03 ぬらりとさがり
人間界とは別の妖怪たちの棲む世界、妖異界。
ひょんなことから異世界で甘味茶屋を営むことになった真宵。
剣も魔法もつかえません。
特殊なスキルもありません。
祖母のレシピと仲間の妖怪を頼りに、日々おいしいお茶とお菓子をおだししています。
ぜひ、近くにお寄りの際はご来店ください。
《カフェまよい》 店主 真宵
太陽が天頂から傾き、昼時が終わりを告げる頃、ここ《カフェまよい》ではランチタイムの喧騒が終わりを告げる。
客の数が激減するわけではいないのだが、この時間からの客のめあては甘味。おはぎやまんじゅうなので、火を通したり、温めなおす必要がないので、働いているものとしては多少余裕が生まれるのだ。
しかし、ここは妖異界。
ひとではなく妖怪の棲む世界。
普通とは違ったトラブルが、起こるのもまた常である。
それは、この店の店主である真宵が、厨房な入ってきたときに気づいた。
「あれ?」
《カフェまよい》のイチ押しメニュー、おはぎ。
毎朝、その日の分を早朝からつくり、その日にうちに売る切る、祖母からレシピを引き継いだ真宵の自信作だ。
《カフェまよい》の『おはぎセット』は二種類のおはぎを日替わりで提供している。
今日は、つぶあんと胡麻。明日はこしあんと青海苔。といった形だ。
お持ち帰りで、おはぎを注文する妖怪もいるが、そちらも、二個入り、四個入り、六個入りの三種類で、単品売りや、種類の指定はできないようにしている。
なので、今朝同じ数だけ仕込んだはずのつぶあんのおはぎと胡麻のおはぎの数は、必ず同じ数だけ減っていき、同時に品切れになるはずなのだ。
しかし、いま、真宵の目の前にあるケースの中のおはぎは数がずれている。
胡麻のおはぎがつぶあんのおはぎよりも二つ少なくなっているのだ。
可能性としてはいろいろあるだろう。
真宵が間違って客に胡麻のおはぎばかりを出した。
従業員のつまみぐい。
朝、仕込む際に数を間違えていた。
しかし、真宵には、それよりもこういったことをする人物にこころあたりがあった。
厨房から飛び出すと、客席を見渡して、とある人物を探す。
そして、そのテーブルの上のものを見て確信した。
(やっぱり。)
真宵は大股でかの人物に詰め寄った。
(今日という今日は許さないんだから!)
テーブルをバンと叩いて、言った。
「ぬらりひょんさん!またやりましたね!」
『ぬらりひょん』
頭の大きな、とくに後頭部がタコの頭のように大きい禿げ頭の老人の姿をした妖怪である。
いつの間にか、家に上がりこんで茶を飲んでいたり、つまみ食いをしたり。飲食店で食べ終わるといつの間にやら、勘定もせずいなくなっていたりする習性がある。
それは、この《カフェまよい》でもいかんなく発揮されている。
ひらたく言えば、つまみぐいと食い逃げの常習犯だった。
「なんのことかのう?マヨイ殿。」
すっとぼけるぬらりひょん。
しかし、真宵はすでに、証拠をみつけていた。
「ぬらりひょんさん。ぬらりひょんさんが今日注文したのは『麩まんじゅう』でしたよね?」
「うむ。もちもちした食感と塩気がたまらんよい品であった。」
味をおもいだすかのように、目を閉じて頷く。
しかし、真宵はぬらりひょんの前に置かれた皿を指差し問い詰めた。
「じゃあ、どうして、ぬらりひょんさんのお皿には胡麻がいっぱい落ちてるんですか?!」
「むっ。」
確かに、皿にはけっこうな数の黒胡麻が散らばっていた。
もちろん麩まんじゅうには、黒胡麻はつかわれていない。
「また、勝手に厨房に入って、つまみ食いしましたね。厨房には入らないでくださいって、あれほど言っているのに!」
「むう。これはいっぽん取られたのう。さすがじゃ!マヨイ殿。」
ぬらりひょんは、感心感心。とでも言わんばかりに頷いた。
「誤魔化そうとしたってだめです。」
真宵は顔をしかめた。
するとぬらりひょんは拗ねたように、下唇を突き出す。
「しかしのう。わしは、『ぬらりひょん』じゃからのう。勝手に入ったり出て行ったりするのが仕事みたいなものなんじゃよ。」
真宵はため息をついた。
本当にそのとおりらしいのだ。
この世界に来るまで、妖怪の事など、さほど知識のあるほうではなかったので、前に『ぬらりひょん』という妖怪のことを調べたことがあった。
ぬらり、ぬらり、と勝手に家に入ってきては、茶や菓子をつまみ食いしたり、勘定も払わず飲み食いする妖怪。
百鬼夜行の先頭に描かれたりするので、一説には妖怪の総大将であると言われたりもするのだが・・。
やってることは、「つまみ食い」と「食い逃げ」それのみである。
なにゆえ、人の命を奪う危険な妖怪や、山を崩すほど強い力をもつ妖怪がいるなか、そんな妖怪が先頭に描かれているのか? 残念ながら、真宵の読んだ本には説明されていなかった。
つまみ食いと食い逃げしかできない総大将っていったい・・・?
真宵は気を取り直して続ける。
「とにかく!これ以上、続けるようなら、『迷い家』さんに言ってまた出入り禁止にしてもらいますよ!」
ぬらりひょんの顔色が変わった。
「そ、それだけは、勘弁してくれ。」
実は、以前にぬらりひょんはこの店の出入り禁止をくらったことがある。
まだ店が開店して間もない頃、ぬらりひょんは毎日のようにやってきては、つまみ食いと食い逃げを繰り返していた。
勝手に厨房に入っては、おはぎやらまんじゅうやらをつまみ食いしたり持ち出したりしたあげく、勘定も払わずいつの間にやらいなくなるのだ。
ぬらりひょんのすごいところは、どんなに注意していても、どれだけ警戒していても、ほんの一瞬目を放した隙に、入り込んだり、逃げ出したりしてしまうことだ。
まさに、ぬらり、ぬらりの、『ぬらりひょん』である。
しかし、そのぬらりひょんにも天敵はいたらしい。
偶然にも、この店そのものである妖怪『迷い家』である。
本来、迷い家は、山や森で迷った旅人の前に現れ、こまっている旅人に一晩の寝床と食事を提供する日本家屋の姿をした妖怪で、出て行く際には、ひとつだけならどんな高価なものでも家の中から持って行って良いという、なんともホスピタリティに富んだ妖怪でもある。
そんな迷い家だが、再び旅人が同じ場所を訪れ、探したとしても絶対に見つからないという。
つまり、自分の姿を認知できる相手を迷い家は選ぶことができるのだ。
対して、ぬらりひょんは、どんな家にも忍び込むことができ、出て行くことが可能な妖怪。である。
そう聞くと、ぬらりひょんが有利に思えるが、ぬらりひょんの能力は、あくまで見つけた家に忍び込むことができるものなので、迷い家がぬらりひょんの前に姿を見せるのを拒めば、どうすることもできない。
もちろん、いったん姿を確認されてしまえば、鍵を掛けて締め出そうとしても忍び込まれるし、閉じ込めようとしてもおなじことだ。
しかし、姿を現さないかぎり、それはどうにもならない。
かくして、ぬらりひょんは周りの妖怪が皆、《カフェまよい》に行っているにもかかわらず、自分は行くことができず、そこにあるはずの迷い家をどうしても見つけることができないという状態になった。
その後、なんとかして迷い家の見つけ方を模索していたぬらりひょんだが、どうしても見つけることができず、出入禁止の約一週間後、しりあいの妖怪を通じて泣きをいれてきた。
いままで、無銭飲食してきた代金をすべて払うという条件で、真宵に許してもらい、出入禁止の解除となったのであった。
それで、態度が改まったというのなら良いのだが、それがこの爺さんのくえないところである。
再びつまみ食いや食い逃げを繰り返したかと思うと、定期的に、その分の代金を自分から持ってきたりするのだ。
だったら、最初から払えばよいとおもうのだが、それがこのぬらりひょんという妖怪の性分なのだろう。
とはいえ、飲食店を営業しているほうにとってはたまったものではない。
「もう、やらぬから、今回だけは勘弁してくれ。」
哀れさをさそうように懇願するぬらりひょんに真宵は苦虫をつぶす。
おばあちゃん子であった真宵は、基本的に老人に甘いのだ。
まあ、妖怪の見た目と年齢はあまりあてにできないのだが・・。
「ほんとに今回だけですよ。今度やったら、迷い家さんにいいつけますからね。」
おそらく、あまりあてにならない約束をした後、真宵は席を後にした。
(まったく。)
厨房に戻ろうとすると、突然、音とともに何かが降ってきた。
「きゃああああああああぁ!!!」
真宵は驚いて、叫び声をあげる。
しりもちをついたまま、見上げると、そこには少年が逆さ吊りになっていた。
「マヨイはオーバーだなぁ。」
少年はケタケタ笑った。
「ちょっと、『天井さがり』さん。驚かさないでくださいっていってるでしょう!」
彼は『天井さがり』。
突然、天井からぶらさがって、ひとを驚かす。ただそれだけの妖怪である。
よく絵巻とかには珍妙な姿で描かれているが、この妖怪は見た目は十代後半の少年の姿で、纏っている装束といい、まるっきり、昭和の漫画に出てくる忍者スタイルである。
その少年妖怪が逆さにぶらさがったまま、ブラブラ揺れたり、クルクル回転したり、器用にバランスを取っている。
妖怪なんだか、忍者なんだか、アメコミの蜘蛛男なんだか・・・。
「注文しようとしただけだけだよう。」
天井さがりがうそぶいた。
オーダーするのに、何故、天井から降ってくる必要があるのか? お客でなければ小一時間ほど問い詰めたいところである。
「わかりました。それでご注文は?」
立ち上がり、お尻を、ポンポンと掃いながら、真宵が尋ねる。
「『おはぎセット』ひとつ!」
うれしそうにクルクル回る。
「わかりました。『おはぎセット』ひとつですね。 お持ちしますので『席に座って』お待ちください。」
席に座って、の部分だけ強調している。
「ええ?いいや。オイラ、ぶら下がってるほうが楽だし。」
今度は蜘蛛かバンジージャンプみたいな上下に運動する。
「だめです!ちゃんとお席について、お待ちください。じゃないとお帰りいただきますよ!」
これ以上、店の秩序を崩壊させるわけにはいかない。
真宵は断固たる思いで、注意する。
すると、思わぬところから援護射撃がきた。
「これこれ、天井さがり。あまりワガママを言うて、マヨイ殿を困らせるものではないぞ。」
ぬらりひょんであった。
(あんたが言うな。)
と思いはしたものの、意外にも天井さがりが、「はぁーい」と言って従ったので口に出さなかった。
器用にも、天井にぶらさがったまま、ぬらりひょんノ席まで移動し、クルリと回転して、席に座った。
どうやら、同席するらしい。
みためは祖父と孫ほど世代が離れている感じだが、意外と仲良しなのかもしれない。
「すぐにお持ちしますから、おとなしく待っていてくださいね。」
真宵は厨房へとむかった。
「おまたせしました。『おはぎセット』です。 今日はつぶあんと胡麻です。お茶はお番茶なので、ちょっと熱めに煎れてますから注意してくださいね。」
真宵は『おはぎセット』をテーブルに並べた。
最初に番茶の湯呑みを手にした天井さがりは笑った。
「だいじょうぶだよ。オイラ、熱いのはぜんぜん平気なんだ。」
そう言って、番茶をすする。しかしその直後。
ゲホッ。
ブー!!
天井さがりは口に含んだ熱い番茶をおもいきり吐き出した。
「あっちー!!!!ぬおおおおおおおお。」
叫んだのは天井さがりではない。
正面に座っていた、ぬらりひょんが、天井さがりの吐き出した番茶をもろに被ったのだ。
「だ、だいじょうぶですか?ぬらりひょんさん。」
真宵が急いで、濡れタオルをぬらりひょんに渡す。
ケホケホと咳き込む天井さがりが謝った。
「ご、ごめん。オイラなんか咳き込んじゃって・・。」
騒動がおさまると、今度は、胡麻おはぎに竹楊枝を刺して口にほうりこむ。
「うん。ウマイ。」
モグモグと美味しそうに噛んでいた天井さがりであったが、いざ飲み込む時になると。
ゲホッ。ゲ、ゲホゲホ。
再び咳き込み、今度はぬらりひょんを胡麻とあんこともち米だらけにする。
「な。なにをするんじゃ!このガキ。ケンカ売っておるのかーー!!!」
珍しく激昂するぬらりひょんをなんとかなだめる。
「だいじょうぶですか?天井さがりさん。どこか悪いんじゃ?」
病気か何かを心配したが、返ってきたのは意外な答えだった。
「ちがうよ。たぶん、座ってるからだよ。」
「え?」
「オイラ、食べるのも寝るのも、逆さでやっているんだもの。座って食べるなんてうまくできないよ。」
「そ、そうゆうものなの?」
「マヨイだって、いきなり、逆立ちしてご飯食べろと言われても、うまくはできないだろう?」
そういわれて想像してみる。
たしかに、逆立ち状態でうまくご飯が食べられるとは思わない。お茶を飲むなんて、さらにだ。
(でも、それって、人体の構造上、口の下に食道やら胃やらがついているからであって・・。天井さがりさんだって、人間とおなじように・・・・。でも、妖怪の身体が人間と同じ構造とはかぎらないのか・・。)
少し悩んだ結果、真宵は結論を出した。
「・・。わかりました。天井さがりさんはぶらさがったまま食事してもオッケーにします。」
「ほんとかい?たすかるよ」
天井さがりは喜んでジャンプすると、天井にはりついて、逆さにぶらさがる。
「でも、おどかしたり、ほかのお客様に迷惑になるような行為はダメですよ。」
逆さになったまま、器用におはぎを食べながらコクコクと頷く。
今度は咽ずに食べており、どうやら本当だったらしい。
「む。ではわしのつまみ食いのほうも・・・・・・。」
「ダメにきまってるでしょ!」
どさくさにまぎれようとしたぬらりひょんに、しっかりとクギをさす。
ハア。
真宵は大きなため息をついた。
「接客業って、たいへんだなぁ。」
読んでいただいた方、ありがとうございます。
今回の妖怪は
「ぬらりひょん」と「天井さがり」です。