110 鞍馬山の危機
『鞍馬山』用語解説。
『鞍馬寺』
鞍馬山山頂部分に建てられた大きな寺。
妖異界の自警団の役割を担う本部である。
『御側衆』
若い烏天狗で組織された『天狗』の側近。
鞍馬寺で勤務し、天狗の補佐が仕事。
烏天狗古道がこの御側衆である。
もともと五人で組織されていたが、右近が抜けて現在四人となっている。
妖異界にただひとつ、人間の店主が営む茶屋 《カフェまよい》。
夏本番に入り、猛暑日が続いてる。
現在、おはぎやまんじゅうの売れ行きはいまいちだが、夏季限定メニューの『カキ氷』だけは絶好調である。
「いらっしゃいませ。・・・なんだ、古道か。」
客席で接客を担当していた右近は、入店してきたのが前の職場の同僚であることに気づく。
「・・・なんだはないだろう? 一応、客だぞ。」
古道は眉間にしわを寄せて、右近をねめつける。
「一応な・・。それより、珍しいな、こんな時間に。」
現在の時刻は、午後四時を過ぎたくらい。
日の入りが遅い季節なので、閉店まではまだまだ時間があるが、この時間に古道が来たのは初めてだ。
古道は甘党のものが多い烏天狗のなかでは珍しく、《カフェまよい》に『ランチ』目当てで通っている客だ。
ランチは昼のみ、数限定なので、売り切れを警戒し、必ず中天前には来店している。
「それより、悪いが注文の前に水を一杯もらえないか?」
「ああ、かまわないが。じゃあ、好きな席に座って待ってろ。すぐに持ってくる。」
右近は、一旦、厨房へと戻っていった。
「はあ。」
古道は大きく肩をおとす。
右近は気づかなかったが、今日の古道はいつもと違いかなり憔悴していた。
ング、・・ング。
「はあ。やっと一息ついた。」
右近が持ってきたコップの水を、一気に飲み干した古道は、ふきだす額の汗を拭った。
「で、注文はどうするんだ? 『ランチ』はもうとっくに売り切れているぞ。この時間で食事ってなると『おにぎりセット』くらいしかないが・・。」
すると、なにやら古道が、表情に影を落とす。
「・・・うーん。いま、ちょっと食欲が無くてな。」
「なんだ? まさか、水だけ飲みに来たのか? ここはいちおう商売で店をやっているんだぞ。」
「いや、さすがに注文しないで水だけで居座ろうなんて思っていないさ。ほら、なんか冷たい菓子だか料理だかが人気になっているんだろう? 夏でも冷たい氷が食えるって言う・・・。」
「『カキ氷』か?」
「ああ!それだ! それをひとつ頼む。」
『カキ氷』はこの夏、《カフェまよい》の一番のヒット商品だ。
持ち帰りができないので、売り上げとしては看板商品の『おはぎ』に劣るが、店内での飲食に限れば、間違いなく今月の一番人気だ。
「味が『黒蜜きな粉』『抹茶金時』『梅蜜』のなかから選べるがどうする?」
「なんだ?三種類もあるのか?」
休みのたびに《カフェまよい》に通っている古道だが、注文は『ランチ』と決めており、あとは上司である『天狗』に『おはぎ』を土産にするだけなので、あまり店の菓子や甘味には詳しくない。
「ああ。どれも好評だな。特に『梅蜜』はマヨイどのが用意していた分が早々に売り切れそうだったので、あらたに梅シロップを仕込み直したくらいだ。」
真宵が用意したのは大きなビンにいっぱいの梅シロップだった。
店で梅酒や梅干しを仕込んだときに、一緒に造っていたものだが、予想以上の『カキ氷』人気のため、最初の週だけで半分近くが無くなり、急いで梅を調達し漬け込んだ。
黒蜜や抹茶蜜は材料さえあればすぐにつくれるが、梅蜜だけは十日程は漬け込まないと味がでないので、時間がかかるのだ。
「へえ。じゃあ、俺もその『梅蜜』にしてみるかな。」
「わかった。少し待ってろ。」
右近は再び厨房へと戻っていった。
「ああーー。うまかった。」
古道は『梅蜜のカキ氷』をきれいにたいらげた。
「途中、頭が締め付けられるみたいに痛くなったときは、なにが起こったのかとおもったがな。」
「ふ。」
右近はほくそ笑んだ。
古道に限らず、初めて『カキ氷』を注文した客の多くはこの症状を訴えてくる。
かくいう、右近自身も同じめにあった妖怪のひとりだ。
前もって注意することもできるのだが、今回はあえて何も言わなかった。
同じ痛みを共有させてやりたかった。言ってしまえば、ただの意地悪である。
「しかし、生き返ったよ。」
「オーバーだな。」
「いや、オーバーじゃないんだよ。ここ最近、ほんっとに食欲が無くてな。体もだるいし。疲れは取れないし。」
「夏バテか?」
「夏バテだ。」
「この時期はいつものことだろう?」
多くの烏天狗は、この時期、夏バテに悩まされる。
人の姿をしていても、もとは真っ黒な烏。
さらに、炎天下の中、真っ黒な翼で飛びまわって仕事をするので、熱中症や夏バテは職業病と言ってもいい。
「いや。今年は特にひどいんだよ。今日だって、俺が御山の外を飛びまわらないといけないくらい烏天狗がダウンしててな。」
「なんだ、今日は休みじゃなかったのか?」
「休みなんか取れるかよ。運よくここの近くを通ったからよかったものの、そうじゃなかったら俺も干上がっていたぞ。」
たしかに、『天狗』の側近の御側衆の古道が、鞍馬山の外を飛びまわらないといけないくらいの人手不足になっているというのは、かなり深刻なのだろう。
そう言えば、ここ最近、店に来る烏天狗の数が減っているような気もする。
単に鞍馬山の仕事が忙しいのかと思っていたが、夏バテでへばっていたらしい。
「ふーん。大変だな。まあ、がんばってくれ。」
同情はするが、右近にとっては他人事だった。
古道たち烏天狗にもそれぞれ仕事があるように、右近にも仕事がある。
今の右近は、鞍馬山の烏天狗ではなく、《カフェまよい》の従業員だ。どうすることもできない。
「古道さん。いらっしゃい。」
厨房から、真宵が顔を出す。
「マヨイさん。おじゃましている。」
「これ、よかったらどうぞ。 お店からのサービスです。」
真宵は古道のテーブルに湯飲みをおく。
湯飲みからは湯気が揺らめいていた。
「ありがたい。遠慮なくもらうよ。」
「マヨイどの。こんなやつに、サービスしてやることなんかないぞ。」
「ふふ。あいかわらず仲良しですね。」
「マヨイさん。このお茶いつものとちょっと違うな。」
さっそくひとくち飲んだ古道が感想をもらす。
「わかりますか? これ『焙じ茶』なんです。すっきりしていて夏向きでしょう?」
「ああ。なんというか、香ばしくてすっきりした苦味がいいな。熱いお茶なのに後味が涼しい感じだ。」
「夏バテしているみたいって言ってたんで、いいかなと思って。あまり冷たいものばかり食べてるとよけいに夏バテするんですよ。」
「そういうものなのか。」
妖異界で冷たいものと言っても、湧き水か井戸で冷やした西瓜くらいのものだ。
《カフェまよい》以外で夏場にわざわざ氷を用意して食べるものなど、そうはいない。
なので、冷たいものと夏バテの関係性など考えたことも無かった。
だが、店で氷を提供している真宵が言うのだから、そうなのだろう。
「こういう熱いものでパアッと汗かいて、スタミナのつくものをしっかり食べたほうが夏バテしないっていいますよ。」
「へえ。そうゆうものなのか。」
真宵のアドバイスを聞いて、古道はふと思いつく。
「なあ、マヨイさん。今、鞍馬山で烏天狗が大量に夏バテでダウンしているんだが、なんとかならないだろうか?」
「え?なんとかといわれましても・・・。」
「鞍馬山で、なにかこう、夏バテを吹き飛ばすようなものをつくってもらうというのは無理だろうか?」
「駄目だ!」
真宵が返事する前に、右近が遮った。
「古道、なにを考えてる?! マヨイどのは人間だぞ。妖異界をふらふら歩き回れるわけ無いだろう。鞍馬山まで、山を幾つ越えないと行けないと思っている?」
真宵は、妖異界で店をはじめてから、すでに五ヶ月ほど経つが、ほとんど店から出たことが無い。せいぜい、店の前にオープンテラスをつくったり、店の裏で燻製作りにいそしんだ事があるくらいだ。
比較的治安のいい『遠野』といえど、さまざまな妖怪たちが跋扈する世界で、人間が歩き回るのは危険極まりない。
「いや、でも、鞍馬山だぞ? 烏天狗が大勢詰めている場所で、だれが悪さをするって言うんだ?」
古道が反論した。
「鞍馬山って、右近さんが前に働いていたところですよね? うーん、私、ちょっと行ってみたいかも・・・。」
「マヨイどの?!」
右近は顔をしかめた。
おまえが、余計なことを言ったせいで、と古道を睨みつける。
「そんなに神経質にならなくてもいいだろう? どうせ、行き帰りは『輪入道』あたりに乗せてもらうんだし。あの親父に喧嘩売る妖怪なんてそうはいないだろう?」
確かに、行き返りを『輪入道』に頼めば、さして危険なではないだろうが、万が一ということが無いわけではない。右近から見れば、わざわざリスクを背負ってまで鞍馬山の夏バテを解消してやる理由はない。
「だいたい、そんな時間あるわけ無いだろう? 店はどうするんだ? マヨイどの抜きで営業できるわけないし、無理に決まっている。」
「あら、それなら明日の土曜はどうですか?」
真宵が言った。
「土曜はマヨイどのは人間界だろう?」
「一日くらいは大丈夫よ。前にも、お餅つきのときに土曜日、こっちの世界に残ったことあるし。」
真宵と古道の視線が右近に集中する。
「・・・・。」
「心配なら、右近もついてくればいいだろう?」
右近はなにか反対する理由を探したが、うまく出てこない。
なにより、真宵自身が行きたがっているのは、表情から見て明白だ。
「・・・でも、右近さんに休みの日までつき合わせるのはやっぱり、申し訳ないかも・・・。」
そういう言い方をされると、右近は立つ瀬が無い。
自分が休みたいがために反対してると思われそうだ。
「なんなら、鞍馬山から烏天狗を何人か護衛に付けてもかまわないぞ。俺が責任もってマヨイさんを送り届けるし。」
「あああ。わかった。わかった。俺が連れて行けばいいんだろう。」
右近は渋々承諾した。
「そのかわり、日没までには必ず店に戻ってること! これだけは譲れないからな。」
「ほんとう?! 右近さん。」
喜んでいるのは古道より、むしろ真宵のほうだった。
「私、一度くらいは、この世界のほかの場所に行ってみたかったの。いろいろ話には聞くけど、ぜんぜん店から出たこと無かったんだもの!」
真宵は飛び跳ねそうなくらいにはしゃいでいる。
「ああ。鞍馬山かぁ。どんなところかしら?とっても楽しみ!」
かくして、鞍馬山夏バテ救済計画がたてられた。
真宵にとっては、この世界ではじめての『おでかけ』である。
読んでいただいた方ありがとうございます。
烏天狗夏バテする、の回でございます。
何回か続く予定ですので、お付き合いくださると幸いです。
まよいさんはじめてのおでかけ、でもあります。




