172 みんな一緒に試食会
登場妖怪紹介
『しののめ』
久万郷から牧場に移住してきた女狸妖怪。
サイドテールの髪で細身。少々勝気。
『あさけの』
久万郷から牧場に移住してきた女狸妖怪。
髪を後ろで結っている。お色気たっぷりナイスボディ。
『件』の牧場。
『遠野』の一角にある牛妖怪『件』が管理している牧場。
頼めば牛肉も牛乳もわけてもらえるが、営利目的は二の次で、一言でもしゃべると死んでしまうという宿命の『件』が生まれ変わるために牛の出産を管理している。
つい先日、この牧場を手伝うために、『久万郷』から五人、狸妖怪が移住してきた。
一旦、牛酪作りは金長ら狸妖怪に任せ、真宵と右近は件に案内してもらい、台所を借りた。
台所といっても、件が生活している小屋のそばに、釜戸がふたつ設置されているだけの簡素なものだ。一応、雨がしのげるように屋根らしきものはついているが、壁はなく、完全に屋外だ。
「マヨイどの。なにか作ると言っても、そんな材料は持ってこなかったはずだが?ここにはじゃがいももないだろうし。」
右近が言った。
右近にとっては、バターといえば、まず『じゃがバター』が思い浮かぶ。
右近の得意料理だ。
「ええ。簡単にちょっとつまめるものを作ろうと思いまして。件さん、小麦粉を少し分けてもらえますか?」
件は牛の頭をコクコクと縦に振った。
身振り手振りで食材や調味料を置いてある場所を教えてくれる。
「あとは、牛乳を少し。バターを作るのにたくさん使いましたから余ってますよね?」
また件は、コクコクと頭を振ると、自分で取りに行ってくれた。
「あ。ここも薪をつかった釜戸なんですよね。自分で火をおこさないと。」
人間界では、ガスやIHをつかっているし、こちらの世界でも、『かまど鬼』にまかせっきりなので、真宵はこういった釜戸の火起こしには慣れていない。
すると右近が、釜戸の傍に置いてあった薪を数本、釜戸の中に放り込むと、指をパチンと鳴らすだけで、釜戸の中にポッと火が点る。
以前、『鞍馬山』で古道が同じ事をやっていた。
「あ。すごい!右近さんも古道さんと同じことができたんんですね。」
右近は複雑そうな表情で真宵を見る。
「・・・古道にできて、俺にできないわけがないだろう。」
真宵としては褒めたつもりだったのだが、そうはとられなかったらしい。
この世界にいる妖怪たちは、人間にはできないいろいろなことができる。
マッチもなしに火を点けたり、風を起こしたり、水を操ったりと、多種多様だ。
人間である真宵からすると、超能力のようなものなのだが、妖怪たちにとってはあたりまえのことで、驚くにも値しないらしい。
「たすかりました。じゃあ、さっさと作っちゃいましょうか。その小麦粉を器に入れてもらえますか?件さんが牛乳を持ってきてくれますから、それを入れて混ぜてください。」
「饅頭の生地でもつくるのか?餡子は持ってきていないぞ?」
右近がそう思ったのは無理はない。
《カフェまよい》では小麦粉は主に、饅頭をつくるときの生地につかわれる。
「ええ。似たような感じです。」
真宵はニッコリと微笑んだ。
一刻ほど後、作業小屋の前にテーブルをひとつ用意してもらった。
普段、件が生活している小屋は小さく、全員が入るには少々手狭で、狸たちが新しく作った小屋も、寝泊りするのにつかっているだけで、布団をおいて雑魚寝しているだけらしいので、屋外で食べることにした。
「おまたせしました。」
真宵は持ってきたものを、テーブルの真ん中に置く。
皿の上には、山のようにパンケーキのようなものが重ね積まれていた。
「これなーに?」
見慣れない、薄いきつね色をした食べ物を見て、しののめという女狸が聞いた。
「えーと。パンケーキ?クレープかしら? とにかく、小麦粉と牛乳と卵を混ぜて薄く延ばして焼いたものですよ。」
「へーえ。」
ベーキングパウダーなどがないので、パンケーキほどは膨らまなかった。
どちらかといえば、ぶ厚めに作ったクレープに近いだろう。
「はじめて見るけど、いい匂いッスね。」
晋平という狸が、一枚、クレープを取ると、端をちぎって味見する。
「うん。悪くないッスよ。ほんのり甘くって、何枚でも食えるって感じ。」
「あんた、お行儀悪いわよ。」
しののめが、晋平を小突いた。
「そのままでも、食べられますけど、せっかくなんで、これをつけて食べてください。」
そう言って真宵が出したのは、先ほど作ったばかりのバターだ。
竹の節を半分に割った器に入っていた。
「へえ。牛酪を付けて食べるんだ?」
パンやクレープなど小麦粉製品にバターは定番中の定番なのだが、そもそもこの世界にはパン食の文化がないため、妖怪たちには奇妙に映るらしい。
バターも、基本的に薬として扱われることが多いようだ。
真宵がスプーンで、たっぷりめに付けてあげる。
「ん!ウマイ! 牛酪つけたらムチャクチャうまいッスよ!」
晋平は、バターのついたクレープを折りたたむように、口の中に押し込む。
「ほんと?あたしも食べたい。」
「俺も!」
狸妖怪たちが群がるようにテーブルに集まってくる、
それぞれクレープを手に取ると、バターを付けてもらい、かぶりついた。
「あら。ほんと。おいしいわ。」
「うん。牛酪の塩味と甘みがすっごいおいしい。卵の味もするね。」
皆、夢中で食べている。
「・・・これは、たしかに興味深い味です。真宵殿。あんな短い時間でこれを作ったんですか?」
金長が尋ねた。
金長は、牛酪つくりのほうを手伝っていたので、クレープ作りには立ち会っていなかった。
「ああ。俺も手伝っていたが、驚くほど簡単だった。材料を混ぜて、鉄板で焼いただけだからな。材料も特別なものはつかわなかったし。」
代わりに右近が答えた。
ふたりとも、ひとくちひとくち確かめるように、クレープを味わっている。
「では、これは『久万郷』でも作れるということですか?」
さらに金長が尋ねた。
「ええ。バターさえあれば、誰でも簡単に作れると思いますよ。」
真宵の言葉に、金長は、ますます真剣にクレープの味を確かめる。
「ねえ。あたし、もう一枚食べてもいい?」
しののめが聞いた。
まだ、クレープはたくさん残っていた。
「ええ。でも、今度はこっちもためしてみてもらえますか?」
そう言って、真宵はまた新たなものを出してきた。
「・・・なにこれ?」
しののめは怪訝な表情で、それを見つめる。
器にはなにやら真っ白な泥のようなものが入っている。
「それ、食べ物なの? 石鹸みたいだけど?」
見たこともない物体に、不安で顔を曇らせる。
それくらい、しののめの知ってる食べ物とはかけ離れていた。
それは、ほかの狸も同じようで、皆、微妙な反応で、それを見ている。
「ふふ。これ、『リコッタチーズ』っていうんです。ほら、さっきバターを作るときに、水分が分離したでしょう?あれを使って作ったんですよ。」
「ええ?だって、あれ、ただの白い水みたいだったわよ?」
目の前のものは明らかに固体だった。
雪のような泡のような石鹸のような、奇妙な物体である。
「ええ。乳清とかホエーとかいうんですけど、あれと牛乳を一緒に温めて、最後にお酢を加えると、こんなふうに固まるんですよ。」
カッテージチーズともいう、もっともお手軽に家庭でも作れるチーズだ。
お酢の代わりにレモン汁をつかうと、風味がよくなるのだが、こちらでは手に入らないので断念した。
「ふぅん。でも、おいしいの?これ?」
しののめは怪訝そうに、匂いを嗅ぐ。
「ふふ。ものは試しです。とりあえず食べてみてください。」
真宵は、クレープを一枚取ると、これでもかとたっぷりチーズをのせ、上に店から持ってきた蜂蜜をたらして、しののめの前に差し出す。
「は、蜂蜜もかけるの?これ、お菓子なの?ご飯じゃなくて?」
「え、えーと。どうなんでしょう?」
こういう料理を、食事か菓子かではっきり分別するのは難しい。
パンケーキもクレープも食事として食べることもあれば、間食扱いのときもある。
最近の流行のように、生クリームを山盛りにして食べることもあれば、野菜やベーコンと一緒に食べることもある。
蜂蜜をかけたピザなどは、ピザ自体は塩味だし、食事なのかデザートなのか、真宵にもよくわからなかった。
「な、なんだか、食べにくいわね。」
しののめはチーズののったクレープを、茶巾寿司のように折りたたむと、恐る恐るかぶりつく。
「!! なにこれ!? おいしい!」
初めて食べる味だったが、しののめはその味に驚愕する。
「ちょっと、ケノ。あなたも食べてみなさい。これ、すごいおいしいわよ。」
ケノ。もうひとりの女狸、あさけのの通称である。
しののめとあさけのは、しの、けの、と呼び合う。
血のつながりはないが、姉妹のように仲の良い女友達だ。
「ほんと?ねえ。私ももらっていいかしら?」
「ええ。もちろん。」
真宵は、あさけのにも同じように、チーズをたっぷりのせたクレープを渡す。
「!! あら。ほんとうにおいしい。ちょっと酸っぱくって、蜂蜜の甘さとあってますね。私、牛酪のより、こっちのほうが好きですわ。」
「あたしも!」
ふたりの女狸たちには大好評のようだ。
チーズと甘いものといえば、女の子の好きなものの代表格だ。
どうやら、狸妖怪でもそれはかわらないらしい。
「俺も食いたいッス!」
「僕ももらっていいですか?」
最初、躊躇していた他の面々も、しののめたちのの反応を見て、食いついてきた。
真宵は、順番のに作って渡していく。
「なんとも、不思議な味ですな。しかし、うまい。真宵殿、この『ちぃず』というは、牛酪とともに売り物になるのではないですか?」
金長が尋ねる。
しかし、真宵は、うーん、と複雑そうな顔をする。
「そうですねえ。でも、このチーズって、ちょっと問題もあるんですよね。」
「問題?」
「ええ。けっこう、いたむのが早いんです。冷蔵庫に入れても三、四日くらいしかもたないし。」
冷蔵庫が普及していないこの世界ではもっとはやいだろう。これから寒くなるとはいえ、それはさほど変わらない。
「なるほど。それはたしかに厳しいですな。」
とくにこの世界は流通が確立されていないので、販売経路の問題もある。
保存が利かないというのは、大きな弱点なのだ。
「・・・だとすると、これを『久万郷』に送るというのは無理ですか。」
金長はつぶやく。
狸妖怪たちの故郷である『久万郷』の食生活の向上のために働いている金長にとっては、残念な事実だ。
「だいじょうぶッスよ。俺たちがここで勉強して、『久万郷』でも作れるようにしてみせますから!」
晋平が言った。
「そうです。絶対に自分たちでも作れるようになってみせます!」
文吾も同じ意見のようだ。
彼らもまた、故郷のために、わざわざこの『遠野』まで働きに来たものたちなのだ。
「そうだな。酪農もあちらでできるようになれば、この『ちぃず』とやらも作れるようになる。そうすれば、『久万郷』の皆にも、この味を食わせてやることもできるだろう。頼んだぞ、お前たち。」
「まかせといてください!」
「まよいさん。この『チーズ』ってやつの作り方、教えてくださいね。」
「ええ。簡単ですから、後で、レシピを書いておきます。すぐ作れるようになりますよ。」
「ふふ。そうしたら、チーズ食べ放題ね。楽しみだわ。」
「おい。自分たちで食ってばかりでどうするんだ。材料はここの商品だぞ。」
文吾の言葉に、皆がドッと笑った。
「ふふ。だいじょうぶですよ。乳清はあまり使い道がないんで、いくら食べても。」
乳清はチーズやバターを作るときに大量に出る。
乳糖が含まれていて、ほのかに甘いし、栄養価も高いのだが、いかんせん腐りやすいのであまり活用されていない。
最近では、ホエー豚といって、豚に飲ませるのが流行っている。肉質がやわらかくなるらしい。
逆に言えば、豚に飲ませるほど大量に出て、豚に与えるくらいしか使い道がないのだ。
「こうゆうのも、あるんですよ。」
真宵は大きな水差しから、白い液体をコップに注ぐ。
「その乳清を牛乳と混ぜて、ちょっと蜂蜜で甘くしました。」
乳清飲料というやつだ。
「あ!甘い。そんでうまい!」
「うん。牛乳よりさっぱりしてる感じ。おいしいよ。」
こちらは女性陣より男狸に人気のようだ。
「いまのとこ、バターを作る以外、牛乳も乳清も使い道がみつかってないですからね。どんどん飲んでもかまわないと思いますよ。栄養もありますし。」
牛乳も、あまり飲む文化がないせいで、余っているらしい。
保存できるタイプのチーズが作れれば一番なのだが、ああいったチーズは、バターとは比較にならないくらい難しい。
温度や湿度の管理、発酵につかう菌。なかにはブルーチーズのようにわざとカビをはやすものもある。
素人に簡単にできるものではない。
人間界に戻ったら、調べてみるつもりだが、それは来月の話だ。
もったいないので、捨ててしまうくらいなら、どんどん狸たちで飲んでもらったほうがいいと思う。
「牛乳も乳清も使い放題。いい職場よね。あとは、蜂蜜ね。ねえ、この近くの山でも蜂蜜は採れるんでしょう?」
しののめが聞いた。
「ああ。だが、蜂の巣を見つけるのはけっこう大変だぞ?」
件を除けば、この辺の地理に詳しい右近が答える。
「ふふふ。あたしたち狸の嗅覚を舐めてもらっちゃ困るわ。烏天狗さんの鼻とは出来が違うのよ。」
狸たちが笑う。
「よし!明日から、山に入って蜂蜜探しだ。」
「まかせろ!」
盛り上がる狸たちに金長がドスのきいた声で、苦言を呈する。
「お前たち。自分たちの仕事がなんだかわかっているんだろうな。牧場仕事をおざなりにするようなら、ただではおかんぞ。」
「わ、わかってますよ。仕事の合間にってことですよ、なあ?」
「そうそう。これでも、ちゃんと牛の世話は手伝ってるんだから。な、件さん。」
すると、件はニッコリ微笑んだ。
しゃべれないが肯定ということだろう。
狸妖怪と件。うまくやっていけるかと懸念していたが、いまのところ仲良くやっているようで一安心だ。
「ねえ。私、もう一枚もらってもいいかしら?」
よっぽど気に入ったのか、あさけのがリコッタチーズのクレープを欲しがった。
「ええ。もちろん。たくさん食べてくださいね。」
真宵は笑顔で応えた。
読んでいただいた方ありがとうございます。
牧場編つづきでございます。
牧場の話とか、五人の狸の話とか、また書く予定ですのでよろしくおねがいします。




