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妖怪道中甘味茶屋  作者: 梨本箔李
第六章 菊花
158/286

158 幕前劇 ぬらりぬらりと江戸の町 後編

『江戸』

江戸時代に江戸幕府が置かれた日本の中心地。

江戸城の城下町として栄え、この時代、世界的に見ても、トップクラスの人口密集地であった。

また、安定した治世と経済のため、多様な文化が花開いた場所でもある。





「ああ。俺はなんて馬鹿な男なんだ・・・・。」


男はボロ雑巾のような姿で地べたに転がっていた。

男は家から無断で持ち出したなけなしの金を、全て博打につっこんだ挙句、賭場に借金をしてさらにつっこみ、最後には賭場の目を盗んで、隣の客の金を盗もうとして見つかり、袋叩きにされ、この物置に監禁されている。


「・・今度こそやめるって誓ったはずなのにな。」


思い出すのは家族の顔だ。

大恋愛の末、やっと相手の親に承諾してもらった結婚だったはずなのに、自分の博打癖のせいで、向こうの親とは疎遠になり、妻は怒ってばかりで全く笑わなくなった。

なによりも大事な宝物だったはずの娘は泣いてばかりだ。


「おとうさん。どこいくの?今日はおうちにいて。」


「おとうさん。おかあさん、怒ってるよ。ちゃんと、謝ろう。あたし、一緒に謝ってあげるから。」


「おとうさん。行かないで。また、おかあさんと喧嘩になるよ。今日はいっしょに晩御飯食べよう。ね?」


いつも泣きそうな顔で、男の着物を引っ張っては止めようとする娘を、男は振りほどくようにして、賭場へと足を運んでいた。

なぜ、そんなひどいことができたのだろう?

男は、いまさらながら後悔した。

もう、妻の顔も娘の顔も見られないかもしれない。

賭場で他人の金に手を伸ばすのはイカサマと同じくらい御法度だ。

その場で指を詰めれても、腕を切り落とされても文句は言えない。

まして、男は返せる当てもない借金を重ねていたのだ。袋叩きにあい、この物置に押し込められたのも、これからどうするか処分を考える合間の監禁場所に過ぎない。

簀巻きにされ川に捨てられるか、山に置き去りにされ獣に食われるか。

どっちにしろ、男には明るい未来は待ってはいない。

いま、祈るのはせめて、妻と娘に累が及ばないことである。

下手をすれば、男がつくった借金をたてに、妻や娘が女郎屋に売られるかもしれない。


「ああ、馬鹿だ。俺は大馬鹿だ。」


「ほんとうにな。よくわかっとるじゃあないか。」


床に転がったままの男にいきなり誰かが声を掛けてきた。


「だ、だれだ。」


先ほどまで誰もいなかった。・・・はずだ。

灯りのない真っ暗の物置で、わずかに漏れる月明かりでは、とても人の顔など判別できない。

誰かがいるのはたしかだが、それが誰なのか、どこから出てきたのか、まったく見当がつかない。


「お前が、あの長屋の娘の父親か?」


声の主は、長屋の場所と、娘の背格好や特徴を話す。


「そ、そうだ。なんで知ってる? アンタ、何者だ?」


しかし、声の主は、質問には答えず続けた。


「ずいぶんと酷いめにあったようじゃのう。さしずめイカサマでもやったか?」


「ち、ちがう!・・・・・他人の金に手をだしただけだ。」


「はっ。似たようなもんじゃろうが。まったく。」


「そ、それよりアンタ、どこから入って来たんだ?」


物置の中は真っ暗でよくわからないが、扉には鍵がかかっているし、開いた気配もない。月明かりが漏れる隙間は僅か過ぎて、ネズミの一匹さえ通れない。せいぜい虫が通れればいい大きさだ。

どこかに隠し通路か抜け穴でもないかぎり、いきなりひとが現れるはずはない。


「頼む!ここから出してくれ!」

男は血の混じった泥だらけの顔で懇願した。


「・・・出てどうするんじゃ? また別の賭場でもうひと勝負でもするつもりか?」


「ち、ちがう!」


「なにがちがう? 逃げ出したところでなにかできるのか?」


「そ、それは・・・。」


声の主の言うとおりだった。

ここをうまく逃げおおせたとしても、むこうもプロだ。

あっという間に見つかって、捕まるだろう。

借金を返せるアテもない。

なにも変わらない。だが・・。


「・・・いいんだ。俺はどのみち殺される。ここにいても。逃げだせたとしても。」


「なら、なんで逃げようなどと思う? 一日でも長く生きたいって悪あがきか?」


「・・・ちがう。娘に・・、妻と娘にひと目でいいから会いたい。そして謝りたい。それだけだ。それだけ叶うなら、他の事はどうでもいいんだ!」


男は吐き出すように言った。

泥と血で汚れた顔は、さらに涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。


「・・・さすがに、多少は懲りたようじゃな。」


その声は、つまらなそうに、呆れたように、見下すように、興味のなさそうに冷たく響いた。


「おい。ふたつ約束しろ。そうしたら、ここから出してやる。いいか?」


「ふ、ふたつ?」


「そうじゃ。ひとつは二度と博打には手を出さぬこと。どんな小額でも、どんな祭りの余興でも許さん。賭けと名のつくものにはいっさい触れるな。よいか?」


「も、もちろん!今度こそ、賭け事はやめる。神に誓う!」


「ふん。神なんぞに誓われても信じれんわい!くだらぬ神なぞ、ごまんと知っておるからな。神ではなく、娘に誓え!よいな?」


「ち、誓う。娘に誓って、もう、賭け事はしない。」


「よし。もうひとつは、この町から去れ。」


「え、江戸を出て行けというのか?」


「そうじゃ。いくら娘に誓おうと、誘惑されれば手を出してしまうのが博打じゃ。この町は誘惑が多すぎる。きさまなんぞがいたら、あっという間に誘惑に負けてもとの木阿弥じゃ。」


「そ、それは・・・。」


違うとは言えなかった。

そうやって繰り返してきたのが、男のこれまでだった。


「言っておくが、他の大きな町やひとの集まる宿場町もダメじゃ。ああいうところには必ず賭場があるからな。」


「じゃ、じゃあどこへ行けば・・。」


「賭場も開かれんような田舎じゃ。そこで田んぼでも畑でもして、粗末に暮らせ。どこか、当てはないのか?」


「・・・妹が嫁いだ村なら、下働きくらいの仕事は世話してくれる・・・と、思う。」


「よし。そこへ行け。よいな?約束を破るでないぞ。」


そう言うと、声の主の気配がすっと消えた。


「お、おい! どこに行った? 出してくれるんじゃないのか?」


男が周りを探ったが、声の主の姿も気配もなにもなかった。

しかし、直後、鍵のかかっているはずの入口の扉が、ガラッと音を立てる。

開いたのはほんの十センチだが、鍵が開いているのは明白だった。


男は、そっと外の気配を探る。

見張りもおらず、あの声の主の姿もなく、虫の声だけがあたりに響いている。

男は、できるだけ静かに物置をでると、月明かりを頼りに逃げ出した。

何人もの男に殴る蹴るの暴行を受け、傷だらけの身体でも気にしなかった。

男は走った。

愛する妻と娘のいるあの長屋へ。




ドンドンドン。


夜中に玄関が大きな音で叩かれた。

男の妻が外を覗くと、血と泥だらけの亭主が立っていた。


「どうしたんだい?」


急いで閂を外し、男を中へ入れると、男は倒れるように玄関にしゃがみ込んだ。。

男は監禁されていた場所から、裸足で全力で走ってきた。

途中、足の皮が剥け、血がにじみ、肺が破裂しそうなほど息が切れても、かまわず走ってきた。


「どうしたの?あっ。お父さん!」


帰らぬ父を待ち、眠れず待っていた娘が奥の部屋から顔を出した。

父に駆け寄る。


「お花。奈津。すまなかった。いままでのことは全部謝る。俺が悪かった。もう、博打は止める!必ずだ。だから、も一度、俺に機会をくれ!江戸を出よう。出てやり直そう! もう、苦労はさせない。・・・いや、貧乏させるかもしれない。苦労もかけるかもしれない。だが、せいいっぱい働く。なんでもする。だから、ついてきてくれないか?」


男は、土間に頭をこすりつけた。

何度謝っても足りないとばかりに、頭を下げ続ける。


「アンタ!なに言ってんだい!ついて行くに決まってるだろう? アタシはアンタが博打さえ止めてくれたら、どんな苦労だってするつもりだよ?どこの町だろうと、山のなかだろうとかまいやしないよ。一家三人くらいなんとでも食べていけるよ。」


「お花!」


男はぐちゃぐちゃの顔を上げると、妻を抱きしめた。


そうは言っても、うまくいくかどうかはわからない。

そもそも、逃げおおせることができるかもわからない。

相手も素人ではない。すぐに見つかって、連れ戻されるかもしれない。

だが、なんとか、妻と娘だけでも逃がしてやりたい。

そんな想いだった。




幼い娘は、その幼さゆえ、なにが起こっているかよくわからなかった。

なぜ、父はあんな傷だらけの泥だらけで帰ってきたのだろう?

なぜ、母はあんな傷だらけの父を見て、あんなにうれしそうなのだろう?

なぜ、父はあんなに傷だらけなのに、笑っているのだろう?

なぜ、笑っている父の目からは、涙があふれているのだろう?

だが、わからなくとも娘はかまわなかった。

父と母が笑いあっている。うれしそうに。

それだけで、娘は幸せだった。

いがみ合って、罵り合っているより百万倍いい。


そんな娘が、玄関の外に目をやると、ひとりの老人が隠れるように立っていた。

人差し指を口に当て、シィーと手振りで見せると、こっちにこいと手招きする。

こんな時間に知らないひとについていくのはダメだと、きつく言われていたのだが、つい父母の目を盗んで外に出てしまう。


ぬらりひょんは、父母の目から見えない場所まで娘を呼び出すと、手になにかを握らせる。


「これ、お金?」


幼い娘にはよくわからなかったが、ぬらりひょんが握らせた金子はかなりの額のものだった。


「なんでもよい。いいか、これからいうことをよく聞けよ。」


ぬらりひょんは娘の目を見る。


「う、うん。」


「朝になったら、あの親父に聞け。「ほんとうに博打はやめるの?」って。いいか?」


「うん。聞けばいいのね。」


「そうじゃ。それで、やめると言えば、その金を渡してやれ。もし、やめられないと答えたら、その金は川に捨てろ。よいな?」


「う、うん。わかった。」


「それで、やめると言ったのなら、金子を渡すとき、「その金で借金を返してやり直せ。」と言うんじゃ。わかったか?」


「わかった。そう、ぬらりひょんさんが言ってたって言えばいいのね?」


「違う!わしの名前は出さんでいい。いいか?言ってみろ。親父が博打は止めると言ったらなんと言うんじゃ?」


「え、ええと。この金でしゃっきんを返してやりなおせ?」


「そうじゃ。覚えたな。なら帰れ。子供がこんな時間に外に出ちゃいかんぞ!」


自分で呼び出しておきながら、勝手なことを言うと、ぬらりひょんは娘が家に戻るのを確認し、ふっと闇にまぎれるように消えていった。





翌朝、娘から金子を渡された男は、目玉が飛び出るほど驚いた。

なぜ、こんなものを持っていたか、娘に問いただしたが、娘はどうしても誰にもらったかは言わなかった。

男は不可思議に思いながらも、その言葉のとおりにすることにした。

たとえ、神でも鬼でも助けてくれるなら藁でもすがりたい立場だったからだ。

一か八かこの町から逃げ出すつもりだったが、借金取りに見つかってしまえば、それも御破算だ。

とりあえず借金だけでも返すことができれば。

そうすれば、最悪でも妻と娘にはなにもされることはないだろう。

うまくすれば、自分も多少痛い目にあうくらいで済むかもしれない。

逃げだしたところで、もし見つかれば捕まって、もっと酷いことをされるのが関の山なのだ。

それならば、妻と娘の安全だけでも保障されたほうがいい。


しかし、男の予想は見事に外れた。

最低でも指の一本や二本は差し出さないと済まないと思っていた。

金を返せたとしても、賭場で他人の金に手を出すというのは、それほど重い罪なのだ。


不愉快そうに男の前に現れた賭場の胴元は、男を睨み付けながら説明した。

なんでも、昨晩、寝ている胴元の男の枕元に見知らぬ老人が立ち、男が借金を返しに来たら、それで勘弁してやれ、と囁いたのだという。

寝室には鍵がかかっており、誰も入れないはずなのに、その老人はどこからともなく侵入し、しかも、胴元以外は誰も知らないはずの賭場の隠し金を探し当ててドンと置き、もし、男になにかしたら、今度はこの金を全てかっさらって、神田川に撒くと脅してきたらしい。

胴元は、あれはたぶん、物の怪の類だろう。腹は立つが、祟られてはかなわんから、今回だけは見逃してやると、男を解放してくれた。


「・・・いったい、誰なんだ?」


おそらく、賭場の胴元を脅したのは、男を物置から出してくれたあの声の主だろう。もしかしたら、娘に金子を渡したのも同じ人物かもしれない。

だが、その人物に男は全く心当たりがなかった。


「神か仏がいたのだろうか・・・。」


男の手には借金を返した残りの金が握られていた。

ほとんど借金で消えていたが、まだ、ひと勝負打てるくらいの金は残っていた。


「さあ、帰って引越しの用意だ!」


しかし、男は、賭場にはめもくれず、帰途に着く。

家には愛する妻と娘が待っているのだから・・・。







半年後。

江戸から、少し離れた小さな山村に、ひとつの家族の姿があった。

村の端のほうに建てられたちいさな一軒家に、江戸の町から引越して来た三人家族だ。


父親は、慣れない畑仕事に苦労しながらも、小さな畑を必死に守っていた。

朝早くから、畑に出かけ汗をかいている。


母親のほうも江戸でいたときよりも陽に焼けた。

毎日、亭主を手伝い、畑に出て働いている。暇な時期は内職仕事もして家計を助けている。

江戸の町でいたときよりも、忙しい生活だが、表情には笑顔が戻っていた。


幼い娘も畑を手伝っている。

貧しい村では、子供も労働力としてあてにされる。

週に二回ほど、寺子屋に読み書きや算術の勉強に行かせてもらえるが、それ以外の日は、両親の仕事を手伝っていた。


「ちょっと!そろそろ畑に行くよ。なにやってるんだい。」


母親が部屋の隅でなにやら手を合わせている娘に声を掛ける。


「はぁーい。」


娘は返事をすると、もう一度だけ手を合わせて、なにかの紙を大事そうに片付ける。


「また、あのへんなタコの絵に拝んでたのかい?」

母親が呆れたように尋ねた。


娘がこちらの村で、寺子屋に通いだした頃、そこでもらった紙をなにやらありがたそうに拝むようになった。

最初は、寺子屋でなにかおかしな宗教にでも唆されたのかと心配し、こっそり、その絵を見てみると、それにはタコのような絵が描かれていた。絵の稚拙さから、娘が自分で書いたものらしい。

どうやら、宗教やらなんやらではなかったようで安心し、そのうち飽きるだろうと放っておいたのだ。


「タコじゃないもん!『ぬらりひょん』だよ!」


「『ぬらりひょん』?それってあの、妖怪のかい?」


「そうだよ。」


「なんで、『ぬらりひょん』なんか拝んでるんだい? 盗み食いしたり食い逃げしたりするケチな妖怪だろう?」


「違うよ!」

娘は唇を尖らせて抗議する。


「『ぬらりひょん』はいい妖怪なんだよ! 困ったときには助けてくれるんだから!」


「ええ?そんな話、聞いたことないけどねえ。」


母親は困惑して、首を傾げた。


「まあ、いいわ。どうせ、ウチみたいな貧乏な家には盗み食いなんてしにこないだろうし。」


「そうなの?」

娘は残念そうにうつむいた。


「こんな家じゃ、つまみ食いするようなものも置いてないからねえ。」


母親は自虐的に笑って見せた。

だが、そこには不満そうな表情は欠片もない。


「さあ、行くよ。あんたの父さんは朝から働いてるんだからね。お昼ごはんくらい持って行ってあげないと。」


「うん!そうだね。」


そう言って、母娘は父親の待つ畑へに行くため家を出た。


引っ越してきて半年。

村で一番の働き者と言われるようになった父親の元に。








読んでいただいた方ありがとうございます。

幕前劇 ぬらりひょん編 後編でございます。

六章は幕間劇のネタが思いつかなかったので、書いてみた幕前劇ですが、結構楽しかったので、また、機会があれば書いてみようかなあ、などと思っております。


次回からは新章 神無月 です。

来月はちょっとだけ事件が起こる予定です。

引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。


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