175 鼠と銀杏
登場妖怪紹介
『鉄鼠』
体長五十センチ程度の鼠妖怪。
妻と息子二人の四人家族。
猫妖怪が苦手。
妖異界にただひとつ、人間の店主が営む茶屋 《カフェまよい》。
神無月の影響で、食材の確保が困難になり、営業への影響が懸念されたが、妖怪たちに協力を要請することで、とりあえずのところは窮地を脱した。
現在の営業は通常通りに行われている。
「まったく。もう少し早く連絡して来れんもんかい。」
白髪の老婆は鋭い眼光を店主である真宵に浴びせた。
「・・・すみません。昨日、いきなりいい猪肉がたくさん手に入ったもので。」
真宵は愛想笑いで返した。
「おかげで、おかわりができんかったわな。まあ、食いそびれるよりかはマシじゃがな。」
老婆の反対側の席に座っている客も言う。
彼女もまた白髪の老婆だった。
「はは。間に合ってよかったです。」
老婆ふたりはランチタイムギリギリに滑り込むように来店した。
なんとか限定三〇食の『ランチ』の売り切れには間に合ったものの、残念ながら、おかわりには間に合わなかった。
「肉が食えんかったら、お前さんを食ってやるところじゃったぞ。」
老婆は歯を見せて嗤った。
「はは・・・。」
ただの冗談なのだろうが、なんとも複雑な気分になる。
なにしろ、このふたりは鬼婆。人喰い鬼だ。
『安達ヶ原の鬼婆』と『浅茅ヶ原の鬼婆』。
名前は似ているが、別に姉妹でも親戚でもない。ただの人喰い鬼仲間だそうだ。
最近では、人間界とは疎遠になっているので、人は食べず、牛やら豚やらを主食にしているらしい。
少々、とうが立っているが、肉食系女子たちである。
「しかし、この『スペアリブ』ってのはウマイねえ。『黒塚』、あんたが気に入るのもわかるよ。」
老婆が言った。
ちなみに『黒塚』というのは、『安達ヶ原の鬼婆』の通称だ。
あまりに旅人を襲い、犠牲者が増えたために、退治され黒塚という場所に葬られたことから、そう呼ばれる。
対して、こちらの『浅茅ヶ原の鬼婆』は『一つ家』と呼ばれている。
浅茅ヶ原の一軒家で旅人が寝入っとるところを、脳天を大石で叩き割って食べていたらしい。
「アタシが食ったのは豚肉のヤツだけどね。この猪肉でつくったやつもいいねぇ。豚のより、ちょっと硬いけど、そのぶん、味がぎゅっと詰まってる感じだよ。」
「ああ。なんか、骨をいつまでもしゃぶっていたいくらいだよ。」
『一つ家』はもうほとんど肉の付いていないあばら骨をキャンディでも舐めるように、しゃぷりついた。
猪肉の『スペアリブ』は肉質のせいなのかわからないが、豚肉よりも骨にしっかりくっついており、歯でこそぎ落とすようにしないと、きれいに食べられない。
少々、お行儀の悪い食べ方になるが、肉は骨にくっついている部分が一番おいしいと言っている鬼婆にはうってつけの料理かもしれない。
「ホントだねえ。・・・まったく、もう少しはやく知らせてくれたら、あと、二回はおかわりしてやったものを。」
「はは。申し訳ありません。」
この『黒塚』には、『スペアリブ』を作るときには、必ず知らせろと言われている。
いつもは何日か前に、連絡するのだが、今回は急に作ることになったので、今朝早く連絡を入れた。
それでも来店してくれたのだから、鬼婆たちの肉への並々ならぬ執着を感じる。
「そういや、この『スペアリブ』はあのハーブとかいう草の香りがしないんだねぇ?」
『一つ家』が尋ねた。
彼女が『スペアリブ』を食べたのは今日が初めてだが、前に『ローストチキン』を食べたときに香草の匂いに興味を示していた。
「言われてみたら、そうだねぇ。アタシが知っている『スペアリブ』はもっとこう、不思議な匂いがしたけどねぇ。」
『黒塚』が答える。
「あ。今回の『スペアリブ』には香草は使っていないんですよ。ちょっと手に入らなくって。そのかわり、生姜とニンニクをたっぷりつかってます。」
神無月の影響で、人間界に戻れなくなったために、西洋の香草の類は手に入らなかった。
以前、金長が店の近くにじゃがいも畑をつくろうとしたとき、真宵もなにかやってみたいと思った。
ハーブガーデンなんかいいかも。
そう思ったのだが、忙しさに負けてできないままだった。
まさか、人間界に戻れなくなるなどとは思っていなかったのだが、こうなるのなら、やっておけばよかったと、激しく後悔したものである。
「ああ。なるほどね。たしかに、ニンニクの匂いがするよ。前のとは、だいぶ感じが違うけど、こういうのもウマイね。あたしゃ、嫌いじゃないよ。」
「あたしもだね。おかわりできないのが悔しいくらいだよ。」
『一つ家』がチクリと言った。
「・・・はは。に、ニンニクは食べ過ぎると、後で臭って大変ですよ。」
「ふん。こんな婆ぁが、口の臭いなんぞ気にしていられるかい。」
「ははは。干物婆ぁには、男なんぞ寄ってこないからねぇ。」
鬼婆たちは軽口を叩きながら、今日の『ランチ』をすべて平らげてしまった。
「まあ、うまいもの食わせてもらってるのに、文句言うのもなんだがね。今度、『スペアリブ』を作るときは、もっと早めに連絡しておくれ。腹いっぱい食いたいからね。」
「はい。わかりました。」
そう言うと、鬼婆たちはさっさと支払いを済ませ帰って行った。
食べ終わったら長居せず、さっさと帰るのも鬼婆たちの流儀だった。
「においって言えば、たしかに臭うわよねえ。」
真宵は、食器を片付けながらつぶやく。
今日の『スペアリブ』にたっぷりとつかったニンニクの匂いが客席に充満していた。
好きなひとにはたまらない匂いだが、苦手なひともいるかも知れない。
ランチタイムは終わり、これから、お茶やお菓子目当ての客が来店する時間だ。
入ってきた客が不快に思わないといいのだが。
「あ。私はだいじょうぶよね?」
真宵はまわりに気づかれないように、そっと自分の口臭を確認する。
真宵も開店前に、賄いで『ランチ』と同じメニューを食べていた。
いちおう、食べた後、歯は磨いたのだが、こうゆう臭いは自分では気づきにくい。ちょっと心配だ。
「だいじょうぶみたいだけど・・・ん?」
・・・くさい。
いや、自分の口臭のことでなく、料理のニンニク臭のことでもなく、なにか臭い。どこかで嗅いだことのある臭さだ。
どこからかわからないが、そこはかとなく、料理の匂いとは別の異臭が漂ってくる。
「・・・・あの、すいませんでちゅ。」
真宵がにおいの元を探し当てる前に、声が聞こえてきた。
「あら?」
真宵があたりを見回すと、声の主の姿を見つける。
「鉄鼠さん。いらっしゃいませ。」
『鉄鼠』は先月くらいから、たまに来てくれる鼠妖怪のお客さんだ。
身長は低く、真宵の膝か太股くらいまでしかなく、机の影から顔をのぞかせている。
猫妖怪の『ねこまた』や『化け猫』が苦手でいつも、こっそり入って来て、いないのを確認してから席に着く。
真宵は客席を見渡して確認する。
「今日は猫妖怪さんは誰も来ていないみたいですよ。」
それを聞くと鉄鼠は安心したものの、席に着こうとはしなかった。
もじもじした態度で、なにやら言いたそうにしている。
「・・・どうかされました?」
すると、鉄鼠は恥ずかしそうに話し始めた。
「あ、あのでちゅね。実は、私、今日はあまり、持ち合わせがないんでちゅ。」
「はあ。」
「そ、それででちゅね。折り入ってご相談があるんでちゅ。」
「はあ。」
ご相談と言われても、ピンとこない。まさか、タダで食べさせてくれというわけではないだろう。
「前に噂で、ここで食材を買い取ってもらえると聞いたんでちゅ。だから、できたら、これを買い取っていただけないでちゅか?」
そう言って、鉄鼠は後ろから大きな袋を引き摺ってくる。
大きな、と言っても鉄鼠のサイズに比べると、ではあるが、後ろに隠れていた鉄鼠の家族と一緒に力を合わせて、真宵の前まで麻の袋を持ってくる。
「・・・これを、買い取れ、ってことですか?」
真宵が麻袋の口を開ける。
すると、あの異臭がムワッと広がって、真宵を襲った。
「や、やっぱり、ダメでちゅか・・・。」
思わず異臭に顔を歪めた真宵の表情に、鉄鼠たち家族はガックリ肩を落とす。
「・・・せっかく、集めたのにね。」
「ちぇー。お饅頭食べたかったなぁ。」
二人の子鼠たちが残念そうに呟いた。
「しかたないだろう。そんな簡単にはいかないよ。また、なにか仕事して稼いでから、来るとしよう。」
二人の母であり、鉄鼠のつれあいである母鼠が言う。
「あ、あの。これってもしかして、銀杏ですか?」
麻袋の中には、ちょっと皺のはいった鄙びた山吹色の木の実がぎっしり詰まっていた。
秋の味覚としては定番の味覚、『銀杏』だ。
あの、なにやら臭い異臭の原因はこれだったようだ。
銀杏は焼いても、炊きこんでもおいしいが、実は独特の臭いを放つ。
正直、いい臭いとは言えない。
「はい。山で拾ってきました。・・・そうでちゅよね。山に行けばいくらでも落ちているものを買ってくれっていうのは、ちょっとムシがいい話でちゅよね。」
しょんぼりした鉄鼠が、小さな声で言った。
「いえいえ。そんなことないですよ。銀杏なんて、いま一番おいしい時期なんですから。それにしても、こんなにたくさんよく拾えましたね。」
真宵も昔、銀杏拾いに行ったことがある。
けっこうがんばったはずだが、てのひらにのる程度の銀杏しか拾えなかった。
四人いるとはいえ、小さな鉄鼠たちがこんなにたくさんの銀杏を集めるのは、さぞかし大変だっただろう。
「ええ。鼠妖怪は、こうゆう小さな木の実を拾ったり集めたりするのは得意なんでちゅ。」
どうやら、買い取ってもらえそうな気配に気づいて、鉄鼠は声が明るくなる。
「えーと、そんなに高い値段では買い取れないんですけど・・・。」
銀杏は美味だが、さすがに主役という食材ではない。
ランチだと、副菜にするか、ご飯を炊き込みご飯にするか、そんな感じだ。
《カフェまよい》のランチの単価を考えると、そこまで高くは買い取れない。
「や、安くってもかまわないでちゅ。できれば、『お饅頭セット』を四人分くらいいただけると、うれしいんでちゅが・・・。」
「え?『饅頭セット』?」
《カフェまよい》の『饅頭セット』の値段は銭三枚。それが四人分となると、たった銭十二枚だ。
「い、いくらなんでも、そんなに安くはしませんよ。」
そんな足元を見るような商売をする気はない。
無論、あくまで利益の出る範囲でしか買い取れないが、お互い納得できる範囲で良い取引がしたいのだ。
「そうなんでちゅか?」
「そうですね。・・・全部で、これくらいでどうですか?」
真宵が頭の中でそろばんをはじいて、値段を算出した。
かなりアバウトな計算だが、赤字にはならないはずだ。
「そ、そんなにでちゅか!! いいんでちゅか? ただの銀杏でちゅよ!?」
鉄鼠は目を見開いて驚いた。
後ろでは、家族もなにやらざわついている。
「え、ええ。鉄鼠さんがかまわないなら、この値段で。」
銀杏は店で買うと意外と高い。
一度にそんなたくさん食べるものではないせいもあるのだろうが、そこそこ良い値段の食材なのだ。
真宵も正直、普通の値段なら買ってまで積極的にランチに使いたいとは思わない食材だ。
なので、かなり人間界の市場価格よりは安くしたつもりなのだが、鉄鼠には満足する価格だったようだ。
「う、うれしいでちゅ。これで、今日はみんなでお饅頭が食べられまちゅ。」
「やったー!おまんじゅうだー!」
「わーい!!」
「がんばって拾った甲斐があったねぇ。ありがたいことだよ。」
鉄鼠家族は輪になって喜んだ。
「じゃあ、代金をおもちしますね。今日、なにか食べていかれるんでしたら、お席にどうぞ。」
「うわぁああい。おまんじゅう!おまんじゅう!」
「こら!あんまり騒ぐんじゃないよ。ご迷惑だよ。」
喜んで、椅子によじ登ろうとする子鼠たちを母鼠が諌める。
「ふふ。どうぞ、お好きな席に。今日のお饅頭は『栗まんじゅう』ですよ。」
真宵は笑顔で応えた。
読んでいただいた方ありがとうございます。
銀杏ゲットだぜ!編です。
先日、某番組でハムスター特集をやっているのを見て、飼いたくなったりならなかったり・・。
可愛いけど世話とか亡くなったときとかのことを考えると、なかなか・・^^;。




