人席テーブルに四人座っていることが少ない。
客の妖怪はあまり団体行動をしないのか、ひとりでなければ、二人か三人までのグループが多い。四人以上の団体さんはほとんどこないのだ。
ましてや三十人の客など受け入れるのは初めてだったりする。
しかし、詰めて座ってもらえれば、いまいるお客を合わせてもなんとか座れるキャパシティはあるのだ。
狸妖怪は布袋さま似の隠神刑部をはじめ恰幅のよいものが多かったが、なかにはスリムなものやら若いのやら、女性も混じっていた。
体格のいいひとばかり四人が集中すると、少々狭いかもしれないが、うまくバラけてくれればなんとかなるはずだ。
「マヨイ、意地をはらんでも、無理なら断ってもよいのじゃぞ。」
座敷わらしが小声で言った。
「ううん。だいじょうぶよ。なんとかなるわ。狸妖怪さんのほうは私がやるから、座敷わらしちゃんは他のお客さんをフォローしてくれる? お菓子の追加とかお茶のおかわりのほしいひとがいるかもしれないから。」
「わかった。」
とりあえず、狸妖怪には座ってもらうことにした。
多少、混乱したものの、他のお客さんが移動して四人席を空けてくれたりしたおかげで、なんとか全員座ってもらうことに成功した。
しかし、大変なのはここからだった。
「なあ、この『おはぎセット』は内容が毎日違うのか?」
「『まんじゅうセット』もそうだよな? 今日はなんなんだ?」
「ねえ、この『お抹茶セット』ってどんなの?」
「おい、おはぎは二個セットって書いてあるけど、饅頭は一個なのか?」
「『ところてん』て黒蜜でも食えるのか? うまいのか?」
「この『羊羹』てさあ・・。」
三十人の客が、いっせいに喋りだした。
とても一度に対応できず、とりあえず一旦静かにしてもらった。
「えーと、みなさん手元にメニューをお渡ししましたが、簡単に説明させてもらいますね。」
まるで、学校の先生か旅行会社のツアーガイドのようだったが、この際仕方がなかった。
「『おはぎセット』はおはぎふたつと煎茶、それにお茶請けのお漬物が付きます。今日のおはぎはつぶあんと胡麻です。」
店中に聞こえるような声で説明する。
他のお客さんには少々迷惑かもしれないが、我慢してもらおう。
「『お饅頭セット』のおまんじゅうは、今日は『草餅』です。よもぎのはいったお餅で中身はつぶあん、まわりにきな粉がついています。」
とりあえず、すべてのメニューを口頭で説明し、テーブルひとつずつ回って注文をとった。
「右近さん、注文はいりました。『おはぎセット』16、『お饅頭セット』9、『羊羹セット』2、『お抹茶セット』2、『ところてんセット』2、両方黒蜜でお願いします。」
隠神刑部と他の狸妖怪三十人。これでとりこぼしはないはずだ。
「わ、わかった。マヨイどの、だいじょうぶか? すでに疲れているぞ。」
厨房に戻っていた右近は、真宵を見て心配した。
「だいじょうぶよ。まだまだこれからよ。小豆あらいちゃん、洗い物はあとまわしでいいから、お茶を煎れるのを手伝ってくれる? 全員分別々にするのは無理ね。ランチのときみたいにテーブルごとにさせてもらいましょう。お茶葉はケチらないでね。手は抜いちゃだめよ。ちゃんと湯のみは温めてね。」
《カフェまよい》では、普段はお客ひとりひとり、別の急須でお茶を煎れている。
これは真宵のこだわりで、お茶は一煎目と二煎目では味が違う。無論、一煎目が一番おいしいとされているが、二煎目や三煎目にもまた違ったおいしさがあるのだ。
なので、どのお客さんにも同じようにおいしいお茶を楽しんでもらえるように、わざわざ別の急須でお茶を煎れ、おかわりの場合もきちんとその客の急須からおかわりを煎れるようにしている。
最初、このやり方を提案したとき、座敷わらしに、
「そこまでこだわる必要があるのか?」
と、呆れられたが、やはり、甘味茶屋の看板をだしている以上、お茶へのこだわりは妥協したくなかった。サービスではなくきちんとお茶の御代を別にいただいているのもそのためだ。
ただ、ランチタイムはさすがにそこまではできないので、ランチのお客はテーブルごとに急須を分けている。すくなくとも、最初のお茶が二煎目の茶であったり、出涸らしをお出しするようなことは決してない。
「ワカッタ! 抹茶はどうスル?」
「お抹茶はあとでいいわ。先にお菓子を食べていただくから。」
「注文はテーブルごとに出さないのか?」
右近が聞いた。
いつもはおなじテーブルの客には、別の品を注文されても、できるだけおなじタイミングでお出しするように心がけている。
「ええ。別テーブルといっても、同じ団体さんだしね。あれこれ順番にこだわるより、お待たせしないように間違えないようにしましょう。先に『おはぎセット』を全部お出ししましょう。」
「わかった。用意する。」
「お茶を煎れるゾ!」
突然の団体客であったが、なんとかチームワークで乗り切れそうである。
「『お抹茶セット』の方以外は全員、いきわたりましたね。『お抹茶セット』の方のお抹茶はすぐお出ししますので、先にお菓子のほうをどうぞ。それでは、お待たせしました。どうぞお召し上がりください。」
なんとか全員に注文を出すことができ、真宵はほっとした。
主である隠神刑部に遠慮していたのか、狸妖怪たちは興味深々でお菓子を凝視するものの、全員が揃うまで誰も勝手に手をつけようとはしなかった。
意外と、というとお客に失礼だが、行儀のいい狸たちだった。
「なんとかなったようだな。マヨイどの。」
厨房へと戻った真宵に右近が労いの言葉をかけた。
「ええ。とりあえずはね。右近さんも小豆あらいちゃんもご苦労さま。」
「抹茶もできたゾ!」
小豆あらいが最後の注文の品である抹茶を二碗、持ってきた。
「ありがとう。じゃあ、お出ししてくるわ。」
真宵はまた客席へと足を向けた。
「どうぞ、こちらお抹茶です。熱いのでお気をつけください。」
『抹茶セット』を頼んだ女性の狸妖怪に、抹茶をお出しする。
「ねえ、『抹茶セット』のお菓子ってあんな小さなのひとつだけなの?」
「え、ええ。お抹茶を楽しんでいただくためのお菓子ですので、あのサイズになっています。」
「ええー。あんなのじゃ足りないわよぉ。そりゃあ、きれいで珍しいお菓子だったけど。おはぎはあんなおおきなのがふたつなのに、どうして、あのお菓子はあんな小さなのがひとつなの?」
「え、えーと、どうしてと申されましても・・・。」
想定外のクレームに真宵は困惑した。
女郎蜘蛛や骨女をはじめ、『抹茶セット』を頼む客の多くは茶道や茶の湯をもともと知っていたらしく、すんなり受け入れてくれたので、気にしたことがなかったのだが、どうやら、この狸妖怪は茶道のようなものは知らずに頼んだようであった。
「そうだよなー。この『草餅』ってのもすっげえうまいけど、一個なんだよ。なんでおはぎみたいに二個じゃないんだ?」
また、別のテーブルからもクレームが入る。
ただ、このクレームの矛先はどうやら、真宵でも店でもなかったらしい。
「ねえ、隠神刑部さま。追加で注文してもいいでしょう? こんな遠くまで来たのに、あんなちいさなの一個じゃ足りないわ。」
「そうだよ。こんな『遠野』の茶屋なんて、次にいつ来られるかわからないんだから、おもいっきり食っておこうぜ。」
他の狸妖怪たちも口々に、もっと食わせろと騒ぎ出した。
一番奥のテーブルに座っていた隠神刑部は、ホッホッホッと笑いながら言う。
「まあ、ええじゃろ。今日は特別じゃ。食いたいものを食えばええ。」
その言葉を聞いた狸妖怪たちは一斉に歓喜の声をあげる。
「じゃあ、あたし、『おはぎセット』ね。あの胡麻のやつおいしそう。早く持ってきて。」
「俺も、『おはぎセット』な。超特急で。」
「馬鹿。おまえは煎茶はもうあるだろう? おはぎの単品でいいんだよ。」
「あ、そっか。」
「わしは、もう一個草餅をもらおう。こんなうまいの一個じゃ足りん。」
「草餅、そんなにうまいのか? だったら俺も草餅!」
「おまえ、まだおはぎ食ってる途中だろ。全部食い終わってからにしろよ!」
こうなると、もう手がつけられなかった。
真宵は次々と殺到する追加注文を、半分パニックになりながら処理し続けた。
「じゅ、じゅんばんにお聞きしますから、しょうしょうおまちくださーーい!!!」
火事場騒動のような騒ぎはやっと終わりを告げた。
真宵は客席と厨房をいったい何往復したか、もうよくわからない。
「ずいぶんと世話になった。 いろいろうるさく騒いですまんかったの。」
隠神刑部は礼を言った。
「いえ。とんでもありません。こちらこそ、いたらない点もありましたがご容赦ください。」
真宵はちょっとつかれた顔で笑顔をつくった。
隠神刑部たち狸妖怪たちは、これでもかというほど食べに食べ、さらに、山に残った狸たちへの土産として大量の持ち帰りの菓子を注文していた。
ひとりおはぎ六個まで、饅頭十個までのローカルルールもこの人数で注文されるとあまり意味を成さない。
ある菓子全部持っていかれると、他の客に迷惑になるので、今日の営業に差し支えのない分のおはぎや饅頭を除いて、残り全部を土産にすることで勘弁してもらった。
「それじゃあ、これは御代じゃ。」
隠神刑部は巾着を懐から取り出すと、真宵に渡した。
ズシリと重い巾着の中には、大量の金子や銀子が入っていた。
「あ、ちょっと待ってくださいね。まだお会計の計算ができてないんです。」
いつもなら、多くても数人なので、ここまで大量の注文の計算はしたことがなかった。
しかも、ここには電卓も計算機もない。
残念ながら、真宵はそろばんも習ったことがなかった。
単純な計算もここまで数が多いと大変だ。
「まさか、この金が木の葉で化かしたものではあるまいな。隠神刑部よ?」
いつの間にか隣に来ていた座敷わらしが言った。
たしかに、狸が葉っぱをお金に変えて人間を化かす話は定番だ。
「ちょっと失礼よ。座敷わらしちゃん!」
「フハハ。いくら狸でもこんなうまいもの食わせてくれた店に、そんな恩知らずなことはせんよ。」
隠神刑部は笑って否定した。
「はい。計算終わりました。 じゃあ、こちらの巾着からいただきますね。」
真宵は巾着袋から、銀貨と銭を何枚か取り出すと、きちんと袋の紐を締めなおし、隠神刑部に返した。
「む?いやいや、巾着ごともらってくれていいんじゃよ。あんなに飲み食いして、土産まで注文して、それっぽっちじゃあ、商売にもならんだろう?」
隠神刑部は再び巾着を真宵に渡そうとするが、固辞された。
「いえ。ちゃんと正規の料金をいただいてますので。うちはぼったくりもしないかわりに値引きもいたしません。なので、団体割引もしませんのでご了承ください。」
真宵はいたずらっぽく笑う。
「ふはは。おもしろい娘さんじゃの。」
隠神刑部もつられて笑った。
「隠神刑部よ。あまり無理強いはせぬほうがよいぞ。なにしろ、同じように金を押し付けようとした狐を真宵は断った挙句、追い出してしもうたからのう。」
座敷わらしが茶化した。
「ちょっと!追い出したなんて人聞きの悪いこと言わないでよ、座敷わらしちゃん! ・・・そりゃあ、ちょっと怒らせたっていうか、怒って出て行っちゃたけど・・・。」
「ふははっはは。狐をか?そりゃあ、おもしろい! まったく。気に入ったぞ!娘さん!こんなおもしろい人間の娘がおるとはのう。」
隠神刑部はこれ以上ないくらい愉快そうに笑った。
よく狸と狐はライバル関係にあるような御伽ばなしがあるが、どうやら、この世界でもそんな感じらしい。
「それじゃあ、無理に押し付けるのはやめておこう。追い出されたくはないからのう。」
隠神刑部は、巾着を懐にしまう。
「いやあ、しかし楽しかった。菓子もうまかったしな。また来たいが、わしらの棲む山はちいっとばかし遠くてな。たびたびは来れんじゃろうが、また来てもええかの?」
「ええ。もちろんお待ちしています。ぜひ、来て下さい。」
すると、隠神刑部は返事をせず、じっと座敷わらしに顔を見つめた。
「・・・なんで、わしの顔色を気にするんじゃ? 好きにすればよかろう。」
座敷わらしは顔をそむける。
「ふはは。遠野の座敷わらしも許可したことだし、言葉に甘えさせてもらおう。それじゃあ、皆の衆、御山に帰るとするかのう。」
そして、隠神刑部はその仲間の狸妖怪を連れ、店を後にした。
その、去り際に一言言い残していった。
「人間の娘さん。もし、この妖異界でなんぞ困ったことがあったら、この古狸を頼ってきなさい。『隠神刑部』の名に懸けて、アンタの力になると約束しよう。」
「やっと、ひと段落ね。」
真宵は、ほっと一息ついた。
もちろんまだ営業時間は残っているし、まだ、他にも客は何組か残っていたが、さすがにあの嵐のような団体客はもう来ないだろう。
「さて、片付けますか。」
そう。お客は去ってもまだ仕事はあるのだ。
客席には皿や湯のみがそのまま残っている。さらに厨房の入り口には皿が山積みになっていた。
厨房から右近が出てきて下げるのを手伝ってくれている。
「ありがとう。右近さん。厨房も忙しかったのにごめんなさいね。」
「いや、かまわない。・・それより、マヨイどのはすごいな。」
「え?なにが?」
「あの隠神刑部狸に、いつでも頼って来い、などと言わせる者はそうはいないぞ。」
「え?そうなの?ただの社交辞令だと思っていたわ。」
そもそも、頼りに来い、と言われても、狸妖怪の棲んでいる山がどこにあるかも知らないし、知っていたところで妖怪の足でも遠い場所を、真宵が行けるわけもないのだ。
「それに、あの隠神刑部さんてそんなに偉いかたなの? けっこうきさくないい方みたいだけど。」
たくさん部下を連れていたので偉いのはわかっていたが、なんとなく雰囲気のいい中小企業の社長みたいな感じだった。
「妖異界で、大妖怪の名前を三人挙げるとしたら、『隠神刑部』『九尾』『天狗』だろうな。個々の強さなら『牛鬼』や『土蜘蛛』も負けてはいないが、組織の長という意味ではこの三人だろう。」
「え?そんなにすごい妖怪さんだったの?」
右近は半分呆れて半分は畏敬の念を覚えた。
右近などは、同じ建物にいただけで溢れる妖力をビリビリ感じ、神経を尖らせていたのに、真宵本人ときたらこのとおりだ。
あの狸がちょっと本気になればこの店など簡単に全壊させてしまうだろうに。
「でも、なんかほんわかして優しい感じだったわよね。他の狸さんたちもちょっと騒がしいけど悪いひとはいなかったし。」
真宵は皿を持って厨房に入った。
厨房の中にも大量の皿や湯のみがたまっており、洗い場で小豆あらいがひとり洗い物をしていた。
「あ。小豆あらいちゃん、ひとりで大変でしょう? 私、洗い物交代するわ。」
すると、小豆あらいはおおきなギョロ目を真宵に向ける。
「イラナイ! 洗い物はオレの仕事ダ! オレがヤル!」
まるで威嚇するように真宵を睨む。
「え。そう? じゃあ、おねがい・・・します。」
真宵は気圧されて、皿をそっと洗い場に置いた。
小豆あらいは山のような洗い物に囲まれて、楽しそうに洗っている。
鼻歌まで歌っているようだ。
「・・・なんで、あいつはあんなに元気なんだ?」
後ろで右近が小声でつぶやいた。
右近も真宵もはじめての団体客で、どっぷり疲れているというのに。
「・・・ほんとにね。」
真宵もこればかりは右近と同意見だった。
読んでいただいた方、ありがとうございます。
今回は『隠神刑部』。超有名な狸妖怪さまでございます。
隠神刑部。大好きです。
字面といい響きといい、かっこよすぎます!なんとも厨二病ごころをくすぐられます。




