31 鞍馬山にて3
人間界とは別の妖怪たちの棲む世界、妖異界。
ひょんなことから異世界で甘味茶屋を営むことになった真宵。
剣も魔法もつかえません。
特殊なスキルもありません。
祖母のレシピと仲間の妖怪を頼りに、日々おいしいお茶とお菓子をおだししています。
ぜひ、近くにお寄りの際はご来店ください。
《カフェまよい》 店主 真宵
『鞍馬山』
妖異界の一角にそびえたつ山で、その山頂には『鞍馬寺』が存在する。
大妖怪『天狗』を主とし、多くの弟子『烏天狗』とともに、妖異界の自警団のような役割を果たす。
その鞍馬山に、いま大きな異変が起きようとしていた。
鞍馬寺の奥の院、天狗が座するその場所に、烏天狗の右近は足を踏み入れた。
右近は、御側衆と呼ばれる側近のひとりで、ときとして、天狗の代理や代行をする若い烏天狗で構成された幹部候補生のひとりである。
といっても、実際は、仕事をサボりがちな天狗の尻拭いをさせられているだけで、代理や代行をするというのも、単に、本来、天狗本人がやるべき仕事を押し付けられているというだけのはなしであるのだが。
「失礼します。師匠、少しお時間いただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
奥の院のお堂に座る、巨大な体躯の妖怪、天狗に礼をとる。
五メートルはある巨体ではあるが、これが本当の大きさなのかは右近にもわからない。
実際、先日の《カフェまよい》の持ちつき大会には、右近と同じぐらいの身長の太った中年妖怪の姿に化けて出席していた。意外と、そっちの姿のほうが本物だったりするのかもしれない。
「どうした? 右近、仕事なら約束どおり済ませただろう? それとも、また、あの店のおはぎやまんじゅうを買ってきたのか? なら、さっさとよこさんかい。気のきかんやつじゃのう。」
「・・・今日は、《カフェまよい》は定休日です。」
先日の餅つき大会の参加を見て見ぬふりをするかわりに、今日は仕事をする。という約束を、天狗は珍しく守っていた。
そのおかげて、山積みになっていた書類は片付き、弟子の烏天狗は連日のハードワークから解放されていた。
(たった半日で片付くなら、なんであんなに仕事を貯めこむんだ?)
好きにしたいなら、仕事を片付けてから、好きなだけ自由にすればよいのに、とにかく仕事から逃げまくり、まわりに迷惑をかけ、弟子から尻を叩かれるまで仕事しようとしない。
非常に、非効率的ではた迷惑な師匠だ。
「師匠。今日は折り入っておはなしがあります。」
右近は、天狗の前に座り、居住まいを正すと、手をつく。
「いまやっている仕事を引き継いだ後、御山を降りたいと考えております。」
右近は、そのまま、床まで頭を下げた。
「な、なんじゃと、」
「「なんだってー!!!」」
天狗が最後まで言い切る前に、右近の背後から、大きな声で叫ぶものがあった。
「どうゆうことだ? 仕事をやめるってことか? やめてどうするんだ? お前の仕事を、誰がやるっていうんだ?」
「御山を降りるって、なんですか? どこ行くんですか? 」
入口から、ズカズカと入ってきたのは烏天狗の古道と清覧である。
「なんで、おまえらがいるんだ? 立ち聞きしていたのか?」
右近が抗議する。
「右近さんが神妙な顔して、歩いてるから不審に思って、あとをつけたんですよ。 尊敬する先輩があんな顔して歩いてたら、あとをつけて確かめたくなるのは当然でしょう!」
清覧はわめく。
「俺は、天狗の大将に決済印をもらいにきたんだよ。そしたら、入口で、清覧のやつが、聞き耳たててるんで、何事かと思って、いっしょに聞いてたんだよ。」
「・・・盗み聞きしてたのには、かわらんだろうが。」
右近は顔をしかめる。
「ええーーい。 古道ももうひとりの若烏もどうでもよい。 右近、山を降りるとはどういうことじゃ。出て行くというのか?」
いきなりの乱入に、言葉に詰まっていた天狗が、怒鳴った。
右近は、あらためて天狗の顔を見据えると、丁寧に言葉を紡ぐ。
「御山での修行も、寺の仕事も、私にとっては誇りであり、師匠には恩義を感じております。ただ、今日に至り、どうしてもやってみたいことができました。 破門も覚悟の上です。 どうぞ、御山を降りることをお許しください。」
再び、深々と頭を下げる。
「どうしてもやりたいことって、なんですか? 御山にいてはできないことなんですか?」
天狗が返答するより先に、清覧が口を挟む。
「えーい。嘴の黄色い若烏はだまっておれ。わしと話しておるのだろうが!」
天狗が怒鳴りつけるが、天然系烏天狗清覧も負けてはいない。
「ひどいです! さっきから、若烏、若烏って。 大天狗さま、僕の名前、覚えていないんでしょう?!」
「むむ。」
思わず、言葉に詰まる。図星である。
「これでも、もう半年以上、寺勤務なんですよ! 伝令で何度もお目にかかってるし、自己紹介もしているのに、名前も覚えてもらえないなんて!!」
寺勤務というのは、鞍馬寺で仕事をしている烏天狗のことである。
それ以外には、妖異界じゅうに散って、情報収集やパトロールをしている現場仕事の烏天狗たちがいる。
寺勤務は、比較的、優秀なものが選ばれる傾向があるので、右近や古道はもとより、清覧も評価の高い烏天狗のひとりなのだ。
「いまは、そんなことはどうでもいいだろう!」
清覧の文句を諌めたのは、烏天狗の古道だった。
「いいか。右近。なにがやりたいのかは知らないが、おまえが仕事をやめたら、まわりがどれだけ迷惑するか考えろ。 誰がおまえの分の仕事をするんだ? 誰が天狗の大将のお守りをするんだ? 俺は絶対いやだぞ。」
「だ、だれが、だれの、お守りをしておるとゆうのじゃ!!」
天狗が怒るが、古道は相手にしなかった。
「おまえが、天狗の大将をなだめてすかして、仕事させるから、なんとか鞍馬山の仕事がまわっているんだ。 おまえが抜けたら、この山は崩壊だ。」
たしかに、ここ数年、右近は天狗のお気に入りの弟子であった。
何かにつけては、ご指名で呼び出されては、仕事や雑用を押し付けられたり、最近では、持ち帰りのおはぎを、要求されたり、強奪されたりと、右近にとっては迷惑な話であったが・・。
「こ、古道、きさま、師匠をなんだとおもっておる!」
いきり立つ天狗に、古道は即座に返す。
「俺は、天狗の大将を、師としても妖怪としても尊敬していますが、仕事の上司としてはまったく畏敬の念を感じてはいません!」
「右近さん、いったい御山を降りて、何をするっていうんです?」
清覧の問いに、右近はため息をつく。
本来なら、師匠である天狗と神妙に話し合うはずなのだが、ずいぶん予定が狂ってしまった。
「鞍馬山を降りて、《カフェまよい》で働きたいと思っている。」
右近は、思いのたけを口にする。
「なに?」
「は?」
「え?」
三人の妖怪が、それぞれの声で同じ疑問を呈する。
「今、あの店は人手不足らしい。ぜひ、俺が手伝いたいと思っている。まだ、マヨイどのには話していないが、まず、鞍馬山を辞する許可をもらってから頼むのが筋だとおもってな。」
右近がそう補足した、つぎの瞬間。
「ゆるさーーーん!!」
「どうゆうことだ?」
「ずっるーい!」
三人から、まったく意味の違う言葉が飛び出した。
「うるさい。喋るなら順番にしろ。」
右近にそう言われると、真っ先に清覧が喋りだす。
師匠も先輩も差し置いて、自分を優先するあたり、さすがは天然系烏天狗である。
「ずるいです。ずるいです。ずるいです。 なんで、いつから、そうゆうはなしになったんですか?」
「いや、だから、むこうには、まだ話していない。これからだ。」
「だったら、僕だって、働きたいです。名前も覚えてくれないような上司より、まよいさんほうが、よっぽどいいです。」
「いいじゃないか。」
古道が口を挟む。
「清覧。 おまえがあの店で働け。 それで、右近が鞍馬山に残れば問題ない。」
「いや、あのな・・・。」
右近が何か言おうとするが、誰も聞こうとしない。
「そうですよね。 なにも、あの店で働きたいのは、右近さんだけじゃないんですから!」
「ああ、清覧の抜けた穴くらいなら、なんとでもなるからな。」
「え?」
「ん?」
「ひっどーい。ひどいですよ。古道さん! それじゃあ、まるで、僕が役立たずみたいじゃないですか?!」
清覧は真っ赤になって怒り出す。
「そうとは言っていない。ただ、おまえの代わりはすぐみつかるが、右近の代わりはそう簡単には見つからないって言ってるだけだ。」
「おなじじゃないですか! 右近さん。もうふたりで《カフェまよい》に行きましょう! まよいさんなら、きっとふたりくらい雇ってくれますよ。」
「おい! 右近まで一緒に行ったら意味ないだろう! 」
「いや、だからな・・。」
「ええーい!!! きさまら、いったい、仕事をなんだとおもっとるんじゃあ!!!」
天狗が弟子たちを一喝する。
しかし、即座にそろった声で返された。
「「「アナタにだけは、言われたくありません!!」」」
散々、口論激論を交わした後、右近はやっと落ち着いて説明する雰囲気をつくりだせた。
本来なら、上司である天狗はともかく、同僚や後輩の二人には説明しなければいけない理由はないのだが、とても引き下がりそうにないので、観念した。
「あのですね、べつに、あの店が人手不足という理由だけで働くといっているんじゃないんです。 俺自身、あそこで働いてみたいんです。」
「ふん。どうせ、おはぎ食いたさに言ってるだけだろう!」
古道が言った。
「それだけじゃない。たとえば、この間、燻製という料理を作るのを手伝わさせてもらったんだ。」
「燻製?」
「ああ。煙を食べる料理だった。」
「煙? 煙なんか食べておいしいんですか?」
清覧が不思議そうに問うた。
「ああ。煙が料理になるなんておもいもしなかった。だが、味は最高だった。ただの卵や魚が煙のおかげでごちそうにかわっていた。」
清覧がゴクリと生唾を飲み込む。
「昨日は、カレーという料理も食べた。 なんでも、人間界のそれも異国の料理だと聞いたが、白い飯との相性は抜群だった。」
古道も興味津々だ。
「ほかにも、ランチでつかいたいが、人手がないせいでできないメニューや、増やしたくても増やせない菓子の種類がいろいろあるらしい。」
それを聞いて、ランチ目当てで通っている古道は目を輝かせる。
(あたらしくランチのメニューが増えるのか・・。)
餅つき大会で、七種類の味のうち四種類しか食べることができなかったことを今でも悔やんでいる清覧は、あたらしい菓子に思いをはせる。
(ほかに、どんな味のお菓子があるんだろう・・。)
「おれ自身、料理というものに興味がわいてきた。 あの店の人間界の料理を知りたいとも作りたいともおもったし、《カフェまよい》に携わりたいと強く思っている。」
右近はしっかりとした口調で語りかける。
しばらく黙って聞いていた天狗が、口を開いた。
「・・・右近。」
「はい。」
「本気で、山をでると申すのか。」
「・・はい。」
「意思は堅いのか。」
「はい。」
「後悔はせぬのだな?」
「はい。」
「そうか・・・・。」
「・・・・。」
「・・・・。」
「やはり、ゆるさーん!!」
「は?」
右近は、思わず眉をひそめる。
「なんですか、それ? 今の流れは、渋々ながらも、弟子の意思を尊重して、送り出す、って流れでしょう?」
「流れなんぞ、しるか!! ゆるさんといったらゆるさん! だいたい、おまえが山を降りたら、だれがわしにおはぎをもってくるのだ?」
「そんなの、ここにいる古道にでも清覧にでも頼めばいいじゃないですか!」
「おいおい、冗談じゃないぞ。 ただでさえ、右近が抜けたら仕事が余計にまわってくるのに、そのうえ、天狗の大将のおつかいまでやっていられるか! 断固として拒否する!!」
「む。」
「僕だって嫌ですよ! あそこまで行くのだって大変なのに、大天狗さまのぶん買ってくるだなんて! 」
「むむ。」
「だいたい、僕は、右近さんや古道さんほど、速く飛べないんですからね!」
「「それは、おまえが、修行不足なだけだろうが!!」」
一旦、鎮火しかけた議論の炎は、再び燃え上がり、結論のでないまま深夜まで続くこととなった。
翌朝、《カフェまよい》では、忙しい朝の仕込が始まっていた。
そこに、ひとり入口の戸を叩くものがあらわれる。
「はぁーい。 どなたですかぁ?」
まだ、開店にはだいぶ時間がある。
店主の真宵は、首をかしげながら入口を開けた。
「右近さん?」
そこに立っていたのは、店の常連の烏天狗だった。
しかし、いつもとはだいぶ様子が違う。
いつも、きちんと整えられた髪はボサボサだし、顔はやつれて目の下にはクマができている。着ているものも、烏天狗のトレードマークになっている山伏装束ではなく、ふつうの着物だ。
「な、何かあったんですか?」
「いや、大事無い。」
右近は、そう言った。
実際は深夜まで、もめにもめた挙句、喧嘩別れして鞍馬山から身の回りの荷物を持って遁走という、かなりの大事であったのだが、あえて説明する気はなかった。
予定では、職を離れる許可をもらい、その上でこの店で働きたいと申し出て、期日を決め、きちんと仕事の引継ぎをした後、新しい職に就くはずだったのだが。
人生とはままならないものである。
「ええと、なにか御用ですか? 開店にはまだかかるんですけど・・。」
事態を理解してない真宵は、不思議そうに右近を見つめる。
「マヨイどの。」
「はい。」
「俺をこの店で雇ってはくれないだろうか?」
「はい?」
かくして数日後、《カフェまよい》に正式に新しい従業員が増えることとなる。
読んでいただいた方、ありがとうございます。
第一話から出ていた、右近さん転職を決意する回です。
新たにスタッフが増えた 《カフェまよい》がどうなるか?
ひきつづき、お付き合いいただければ幸せです。
先日、評価のことをちょこっと書いたら、新たにして下さった方がいらっしゃいました。
とても励みになります。
ありがとうございました^^。