257 乾燥大敵
登場妖怪紹介。
『毛羽毛現』
真っ黒な毛玉の姿をした妖怪。
毛玉の中はなにもなく毛だけ。
どうやってものを食べているのか、食べたものがどうなっているのかも不明。
妖異界にただひとつ、人間の店主が営む茶屋 《カフェまよい》。
客の妖怪たちは、大抵は人間の姿で訪れる。
元々はそれぞれ別の姿である妖怪たちも、店に入ったり箸を使ったりするのには人間の姿の方が都合が良いからだ。
ただ、何事にも例外はつきものである。
「あら。毛羽毛現さん、いつの間に。」
客席で給仕の仕事をしていた真宵が、テーブルのひとつにモコモコの毛の塊を見つけて呟いた。
『毛羽毛現』
小型犬くらいの大きさの毛の塊の妖怪。
めったに現れない。稀有稀現とも言われる。
いつの間にやら、庭先や縁の下などに現れる妖怪らしく、店に来るときも、入口から入って来た様子もないのに、知らない間に席で座っている。
向こうから呼んで注文したりはしないので、注意していないと知らず知らずに放置してしまうことになる。
(一声かけてくれたらいいのに。)
そうは言っても、そういう妖怪なのでしかたがない。
真宵は、メニューを片手に毛羽毛現のテーブルへと赴いた。
「いらっしゃいませ。毛羽毛現さん。おひさしぶりですね。」
稀にしか現れない妖怪らしく、来店するのは月に一度くらいだ。
人間の姿に化けて来店する妖怪がほとんどなのだが、毛羽毛現はまるっきり毛玉のまま。
目も耳もなく、口もないのでどうやって食べているのかも定かではない。
語りかけても帰ってくる言葉は、
「モフ。」
だけである。
しかし、真宵も最初は戸惑ったものの、回数をこなせば手馴れてくるもので、最近では特に接客には不自由していない。
「どうぞ、メニューです。今日はなにになさいますか?」
当然、ただ待っていても「モフ。」以外の返事は返ってこない。
だが、メニューを渡せば、欲しい品に向かって毛を触手のように伸ばして指してくるので、意外とコミュニケーションは取れたりするのだ。
「モフモフ。」
毛羽毛現がいつものように、メニューの一部に毛を伸ばす。
「はい。えーっと、こちら、お饅頭のセットでよろしいですか?」
真宵が毛羽毛現の触手毛をなぞるように指を伸ばした瞬間・・・。
パチィーン!!
高い音が鳴ったと思うと、真宵の指に痛みが走る。
「いったーーい!!」
真宵の声が客席に響いた。
「どうした?! マヨイどの。なにかされたのか?!」
同じく客席で給仕していた右近が駆け寄ってくる。
「う、ううん。違うの。驚かせてごめんなさい。実は・・・。」
「静電気?」
「たぶん・・。」
真宵は指をさすりながら答える。
「最近は乾燥してるから、たまになったりもするんだけど、さっきのはちょっと・・。」
かなりの衝撃だった。
チクっとか、パチっとかではなく、なにかがはじけたのかと思うほどけっこうなものだ。
真宵も朝、髪をとかしたりしているとなるので自分の方にも原因はあるのだろうが、今回の原因はおおかた予想がついていた。
「モフ?」
目も口もない毛玉が、わけもわからないまま座っていた。
「毛羽毛現か・・。」
右近が納得したように言った。
「毛羽毛現さん。ちょっと失礼しますね。」
真宵が意を決して、毛羽毛現のふさふさの毛玉を触る。
パリパリ。
真宵が毛玉をかき回すと、それに伴いあちこちで静電気がはじける音がする。
先程、真宵と接触したとき大きいのは放電していたので、飛びのくほどの電気は起こらなかったが、小さい放電が毛と毛の摩擦でパチパチ火花を飛ばしている。
「これは・・、すごいわね。」
ただでさえモシャモシャの毛が昨今の乾燥のせいで、すごい状態になっている。
髪の毛か体毛なのかは知らないが、手触りはワシャワシャ、という擬音がぴったりだ。
「しかたないわね。ちょうど、この前むこうの世界から持ってきたばかりだし・・。」
「マヨイどの?」
真宵は意を決すると、右近に向かって言った。
「右近さん。悪いけど、客席のほう、任せちゃってもかまわない?」
「あ、ああ。それは問題ないが・・・。」
「じゃあ、よろしく。ひさしぶりにアレをやるわ。」
「アレ?」
真宵は毛羽毛現の方をチラリと確認すると、おもむろに椅子から毛羽毛現を引っこ抜いた。
「モフ?」
何が起こったかわかっていない毛羽毛現を抱きかかえると、そのまま母屋の方へと急ぐ。
「毛羽毛現さん、先にお風呂に入ってもらいます! お茶とお菓子はその後で!いいですね?」
「モフー。」
それが了解の返答なのか、異議を唱える声なのかは真宵には判断できなかった。
しかし、有無を言わさず風呂場へと直行するのだった。
「あいかわらず、すごい御髪ですね。毛羽毛現さん。」
急遽『沢女』と『ふらり火』に沸かしてもらったお湯を風呂場に用意していた。
いきなりお湯をぶっかけて洗いたいところだがグッと我慢する。
(痛んだ髪って、いきなり洗わない方がいいのよね。)
以前、美容室のお姉さんに教えてもらったことを思い出す。
痛んだ髪をそのまま洗おうとすると、余計に引っ掛かったり、摩擦で痛んだりするらしい。
先に丁寧に櫛でとくのが正解とのことだ。
無理やり引っ張らないよう、ゆっくり丁寧に根気よく櫛をいれる。
(うーん。これは酷いわ。)
真宵自身もさほど美容関連には詳しいわけでもお金をかけているわけでもないが、最低限の手入れくらいはしている。
こちらの世界ではドライヤー等の家電製品がないので乾かしたりセットするのが大変なのだが、それでもやはり女性。髪の手入れには気を使う。
そんな真宵から見て毛羽毛現の髪質と言うか毛質は最悪だ。
ゴワゴワで絡まって切毛枝毛のオンパレードだ。
(まあ、これじゃあ、自分で手入れもできなさそうだしねえ。)
なにしろ全身真っ黒な毛玉だ。
目も口もなければ、手も足もない。
いちおう触手みたいに毛を動かしたりはできるようだが、毛の触手で毛を洗おうとすれば縺れる絡まるのは予想に固くない。
(うちは美容院じゃないんだけどねぇ。)
梅雨時から夏場にかけて、あまりに臭いが酷かったので無理やり洗ったことが何度かあったのだが、涼しくなってからはそんなこともなくなった。
いっそ、定期的に続けていればここまで酷くはならなかったかもしれないが、今更それを言っても始まらないだろう。
「はい。こんなもんでしょ。」
とりあえず全部とかしおわった。
サラサラヘアというわけにはいかないが、とりあえず手櫛がとおるくらいにはなった。
手触りはまだゴワゴワだが、これはしょうがない。
「じゃあ、お湯をかけますからね。熱かったら言って下さい。」
いっぱしの美容師みたいなことを言いながら、毛羽毛現を洗っていく。
いつもは毛玉の毛羽毛現が、今は泡の塊になっていた。
しっかりシャンプーした後、しつこいくらいに洗い流すと、真宵は不敵な笑みを浮かべる。
(ふ。今日は秘密兵器があるのよ。)
真宵はあるものを手に取った。
ヘアトリートメント。
それもいきつけの美容院オリジナルのもので、量販店で売っているようなものよりちょっぴりお高めのやつだ。
(もったいないけど、今日は大盤振る舞いよ!)
値段のことを考えると、ついついケチって大事に使ってきたものだが、毛羽毛現のサイズを考えると、そうも言ってはいられない。
手のひらにたっぷりつけると、毛羽毛現に塗りたくった。
「けっこういい匂いでしょう? ローズマリーって香草の匂いなんですよ。」
あまり匂いのきついものは料理に移ると問題なので、ほのかに香る程度のものだ。
しかも、もともと料理にも使う香草なので多少匂っても、そこまで不快ではないはずだ。
「もふー。」
よくわからないが、なんとなく満足気な声を出した。
「ちょっと時間をおいて馴染ませた方が効果が出るんで、そのままでいてくださいね。」
「もふもふ。」
「ふふ。」
なんとなく幸せそうな声に、なんとなく嬉しくなる真宵であった。
後日。
「どういうことなの!まよいちゃん!!」
そう言って怒鳴り込んできたのは、常連の美女妖怪『毛娼妓』だ。
右手には、まるで猫の子の如く首根っこをつかまれ、ぶら下っている毛羽毛現の姿があった。
首があるかどうかはこの際おいておくとして、先日おこなったヘアトリートメントの効果は抜群で、モシャモシャのアフロ崩れだった毛玉が、今はサラサラのストレートヘアのウイッグみたいになっている。
「ど、どういうことかと申されましても・・・。」
毛娼妓の迫力に気圧されながら、真宵が応える。
怒鳴り込んできた理由はだいたい予想がついていたが、できれば認めたくない。
「なんで、毛羽毛現のおじさまが、こんなサラサラのフカフカのなってるの?! また、まよいちゃんがやったんでしょう?!」
(やっぱり、そのことですか・・。)
以前も似たようなことがあったので、おそらくは、と思っていたが、やっぱり、その通りだった。
(しかも、他のおふたりまで・・。)
口は出してないものの、毛娼妓の後ろには、ちゃっかり『女郎蜘蛛』と『骨女』が控えていた。
おそらく、来た理由は毛娼妓と同じだろう。
「あ、あの、この時期、乾燥してるせいか、静電気がすごくて・・。それに、すごく痛んでる感じだったのちょっとだけ・・・。」
「ちゃっとじゃないわよ! ぜんぜん別物になっているじゃない?!」
「はあ。」
実際、その通りで、何故か知らないが、人間界から持ってきたヘアトリートメントは毛羽毛現に抜群の効果を発揮していた。
持ち主の真宵が使った時より、目に見えて効果が出ている。
たまたまなのか、妖怪だからなのか、人間界のものだからなのかはわからないが、とにかくすごい変化だった。
「どうして、おじさまばっかり! 私なんか週に何度も通ってるのに、ぜんぜん、こんなサービスしてくれないくせに!」
「い、いや。サービスとかじゃなくって・・。」
甘味茶屋に洗髪やヘアケアのサービスがあるなどと人間界でも聞いたことがない。
もちろん、この店でそんなサービスを始める予定は全くない。
「じゃあ、なんで、おじさまだけ!?」
鬼気迫る勢いで詰め寄る毛娼妓に、真宵はなんとか対応する。
「け、毛娼妓さんは、そんなことしなくってもきれいな髪じゃないですか。」
「嘘よ!」
間髪いれず、毛娼妓が返す。
「そりゃあね。私だって髪は自慢だし、手入れも欠かさないけど、この時期だけは別! どうやったって、うまくまとまらないし、艶もキメの細かさもあったもんじゃないのよ。」
「そうねえ。言っちゃなんだけど、この時期は悲惨よね。」
「まあねえ。その長さだから余計に目立つわよねえ。」
後ろの二人も同情の声を上げる。
(うーん。そう言われるとたしかに・・。)
後ろの女郎蜘蛛と骨女は、いつもきれいな日本髪に結わえているのでそこまで目立たないが、毛娼妓は髪を腰の長さまで伸ばしている。
まるでソバージュのようにきれいなウェーブがかかっており、トレードマークなっていると言ってもいい。
それは今日も変わりないが、よく見ると以前よりパサついているというかふくらんでいるというか、たしかにちょっと乾燥している感じだ。
「で、でも、この時期は空気が乾燥してますし、それくらいは・・・。また、暖かくなったら・・・。」
「見捨てるの?!まよいちゃん!」
「み、見捨てるって言われても・・。」
そんな人聞きの悪い。
「お願いよ、まよいちゃん。毛羽毛現のおじさまがこんな風になるって事は、私だってもっときれいになれるんでしょう?」
「い、いや、こういうのは個人差もありますし・・・。」
実際、真宵が使っても毛羽毛現ほどの効果はない。
毛羽毛現の方が特別なだけかもしれないのだ。
「お願い! 私にも、その『ヘアトリートメント』ってやつ、売って頂戴!」
「もちろん、毛娼妓だけ特別扱いなんてしないわよね?」
「そうよねえ。私達だってこの時期、髪には苦労させられているんだもの。」
こちらの世界でもトップクラスの美女三人が、こぞって真宵に攻め寄ってくる。
「あ、あの、あれは、買ってきたものですから、うちに在庫は・・。」
ないんです。
と言おうとしたら先に三人に囲まれた。
「「「じゃあ、いつ、手に入るの?!」」」
ここまで来ると、断りきれるはずもなく、結局、今週の休みに美容院まで買いに走ることを約束させられた。
(まだ、髪を切りにいく予定じゃなかったんだけどなあ・・。)
美容に関することで、女性の執着には勝てない。
しみじみと実感する真宵だった。
読んでいただいた方ありがとうございます。
毛羽毛現さんおひさしぶりの登場です。
オチはまえにどこかで使ったオチですが、ご容赦ください。
自分はあんまり静電気で痛い目みたことはないんですよねー。
乾燥はインフルエンザに気をつけようって思うくらいで。




