169 酒は呑んでも呑まれても
《カフェまよい》従業員紹介
『真宵』
店主。
メニューの構成から、仕入れ、調理、金勘定まであらゆることをやっている。
客とも触れ合いたいと、たいてい『ランチ』が売り切れたあたりから、客席に出て接客もこなす。
土日の定休日も店のために走り回っており、ほぼ休みなしと言っても過言ではない。
だが、本人は充実しているようだ。
妖異界にただひとつ、人間の店主が営む茶屋 《カフェまよい》。
多くの妖怪に愛され、常連客も多い。
要望にはできるだけ応えようと日々努力しているが、ひとつだけ、店主である真宵が一部の客の熱望を頑として拒否している件がある。
酒は提供しない。
あくまで甘味茶屋で、酒屋でも飲み屋でもない。
譲れない真宵のポリシーである。
「いらっしゃいませー。お好きな席へどうぞー。」
今日も元気な真宵の声が店に響き渡っていた。
今月は真宵が人間界に戻れなくなるというトラブルが起こり、食材確保に奔走しなくてはならなくなったが、それもなんとか目処がつき、一安心というところである。
それもあってか、今日は真宵は一段と元気がいい。
「マヨイ殿。今日はなにやら、はりきっておるのう。」
客席で、好物の『おはぎ』をつまんでいた常連の妖怪『ぬらりひょん』が真宵の姿を見て言った。
「ええ。今週はなんだかんだありましたけど、いろんな妖怪さんに協力してもらって、うまくいきそうですからね。やる気もでるってものです!」
「そんなもんかのぅ。」
ぬらりひょんは、さほど興味もなさそうに茶をすする。
「元気いっぱいですよ!だから、食い逃げなんかしたら、ただじゃおきませんからね。覚悟しといてください。」
ちょっとだけにらんで、釘をさす。
「信用ないのう。こんなに足繁く店に通っておるというのに。もうちょっと信用してくれんかのう。」
「そのぶん、足早に食い逃げしてるじゃないですか。どの口で信用なんて言ってるんですか。」
そんな軽口をたたきながら、接客仕事を楽しんでいた。
暇というほどではないが、お客と話をするくらいの時間はとれる客の入り。
座敷わらしも手伝ってくれているので、テラス席を含めてもけっこう余裕がある。
そんななか、ひとりの客が来店した。
「いらっしゃいま・・・。」
「店主はおるかーーーーー!!!」
真宵が声をかけ終わる前に、ドスドスと大股で店に入ってくる。
二メートルはある大男で、赤ら顔のに口から牙をのぞかせている。
そしてなにより頭の天頂に一本、角が突き出ていた。おそらくは鬼の一族なのだろう。
「は、はい。私が店主の真宵といいますが、なにか?」
いきなりの登場に気圧されながらも、なんとか答える。
すると、鬼はズカズカと真宵のすぐ近くまでやってきて、真宵の顔を覗き込む。
「なんでじゃああああああ!!」
「ええ?」
いきなり、鬼が大声で叫んだ。
「な、なんで俺を呼ばんのじゃあああああ!!!」
「よ、呼ぶと申されましても・・・・・。」
真宵にはなんのことやらさっぱりわからない。
ただひとつだけわかることがあった。
(お、お酒臭い。)
鬼の息から体臭から、酒の臭いがプンプン漂ってきた。
ちょっと一杯、ひっかけてきました。みたいな程度ではない。
かなりのアルコール臭だ。
「おい。マヨイ殿。こやつ『酒呑童子』ではないか。おまえさん、いったいなにをやったんじゃ?」
ぬらりひょんが聞く。
「しゅ、しゅてんどうじ。・・・童子って。」
なにをやったと聞かれても、まったく思い当たる節がなかった。
それにしても、この妖怪。酒呑童子というらしいが、どう見ても童子には見えない。
赤ら顔と少し伸びたくせっ毛、顎には無精髭が生えている。どう贔屓目に見ても二十代後半だ。
「なんじゃ。『迷い家』のやつ、また、やっかいなのを入れおったのう。」
いつの間にか、隣に座敷わらしが立っていた。
「座敷わらしちゃんも知ってるの? こちらの妖怪さん。」
「ああ。まあ。有名なやつじゃ。『酒呑童子』という。」
「童子って、ぜんぜん童子じゃないような感じなんだけど。」
「童子というのは子供という意味もあるが、寺で修行する出家前の男を指す。こやつは寺で修行中に鬼になって飛び出した妖怪じゃ。その時に名前をそのままつかっとるだけじゃ。たいした意味はない。」
「ああ。なるほどね。」
見た目は幼女でも、長い年月を生きた妖怪だけあって、こういったとには詳しい。まさに生き字引だ。
「おお!座敷わらしではないか。お前もここで働いておるんじゃろう? なんで、俺を酒宴に呼ばんのじゃああああ!!」
「酒宴?」
「お、俺は悲しいいいいいい。聞いたとこによると、『うわばみ』も『濡れ女』も『猩猩』もみんな呼ばれたそうではないか。それなのにいいいいいい。」
「な、なんのことかわかる?座敷わらしちゃん。」
「酒と言うからには、たぶん、祭りのことじゃろう?」
「え?だって、お祭りってお盆の前にやったのよ。今、もう十月よ。何で今頃?」
タイムラグがありすぎる。
二ヶ月前のことを、いまさら言われても、どうしようもない。
「あ、あの。酒呑童子さん? あれは、お店のお客さんを呼んでやったお祭りで、お酒って言っても梅酒を何杯か振舞っただけで、酒宴なんてほどのものじゃないんですよ。」
「でも、酒がでたんだろう? なんで、俺を呼んでくれないいいいいい。俺はだれよりも酒好きなのにいいいいい。」
「いや。そんなこと、言われても・・・。」
誰も酒が好きかどうかで招待客を選んでいない。
「お、お、お、俺は悲しいいいい。」
酒呑童子の目から大粒の涙がボロボロとこぼれ出してきた。
「え?ちょ、ちょっと泣き出しちゃったわよ。この鬼さん。」
意外な展開に、思わずまわりに助けを求める。
「今日は泣き上戸らしいのぉ。まあ、良くもなく悪くもなくってとこか。」
ぬらりひょんが言った。
「え?どうゆう意味ですか? てゆうか、泣き上戸なんですか?この鬼さん。」
おおきな図体と厳つい顔からは想像できない。
「うーむ。泣き上戸で、笑い上戸で、怒り上戸で、たまには説教もしだすし、暴れたりもする。まあ、なんでもアリじゃな。」
座敷わらしが言う。
「な、なんなのよそれ? そんな酒癖あるの?」
真宵も二十歳はこえているし、会社勤めもしていたので、酒の席のひとつやふたつでたことはある。
酒癖の悪い大人にも会ったことはあるが、そんなカメレオンみたいな酒癖は聞いたことがない。
「うおおおおお。なんで俺を仲間はずれにするんだああああ。」
「ちょ、ちょっと、そんな、人聞きの悪い。」
仲間はずれも何も、今日、初対面の妖怪を二ヶ月前の祭りに誘えなどとは無理な相談だ。
だいたい厳つい顔の大男が、お祭りに呼ばれなかっただけで号泣するなど、わけがわからない。
「お、俺はああああ。俺はああああああ。」
ますます大声で泣き出す酒呑童子に、真宵は手を焼いた。
こんな大声で泣かれたら他の客に大迷惑だ。
「ちょ、ちょっと。とりあえず落ち着きましょう。ね? お話はちゃんと聞きますから。立ったままじゃなんだから、席に座ってください。」
真宵は他の客の迷惑にならないよう、一番奥の席に誘導する。
「ちょっと座って待ってってください。お水持ってきますから。」
真宵が厨房に入ると、中で右近が仕事をしていた。
この時間の厨房担当は右近だ。
「どうした?マヨイどの。注文か?」
なにやらちょっと様子が違う真宵を見て、右近が尋ねた。
「う、うん。だいじょうぶ。お水をもらいに来ただけ。自分でやるわ。」
そう言って、ひとつコップをとると、『沢女』のいる水瓶のところに行って水を汲む。
「お水をもらうわね。沢女ちゃん。」
沢女のいる水瓶の水はいつもきれいで、冷たい。
沢女はしゃべらず、ただ、にっこりと微笑んだ。
「水でいいのか? 茶じゃなくて。」
右近が尋ねる。
「ええ。ちょっと、お酒を飲みすぎた妖怪さんが来ちゃって。お茶より、水のほうがいいとおもうわ。」
たしか、アルコールの分解には水が必要なはずだ。
それに、呑み過ぎた後には沢女のつくる冷たい水はごちそうだろう。
「まったく。うちは居酒屋でも角打ち酒屋でもないのにね。」
真宵は文句を言いながら、水を持って、客席へと戻っていった。
真宵が戻ると、また、事態は変わっていた。
さっきまで、オイオイ泣いていた酒呑童子が、今度はテーブルに突っ伏して、いびきをかいて寝ていたのだ。
「ね、寝ちゃったの?」
「うむ。まったく、怒ったり泣いたり眠ったり、忙しいヤツじゃ。」
座敷わらしも呆れていた。
「どうする?右近と金長を呼んで、外に放り出すか?」
「だ、ダメよ。そんなことしちゃ。しばらく、寝かしておきましょう。少し寝たらお酒も抜けるでしょうし。」
「ちょ、ちょっと待ったあぁぁぁぁ。」
真宵たちが、その場を離れようとすると、ある声が呼び止めた。
「なんですか?面霊気さん。」
声の主は『面霊気』。壁に飾ってある翁の面だった。
面霊気は、ついこの間まで人間界におり、真宵がこの世界に連れてきた。
長い間、蔵の中にしまわれていたために、ひとの集まる場所にいたいと、客席の一角に飾られている。
たまに、客の妖怪に話しかけたり、客のほうも、人間界の話を聞きたがったりして、盛り上がっている。
「なんですかじゃないわぁぁ。こんないびきのうるさいやつ置いていかれたら、うっとおしくてたまらんわぁ。」
幸か不幸か偶然か、酒呑童子がぐうすか寝ている席は、面霊気のすぐそばだった。
「て、言われてもねえ。酒呑童子さん、寝ちゃっているし。」
「そうじゃな。無理に起こすと暴れだすやもしれんし、放っておいたほうがようじゃろう。」
「そんな殺生なああぁぁぁ。」
面霊気の訴えは聞き入れられず、ふたりはさっさと仕事に戻ってしまった。
真宵の予想では小一時間で目を覚ますだろうと思っていたが、酒呑童子は延々と眠り続けた。
途中で様子を見にいこうとも思ったのだが、その必要はなかった。
客席じゅうに、酒呑童子のいびきが響いていたからだ。熟睡しているのは見に行かないでも丸わかりだった。
他の客に申し訳ないとおもったのだが、客の反応は以下の通りだった。
「酒呑童子か?なら、文句言ってもしかたないな。」
「酒呑童子? 災難ねぇ。まあ、そんなこともあるわ。気を落とさないで。」
「誰かと思ったら、酒呑童子かよ。かわんねぇな、あいつも。」
「なんだ、やっぱり、酒呑童子かい。ドンマイドンマイ。気にしないこったよ。」
よくわからないが、要約すると「酒呑童子ならしかたない。」ということらしい。
どうやら、本当に有名な妖怪であるらしい。
いい意味でか悪い意味でかはわからないが。
結局、閉店間際まで眠り続け、さすがに起こさないと片付けができないと思ったあたりで、やっと起きてきた。
「いやあー。スマンスマン。つい寝ちまったようだ。」
起きてきた酒呑童子は、多少はお酒が抜けたようで、幾分スッキリした顔だった。
赤ら顔は酒のせいでなく、もともとだったようである。
「いえ。こちらこそ、なんのおかまいもできませんで。」
真宵は少し顔をひきつらせながら、社交辞令を言った。
「いやあ。いい店だ。こんな寝心地のいいのはひさしぶりだ。気に入ったぞ!」
「いえ。うちは、ホテルでも仮眠室でもないんで、寝心地を褒められましても・・・。」
また、寝に来られても困る。
「ふはは。それじゃあ、帰るとする。店主よ。今度、酒宴を開くことがあれば、必ず呼んでくれよ!」
「はあ。酒宴を開くことはないと思いますけど、万が一、開くんであればちゃんとお呼びします。」
「ははは、頼んだぞ!」
そう言って、酒呑童子は帰っていった。
大きな身体を揺らしながら帰っていく酒呑童子の後ろ姿を見ながら、真宵は呟く。
「・・・結局、なにをしにいらしたのかしら?」
よくわからないままだったが、気にしないことにした。
「ま。いいわ。さっさと片付けしよっと。」
真宵は閉店準備をはじめた。
読んでいただいたかた、ありがとうございます。
『酒呑童子』初登場でございます。
一説には、最強の鬼、などと噂されたりもしている妖怪ですが、ここではただののんべえ妖怪です。
また、登場させたいなあと思っております。




