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妖怪道中甘味茶屋  作者: 梨本箔李
第五章 蝉時雨
134/286

134 幕間劇 留守番狐

夏祭りの数日前。

花街の妓楼のおはなしです。


妖異界でもっともおおきな都、『古都』。

大妖怪『九尾』が治めるこの場所に『花街』が存在する。

女達が花を売り身を売る、もっとも華やかでもっとも欲が渦巻く、苦界とも評される街。





「なあ。頼むよ、女郎蜘蛛。」


花街でも一、二を争う高級妓楼の一室で、男は女に頼み事をしていた。

女はこの花街が誇る三美女のひとりといわれる『女郎蜘蛛』。

一晩、共に過ごせば、庶民の稼ぎの一月分は軽く消えるという高級妓女だ。


「ダメよ。何度、頼んだって、こればっかりはダメ! 連れて行かないわ。」


「なんでだよ。こんな機会は滅多にないんだろう? これっきりかもしれない。だから、なんとか頼むよ。おとなしくしてるからさ。このとおり。」


男は頭を下げた。

男の名前は『黒狐コクコ』。

高位の妖狐であり、この都を治める『九尾』の側近である。

なじみの客であり、指折りの上客でもあるのだが、女郎蜘蛛は、どこか油断のならない客だとも思っていた。


「常連客や知り合いを招いてのお祭りよ。招待されていないアンタなんか連れて行けるわけはないでしょう?」


女郎蜘蛛はきっぱりと断った。

だが、黒狐はひかない。


「でも、野外でやる祭りなんだろう? だったら、店の中に入れない俺ら狐でも、はいりこめるかもしれないじゃないか? 変化して、狐だとばれないようにするからさ。なにか、揉めそうだったらすぐ退散するし、迷惑はかけないよ。」


はあ。

女郎蜘蛛はため息をついた。

明後日、《カフェまよい》で祭りが行われることも、その祭りが野外で催されることも、女郎蜘蛛は一言も黒狐には言っていないのだが、ちゃっかりと情報を仕入れているらしい。

さすがは『九尾』の側近、黒狐。と褒めたいところだが、そうはいかない。


「ダメよ。今回の祭りは私たちにとっては特別なんだから。もし騒ぎでも起こして中止にでもなったら、花街全部が敵にまわると思いなさい。」


「おいおい、大袈裟だな。なんだよ、特別って?」


「アンタには関係ないわ。」


女郎蜘蛛はそっぽを向く。

今回の祭りでは、夕方から酒が振舞われることになっている。

振舞われるのは自家製の梅酒で、女郎蜘蛛が熱望する『酒蒸し饅頭』につかわれている純米酒ではないが、それでも、現在の妖異界において人間界の酒が飲めるチャンスなど、そうあることではないのだ。

花街の三美女妖怪をはじめとする、のんべぇ妖怪たちは結託して、この祭りの成功を後押しすることに決めていた。


「とにかく、アンタたち狐が、『遠野』の連中とどうなろうと私たちは関与するつもりはないけど、あの店やまよいちゃんになにかしようってゆうのなら、花街はむこうにつくからね。覚えといて。」


「物騒だな。ただ、祭りに連れて行ってくれって言っているだけだろう?」


「ふん。どうだか。」


「それに、前にも言っただろう? とりあえずは協定を結んで、あの店にへんなちょっかいをだすのは御法度ってことになったって。あれだって、俺が苦労して取り付けたんだぜ?」


褒めてほしいくらいだ、と言わんばかりの黒狐に、女郎蜘蛛の眉がピクリと動く。


「ああ、あの、側近連中が集まって開いた狐会議の事ね・・・。」


「ん?・・・ああ。」


女郎蜘蛛の言い方に、なにやら不穏なものを感じて、黒狐が口ごもる。

女郎蜘蛛は冷たい視線を、黒狐に浴びせた。

その情報は、黒狐に聞くまでもなく、女郎蜘蛛の耳に入っていた。


花街はただの歓楽街ではない。

無論、一番の目当ては美しい女性たちであるが、ひとと金が集まる場所には、また、別のものも集まってくる。情報だ。

どれほどの権力者も富豪も、酒を飲み、遊び、床に入れば気も緩む。

言う必要のない言葉のひとつもこぼれてしまうのが、花街だ。

そのため、そういった情報欲しさに高級妓女をかかえようとするものも少なくないのだ。

故に、この花街の頂点とも言える女郎蜘蛛の情報網は半端ではない。

ある意味、黒狐の情報網にもひけをとらないと言える。


「知ってるわよ。たしか、アナタ、知り合いの妖怪に頼んで《カフェまよい》のお菓子を手に入れる方法を教えてあげたんでしょう?」


「あ、ああ。いいだろう、それくらい? 奪い合いになったりしたら、あの店も女郎蜘蛛だっていいことはないんだから。」


「ええ。そうでしょうね。」


そう言いながらも、女郎蜘蛛の表情は冷たい。

雪女も真っ青だ。


「それで、それを確認するために、何度も知り合いにお菓子のお持ち帰りを頼んだんですって? どうやったら『出入り禁止』になるか、『実験』するために。」


黒狐の血の気がサーッとひいた。

いまの顔色だけ見れば、黒狐でなく青狐と呼ばれても不思議はないだろう。


「で。その、『実験』につかったお知り合いって、どちらの妖怪かしら?」

女郎蜘蛛は残酷なほど冷たい笑みを浮かべた。


黒狐は、どうすれば問題なく《カフェまよい》の菓子を手に入れられるか模索するため、何人かの妖怪に、店で菓子を買ってきてもらうように頼んだ。

なかには、店を発見できない妖怪もいたし、一度は買ってきてもらえたものの、二度目には店に行けなくなっていたものもいた。しかし、なかには、何度でも買ってきてもらえる妖怪もいたのだ。

そうやって、実験を重ねるうちに、《カフェまよい》に『出入り禁止』にならずに菓子を買ってきてもらえる方法にたどりついた。

結果だけ見れば、眷属でない妖怪に、配下扱いせず、丁重に頼んで駄賃を払って買ってきてもらえばいい、という単純なものであったが、それを立証するのは、かなりの時間がかかった。

ただ、問題は、そのために頼んでいた妖怪の中に女郎蜘蛛がいたということである。


「い、いや。女郎蜘蛛。べつに、実験とか、そうゆうんじゃないんだ。誤解しないでくれ。」


「ふぅーん。アンタは私の好意を利用してたって訳よね? アンタ、もし、私があの店を出入り禁止になったらどう責任とるつもりだったの?!」


「いや、女郎蜘蛛が出入り禁止になるはずないとおもっていたし、仮にそうなっても、女郎蜘蛛ならいくらでも解除してもらえるツテはあるだろう? 騙すつもりなんかなかったんだ。」


これは、半分は本当である。

黒狐の予想通り、『迷い家』が妖怪の気持ちや願望を読み取って、狐の配下か否かを判断していたなら、頼んでいた妖怪の中で女郎蜘蛛が一番出入り禁止になる確率は低かった。

また、仮になったとしても、女郎蜘蛛ならすぐに解いてもらえる可能性が高いと思っていた。所詮、出入り禁止のルールといっても『迷い家』の胸先三寸なのだ。

ただ、騙していないという部分については、少々後ろめたい部分もある。

なにしろ、黙って利用していたことにはかわりないのだから。


「ふぅーん。」


女郎蜘蛛は冷たく言い放つ。

それで、納得するとでも思っているの?とでも言いたげだ。


だが、女郎蜘蛛はヒステリックに怒りをぶつけるつもりはなかった。

そんなことをするほど、無粋な女ではない。

そもそも、そのつもりがあるなら、とうにやっていた。

この情報は、もう、だいぶ前に掴んでいたのだから。

花街は男と女が騙し騙され、偽り偽られる場所。

騙されたと嘆くようなまねをすれば、妓女『女郎蜘蛛』の名がすたる。


「・・・いいわ。今度だけは許してあげるわ。」


それを聞いて、黒狐はホッと胸を撫で下ろした。


「そのかわり、今度の祭りは、狐一匹はいりこまないよう監視してちょうだい。」


「え?」


「アナタのいうとおり、今度の祭りは野外でやるのよ。だから、出入り禁止になってる狐さんたちもはいりこむ可能性があるの。それを、アナタの力で阻止して。」


「ちょ、ちょっと待った。それって、俺の配下だけじゃなく、狐全部を、ってことか?」


「そうよ? アナタならできるでしょう? 黒狐サマ。」


挑発するような女郎蜘蛛の物言いに、黒狐はまた青ざめた。

自分の配下だけならまだしも、ほかの狐までとなると、そう簡単なことではない。

狐妖怪の社会は階級制が厳しく、また、誰の配下につくかが明確に決められている。

つまり、残りの狐に命令しようとするなら、他の側近である、金狐、銀狐、白狐に話を通す必要があるのだ。


「大変ねぇ。もちろん、他の狐に行くなといっておいて、自分だけが行くなんてことはできないわよねぇ。ご愁傷様。」


そのとおりだ。

「揉め事をおこさないため、全員行くな。」なら、まだしも、「俺は行くけど、お前らは行くな。」などと言っても通るはずがない。

まして、相手はあの女狐たちだ。

そんなことを行ったが最後。怒りくるって暴走するだろう。とくに金狐と銀狐あたりが。



「ふふ。それじゃあ、がんばってね。玄関まで送るわ。」


女郎蜘蛛はすっと立ち上がる。


「え?お、おい。今日は泊まりの約束だろう? 妓楼にもちゃんとそう伝えてあるぞ。」


「ええ。そう聞いてるわ。でも、いいの? 祭りは明後日よ? はやく帰って手を打っておかないと、間に合わないんじゃない?」


「ぐ。」


たしかに、そのとおりだ。

他の三人に納得させるには、それなりの理由が必要だ。

考えるにしても根回しするにしても時間はあまりにも少ない。


「おつかれさま。また、逢いにきてくれるのを、楽しみに待ってるわ。」


女郎蜘蛛のとどめの言葉に、黒狐は仕方なく帰り支度を始めた。


ちなみに、この妓楼で『女郎蜘蛛』を指名し、一晩過ごすとなれば、庶民のひと月分の稼ぎがゆうにとんでいく。

もちろん、用事ができたとキャンセルしたとしても、一銭として金は返ってこない。


黒狐は、女郎蜘蛛に玄関まで送られると、トボトボと妓楼をあとにした。




「ふん。この女郎蜘蛛さまを利用しておいて、これくらいで済ませてあげるんだから、感謝しなさいよね。」


女郎蜘蛛は呟いた。

花街の妓女は、その美貌と粋な振る舞い。そして、その矜持の高さが売りものだ。

利用されて、黙って済ますほど、女郎蜘蛛のプライドは安くない。


「・・・さてと、明後日のお祭りは、なにを着ていこうかしら?」


女郎蜘蛛は楽しそうに笑みをこぼした。





読んでいただいた方、ありがとうございます。

幕間劇でございます。

夏祭り関係のおはなしは、正真正銘これで最後です。

飽きずにお付き合いくださりありがとうございます。

次回は、ちょっと時間が戻って、あの国のおはなしです。

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