06 河童のおつけもの
人間界とは別の妖怪たちの棲む世界、妖異界。
ひょんなことから異世界で甘味茶屋を営むことになった真宵。
剣も魔法もつかえません。
特殊なスキルもありません。
祖母のレシピと仲間の妖怪を頼りに、日々おいしいお茶とお菓子をおだししています。
ぜひ、近くにお寄りの際はご来店ください。
《カフェまよい》 店主 真宵
《カフェまよい》が開店してから、もうすぐ一ヶ月。
けっこうな数の常連もついて、なかなかの繁盛振りといえる。
多くの客は、日替わりで提供される定食メニューのランチか、『おはぎセット』をはじめとする甘味が目当てで店を訪れている。
しかし、一部には、そのどちらでもない客がいたりする。
そんな客のひとりである彼が来店したのは、ランチの喧騒がおわって客の流れが一息ついた頃だった。
「いらっしゃいませー。あら、河童さん。こんにちは。」
真宵は、毎日ではないが定期的に来店してくれる顔なじみの客にあいさつした。
『河童』
水辺に棲む水の妖怪。
頭に皿、背中に甲羅、手に水掻き、尻に尻尾を持つ。
泳ぎが達者で相撲が好き。
しかし、今、店に来た河童には、甲羅も尻尾もなかった。
普通に着物を着た若者の姿である。
この店に来店する妖怪は、人間に近い姿に化けたり、巨大な身体を人間サイズに小さくしたりしているものが多い。
おそらく妖怪なりの気配りなのであろう。
頭の皿だけは、そのままなのは、河童としてのこだわりなのかもしれない。
席に案内した真宵は、河童に尋ねる。
「今日はどうしますか?」
ほかの客と違い、メニューを見せないのは、河童が頼むものはのっていないからだ。
「とりあえずイツモノ。それに茶を頼む。」
河童もそれが当然のように、注文した。
「かしこまりました。少々お待ちください。」
まだかまだかと待っている河童に近くで『おはぎセット』を食べていた『ぬらりひょん』が声を掛けた。
「おう。河童ではないか。」
「ぬらりひょんの爺いか。あいかわらず、ぬらりぬらりとやっておるのか?」
「ふん。大きなお世話じゃ。河童こそ、またあいもかわらず、またアレを喰いにきたのか。」
河童はフフンと、鼻で笑う。
「アレはオイラだけの特別メニューだからな。言っておくがぬらりひょん、あのメニューにだけは手を出すなよ。ただでさえたくさんはないんだから。」
「ふん。誰が出すか。あんなものは、たまに少しだけつまむからうまいのじゃろうに。おぬしも、たまには『おはぎセット』をたのんではどうじゃ?」
「いいんだよ。オイラ、あんまり甘いものは好きじゃないし。アレよりうまいものなんて、ほかにないんだから。」
そんなやりとりをしていると、真宵が戻ってきて、テーブルの上に皿を置く。
「おまたせしました。『きゅうりのぬか漬け』です。あと、お茶はお番茶です。熱いのでお気をつけください。」
皿の上には、きゅうりまるごと一本分のぬか漬けがのっていた。
「おお。これだこれだ。これを食いたくてたまんなかったんだ。」
河童が愛してやまないメニュー。それがこの『きゅうりのぬか漬け』である。
もともと≪カフェまよい≫のメニューにはなく、ランチに付く漬物として、たまにつかわれるものだった。
たまたま、ランチを食べにきた河童が、その味に衝撃を受け、頼み込んで裏メニューになったのである。
河童の好物といえば、胡瓜だが、この店に来るまでは、川で冷やしたものが一番うまいと思っていた。
塩漬けにしたものも、食べたことがあったが、やはり、冷やした新鮮な胡瓜にはかなわない。そう思ってた。
それが、井の中の蛙ならぬ、井の中の河童であったことを思い知らされた。
河童は斜めに厚切りにされた『きゅうりのぬか漬け』のひとつを楊枝で突き刺す。
口にほうりこみ、軽く噛むと、ポリポリと小気味よい音とともに胡瓜の味とうまみがひろがる。
(こ、これだ。この味!!!)
硬さは生の胡瓜よりも幾分かやわらかい。食感だけなら、生の胡瓜の方が好きかもしれない。
だが、糠につけたために、適度に水分が抜け、胡瓜の味とうまみが凝縮されている。くわえて、生では決して味わえない芳醇なあじわい。
(糠って、米ののこりかすみたいなやつだよな?)
糠に漬けただけで、ここまで胡瓜がうまくなるものだろうか?
河童にはいかんとも理解しがたかった。
たまらず、もう一切れ。さらにもう一切れ。と食べ進めていると、真宵が河童のほうをじっと見て、幸せそうに微笑んでいるのに気がついた。
「ん?なんだいマヨイ? オイラがぬか漬け食べているのが、そんなに面白いのかい?」
真宵はあわてて首を振った。
「す、すみません。ちょっとうれしくなっちゃって。つい見ちゃいました。」
「なんで、うれしくなるんだ?」
河童が尋ねると、真宵が微笑む。
「実は、そのぬか漬け、亡くなったおばあちゃんのぬか漬けなんです。」
「マヨイの祖母殿の?」
「ええ。正確にはおばあちゃんから譲り受けた糠床で漬けた、ですけど。」
「そうなのか。」
河童はあらためて、楊枝にさした胡瓜を凝視した。
「おばあちゃん、その糠床をすごく大事にしてて。だから、おいしそうに食べてくれると、おばあちゃんが褒められているみたいで。」
「へーえ。糠床っていうのはそんなに大事なものなのかい?」
「糠床そのものは、簡単に作れるんですけど、いろんなものを漬ければ漬けるほど味が変わっていくんです。同じ糠床を作っても各家庭で、つけるものも量もちがうから、みんな味が違ってくるんです。」
「へ-ぇ。おもしろいな。」
「よく、おばあちゃんが言ってました。糠床は生きてるから、ちゃんと世話してやらないとすぐにだめになるんだって。」
「え、だめになったら、うまいぬか漬けが食えなくなるのか?」
「ええ。ちゃんとお世話しないと、カビが生えたり、へんなにおいがしたり、使えなくなってしまうんですよ。」
河童の顔色が変わった。
「それはだめだ。マヨイ。きちんと糠床の世話をしてくれ。」
「フフフ。大丈夫ですよ。ちゃんとお世話して、もっともっとおいしいぬか漬けをつくりますから!」
「うむ。たのむぞ。」
河童は茶をすすった。
いつの間にやら、ぬか漬けの皿は空になっていた。
「ところでマヨイ。今日は他のぬか漬けはなにがあるんだ?」
最高にうまいのは、『きゅうりのぬか漬け』だが、ほかの漬けも負けないくらいうまいのを河童は知っていた。
「えーと、大根と白菜とかぶらが漬かっていますよ。」
「よし。じゃあ、それをくれ。」
「はい。」
「それと・・・。『きゅうりのぬか漬け』はまだあるかい?」
「ええ。いい感じに漬かっているのが、まだありますよ。」
真宵は微笑んだ。
「じゃあ、それも一本。」
「かしこまりました。少々お待ちください。」
真宵は、再び厨房へと戻っていった。
(マヨイの祖母殿か。一度くらい会ってみたかったな。)
少し感傷に浸りながら思う。
こんなうまい糠漬けをつくっていたのはどんな人間だっただろう?
(それでも、糠床をとおして、マヨイの祖母殿の味には会えた。)
それでいいのかもしれない。
河童は思った。
今回の妖怪は「河童」です
楽しんでいただけたなら幸いです。