55 らんち大戦
人間界とは別の妖怪たちの棲む世界、妖異界。
ひょんなことから異世界で甘味茶屋を営むことになった真宵。
剣も魔法もつかえません。
特殊なスキルもありません。
祖母のレシピと仲間の妖怪を頼りに、日々おいしいお茶とお菓子をおだししています。
ぜひ、近くにお寄りの際はご来店ください。
《カフェまよい》 店主 真宵
妖異界にただひとつ、人間の店主が営む茶屋 《カフェまよい》。
中天前の開店から約二時間はランチタイムだ。
現在、この時間帯は客席の担当は、新人従業員の右近に任されている。
真宵が見繕った濃紺のエプロンを身に纏い、忙しく接客に勤しんでいる。
「今日のランチは、うまいのう。一つ目の。」
「ほんとにのう。見上げの。」
見上げ入道と一つ目入道はご満悦だ。
毎日のように現れるランチの常連、ふたりの入道からしても、今日のランチは最高だった。
「鶏肉がこんなにうまいとは思わなかったシ。」
「まわりのパリパリの衣もうまいっテ。」
てながは長すぎる手で、悪戦苦闘しながらかじりつく。
あしながは長くて邪魔な足のことも忘れて、夢中になっている。
「ウヒヒ。やっぱり、今日のために金を貯めておいてよかったのぉ。」
「そうだじょう。今日、狙って来たのは正解だったじょう。」
今日のために、山菜や筍を採って金稼ぎをしていた狒狒と猩猩は、自分たちの判断が正しかったことを確信して満足していた。
どうやら、今日のランチの評判はすこぶる良いようだ。
「いらっしゃいませ。」
右近が、新しく客が来たのを察知し、挨拶すると、そこには顔なじみの元同僚が立っていた。
「よう。右近。あいかわらず盛況だな。」
烏天狗の古道である。
「今日は特にな。ランチを頼むのなら、はやめにしたほうがいいぞ。」
右近は無表情に対応する。
「え? なにかあるのか?今日のランチ。」
それを右近が答える前に、客席から声が飛ぶ。
「ウヒヒ。らんちのおかわりだぞぉ。」
「ふたつだじょう。おおいそぎで頼むじょう。」
狒狒と猩猩だ。
「おーい。わしらもおかわりだ。おぬしも食うだろう? 見上げの。」
「もちろん、食うとも。一つ目の。」
負けじと、見上げ入道と一つ目入道もおかわりを注文する。
「いかんテ。このままじゃ、あいつらに全部食われてしまうテ。」
「わしらも、もっと急いで食うシ。」
てながとあしながも、おかわりする気満々だ。
「かしこまりました。すぐお持ちしますので、少々お待ちください。」
右近はあいかわらず、杓子定規な返答をする。
「お、おい。なんかよくわからんが、俺もランチをひとつたのむ。せっかく来たのに、売り切れで食いっぱぐれてはたまらん。」
古道はあわてて注文した。
《カフェまよい》のランチは限定三十食。売り切れ御免の人気商品だ。
とはいえ、いつもなら、まだ完売するような時間帯ではないはずなのだが、どうやら今日は勝手が違うらしい。
「かしこまりました。すぐお持ちしますので、お好きな席でお待ちください。」
杓子定規で無表情な右近の対応に古道は苦笑いする。
(あいつ、接客業はぜんぜん上達しないんだな。)
「おまたせしました。今日のランチ『鶏のから揚げ定食』です。」
テーブルにだされた料理を見て、古道はすこしだけ拍子抜けした。。
まわりの妖怪たちの盛り上がり様と、右近の言い方から、なにかものすごい料理がでて来るのかとおもっていたら、意外と普通だった。
鶏肉は、妖異界でもポピュラーな食材だし、油で揚げるのもそこまで珍しくない。うまそうではあるが、《カフェまよい》のランチにおいて、そこまで大騒ぎするほどのものかというと疑問が残る。
「味はしっかりついているから、何もかけないでそのままでいける。あと、好みでその果物の汁をかけてくれ。さっぱりしてうまい。」
それだけ言うと右近はさっさと行ってしまった。どうやら今日はいつもにもまして忙しいらしい。
(鳥のから揚げか・・・。まあ、うまそうではあるんだが・・・。)
古道は箸でから揚げをひとつ摘む。
揚げたてのから揚げはまだ熱々で湯気でていた。
古道はひとくちかじる。
「・・!!!」
熱い!
かじった部分から口の中に大量の肉汁があふれ出し、やけどしそうになる。
吐き出すわけにもいかず、悶えながら、なんとか飲み込んだ。
・・・・うまい!!!!
口の中はおろか、食道や胃の中まで、やけどしそうになりながらも、この鶏のから揚げの味は、うまい。
《カフェまよい》の料理はどれもうまく、いままでハズレたことはない。それにしても、この料理の味は群を抜いていた。
「ウヒヒ。どうじゃ、烏天狗。鶏のから揚げはうまいじゃろぉ」
古道の様子を見ていた、巨大なニホンザルのような姿の狒狒が話しかけてきた。
狒狒が言うには、この『鶏のから揚げ』は、以前にも一度、ランチででたことがあり、あまりにもうまいので、もう一度作ってくれという要望が妖怪たちから殺到したらしい。
それで、今日のランチに『鶏のから揚げ』をつくると予告したために、朝の開店直後から客が押し寄せたというわけだ。
「おまえさん、たまたま、今日来店するとは、なかなか運がいいじょう。」
オランウータンのような風貌の猩猩が笑った。
猩猩たちは、今日のために金を用意し、無駄づかいしないように、今日のランチを指折り数えて待っていたらしい。
そう考えると、たしかに特に狙ったわけでもなく今日来店した古道はラッキーなのかもしれない。
古道は《カフェまよい》にかよっているとはいえ、仕事の関係上、来られるのは週に一度ぐらいだ。それがたまたま今日だったのは、幸いとしかいいようがない。
「それにしても、これは本当に鶏肉なのか? こんな、かめばかむほど味わい深い鶏肉ははじめて食ったぞ。」
「そうなんだじょう。ふつうの鶏はこんなにうまくないんだじょう。」
「ウヒヒ。山で鶏を捕まえて食ってみたが、こんなにうまくなかったのぉ。」
そとの衣はサクサクしてて心地いい。
そして、皮。鶏の皮といえば、もっとグニャグニャしていてなかなか噛み切れないものだとおもっていたが、油で揚げると、こんなにパリパリになって、まるでかるい煎餅みたいな食感だ。
そして肉。このあふれだす肉汁はいったいどういうことなんだろう? それに、肉自体がとにかくうまい。
どうしても、納得いかない古道は、隙をみて右近を呼んだ。
「どうした?なにか問題でもあったか?」
「問題はない。いや、あるといえばある・・・、問題というわけじゃないんだが・・。」
「まわりくどい! 言いたいことがあるなら、さっさと言え。」
古道は、なんと言っていいのか言葉に悩みながらも、から揚げの秘密をききだそうと試みる。
「いったいなんなんだ、このから揚げっていうのは? これは本当に鶏肉なのか?いや、そりゃあ、鶏肉なのはたぶんそうなんだろうが、なんというか、俺の知っている鶏肉とはまったく違うぞ。」
なんだ、そんなことか、と右近は一蹴した。
「いいか?それはまごうことなき、普通の鶏肉だ。マヨイどのが人間界から持ってきたものだがな。鶏肉自体は人間界も妖異界もさほどかわりはない。」
「じゃあ、なんでこんなに違うんだ?」
「ふ。少し長くなるから心して聞け。 まず、このから揚げは鶏のモモの部分だけで作られている。」
「モモの部分だけって、あとの部分はどうしたんだ? まさか、捨てたのか?」
「そんなもったいないこと、マヨイどのがするわけないだろう? なんでも、人間界では、鶏肉は部分ごとに売っているらしい。モモの部分だけとか、ムネの部分だけとか、翼の部分だけとかな。」
「ほう。おもしろいな。だが、結局、鶏は鶏だろう?」
「はやまるな。話は少し長くなると言ったろう? そのモモ肉をなんと一晩漬け込むんだ。」
「漬け込むって漬物みたにか?」
「うーん、近からず遠からずだな。醤油や酒やら生姜やら調味料につけたまま一晩おいておくんだ。だから、肉にしっかり味がついているんだ。」
「生姜!! そうか生姜か。なんかどっかで食べたことのある味だったんだが、それでまったく肉に臭みがなくって爽やかだったのか。」
古道は、やっとひとつから揚げの秘密が解けて満足した。
「そうだ。しかも、揚げるときにはふたつの鍋で、違う温度の油で二度揚げしている。さらに、二度揚げするのに、あいだで、鶏肉を休ませる念の入れようだ。」
「休ませる? 鶏肉を休憩させるのか? もう、死んでいるのに?」
「・・・・。」
自分もおなじ疑問を真宵にぶつけただけに、なにも言えなかった。
「・・とにかく、この料理は見た目はそうは見えなくとも、《カフェまよい》のメニューの中で一、二をあらそうほどのこだわりと手間がかかっている。そのうえ、味は最高。さらにボリュームもあって食べ応えもある。」
「なるほどな。」
たしかに、このうまい鶏肉のかたまりが五個も並んでいる『鶏のから揚げ定食』は味の面でもボリュームの面でもお得感満載だ。
妖怪たちが色めき立つのは無理ない。
古道はふと、皿の端に置かれた黄色い果実の切ったものを見る。
「そういえば、この蜜柑みたいな果物の汁をかけるんだったな。」
「ああ、檸檬というらしい。柑橘系の果物だ。甘くないのでそのまま食うのはすすめないが、揚げ物にかけると、さっぱりする。好きかどうかは好みだな。」
そこに、店中に響く声が響き渡る。
「な、なにをしてくれとるんじゃ!!! 一つ目のーーー!!!!!」
見上げ入道は、立ち上がって、大きな声で抗議した。
こころなしか、さっきより身体が大きくなっている。興奮のあまり巨大化したようだ。
「な、なんじゃいきなり。びっくりするではないか。見上げの。」
「なんじゃもなにもあるかー。なんでわしのから揚げに、レモンを絞っておるんじゃあ。一つ目の。」
「親切でやってやったのに、なにを怒っとるんじゃ? 見上げの?」
同じことが店内で多発していた。
「てなが! わしのから揚げにレモンを絞るんじゃないシ! その長い手を、わしの皿からどけるんじゃシ!」
あしながが、てながの長い手を払いのける。
「なんでじゃ? レモンをかけたほうがうまいじゃろうテ。」
「ウヒヒ。から揚げにレモンは最高の組み合わせじゃろぅ。」
「なにを言っとる。そのまま食ったほうが、うまいにきまっとるじょう。」
「皆。食事は静かにお願いする。ほかの客に迷惑になるからな!」
右近が注意したが収まりそうになかった。
「なんだ?どういうことだ?」
古道が、いきなりの騒動に動揺する。
「ああ、から揚げにそのレモンをかけるかかけないかで、揉めているんだ。たまに起こることだから気にするな。」
《カフェまよい》では時折、このような騒動が勃発する。
桜餅は『道明寺』か『長命寺』か?
あんこは『つぶあん』か『こしあん』か?
今回は『から揚げ』にレモンは必要か否か?
つまらない論争だが、やっている本人たちは本気なのがタチが悪い。
「なるほど、檸檬か・・・。」
古道は、櫛型に切られたレモンを少しだけ舐めてみる。
すっぱい!
おもっていたのよりも、強い酸味が口にひろがる。
(こんな、すっぱいものを、鶏肉にかけてうまくなるのか?)
古道は疑問に思いながらも、から揚げのひとつにレモンを絞る。
《カフェまよい》の料理の味は信頼しているが、あの、鶏のから揚げとレモンの果汁があわさってうまくなるイメージがわかない。
古道は慎重に、他のから揚げにかからないよう、ひとつだけにレモンを絞る。
(・・たしかに、香りはすごい爽やかだな。)
柚子とも蜜柑とも違う、爽やかな香りが古道の鼻腔をくすぐった。
たまらず、それをかぶりつく。
(・・・これは、また、なんともいえず。)
うまい。
から揚げの油と肉汁が、レモンの爽やかさと中和されて、なにもかけない時よりもさっぱりと食べられる。また。レモンの酸味が食欲を刺激して、また食べたくなる。
素晴らしい。
・・・・が。
古道は思った。
(これは好みの分かれるところだな。)
たしかに、レモンをかけることで、油っこさや大量の肉汁が中和され、さっぱりと食べられる。
だが、『鶏のから揚げ』において、油と肉汁のダブルパンチはおおきな持ち味であって、忌避するものではない。それを、中和してしまうのは、バランスを重視するあまり、大きな利点を潰してしまう行為にもなりかねない。
この、強烈なまでにパワフルな料理をさっぱりと食べやすくしてしまうのは、逆にもったいないのではないだろうか?
「なあ、右近。おまえの意見はどうなんだ?」
ざわついて静まらない客に、苦虫をつぶしたような顔になる右近に聞いた。
「なんだ? 檸檬のことか? そんなの、自分の好きなようにすればいいだろう?」
たしかにそのとおりだ。右近らしい答えである。
しかし、古道はそういうことを聞いたのではなかった。
「いや、そうなんだろうが、個人的に、ってことだよ。 おまえはから揚げをどんな食べ方をするのがうまいとおもっているんだ? 一応、ここの料理人見習いだろう?」
《カフェまよい》の料理人、の一言に、右近は顔色を変えた。
少しの間、黙って考え込むと、語りだした。
「・・・。まあ、俺個人の好みとしては檸檬は不要だな。『鶏のから揚げ』はその油と鶏肉の肉汁が個性だ。さっぱりしたものが食いたいなら、他の料理があるしな。」
「なるほどな。」
古道は納得する。
古道も似たような意見だ。
右近はさらに続けた。
「だが、『鶏のから揚げ』のもっともうまい食い方と問われれば、やはり、にんにく醤油に漬け込んだのが一番だったな。」
その右近の不用意な一言に、店の喧騒がピタリと停まった。
「おい。きいたか?見上げの。」
「きいたとも。一つ目の。」
「ウヒ?なんだ、そのにんにく醤油ってのはぁ。」
「はじめてきいたじょう。」
「そのにんにく醤油のから揚げは、これとは違うのかッテ。」
「そんなものがあるなら、わしも食いたいシ。」
再び、客席がおおきく騒ぎ出す。
今度は、右近に向かって怒涛のように、押し寄せてきた。
「い、いや。にんにく醤油の鶏のから揚げは、試作段階で却下されたものだ。」
試作では、にんにく醤油に漬け込んだものと、生姜を多めにつかったものの二種類が作られた。
右近はにんにく醤油のほうを気に入ったが、結果としては妖異界の妖怪に馴染み深い味であったことと、白飯と味噌汁には、生姜風味のほうが合うということから、現在のものに至った。
「でも、右近はにんにく醤油のほうがうまいっておもったんだシ?」
「わしらも、食ってみたいっテ。」
「ウヒヒ。どっちがウマイかは実際に食ってみないとわからんのぅ。」
「そうだじょう。食わせてほしじょう。」
「わしらも、食ってみたいのう。見上げの。」
「ほんにのう。一つ目の。」
ざわつく客席を静められずに、右近は古道に助けを求める。
「おい。古道。お前も何とか言え。」
しかし、古道はそ知らぬ顔で、定食を食べすすめる。
「いや、おまえがいらぬ一言を言ったせいで、こうなったんだ。責任もって、対処しろ。俺は知らん。」
「にんにく醤油のから揚げも食ってみたいじょう。」
「いつ作るんだシ。教えてほしいシ。」
「わしらに内緒で、うまいものを食ってるなんてずるいであろう。のう、見上げの。」
客席の騒ぎはますます大きくなり、収拾がつかなくなっていた。
そして、本日。《カフェまよい》に新たな論争の種が蒔かれた。
『鶏のから揚げ』はにんにく風味か生姜風味か?
当然、答えがでる気配はない。
読んでいただいた方、ありがとうございます。
今回は、鶏のから揚げ回でございます。
今回で2章 若葉をおわりまして、幕間劇をはさんだ後、3章 雨月 にいく予定です。
引き続き読んでいただけたら幸いです。