173 猪突猛食
登場妖怪紹介
『狒狒』
見た目は巨大なニホンザルで怪力の猿妖怪。
よく笑い、その笑い声が名前の由来とも言われる。
『猩猩』
赤と黄色の派手な体毛を持ったオランウータンのような見た目の猿妖怪。
酒好き。
妖異界にただひとつ、人間の店主が営む茶屋 《カフェまよい》。
神無月の影響で、食材の確保が困難になり、営業への影響が懸念されたが、妖怪たちに協力を要請することで、とりあえずのところは窮地を脱した。
山を棲処にしている『山童』は山の幸を持ち込み。
海で漁をする『てなが』『あしなが』は海の幸を持ち込んでくる。
そして、ついに猿妖怪の『狒狒』と『猩猩』がとある悲願を達成していた。
「マヨイ嬢ちゃん、いるかぁ!」
「とうとう、やったじょう!」
ふたりの声が大きく響いた。
本日は日曜日。
《カフェまよい》は定休日である。
当然、店は閉まっており、閑散としている。
「はぁーい。ちょっと待ってください。」
本来なら、週末は人間界に戻り不在のはずの真宵の声が返ってくる。
今月は神無月の影響で戻ることができず、こちらの世界で過ごしていた。
ふたりの声が、どうやら店の玄関からでなく、店の裏手のほうから聞こえたようで、厨房の勝手口を開ける。
「あら。狒狒さん。猩猩さん。こんにちは。」
「うひひ。休みのところ、すまんなぁ。せっかくなんで、はやいほうがいいとおもってなぁ。」
「約束のやつを、持ってきてやったじょう。」
なにごとかと思ったが、それは聞くまでもなかった。
ふたりが真宵の前にドスンと大きな物体を降ろしたからだ。
「凄い!これ、本当におふたりが捕ったんですか?」
目の前には巨大なイノシシがゴロンと横たわっていた。
「うひひ。もちろんだぞぉ。」
「わしら、ふたりで捕ったんだじょう。」
たしかに、狒狒たちの棲む山で、イノシシが山の幸を荒らしているので退治する。捕まえたら店に持ち込むと言ってはくれていたのだが、まさか、ここまでの大物だとは思わなかった。
「ほう。これは見事なイノシシですな。」
「なんの騒ぎかと思っていたら、これか。よく捕れたな。」
騒ぎを聞きつけ、右近と金長も出てきた。
「ウヒヒ。はやく見せたくて、急いで持ってきたんだぞぉ。」
「そうだじょう。でも、ちゃんと血抜きや内臓は処理してきたじょう。」
そう言って猩猩は、イノシシの腹を見せる。
すると、血抜きにつかったのか、喉元のあたりにパックリ開いた傷跡がある。さらに、みぞおちあたりから股下くらいまで腹が開いており、中の内臓はほとんど取り除かれていた。
「た、助かります。ありがとうございます。」
真宵は顔を引きつらせながら礼を言う。
とてもありがたいのだが、ほんの何時間か前まで生きていたイノシシの裂かれた腹を見るのはちょっと複雑だ。
こういった動物の食肉処理にはそこまで抵抗はないつもりだったのだが、さすがに目の当たりにすると、けっこうくるものがある。
独特の獣臭さが強烈で、思わず顔をしかめたくなる。
そういう意味では、血抜きや内臓の処理を終わらせてくれたのはありがたい。
イノシシを捕まえて持ってくると聞いたときは、全部、自分でやる覚悟をしていたのだが、実物を見せられ、この臭いを嗅ぐと、心が折れそうだ。
真宵は自分がやはり現代っ子なのだと自覚した。
「このまま置いておくわけにもいきませんし、解体しないといけませんね。」
「ウヒヒ。そうだなぁ。」
「わしらも手伝うじょう。」
考えた末、厨房ではなく屋外で解体することにした。
衛生的には厨房でやったほうがいいのだろうが、この臭いだ。
換気扇もない、ここの厨房では明日になっても臭いが染み付いたままかもしれない。
明日からの営業のことを考えると、屋外でやったほうがいいだろう。
真宵は、割烹着でガードすると、あらためてイノシシと向き合った。
(い、いくわよ。)
肉切り包丁を構えると、ゴクリと唾を飲み込む。
(まず、頭をなんとかしたわよね。)
なんといっても目が怖い。
当然、死んでいるんだが、瞼が開いたまま固まっているので、どこか一点を凝視しているようで、生き物感がどうしても拭えない。
鶏とかもそうだが、頭がついていないと一気に扱いやすくなる。
(よし!)
真宵は、意を決すると、イノシシの首元に包丁を突き立てた。
(か、かたい。)
肉の部分も弾力があって、スパッといかないのだが、骨にぶち当たると、真宵の力ではどうにもならない。
また、普通の肉きり包丁では大きなイノシシの首を落とすには少々頼りない。
首を切り落とすどころか、差し込んだ包丁を引き抜くのもたいへんなくらいだ。
「あの、失礼だが真宵殿。いきなり、その包丁で首を落とすのはあまり効率のいいやり方とは思えないのですが・・・。」
「ああ。俺もそう思う。先に皮を剥いだほうがいいんじゃないのか? それとも、なにか理由があるのか?」
後ろで見ていた金長と右近が尋ねる。
真宵はふたりの言い方からなにか感じ取った。
「あの。もしかして、おふたりとも、イノシシを解体した経験があるんですか?」
なんとなく経験者のようなものの言い方だ。
「ええ。『久万郷』にもイノシシはたくさんいますから。定期的に狩らないと山や畑を荒らすので。」
「俺は何度か手伝ったことがあるだけだがな。この辺ではイノシシは貴重な蛋白源だ。」
盲点だった。
無理して知識のない真宵がやらなくとも、経験者が二人もいた。
よくよく考えてみれば、狒狒と猩猩もなにも言わなくても血抜きも内臓処理も見事にやってくれていた。処理の出来から見ても、今回、初めてやったという感じではない。むしろ、ベテランの域だ。
「マヨイどの。もしかして、イノシシを解体したことがないのか?」
右近に、逆に聞かれた。しかも、ものすごく意外そうに。
「え、ええ。さすがに、こうゆうのは、ぜんぜん。」
魚なら生きたままでも、いくらでも扱っているが、正直、動物のこういったことは得意分野とはいえない。
「意外だな。マヨイどのが料理に関して苦手分野があるだなんて。」
「ええ。肉でも魚でも菓子でも、あらゆる料理に精通しているのだと思ってました。」
思い切り不思議そうに見つめられた。
真宵にしてみれば心外だ。
(いやいやいや。普通、イノシシの解体なんてできないですから!)
現代の日本でイノシシの解体ができる二十代女性がどれくらいいるだろうか?
だいぶ慣れたつもりでいたが、ここにきて異世界ギャップを痛感していた。
しかし、そういうことなら話ははやい。
いつもは真宵がふたりに料理を教えている立場だが、今回は教師役と生徒役を交代してもらおう。
「あの。おふたりにお任せしていいですか? 私、お手伝いしながら勉強しますから。」
右近と金長は顔を見合わせた。
「・・・なんだか、こそばゆいですな。我らが、真宵殿になにかを教えるというのは。」
「俺より金長どののほうが適任だろう。経験も豊富だろうしな。俺も助手にまわろう。なんでも指示してくれ。」
「わかりました。」
金長は、真宵から包丁を受け取ると、イノシシの後ろ足の足首にぐるっと切れ目を入れた。
「やり方は何種類かあるとおもいますが、『久万郷』ではこのやり方が主流です。」
そう言うと、金長はまるで服を脱がせるように、イノシシの皮を剥いでいった。
皮を剥ぐと、なかはきれいな薄桃色の脂肪と暗紅色の赤身肉が顔を出す。
こうなると、完全に生き物よりも食肉に見えてくる。
感想はといえば「おいしそう。」と言いたくなる。
皮を下半身からスカートをめくりあげるように剥いでいき、最後に先ほど真宵が苦慮した頭に行き着いた。
「首は骨を避けて、肉だけ切るようにするんです。包丁で骨を断つのは難しいですからね。」
金長は真宵にわかりやすいように、右近に剥いでいる途中の皮を持ち上げてもらい、首元に包丁をいれる。
「骨は切るよりも、はずしたほうがはやいと思います。この部分の骨なら、少し力を加えると容易にはずれますから。」
そう言って、金長はイノシシの頭を捻ると、まるで人形の頭でもはずすように、もいでしまった。
あまりにきれいに剥いでしまったので、首つきの毛皮はそのまま敷物にでも使えそうなくらいだ。さすがに頭はそのままなので生生しいが、胴体の毛皮は捨てるのが惜しく思えてしまう。
「それで、真宵殿。肉はどのように分ければいいのですかな?」
「え?」
どのように、と問われても、ド素人の真宵にはわからない。
「部位別にしたほうがいいとか、できるだけ細かくわけたほうがいいとか、ここの骨は付けたままのほうがいいとか、なにかありますか?」
「ああ。そうゆうことですか。」
意図は理解したが、真宵としても、この肉をどんな使い方をするかまでは明確に決めているわけではなかった。
少し、思案した後で考えを伝える。
「えーと。できれば、部位ごとに別にしてもらえますか? あと、アバラ肉のとこだけは骨付きでお願いします。」
とりあえず、思いついたのは『スペアリブ』だ。
ランチで何度か作った人気メニューだし、元々、豚肉だけでなく羊肉や牛肉でも作られる。猪肉でつくっても、きっとおいしいはずだ。
なので、アバラ肉は骨付きのほうがいい。
他の部位は、すぐに用途がおもいつかなかったので気にしないことにした。
「わかりました。では、某がバラしますので、右近殿が、骨抜きをお願いできますか?」
「わかった。」
そう言うと、金長はイノシシの太ももだった部分の付け根に包丁を入れる。
股関節の部分から切り離された猪の後足は、まるで、巨大な棍棒のようだった。
金長は後足の肉の塊を、右近に渡す。
「じゃあ、俺は、厨房で骨抜きをしてくる。」
そう言って、右近は肉を持って、勝手口から厨房に入っていった。
その後も、金長はどんどん手馴れた手つきで、イノシシをバラバラにしていく。
バラした肉は、狒狒や猩猩が手伝ってくれ、片っ端から厨房へ運ばれていった。
こうなると、真宵がする仕事は特になかった。
いいだしっぺの自分が楽をするのは申し訳ないと思ったものの、せっかくなので、しっかり、金長の仕事を見学させてもらうことにした。
こういった機会は、そうあるものではない。
そうして、たっぷり三時間近くかけて、あの大きなイノシシは無数の肉の塊になって、厨房のテーブルに並べられた。
最初のまるごとのときは、けっこうな獣臭さだったのに、こうやって肉だけになると、まったく臭いは気にならなかった。
とりあえず、直近で使うぶんを残し、あとは冷凍することにした。
ちょうど、夏限定のメニューである『カキ氷』が終わってから、冷凍庫にはスペースに余裕があったので幸いだ。
「ウヒヒ。明日の『ランチ』は猪肉かぁ?」
狒狒が尋ねる。
「そうですね。せっかく、こんなに猪肉が手に入ったんですから、使わないてはないですよね。」
真宵が答えた。
「おお。それは、ぜひ、食べにくるとするじょう。」
猩猩はうれしそうだ。
「あ。そうだ。狒狒さん、猩猩さん、もし、よければ、今日の晩御飯、ウチで食べませんか?」
「ウヒヒ。いいのかぁ?」
「ええ。猪肉の試食もかねて、なにか作りますので、ぜひ、食べに来てください。」
「それは、うれしいじょう。ぜひ、ご招待にあずかるとするじょう。」
猿妖怪たちは諸手を挙げて喜んだ。
「あ。でも、ちょうど、時間が中途半端ですね。よかったら、母屋で休んでてもらってけっこうですけど、どうします?」
今の時間は、午後三時を過ぎたあたり。
夕食の準備にかかるのにはちょうどいいが、狒狒たちが一度、自分たちの山に帰るにしては微妙な時間帯だ。
また来る手間を考えるなら、ここで休憩していたほうがいいかもしれない。
「ウヒヒ。だったら、ちょっとひとっ走り行って、残り物を埋めてくるぞぉ。」
「そうだじょう。ああゆうのは、放っておくとよくないじょう。」
「残り物?」
どうやら、解体したイノシシの残骸のことを言っているらしい。
大きなイノシシだったので、頭や皮だけでなく、骨や筋など、食べられない部分がけっこうでた。
「わざわざどこかに埋めに行くんですか?」
「ウヒヒ。どこにでも埋めると腐って臭うし、それを目当てに動物がよってくるんだぞぉ。」
「そうだじょう。だから、山にでも持っていって埋めないとだめだじょう。」
「なるほど。そうゆうものなんですね。」
またひとつ勉強になった。
「ウヒヒ。埋めておけば土に還るし、他の獣が掘り返しても、それはそれでいいんだぞぉ。」
「そうだじょう。無駄にはならないじょう。」
真宵は感心した。
現代人だと、ゴミと言えば、ついつい回収してもらっておわりという気になってしまう。
リサイクルだなんだと言っても、ゴミを出さないように減らすようにするのが関の山で、自分たちの生活が生態系とサイクルのひとつに組み込まれているような感覚はあまりない。
だが、山で棲む猿妖怪にとっては、それは当たり前のことなのだろう。
「じゃあ。お言葉に甘えてお願いします。なにからなにまですいません。そのかわり、おいしいご飯を作って、待ってますね。」
「ウヒヒ。楽しみだぞぉ。」
「まかせておくじょう。山に埋めたら、すぐ帰ってくるじょう。」
猿妖怪たちは、猪の残骸をひとつに集めると、袋に包んで山へと運んでいった。
その後姿を見送りながら、真宵は思う。
(うーん。今日は、いろいろ勉強になるわね。)
肉を食べるというのは、他の動物の命を奪い、頂くということ。
肉屋やスーパーに並んでいる肉は、誰かが、血を抜き皮を剥ぎ肉を裂いて、食べやすくしたものだということ。
生き物の命はすべて、輪のようにつながっていること。
頭では解っていても、あまり実感する機会はない。
今日は、少しだけだが、それを体験できた気がする。
真宵はなにか、いつもと違う充実感を覚えていた。
読んでいただいた方ありがとうございます。
猪肉GET編です。
猪肉は自分も二回くらいしか食べたことありませんが美味しかったです。
まあ、お店でプロが扱ったやつですからあたりまえかもしれませんが^^;。
次回も猿妖怪さんと猪肉のおはなしです。




