74 逢いたいときにあなたは
《カフェまよい》メニュー
『ところてん』
寒天質の心太を天突きで細い糸状にしている。
味付けは、黒蜜きな粉、もしくは酢醤油芥子付が選択可能。
持ち帰り不可。
妖異界にただひとつ、人間の店主が営む茶屋 《カフェまよい》。
ランチタイムが終わった後のティータイムは、右近と真宵が交代で厨房と客席を担当している。
(なぜだ・・。なぜこいつらが一緒に・・・。)
右近は目の前の席に座るふたりの烏天狗の姿に頭痛を覚えた。
元上司のあり師匠である大妖怪『天狗』の娘、綾羽。
鞍馬山の元後輩であり、なぜか懐かれている清覧。
接点がないわけではないが、一緒に仲良くお茶をしにくるほど、親しいはずもないふたりが、なぜかひとつのテーブルで、向かい合わせに座っている。
以前、店が混んでいるときに、右近自らがふたりを同席させたのだが、まさか、こんなことになるは思ってもみなかった。
後悔してもあとの祭りである。
「・・・・ご注文は?」
もともと無表情だが、いつにもまして無感情な声で右近が聞いた。
「なによ。あいかわらず、愛想がないわね。」
「そうですよねー。せっかくかわいい後輩とかわいい婚約者が、会いに来たっていうのに。もうちょっと、うれしそうにしてくれてもいいはずなんですけどねー。」
綾羽と清覧がふたりして不満を返した。
「婚約者ではないし、後輩ではあるが、かわいいとは限らん。俺のことはいいから、さっさと注文してくれ。」
右近はうんざりしながら答えた。
「まったく。ほんとにお客への対応がなってないわよね。」
綾羽は文句をいいながら、メニューを覗き込む。
「照れ隠しですよ。ほら、右近さん、意外とシャイだから。」
清覧もおなじくメニューに目を向けた。
(おまえら相手に隠すテレもデレもない!)
右近は内心そう思いながらも、グッとこらえた。
従業員たるもの、そうそう客と揉め事は起こすわけにはいかない。
「うーん。あたし、今日は『抹茶セット』にしようかな。この前食べたらおいしかったし。」
「え?綾羽さま、おなかすいてないんですか? 僕はやっぱり、『おはぎセット』かなあ。ボリュームあるし。ねえ、右近さん、今日のおはぎはなんですか?」
「今日はつぶあんと青海苔だ。」
「やったあ!僕、つぶあんがいちばん好きなんですよ。じゃあ、やっぱり、『おはぎセット』でおねがいします。」
「えー?そんなこといわれると、あたしもおはぎ食べたくなっちゃったじゃない。うーん、やっぱり、あたしも『おはぎセット』で。『抹茶セット』は後でおなかに余裕があったら頼むことにするわ。」
「『おはぎセット』ふたつですね。 かしこまりました。少々おまちください。」
「マヨイどの。『おはぎセット』ふたつです。」
「はぁーい。了解でーす。」
右近は厨房に注文を通した。
そして、クルリと振り返る。
すると、すぐ目の前に綾羽と清覧のふたりが座っているのが目に入る。
店内はさほど混雑しているわけでもないのに、わざわざ厨房から一番近い席に陣取っている。
店の構造上、注文を通すのも、商品を運ぶのも、食べ終わった食器をさげるのも、厨房となるため、どうしても二人の席のすぐそばを通らないといけない。
(くぅ。どこかすみっこのほうに座ればいいものを・・・。)
しかし、店の従業員の立場でそれを口にするわけにはいかず、ただただ気にしない振りを続けるしかなかった。
「だいたい、右近が客商売するっていうのが、どうかとおもうのよねー。」
「そうですよねー。絶対鞍馬山の仕事のほうがあってますよね。しってます?前に、右近さんが、自分ひとりでおはぎつくって差し入れしてくれたんですけど・・・。」
「えええー。なにそれ? 右近のやつ、才能ないんじゃない。」
「うーん。右近さんもがんばっているとは思うんですけどねー。ほら、料理ってセンスとかも必要じゃないですか。いくら、マヨイさんに教えてもらってるとはいえ、右近さんじゃねえ。」
わざわざ本人に聞こえる場所に陣取って、本人にまる聞こえの大きな声で噂話をする。
普通、噂話って言うのは、本人のいないところでするものではなかったろうか?
さらにタチの悪いのは、本人たちにはさほど悪気がないってことである。
天然系でデリカシーのない清覧と、わがまま放題でお嬢様育ちの綾羽。
このふたりがあわさるととんでもない化学反応がおこるらしい。
引き合わせたのが右近本人であるとはいえ、迷惑きわまりない。
(く、苦痛だ。・・・いっそ、二人が帰るまでマヨイどのと客席担当を交代してもらうか・・。いや、しかし、そうすると、マヨイどのの前で延々、俺の話をされるわけで。それはそれで、なにを話されるのか想像するだけでストレスだ。)
「右近さん。『おはぎセット』ふたつ、できましたよー。」
厨房から真宵の声が響いた。
右近はあきらめて、仕事に従事することに決めた。
「まったく。あの唐変木にも困ったものよね。・・・ねえ、聴いてるの?」
「え?あっ、はい。ところで、やっぱり、おはぎはつぶあんが一番だとおもいませんか?」
綾羽の話よりもおはぎに夢中になっていた清覧が、愛おしそうに半分になったつぶあんのおはぎを見つめる。
「うーん。たしかにつぶあんはおいしいけど、あたしはやっぱりおはぎより『柏餅』のほうが好きかな。」
「えー?そうですか? 僕はつぶあんのおはぎが一番おいしいとおもうけどなぁ。」
「そうねえ、おはぎもおいしいんだけど、つぶあんにはお餅のほうが合うと思うのよねえ。ほら、前に食べた柏餅に似たきな粉がついたやつあったじゃない?あれ、なんだっけ?」
「ああ、『草餅』ですか? たしかにあれもおいしかったですね。」
「そうそう『草餅』。あんこにつぶつぶがのこってるぶん、ほかの部分はつぶつぶ感はなくてもいいのよね。」
「なるほど。たしかにおはぎは、なかのもち米もつぶつぶが残ってますものね。」
そんな会話に夢中のなっているふたりの席に、一人の女性が声を掛けた。
「あの。ごめんなさい、たのしくおはなしされている処にお邪魔してしまって。もし、よろしければわたくしもおはなしに混ぜていただけないかしら?」
女性は新緑色の着物には蓮の絵が描かれており、華美さを控えながらも品のある姿である。
頭からは黒い薄絹の頭巾を被っており、わずかにのぞくその頭に髪の毛はなかった。尼のようだ。
あまり目立たないがとてもきれいな顔をしており、美人とか美女と呼ばれるものではなく、中性的で宗教的なやさしさに満ちた菩薩のような顔だ。
「なんなのよ、あんた?」
いきなり、知らない妖怪に話しかけられ、綾羽はいぶかしんだ。
はなしをしたことがない、会ったことがないというだけでなく、まったく素性の知らない妖怪だった。
「申し遅れました。わたくし、『飛縁魔』というものです。」
「飛縁魔? きいたことない妖怪ね。清覧は知ってる?」
「ごめんなさい。僕もしらない方です。」
清覧は綾羽と顔を見合わせると、プルプルと首を振った。
「ええ。妖異界中をふらふら巡っている無名な妖怪なので、知らなくて当然ですわ。」
飛縁魔は気を悪くするそぶりも見せず、優しく微笑んだ。
仏教徒なら菩薩のようなと讃え、キリスト教徒なら聖母マリアのようなと崇めるであろう微笑だった。
「盗み聞きするつもりはなかったのですが、さきほど、こちらの女性が、心無い婚約者に、ひどい仕打ちを受けていると聞いて、どうしてもいてもたってもいられなくなって・・・。つらい想いをなさったわね。」
飛縁魔は潤んだ瞳で、綾羽を見つめた。
「え、ええ。でも、ひどい仕打ちってほどじゃあ・・。」
「そうなんですよ!」
清覧が割って入った。
「右近さんてば、綾羽さまにぜんぜん優しくないんですよ。そりゃあ、右近さんは不器用で融通が利かない性質かもしれませんけど・・・。」
「あら! 不器用とか融通が利かないなんて、男の言い訳でしかありませんわ!」
今度は飛縁魔が割って入った。
「不器用なら不器用なりの優しさの示し方があるはずです。融通を利かせる利かせないなんて、そのかたの胸先三寸じゃないですか! そんなことを、言い訳に婚約者に冷たくしたり、心無い仕打ちをするなんて、とんでもないですわ!」
「そう!そうなのよ!」
おもわず綾羽は賛同した。
「あんた、わかってるじゃない。」
「もちろんです。わたくし、妖異界をまわりながら、男性からひどい仕打ちを受けて悲しい想いをしている女性のはなしを聞かせていただいてるんです。身勝手で横暴な男性の影で泣いている女がどれだけ多いか、誰にも相談できずひたすら耐えている女がどれだけいるか。男性はなにもわかってらっしゃらないのです。」
「男には女心ってやつが、わかってないのよ!」
「そのとおりです。女がどれだけ傷ついているか。どれだけ耐え忍んでいるか。男はなにもわかっていないのです。」
「そう!・・・あなた、気に入ったわ。いいわ。一緒に話しましょう。 ちょっと、清覧、席つめなさいよ。」
「は、はい。」
かくして、綾羽、清覧、飛縁魔の三人は、「右近の婚約者に対する態度がいかにひどいか」について、延々と話すことになった。
(なぜだ? なぜ・・・。)
右近は、さらに頭痛を感じた。
厨房前の席。綾羽と清覧が陣取っている席に。
(なぜ、増えている?)
増えているというのは正確ではない。
あの緑色の着物の女性は、隣の席に座っていた客だ。
お客同士が意気投合して相席したり、席を移動したりして仲良くするのは問題ない。
だが、なぜよりによってあのふたりに?
しかも、できるだけ気にしないようにはしているものの、あの席から聞こえる声に「右近」「婚約」「破棄」などなんとも不穏なワードが含まれている。
なにを吹き込んでいるのやら、盛り上がっているのやら知らないが、巻き込んでほしくないものである。
「ちょっと!右近。追加で注文するから、ちょっと来て。」
綾羽の声が飛んだ。
できれば関わりあいたくないが、注文とあらば無視するわけにもいかない。
右近はスゴスゴと席へと向かった.
「はい。ご注文ですか?」
「ええ。『抹茶セット』をみっつちょうだい。 あ、このひとの分のお会計はアタシにね。」
「かしこまりました。」
右近はチラッと緑色の着物の女性を見る。
右近もはじめて見る妖怪だった。
鞍馬山の仕事をしていたせいで、妖異界の妖怪のことには詳しい右近だが、それでも何者かよくわからなかった。」
「ちょっとごめんなさい。」
飛縁魔が右近の顔をマジマジと見つめる。
「あなた・・・、右近さんとおっしゃるの? まさか、綾羽さんの婚約者の?」
「婚約者ではない。」
右近がきっぱりと言った。
「正確には、元婚約者ですよね。」
清覧が口を挟む。
「元婚約者でもない。」
右近はさらに訂正する。
「・・・・綾羽さんを弄んだばかりか、婚約の事実すらなかったことにするなんて・・・なんて卑劣な。」
飛縁魔の目つきが変わる。
すると彼女の周りにボッボッボッと、いくつもの炎が灯る。
比喩ではなく、事実、彼女のまわりに火の玉がいくつも出現しでいた。
「お、おい。なんだ、これは?説明しろ。」
しかし、その声は無視され、飛縁魔の優しい菩薩のような顔は、みるみるうちに恐ろしい夜叉へと変貌していた。それとともに、火の玉もどんどん増えていき、右近の周りを取り囲む。
「おい!綾羽、清覧、なんなんだこいつは?店を火事にするつもりか? やめさせろ!」
右近は自分を取り囲んでいる炎が幻覚でないことがわかっていた。
これは、熱も発するし燃え移りもする炎だ。
店に燃え移りでもしたら大惨事にもなりかねない。
「あ、あたし、知らないわよ。さっき初めてあったんだもの! 飛縁魔っていってたけど、知らない妖怪だし!」
「僕もしらないです!」
綾羽たちもどうやら、こんな展開は予測していなかったらしい。
おろおろとうろたえるばかりだ。
「飛縁魔?ひのえんま・・・、どこかで聞いたような。」
右近は記憶を手繰り寄せる。
逢ったことはないはずだが、どこかで聞いたような気がする。
「ひのえんま・・・・・・・・・、『ひのえうま』! こいつ、ひのえうまじゃないか! おまえら、飛縁魔になにを吹き込んだ!?」
『飛縁魔』
ひのえんま。ひのえうま、ともいう。
丙午、飛炎魔とも書く。
女性の色香にまよい道を違えたものや、女を犯したものを炎獄に連れ去る妖怪。
「し、知らないわよ。ただ、世間話しただけよ。」
「そうですよ。ただ、右近さんが唐変木だとか、頭がかたいとか、態度が冷たいとか、そんなことしか言っていません!」
「十分、吹き込んでるじゃないか! 」
飛縁魔は普段は菩薩のように優しい妖怪だが、ひとたび女禁を犯したものや女性にひどいことをした男に出会うと夜叉のように変貌し、相手を燃やしてしまう危険な妖怪だ。
か弱い女性を守る、男性の横暴を懲らしめるという側面も持つが、怒らせるととにかくタチが悪いと聞いている。
「おい、飛縁魔。おちつけ。なにを聞いたか知らないが、俺は、なにも、やっていない。」
右近はゆっくりなだめるように話す。
「いいえ。あなたが、綾羽さんと婚約したにもかかわらず、弄んで、冷たくあしらって、あげくに何も言わず捨てていったことは聞いているのよ。」
飛縁魔は燃えるような瞳で、右近を射抜く。
「まて。まず、俺は綾羽とは婚約していない。はなしはあったが、その時点で断っている。」
「でも、綾羽さんはあなたの師匠の娘さんでしょう? 婚約して利用しようとしたんじゃないの?」
「そのつもりなら、断るはずないだろう? 」
すると、飛縁魔の表情がほんの少しだけ緩む。
それと同じくして、まわりの炎が二つ三つだけ消えた。
「そもそも、弄ぶもなにも、俺は綾羽とふたりでどこかに行ったこともなければ、ふたりきりになったことさえないぞ。」
「そんな見え透いた嘘が通用すると思っているの?!!」
再び飛縁魔の顔が夜叉のようになり、炎が灯る。
「ほ、ほんとよ。右近はあたしとふたりっきりでどこか行ったりしたことないわ。そんな気の利いたことできる男じゃないもの!」
綾羽の声に、また飛縁魔の顔が緩む。
「まあ。そうなんですの?」
さきほどより、さらに炎の数が減った。
「そうですよ。右近さんがそんなことができるような男なら、綾羽さまだって、やきもきしたりしないんですよ。ほんとに融通の利かないひとなんですから!」
清覧からフォローとは思えない声が届く。
「でも、綾羽さまに何も言わず、鞍馬山を飛び出したんでしょう? 綾羽さまが邪魔で、逃げ出したんでしょう? 卑怯な男のやり方だわ。」
「いや、まて。俺が御山を降りたのは、この店で働きたかったからだ。綾羽のこととは関係ない。」
それを聞くと、また飛縁魔の表情が緩み、炎の数が減る。
あと一息だ。
「そうですよ! 右近さんは鞍馬山を出るとき、綾羽さんのことなんてすっかり忘れていたんですから。料理のセンスはぜんぜんないけど、仕事にはクソ真面目なんです。逃げ出すために仕事を辞めたりするようなひとじゃあないですよ!」
清覧がまたも口を挟んだ。
フォローするなら、もっとまともにフォローしろ。と右近は思った。
しかし、これが意外にも飛炎魔には届いたようで、炎がすべて消え、顔の表情がもとの菩薩のように戻っていた。
「あら?あなた、女性のことを忘れるほど仕事に取り組むタイプの殿方ですの?」
「ま、まあ、そういう感じだ。」
本当のことを言えば、綾羽のことを婚約者とも女性とも意識していないので、忘れる忘れないの問題でもないのだが、ここでそれを言い出すと元の木阿弥になりそうなので、言葉を濁した。
すると、飛縁魔はクルリと綾羽のほうを向きなおす。
「綾羽さま!」
「え?あたし?」
「よく聞いていれば、ずいぶんと話が違うではありませんか? こちらの右近さんという殿方、女を利用したり、うつつを抜かすどころか、仕事に没頭するあまり女性のことなど忘れてしまう方ではございませんか? そんな殿方を支えてこそ、女性です! わがままを言って、仕事場にまで押しかけるなど、女性としてあるまじき姿ですよ!」
「え?なんであたしが?」
矛先の変わった飛縁魔に、綾羽はおろおろと戸惑った。
「わかりました。これから、みっちり、女性がどうあるべきか。どう殿方と接するべきか。教えてさしあげます!」
「ええー?」
「よかったな。綾羽。しっかり教えてもらえ。『抹茶セット』三つだったな。持って来てやるからゆっくりしていろ。」
「ちょ、ちょっと右近! なんとかしてよ。」
「ボ、ボク、そろそろ帰らないと・・・。」
「だめだ。」
席を立とうとする清覧を、右近が止める。
「せっかくだから、お前も聞いていけ、清覧。言っておくが、もし、飛縁魔が暴れて店に迷惑をかけたら、お前たちまとめて出入り禁止だからな。」
「ええ?」
「そんなの、ひどいです!」
ふたりは抗議したが、聞き入れられなかった。
「ちょっと!聞いているのですか、綾羽さま!」
飛縁魔の説教は延々と続き、当分の間、ふたりは開放されることはなかった。
読んでいただいた方ありがとうございます。
今回の妖怪は飛縁魔でございます。
丙午の生まれの女性は気性が激しく夫の命を縮める、なんて迷信と関係あったりなかったり。
本文中に「女性たるものこうあるべき」みたいなことを言ってますが、あくまで飛縁魔がそういう価値観のキャラ設定ってだけですので、ご了承ください。