53 月と桂と樹と
登場妖怪紹介
『望月兎』 月兎 玉兎
月に棲むといわれる兎の妖怪。
いつもふたりで行動している似たもの同士だが、
月兎は雪のような真っ白で、玉兎は優しいクリーム色の毛並みをしている。
餅つきの腕前は神業的。
そこは『月の里』。
妖異界でも特殊な場所。
禁足地とされ、極一部の妖怪以外は出入りできない。
そして、そこには一本の大きな樹とそれと対峙するひとりの男がいる。
「カツラくーん。いるー?」
「ケイちゃーん。お土産もってきたよー。」
ふたりの女の子が『月の里』をピョンピョンと飛びまわりながら走っていく。
ふとももがまる見えになるくらい丈の短い着物を着て、頭には長い兎の耳が生えていた。
『望月兎』の月兎と玉兎である。
『月の里』に入ることの出来る数少ない妖怪。
そして、『月の里』から出ることの出来る、さらに稀有な妖怪である。
「月兎に玉兎か。ふたりして勝手な呼び方をするな。俺の名は桂男だ。」
大きな樹の横で男が、ふたりの兎妖怪の声を聞いて、斧を振るのをやめた。
『桂男』
月で桂の樹を斧で切り続けている男性妖怪。
桂の樹は、切っても切っても元に戻るので、延々と斧を振り続けている。
とてもイケメン。
「えー。桂男って言いにくいし、かっこよくないよー。」
「うんうん。長いし、ケイちゃんに似合ってないよねー。」
桂男のところまでたどりつくと、望月兎は地面にペシャリと座り込む。
「ねぇねぇ。お土産持ってきたんだよー。」
「うんうん。一緒に食べようよー。」
しかし、桂男はかたちのいい薄い唇を真一文字にする。
「俺は忙しい。なにしろ、この桂の樹を切り倒さねばならんからな。」
桂男はまるでカメラを意識した二流俳優のように、芝居がかったポーズで斧を構える。
「えーっ。カツラくん、もう何百年もその樹、切ろうとしてるんでしょ。いまさら、ちょっとくらい休んでも、あんまかわらないと思うよー。」
「うんうん。ケイちゃん、根つめすぎはよくないよー。ちょっと一服して気分転換すればー?」
「む。なにを言う。俺はさっさとこの樹を切り倒して、この地を出て行くのだ。休んでいる暇などあるか!なにか食いたいなら、おまえたちだけで、勝手に食え!」
桂男は、おおきく斧を構えると、力いっぱい桂の樹にたたきつけた。
コォーーーンといい音が鳴って、斧が樹の幹に数センチ食い込む。
しかし、桂男が斧を引き抜くと、樹は元通りになり、傷のない樹皮で被われていた。
「いまさら、ちょっとくらいサボったって変わらないのにねー。」
「うんうん。せっかく、お土産持ってきたのにねー。」
「えーい、だまれ、だまれ。お気楽な兎娘どもが。なんで俺がここに閉じ込められているのに、おまえたちは、好き勝手に出たり入ったりできるんだ?」
桂男が筆で書いたような優美な眉をひそめる。
「そんなの知らないよねー。」
「うんうん。あたしたち、わるいことしてないもんねー。」
桂男は遠い昔、仙術を使って不老不死になろうとした男の成れの果てである。
妖怪化し、月の里にある桂の樹を切り倒すまで、ここを出て行くことはかなわない。
「もう、ほっといて、あたしたちだけで食べようか?」
「うんうん。せっかく、《カフェまよい》の新作、買ってきたのにねー。」
「ふん。勝手に食っていろ!」
桂男は、また斧を構える。
「おいしそー。『草餅』ってゆうんだよねー。このお餅。」
「うんうん。この前の『柏餅』にちょっとだけ似てるよねー。」
「『柏餅』はツルン、ムニュ、ニューン、って感じだったね。」
「うんうん。『草餅』はモニュ、ムニューン、ニュニュニューーン、って感じだよね。」
「きな粉をまぶしてるのもいいよねー。」
「うんうん。なかのつぶあんもおいしーよねー。」
持ってきた包みを開けて、なかの『草餅』を見ながら望月兎はハナをヒクヒクさせる。
「・・・・なにやっているの?カツラくん。」
「うんうん。樹を切るのに忙しいんじゃなかったの?ケイちゃん。」
桂男がいつの間にか寄ってきて、包みのなかを覗き込んでいる。
「な、なにやらいろいろと言っておったので気になってな。その緑色の餅のようなものに黄金色の粉をまぶしたものは『草餅』というのか?」
「そうだけど、カツラくんには関係ないよねー。」
「うんうん。あたしたちだけで食べるんだもんねー。」
「きな粉が手についちゃうのが難点だよねー。」
「うんうん。きな粉がポロポロ落ちちゃうのもねー。」
「「でも、このきな粉がおいしいんだよねー。」」
ふたりで、声を揃えて、『草餅』に手を伸ばす。
「わ、わかった。俺が悪かった。だから、俺にもその『草餅』とやらを分けてくれ。」
とうとう我慢しきれなくなった桂男が、泣きついた。
「素直じゃないよねー。」
「うんうん。最初からそう言えばいいのにねー。」
「はい。落とさないでね。」
月兎は『草餅』をひとつ、桂男にわたしてあげた。
桂男は、すぐさまかぶりつく。
「ほ。これは・・、なんでこんなに柔らかいんだ?まるでつきたての餅みたいだぞ。」
「そうなんだよねー。完全に冷めちゃってるのに、柔らかいんだよねー。」
「うんうん。あたしたちがついたお餅でも、こうはいかないよねー。」
妖異界一の餅つき名人を自負するふたりからしても、絶賛だ。
「それに、この餡子。豆の皮がそのままはいっているんだな。最初、邪魔だと思ったんだが、・・・なんというか、食感がおもしろいというか、・・うん、うまい。」
「でしょー。ねえねえ、月桂爺もおいでよ。お餅あるよー。」
「うんうん。おいでよ。爺。」
ふたりが、おおきな桂の樹にむかって話しかけると、樹からムニューンと人影が伸びて出てきた。
長い白髪を頭の上で団子のようにまとめた老人である。髭も髪と同じくらい長く白かった。
『月桂』
月桂爺とも呼ばれる。
月にある大きな桂の樹に宿る精霊。
「ほーぉ。うまそうな餅だのう。ワシにももらえるのか?」
月桂は長い顎鬚を触りながら、餅の入った包みを覗く。
「はい。月桂爺もどーぞ。『草餅』だよ。おいしいよ。」
「うんうん。《カフェまよい》のやつなんだよ。」
月桂はしわしわの指で、餅をつかむとくちいっぱいにほお張る。
「おお。こりゃあ、うまいのぉ。はなしにはきいとったが、人間のやっとる店には、うまいものがあるんじゃのう。」
「そうだよー。おはぎとかおまんじゅうとか。このまえの柏餅もおいしかったよねー。」
「うんうん。桜餅もかわいくっておいしかったよねー。」
そんなやりとりを、苦々しく見ているものがいた。桂男だ。
「なぜ。そんなヤツに餅をわけてやる必要がある! そいつは俺の敵だぞ!!」
口の周りを、きな粉でいっぱいにしながら、指差した。
「またそんなこといってー。いつも一緒にいるくせにねー。」
「うんうん。仲良しのくせしてねー。」
「だ、だれが仲良しだ! 俺はそいつの樹を切り倒さないと、ここを出て行けないんだ。なのに、切ったそばから直しやがって! 俺はそいつのせいで、何百年もここにいるんだぞ!」
それが桂男への罰だった。
ただ、あまりに昔過ぎて、だれが下した罰なのかさえ覚えていない。
月桂は半分呆れたように返す。
「何度も説明したが、ワシは、月に映った影から生まれた妖怪じゃ。じゃから、斧でなんど切りつけようと、倒れもせんし、傷つきもせん。」
そう。月桂は、ただの木の妖怪ではない。
昔から、人間は月を見て、その陰影からさまざまな逸話や伝説を生み出してきた。
あるものは餅をつく兎の姿をみいだし、あるものは大きな桂の木を想像し、あるものは巨大な鋏を持つ蟹の姿を見つけた。
そこから生まれたのが、『望月兎』であり『月桂』だ。
だから、月桂の宿る巨大な樹は、植物であるとともに影が具現化したものでもある。
それを、切り倒すというのは、月の陰影を変えてしまうというのと同義だ。斧一本でそんなことができるわけがない。
「何度説明したってムダだよー。だってカツラくん、バカなんだもの。」
「うんうん。ケイちゃん、顔はイケメンだけど、バカだよねー。」
望月兎のふたりが、バッサリと切り捨てた。
「だ、だれが馬鹿だ!」
桂男が憤った。
「じゃあ、今の説明、わかったのー?」
「うんうん。バカじゃないならわかるよねー?」
桂男は、少し考える素振りを見せた後、胸を張って言い切った。
「つまり、この樹さえ切り倒せば、俺は自由の身になれるってことだろう! くだらん御託は必要ない! あるのは実行のみ!」
「やっぱりねー。カツラくん、イケメンだけど、バカだもん。」
「うんうん。ケイちゃん、イケメン、だけどバカだよねー。」
「容赦ないのう。おまえたち・・・。」
月桂は、桂男に同情した。
「えー。悪口じゃないよー。あたしたち、カツラくんのこと大好きだもん、イケメンだし。」
「うんうん。ケイちゃん、大好きだよー。バカなとこも。」
望月兎はくったくなく笑う。
「月桂爺も、好きでしょう? カツラくんのこと。」
「うんうん。ぜったい好きだよね? ケイちゃんのこと。」
「ほほ。まあ、のう。たしかに頭が良いとは言えぬが、楽しい男ではあるかのう。」
月桂も笑った。
時間が静止したような『月の里』で、ただ突っ立っているだけの樹の精霊はつまらない。
たとえ、自分を切り倒そうとしているものであっても、額に汗し、努力している若者の姿は見ていて気持ちがいいものだ。
まあ、その努力は報われないものなのだが・・・。
「カツラくん、みんなに愛されてるよねー。おバカなとこも。」
「うんうん。ケイちゃん、愛されてるよねー。おバカだけど。」
そんなことを言われていても、桂男は気に留めず、愛用の斧を握る。
「今日こそは、あの、忌々しい桂の樹ブッ倒してくれる!」
そんなことを誓う桂男であった。
読んでいただけた方、ありがとうございます。
今回の妖怪は「桂男」です。
どっちかというと、中国で有名な妖怪ですね。
日本では月の影は、餅をつく兎さんのイメージですが、中国では桂の木を切る男性をイメージすることが多いそうです。兎のほうも中国由来って説が強いですが。
「月桂」のほうは月に生えている桂の木で、擬人化したり、妖怪あつかいすることはあまりないですが、おはなしの都合上、桂の木の精として老人で登場してもらいました。
蛇足ですがハーブとして有名な「月桂樹」とは、ぜんぜん別物です。
タイトルは「月と桂と樹と」で望月兎と桂男と樹の精霊(月桂)を意味したつもりだったんですが、樹の名前が月桂なので、わかりにくくなっちゃいました。・・・・ので自分で言ってしまいました。