269 烏天狗のお仕事
『鞍馬山』
《カフェまよい》から、山を三つほど超えた場所にある霊山である。
妖怪の棲む妖異界では特別な山で、その頂上には大妖怪『天狗』が居を構え、その弟子である『烏天狗』たちが暮らしている。
妖異界の自警団のような役割を担っており、『烏天狗』たちは、その機動力と神通力で各地を飛び回り、調査や巡回、トラブルの対処にあたっている。
「いらっしゃいませー。」
今日も《カフェまよい》は盛況だった。
曜日限定ではじめた『稲荷寿司セット』のおかげで、火曜と木曜は狐妖怪の客が集中する。
今日は水曜なので、そのぶん狐妖怪の姿は少なめだ。
かわりに目立つのは・・・。
(今日は烏天狗さんが多いわねー。)
烏天狗は甘い物好き。
ランチタイムにはあまり見ない反面、この時間によく来店する。
頼むのは決まって、『おはぎ』や『饅頭』といった甘味だ。
仕事が忙しいらしく、長居する客は少ないのだが、友人達に土産を買って帰るものも多い。
頻繁に来店してくれ、長居せず、土産の分を含めると客単価が高い。さらに、妖異界の自警団を称するだけあって揉め事や騒動はほとんど起こさない。
店にとってはとてもありがたい客層であったりする。
(あら。また。)
「いらっしゃいませー。」
新たに入ってきた客を真宵が迎える。
ちょっと仰々しい修験者みたいな装束は、『鞍馬山』の烏天狗のトレードマークだ。
休みの日は普通の着物で来る烏天狗もいるが、皆、大抵この格好だ。
店に入るときは、翼も隠して顔も姿も人間と変わりないようにしているが、この格好のせいでひと目で判別できる。
新しく入って来た客は、間違いなく烏天狗だろう。
「こんにちは。」
(でも、みたことのないお客さんね。初めての方かしら?)
真宵はそう思いながらも、顔に出さないように気をつける。
烏天狗は開店当初から通ってくれている客も多く、従業員の右近とのつながりもあるので、見知ったものも多い。
一度、真宵が『鞍馬山』にもお邪魔したこともあり、名前と顔が一致するものは一部にしても、大抵、顔の見覚えくらいはあるのだが、この客の顔は真宵の記憶には残っていなかった。
「どうぞ、こちらの席へ。」
とりあえず席に案内しようとしたが、この烏天狗はまわりを見渡してなにかを探すような素振りで動こうとしない。
「あの・・、なにか?」
待ち合わせか何かだろうか、と真宵が尋ねる。
「ああ。失礼。こちらで、右近と言うものが働いているはずなのだが・・。」
「ああ。右近さんのお知り合いですか?ええっと・・・。」
ランチタイムが終わってから、右近も真宵と一緒に客席を担当していたはずだ。
つい、さっきまでいたはずなのだが、客席に姿がない。
「あ、いたいた。右近さーん。お友達が訪ねてきてますよー。」
器を下げに行っていたのか、厨房から出て来た右近を呼ぶ。
呼ばれた右近がこちらに気づくと、驚いたように目を見開いた。
「珀明さま?」
右近が急いで駆け寄ってくる。
「久しいな。右近。」
「珀明さまこそ。いつ、こちらへ?」
「本山に用事があってな。明日にはまた帰らねばならんのだが、お前にどうしても会っておきたくてな。健勝か?」
「ええ。珀明さまこそお元気そうでなによりです。」
真宵は少し違和感を感じていた。
『鞍馬山』はここ《カフェまよい》から山をみっつ程越えたところにある。
とても近いとはいえないが、翼を持ち飛べる烏天狗にとってはそこまでたいそうな距離ではない。
だが、この二人の話からかなり久しぶりの再会であるのは想像に難くない。
さらに、右近の言葉づかい。
烏天狗の客は大勢来るが、たいていタメ口でざっくばらんに話している印象だ。
だが、右近の態度はどう見ても尊敬する上司に対するそれだ。
考えてみると、実際の年齢は妖怪なのでわからないが、店に来る烏天狗は皆、見た目が若い。
だが、この珀明という烏天狗も若いには若いが、三十歳前後といった風貌だ。
ちょっと知らない右近の人間関係を垣間見、真宵は不思議な感覚に陥るのだった。
「どうぞ。『おはぎセット』です。この店の一番人気ですから、きっと御口に合うと思います。」
右近はテーブルにおはぎの皿と湯のみを置く。
「ああ。すまんな。」
珀明はもの珍しそうに、おはぎと右近を交互に見た。
「まさか、右近が御山を下りて茶屋で働くとはな。」
「すみません。なんのご相談もせず。」
右近は申し訳なさそうに頭を下げる。
「いや。驚いただけだ。若い烏天狗の中でも一番仕事熱心だったからな。まさか、こんな形で御山を下りるとは夢にも思っていなかった。」
「珀明さまには目を掛けていただいたのに。ご期待にそえず申し訳ありません。」
「目を掛けた、か。そうだな。御側衆に推薦したのも俺だったか・・・。将来、『鞍馬山』を背負って立つ烏天狗になると思っていたんだがな・・。」
「・・・。」
珀明の言葉に含まれた残念だという響きを察し、右近は返答に詰まった。
珀明がまだ、『鞍馬山』の本山で若い烏天狗の教育係を勤めていたとき、一番目を掛けていたのが右近だった。
優秀ではあったが、無表情でなにを考えているのかわからないと、まわりから浮いていた右近に仕事や神通力を教え込んだのは珀明だ。
後に、右近は天狗の側近である御側衆に取り立てられ、珀明は北にある『鞍馬山分寺』の責任者として抜擢された。
珀明が分寺に赴任して、本山を後にしてからは疎遠になっていたが、兄弟子であるとともに、天狗とはまた違った意味で師匠と弟子の関係である。
「なあ、右近。俺が今、『六番札の分寺』の責任者をしてるのは知ってるな?」
「ええ。最北端の分寺ですよね?」
「ああ。分寺の名目はどこも妖異界の治安維持だが、六番札の寺には別の任務がある。」
「・・・『カムイ』の監視ですね。」
「ああ。」
『カムイ』。
正式名『カムイコタン』。
妖異界の最北に位置する地域である。
多くの妖怪が棲むが、他所との関わりを一切絶ち、ある種の鎖国状態にある。
向こうからやってくることもないが、こちらから渡ることも不可能。
完全な治外法権で、妖異界の自警団を称する『鞍馬山』も手が出せない。
妖異界において、もっとも異端の地とされている。
「あいつらは、正直、なにを考えているかわからん。好戦的なヤツらではないが、過去に暗躍した例もなくはない。油断は出来ない相手だ。」
「ええ。」
「だから、警備体制の見直しを『天狗』さまにお願いしに来たんだ。せめて、人員の増員だけでもと思ってな。」
「そうでしたか。それで、師匠はなんと?」
「・・・保留だ。理解はしてくださったが、御山から烏天狗をまわす余裕はないと言われた。他の分寺からまわすとなると、そちらのほうが手薄になるしな。」
「そうですか。残念です。」
『鞍馬山』は妖異界における自警団。警察のような役割を担っている。
妖異界中に散らばって、この世界の安定と情報収集にあたっており、いくら烏天狗の数が多いといっても、数には限りがある。人員不足は今に始まったことではない。
(せめて師匠がきっちり仕事に専念してくれたら、下のものの負担も減るんだろうに。)
この世界でも五指にはいる大妖怪『天狗』。
その妖力と神通力をもってすれば、並みの烏天狗百人分の仕事量をこなすのも可能だ。
問題は、その天狗本人が仕事嫌いで部下に仕事を押し付けまくっているということだ。
『わしが仕事をしたら、そのぶんお前達が楽をするじゃろう?そうしたら、修行にならん。わしは、お前達を鍛えるためにも仕事をサボっとるんじゃ。』
天狗の言い分である。
だが、天狗の側近である御側衆にいた右近は知っている。
あれは単に仕事嫌いで面倒事を部下に押し付けているだけだということを。
「それでなんだがな。右近。」
「はい。」
「お前が力を貸してくれないか?」
「え?それは、どういう。」
いきなりの提案に右近は鼻白んだ。
「『鞍馬山』に復帰してほしい。正確には、俺の下で働いてほしいんだ。」
「そ、それは・・。」
「トラブルになるから、本山や他の分寺の烏天狗を勝手に引き抜くのは禁止されてるが、下野のものを雇い入れることは許可されてる。人手不足で烏天狗以外の妖怪を雇っている分寺も多いしな。それなら、山を下りた右近を俺が雇っても問題ないだろう?」
「それは、そうかもしれませんが・・。」
だが、それは右近にこの《カフェまよい》を辞めて欲しいと言っているのと同義だ。
「お前のことだ。一時の気の迷いで『鞍馬山』の仕事を辞したとは思えん。それなりの覚悟を持ってこの仕事に転じたということはわかっているつもりだ。だが、ほんとうにお前の力が必要とされているのはどこか、もう一度考えて欲しい。」
「・・・珀明さま。」
「できればじっくり考えて欲しいが、あまり時間がない。明日の朝には、ここを出て北の分寺に帰らねばならん。責任者が長く不在するわけにもいかんからな。急がせてすまないが、それまでに決めておいてくれ。」
「・・・。」
突然の話に右近は返す言葉を失った。
今の仕事を辞めるつもりなどもうとうなかった。
だが、珀明には恩もあり、尊敬している数少ない人物でもあった。
また、『鞍馬山』の仕事の重要性も熟知している。
誰かがやらねばならない仕事。
有象無象の妖怪達が跋扈するこの世界は、なにかしらの規律がなければ混沌と化す。
おそらくその想いは皆同じだろう。
対立関係にある『古都』も『久万郷』も『遠野』も同じだ。
『古都』と『久万郷』はそれぞれ狐妖怪のため、狸妖怪のために独自の価値観とルールを元に、都や里を開いた。
『遠野』は他者の思惑に流されぬよう、同じ想いの妖怪達が集い、他者からの干渉を嫌うことで独立独歩の中立地帯を造り上げた。
そして、『鞍馬山』だけが、身内だけでなくこの世界全体に通用する規律が必要だと説き、その仕事に邁進している。
その組織を造り上げたのが『天狗』だ。
普段はどうしようもない仕事嫌いで、呆れさせられることの多い師匠だが、このことだけは尊敬している。
今は、『遠野』にある茶屋に勤め『遠野』の重鎮である座敷わらしや『久万郷』の狸である金長とともに働いてはいるが、この『鞍馬山』の理念だけはどの組織よりも素晴らしいと信じている。
右近が御山を下りたのは、『鞍馬山』が嫌になったからではない。
この店の料理と、料理人という仕事に魅せられたからだ。
だが、正直、どこか後ろめたさもあった。
『鞍馬山』の仕事は誰かがやれねばならぬ仕事。
対して、《カフェまよい》の仕事は、自分がやりたい仕事だ。
どちらを優先すべきなのか。
どちらを選んだ方が正解なのか。
その疑問は、以前から心の隅に残っていたのだ。
それでも、『鞍馬山』は自分がいなくとも、友人の古道を中心になんとかやっていけている。
その事実が、右近には救いであり、心の隅にある疑問を忘れさせてくれる麻酔薬でもあった。
しかし、尊敬する珀明から『お前が必要だ』と打診されては、目を逸らすわけにもいかなくなった。
期限は明日の朝。
自分の身の振り方を考えるにはあまりにも短い。
読んでいただいた方ありがとうございます。
右近さん転職を持ちかけられる編です。
よろしくお付き合いください。




