30 ハジマリノヒ
人間界とは別の妖怪たちの棲む世界、妖異界。
ひょんなことから異世界で甘味茶屋を営むことになった真宵。
剣も魔法もつかえません。
特殊なスキルもありません。
祖母のレシピと仲間の妖怪を頼りに、日々おいしいお茶とお菓子をおだししています。
ぜひ、近くにお寄りの際はご来店ください。
《カフェまよい》 店主 真宵
日曜日の朝、真宵は自分の部屋で朝をむかえた。
畳敷きの部屋に土壁、梁のある古い天井。
しかし、窓には硝子のサッシがはまり、電灯がぶらさがり、コンセントからは携帯電話の充電器がのびている。
そう。ここは妖異界ではない。
《カフェまよい》の奥にある住居スペースの部屋ではなく、人間界の真宵の祖母の住んでいた家にある自分の部屋である。
今日は、日曜日。
《カフェまよい》は定休日である。
月曜日から金曜日までは妖異界で、土曜日と日曜日は人間界で。
そんな生活を、真宵はこの二ヶ月、送ってきた。
昨日は、休日を返上して開催した餅つき大会で、妖異界に逗留したために、今週、人間界にいられるのは、今日一日だけである。
真宵は布団を片付け、身支度を整えながら、ふと思う。
「なんだかんだで、もう二ヶ月か・・・。」
人間でありながら、妖異界という異世界で妖怪相手に甘味茶屋を商うことになって、はや二ヶ月。
自分の人生がこんな風に転がるとは思ってもいなかった。
とのおこりは、半年ほど前、真宵の祖母が他界したことだ。
大好きだった祖母を失い、悲しみにくれる真宵に、意外な話が舞い込んだ。
祖母の住んでいた家を真宵に相続させる。
祖母が残した遺言状にそう書かれていた。
真宵自身、寝耳に水だったし、父も母も何も聞いていなかったらしい。
親戚はほかにも何人もいたし、孫も真宵だけではなかった。
たしかに、真宵は祖母のことも田舎の家も大好きだったし、祖母も真宵をとても可愛がってくれた。
しかし、まだ二十代半ばの真宵に、こんな田舎の家を残すというのは、少々意外なことだった。
遺産分割の問題でまったくもめなかったのには理由がある。
真宵が相続した祖母の家は、東北地方の田舎のそのまた田舎にある小さな村のさらに奥の奥にあるようなド田舎だ。
駅前にコンビニのひとつもないようなさびれた最寄り駅から、さらに車で三十分ほど、山道を行かなければならないほどの、田舎の一軒屋。しかも、築数十年の日本家屋。
土地も家屋も、財産的価値は低く、そもそも買い手がつかないような場所である。
他の貯金やらの財産は普通に分配されていたので、とくにもめることもなく、家と土地は真宵の名義となった。
正直、固定資産税やら、名義変更にかかる手続きやらで、下手すれば、赤字が出る可能性のある相続であったが、それでも真宵はうれしかった。
財産価値はともかく、祖母の家は大好きだった祖母との思い出が詰まっていた。子供の頃は夏休みやお正月などに里帰りするのをなによりも楽しみにしていた。大人になるにつれて、訪れる頻度や過ごす時間は減っていったけれど、大切な場所であることに変わりはなかった。
その、祖母の家が自分が相続する。自分のものになったことより、どこかに売却されて失われずに済んだことのほうがうれしかった。
とはいえ、自分のものになるということは、それなりに責任も生じてくるわけで。
管理や清掃などは真宵自身がやることになる。
だが、真宵にも自分の生活があり、祖母の葬式のあと、その家を訪れるのは一ヶ月以上後の話になった。
久しぶりに訪れた祖母の家は、思い出の家より、少しだけ寂しい印象を受けた。
雨戸がしまっているせいでもあり、手入れが行き届いていないせいもあるだろうが、なによりも、迎えてくれる祖母の笑顔がないのが一番の原因だろう。
家は、だれも住んでないと痛むのがはやいと、よく言われるが、そこまで荒れてはいなかった。
庭の雑草が少々気になるくらいで、家の中は簡単に掃除すれば、明日からでも住めそうなくらいだった。
真宵は、さっそく雨戸をあけ、空気を入れ替え、掃除に取り掛かった。
ひとから見れば、わざわざ休日に交通費を払ってまで、住む予定もない家を掃除するために田舎までやってくるなど、ずいぶんと無駄なことのように思えるかもしれない。
しかし、真宵にとってはむしろ楽しかった。もう少し、場所が近ければ、もっとまめに来れれるのに、と思っているくらいだ。
真宵はひととおり掃除をすませると、縁側に座ってお茶にすることにした。
お茶は、あらかじめ水筒に入れてきておいた。茶菓子は残念ながら、お店で買ってきたものだ。
他のものはともかく、餡子だけは、祖母の作ってくれたもののほうが絶対おいしい。と思っている真宵であったが、さすがに一人暮らしのちいさなキッチンで餡子から自作するのは少々ハードルが高い。
お茶を飲みながら、休憩していた真宵は、独り言をつぶやいた。
「こういう家で、古民家カフェ、とかできたら最高なんだけどなあ。」
古民家カフェ。それが真宵のひそかな夢であった。
小さな頃から、ケーキ屋とか喫茶店とかお店を開くことが夢だった。
とくに、最近では、けっこうブームになってる、古い日本家屋をリフォームしてお店やらギャラリーとして再利用しているのに魅了されていた。
とはいえ、もちろん祖母の家でそれができるとは思っていない。
あまりにも立地が悪すぎる。
観光地でもない、田舎のそのまた田舎の山の中。
観光客どころか、地元の人でさえ、くるのがおっくうになるような場所だ。
リフォームするお金も、開業するお金もない。
いつかは。
と思っていても、夢は夢のまま終わるのが常である。
それでも、想像しているだけでも楽しい。それが夢だったりするのかもしれない。
なので、たわいもない独り言を、聞かれていたとは想定外だった。
だれもいない家の、だれもいない場所から、声がする。
「ソレガ、オヌシノ、ノゾミカ?」
真宵は振り返って、声の主を探す。
そこには、いま掃除を終えたばかりの、部屋がひろがっているだけだった。
しかし、声は、再び真宵の耳に届いた。
「ソレガ、オヌシノ、ノゾミナラ、カナエヨウ。 オヌシノ、祖母ドノトノ、ヤクジョウダ。」
それが真宵と『迷い家』との出会いだった。
そして、それが自分の人生の転機になるとは、まだ思っていなかった。
その、姿の見えない声の主から逃げ出さなかったのは、ひとえに「祖母との約定」の意味が気になったからだ。
おそるおそる声の話を聞いてみると、声の主は『迷い家』とゆう妖怪であるらしい。
それだけでも信じがたい話なのだが、その迷い家が、なんと祖母の家にとり憑いているというのだ。
はるか昔は、妖怪の世界と人間の世界は多くの接点があって、妖怪が人間の世界にでてくることなど、珍しくもないことだったらしいのだが、今ではもうほとんどないという。
祖母の家は、そのほとんどなくなってしまった、希少な接点になっているらしい。
迷い家は真宵の祖母に、自分のもちものから、ひとつだけ欲しいものを持って行ってよいと語りかけたのだが、断られたのだという。
売れば大金になるものや、どんな怪我や病気も治せる薬、憎い相手を呪い殺せる道具まで、色んなものがあったが、どれもほしくないという。
人間は年をとると欲も恨みもなくなる。今の生活にも満足しているし、分不相応な力や物に頼りたくない。
というのが、祖母の弁だったらしい。
それを聞いて、いかにも祖母のいいそうなことだ、と真宵は思った。
ただ、もし、可能なら、孫娘の真宵の願いをかなえてやってほしい、と言う。
一番、可愛がっている孫で、よくいつかお店をやりたいと言っていた。もし、それが本気の夢なら手助けしてやってほしい。自分がそのころまで元気でいられるかどうかわからないから・・。
迷い家という妖怪の言うことを、祖母がどこまで信用していたのかはわからない。しかし、迷い家は、その約束を守り、孫娘の真宵に、語りかけている。
迷い家の言うには、この人間界で妖怪である自分のできることは少ない。せいぜい、開店資金になるような金目のものを与える程度のことだ。
しかし、もし妖怪の世界で店をはじめるつもりがあるのなら、場所も店舗も他に必要なものも、できるかぎりのものを与えることができるのだと言う。
お金か妖怪の世界でお店を開くか。
普通で考えれば、お金だけもらうのが得策だろう。
もしくは、妖怪のいうことなど、聞かないで、一目散に逃げ出すのが良いのかもしれない。
しかし、真宵は「妖怪の世界でお店を開く」という選択をした。
なぜ、そんなことを即決したのかはわからない。
でも、大好きな祖母が背中を押してくれているような気がした。
かくして、真宵の願いは迷い家により叶えられ、《カフェまよい》の開店とあいなる。
もちろん、即座にと言うわけにはいかなかった。
真宵にも生活があり、仕事を辞めるにもいきなりというわけにもいかなかったし、住んでいたアパートを引き払ったりと、結局、祖母の家に引っ越すのに三ヶ月近くを要した。
さらに、メニューつくりやら、設備の問題、スケジュールの管理など、やることは山積みだった。
妖怪の世界で店をするといっても、人間界にさよならするつもりはなかったので、日曜の夜、寝ている間に妖異界に運んでもらい、金曜の夜、寝ている間に人間界の祖母の家に戻してもらうということになった。
なぜ、寝ている間なのかといえば、世界を渡るとき、人間の精神が乱れたり、感情の起伏が激しいとトラブルになりやすいのだそうだ。
寝ているか、気絶しているのが、いちばんよいのだそうだ。
毎回、気絶させられるのは御免こうむりたいので、寝ているあいだにお願いすることにした。
そうやって、《カフェまよい》を営業して、はや二ヶ月。
まだまだ問題も多いが、なんとかやってこれたことは真宵の自信につながっていた。
「さて、今日しなくちゃいけないことは・・。」
真宵は今日のスケジュールを確認する。
休日とはいえ、やることは多い。
小豆やもち米、ランチに使う肉や魚や野菜、ほとんど、こちらの世界から持ち込んでいる。
人間界にいるのは土日だけなので、その間に確保しておかなければならない。
今回は、今日一日でやらなければいけないのでなおさらだ。
新メニューの開発なんかも、やっておかないと営業時間中にやる余裕はない。
休んでいる暇などないのだ。
だけど、それでも、真宵はいまの生活を心から楽しんでいた。
ありがとう。おばあちゃん
真宵はそっと呟いた。
読んでいただいた方、ありがとうございます。
今回は、真宵さんがお店をひらくようになったいきさつです。
もっと、はやめに書くつもりだったのですが、タイミングを逃してました。
先日、お二人目の評価をいただきました。
どなたかはわかりませんが、ありがとうございます。感激です^^。
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