82 夏にそなえて
新章 青嵐 です。
梅雨明けから初夏にかけてのおはなしだと思っていただけると有難いです。
妖異界にただひとつ、人間の店主が営む茶屋 《カフェまよい》。
その厨房にはひとつおおきな冷蔵庫がある。
電気ない妖異界の冷蔵庫は、人間界でも昔つかわれていたような、上部の棚におおきな氷を収納して、下の棚に収納されたものを冷やす旧式的なものだ。
お客にはあまり知られていないが、その氷をいれる収納棚には、八人の小さな小鬼が棲んでいる。
現在、その小鬼たちと労働交渉中である。
「いい? あなたたちもわかっていると思うけど、これからどんどん暑くなるのよ。あなたたちだけじゃあ、氷が解けるのをふせげないの。・・・・ええ。それは、わかってる。だいじょうぶよ。・・・・・ええ、はいはい。・・・・・わかった。それは、約束するわ。」
真っ白な着物を着た美女、『雪女』は冷蔵庫にむかって、懸命に話しかけていた。
相手は『つらら鬼』。《カフェまよい》の冷蔵庫に棲まう小さな鬼たちである。
つらら鬼は、キィキィと鳴くだけで言葉は話せないのだが、雪女には理解できているようで、会話は成立しているようだ。
「・・・どうですか? 雪女さん。 うまくいきました?」
傍らで見守っていた店主の真宵は雪女に聞いた。
「ええ。なんとかね。ここにいる八人はそのまま、あと四人追加することで合意したわ。この子たちったら、自分たちの仕事を奪うんじゃないか、騙して国に連れ帰ろうとしているんじゃないかって、疑り深くって。」
「そうでしたか・・・。いつもは素直ないい子たちなんですけどね。」
真宵の言葉にキラリと雪女の視線が鋭くなる。
「・・・あら、まよいさん、それじゃあ、なに? つらら鬼は私より、まよいさんの言うことをよくきくってことかしら?」
「え?いや、そういうことじゃ。」
真宵はブンブンと首を振って否定した。
雪女は絶世の美女といってもいい美貌の持ち主なだけに、凄まれるとかなりの迫力だ。
「まったく、この子たちったら、どんどんわがまま言うようになって。まよいさん。甘やかすのも、考えものよ。」
「は、はあ。甘やかしているつもりはないんですけど・・・。」
つらら鬼は元々、雪女の眷属で、本当なら絶対服従が基本なのだが、《カフェまよい》での仕事を死守するために、団結して反抗しているらしい。
雪女とつらら鬼の妖怪としての差を考えれば、力ずくで言うことをきかせるのは容易いのだが、場所が《カフェまよい》の厨房ということもあり、あまり過激なこともできず、いまのところつらら鬼の主張を受け入れる状況になっている。
「あのー、いろいろ大変なところに言い難いんですけど、雪女さんに、ちょっとご相談があるんですけど・・・。」
「私に?」
真宵は、以前から考えていた夏に向けての対策を雪女に説明した。
「冷凍庫? 冷蔵庫じゃなくて?」
「ええ。無理でしょうか?」
「つまり、氷でものを冷やすんじゃなくて、氷がつくれるくらいの冷気を発する保存庫を作りたいってことよね?」
「はい。」
冷凍庫。人間界では当たり前に使われているが、電気製品のない妖異界では簡単なことではない。
そもそも、日本にだって、一般家庭に普及したのはほんの数十年前のはなしだ。
「うーん、つらら鬼じゃあ、何人集まっても、夏場に氷を作るほどの冷気を発生させるのは無理よねえ。もちろん、私ならできないこともないけど、ずっとここにいるってわけにはいかないし・・・。」
雪女はとある山の山頂に『凍りの国』という場所をつくり管理している。
そこは、一年中雪と氷に閉ざされ、冬の冷気の中でしか存在できない妖怪たちでも一年中走り回ることのできる場所である。
その冷気をつくっているのは雪女であり、一日や二日、国を空けたぐらいなら問題はないが、長く不在になれば、『凍りの国』そのものが解けて存在できなくなる。
「うーん、夏場でも氷を作れるくらいの冷気を出せて、冷凍庫の中にずっと留まっていられるような妖怪ねえ。あまり大きな妖怪は邪魔になるだろうし、すぐ出歩くようなのもだめだし・・・。」
「うっ。」
真宵はちょっと心苦しくなった。
思えば、四六時中狭い冷蔵庫に閉じ込めて、ずっと仕事をさせるというのは、なんともブラック企業的な条件である。
もともとつらら鬼は夏場は氷室の中で小さくなって冬を待つ妖怪らしいし、本人たちがここの仕事を気に入ってくれているので、問題ないといえば問題はないのだが。
「あの、無理そうならいいんですよ。もともと無茶なお願いなんですから。」
雪女をあまり困らせるのも心苦しい。
ただでさえ、つらら鬼を借りている上に、月に一度は氷と冷気の補充に、店に足を運んでもらっているのだ。
甘えてばかりもいられない。
「そうねえ、なかなか適当な妖怪ってなるとねぇ・・・、あっ。」
雪女はなにやらおもいついたように、目を見開く。
「ねえ、まよいさん? 冷凍庫って夏場だけでもいいのかしら? 」
「え、ええ。夏場だけでもあるとありがたいんですが・・・。」
「だったら、いいのがいるわ。たぶん、秋にはいなくなるのだけど、それでいいなら協力してもらえると思うわよ。」
雪女は自信満々で微笑んだ。
数日後。
再び、雪女は《カフェまよい》を訪れていた。
「度々、すみません、雪女さん。」
「いいえ、かまわないのよ。それで、用意はできてるかしら?」
「はい。一応、いまある冷蔵庫と同じようなのを用意したんですでど、よかったでしょうか?」
厨房には前から置いてある冷蔵庫の隣に、同じようなものが並んで設置されていた。
電気も家電製品もない妖異界なので、冷蔵庫、冷凍庫といっても、言ってみればただの木の箱だ。
できるだけ熱を遮断するように、堅くて目の詰まった木材を使用しているし、密閉されるように考慮されてはいるが、プラグがついているわけでも、コンデンサーやコンプレッサーがついているわけでもない。
そのへんは全て妖怪頼みなのだ。
「ええ。だいじょうぶよ。それじゃあ、紹介するわね。このひとが冷凍庫を管理してくれる妖怪よ。」
雪女が両手のひらを皿のように広げると、まるで手品のように冷気の煙が立ち昇り、ひとりの妖怪が出現した。
その妖怪は、一言で言うなら雪で作った五月人形だった。
つらら鬼は氷でできた透明な小鬼だが、こちらは雪をかためたような白い人型で鎧のようなものを身に纏っている。もちろん鎧も雪製だ。
雪女の手のひらにのるサイズで、親指サイズのつらら鬼よりは大きい。水瓶の上に座っている水の妖怪沢女と同じくらいだ。
「『冬将軍』っていうの。まあ、名前のとおりちょっと偉そうな妖怪だけど、悪い妖怪じゃないから安心して。」
「ダレガ偉ソウダ。失敬ナ。」
冬将軍は甲高い声で喋った。
声はつらら鬼のキィキィ鳴く声とちょっと似ていた。
「冬将軍さん? 冬将軍て、あの冬になるとやってくるあの冬将軍ですか?」
「ええ、本格的な冬の訪れをおこす妖怪よ。だから、秋の終わりごろには仕事に戻らないといけないの。そのぶん、夏場は暇だから、扱き使ってもかまわないわよ。」
『冬将軍』
厳しい冬の様子を擬人化した妖怪。
日本ではシベリア寒気団のことを指す。
「へえ。冬将軍さんて、ずいぶんかわいらしいサイズなんですね。」
人間界のあの冬将軍と目の前の妖怪冬将軍がどれだけの関係なのかは知らないが、あの日本列島を覆いつくす寒気団が、こんな小さな妖怪だったとは想像していなかった。
「ふふ。このサイズなら、冷凍庫にはいっていても邪魔にならないし、元々夏はつらら鬼とおなじで氷室でおとなしく冬を待つ妖怪だから、一日中冷凍庫の中でも文句は言わないわ。」
「それは、たすかります。これからよろしくお願いしますね、冬将軍さん。」
真宵は小さな冬将軍の顔を覗きこんで、挨拶した。
「それでね、まよいさん。ここにきて、こんなことを言い出すのは申し訳ないんだけど、冬将軍がここで働くのに条件をつけてきたのよ。」
「え?条件ですか?」
「ええ。こんな土壇場になって言い出すのは申し訳ないんだけど・・・・。」
「は、はい。お給金のことなら、少しならなんとかなりますけど・・。」
《カフェまよい》で働く妖怪には、全員、多少なりとも給金が支払われている。
右近や小豆あらいはもちろん、元鬼火のかまど鬼やつらら鬼にもだ。
つらら鬼は自分たちでは使い道がないらしく、雪女に渡しているらしいし、かまど鬼にいたってはなんに使っているのかどうしているのかも謎だが、とにかくわたすものはわたしている。
当然、いくらかは冬将軍にもわたすつもりだったので、かまわないのだが、あまり高額な金を請求されると困ってしまう。
「ううん、お金じゃないのよ。お給金の代わりにお酒を飲みたいって言い出して・・。」
「お酒ですか?」
「ソウダ! カネナドモラッテモ使イ道ガナイ! ソレヨリ人間界ノ酒ガ飲ミタイ!」
冬将軍が飛び跳ねた。
「マズイ酒ハダメダ!ウマイ酒ヲ飲マセロ!」
ピョンピョンと飛び跳ねながら、体全体で主張している。
「そんなにたくさんじゃなくていいのよ。 このひと、口だけですぐ酔っ払って寝ちゃうんだから。そうね、週に一度、お猪口一杯くらいでいいんだけど・・。」
雪女が申し訳なさそうに言った。
どうやら、突然こんなことを言い出したのを気に病んでいるらしい。
「ああ、それくらいならぜんぜんかまいませんよ。でも、うちにあるお酒っていったら・・・、ちょっと、待ってくださいね。」
真宵は棚にしまってある一升瓶をとりだした。
ここにおいてあるお酒は二種類だ。
ひとつは一般的な料理酒と、『酒蒸し饅頭』などにつかう地元の酒蔵で造られている純米酒。
いい酒を飲ませろというのなら、やはりここは純米酒の出番であろう。
(あれ? 前に使ったときよりちょっと減っているような・・。気のせいかしら?)
少し頭を傾げながら、真宵はお猪口にほんの少しだけお酒をたらした。
「うちで一番いいお酒ってなると、これになるんですけど、どうですか? 地元の・・・、人間界のですけど、酒蔵で造ってる純米酒なんですけど・・・。」
人間ならほんのひと舐めで消えてしまうような量だが、小さな冬将軍が味見するには十分な量だとおもわれる、猪口にはいった酒を渡す。
「ホウ。ナカナカ香リハイイヨウジャガ、問題ハ味ジャナ。」
冬将軍は猪口を傾けた。
真宵には指二本で持てる猪口も、冬将軍には両手で持ち上げる大きさだ。
「ウマイ!!!」
「よかった。お気に召したみたいですね。」
「ウマイ!コノ酒ヲ飲マセテクレルナラ、イツマデモ、イテヤルゾ!!」
冬将軍はピョンピョンと飛び跳ねた。
「調子に乗りすぎよ。いつまでもいられるわけないでしょう? あなた、自分の務めを忘れたの?」
雪女がたしなめた。
「ソウカ! ナラ、冬ガクルマデ、イテヤル! ダカラ、コノ酒ヲ、クレ!!」
「まったく、つらら鬼といい冬将軍といい、どうしてこんなにいやしいのかしら。ごめんなさいね、まよいさん。無理ばかり言って。」
「いえいえ。無理をお願いしてるのは、こちらなので。 ちょっとのお酒くらいぜんぜんかまいませんよ。」
「それじゃあ、週に一回、お猪口に一杯くらいでいいから。どうせお猪口一杯飲んだら、すぐ寝ちゃうんだから。」
人間サイズならお猪口一杯で酔いつぶれるのは、お酒が弱いってことになるのだろうが、冬将軍のサイズでお猪口一杯というのはどうなのだろう?
大きさの比率でいえば、かなりの量になる気もするが。
まあ、真宵にしてみれば、安上がりなのはありがたいことである。
「毎日デモカマワンゾ!!」
冬将軍は大喜びのようである。
「ああ、それから、お酒あげるのは、仕事前や仕事中はダメよ。すぐ寝ちゃうからね。冷蔵庫や冷凍庫は開け閉めするたびに冷気が逃げちゃうからね。仕事が終わった後か、開け閉めしない休日にあげてチょうだい。」
さすが雪女である。物理やら科学の知識はなくても、冷気や氷についての知識はしっかりしている。
冷蔵庫で一番電気代がかかるのは、温度を下げるときである。
なので、何度も開け閉めしたり、長い時間開けっ放しにするのは厳禁なのだ。
開けるたびに中の温度が上がり、下げるために電気代がかさむ。
この場合、電気のかわりに冬将軍のちからが必要というわけだ。
「わかりました。じゃあ、週末に仕事が終わったらこのお酒をお猪口一杯ってことでいいですか?」
真宵があらためて確認する。
「シカタナイナ。ソレデイイゾ!」
冬将軍が甲高い声で言った。
「ふふ。契約成立ってとこかしら。それと、つらら鬼を補佐に四人ほど置いていくわね。冬将軍が酔いつぶれても、すこしの間なら温度を保つくらいはできるはずだから。冷蔵庫の分の増員もいれると人数が倍になっちゃうけど、かまわないかしら?」
「ええ。なにからなにまでお世話になって。よろしくおねがいします。」
真宵はあらためて雪女に頭をさげた。
結局、冷蔵庫にはつらら鬼がもとの八人に加えて新たに四人加わり十二人。冷凍庫には冬将軍とその補佐につらら鬼四人。
人数が倍以上に増えたわけだが、サイズがサイズなだけにまったく問題にはならない。
「これで、夏にむけての準備は万端ね。」
真宵は満足そうに微笑んだ。
読んでいただいた方ありがとうございます。
前書きでも書きましたが、新章 青嵐 でございます。
梅雨明けくらいからはじまるおはなしです。
登場妖怪といたしましては『冬将軍』。
擬人化されるのは珍しくないですが、明確に妖怪としてあつかわれるかはちょっと疑問です。
例によって、ちょうどいい妖怪がみつからなかったのででっちあげました。
冷凍庫に閉じ込めておく?設定なので、あまり人間っぽい妖怪だとアブないというか、生々しいというか・・・。
なんか、そういう都市伝説みたいなのありましたよね? 冷蔵庫は閉じ込められると内側からは開かなくてきけんだとかなんとか・・・。
そんなわけで今回登場の『冬将軍』は一般的な伝説とか言い伝えとかは関係ない感じになっております。
ご了承ください。