102 幕間劇 夜の酒盛り
98 沢女のなつやすみ
の後日談です。
妖異界にただひとつ、人間の店主が営む茶屋 《カフェまよい》。
現在、真夜中を過ぎており、すでに明かりは落とされ、住人も寝静まっている。
そこに、ひとり帰宅するものの姿があった。
カチャリ。
厨房の勝手口の扉があくと、小さな少女が帰宅した。
外見も幼い幼女であるが、体のサイズも普通の人間の手のひらに乗るくらいの小ささだ。
彼女の名前は『沢女』。
元川守の水神であり、この《カフェまよい》の従業員である。
「沢女。帰ったのか。」
誰もいなかったはずの厨房に、ポッと灯がともるように人影が現れる。
不思議なことに、姿は見えているのに、どれくらいの年齢なのか男性なのか女性なのかもわからない。
「あら。わざわざ、起きて待っていてくれたの? 優しいのね。」
沢女はふわりと宙に浮くと、その人物の目線まで移動した。
まるでタンポポの綿毛のように宙に舞い、魚が水の中を移動するように空中を自由に移動する。
「ふ。おもしろいことを言うな。」
「ふふ。そうね。あなたは家そのものだものね。家は眠ったりしない。ずっと起きて住人を見守り続ける。ご苦労なことね。『迷い家』。」
『迷い家』。
《カフェまよい》の店舗部分及び住居部分そのものである日本家屋妖怪。
普段は家屋そのものだが、たまに人間の姿の分身が現れる。正確には家屋と人間の姿、どちらが本体でどちらが分身なのかは誰も知らない。
「それより、川のほうはだいじょうぶだったのか?」
沢女は以前、川守をしていた川にトラブルがあったため、この数日、店を離れていた。
「ええ。だいじょうぶよ。長雨のときに少し土砂が流入したところがあってね。たいした量じゃなかったんだけど、放っておくと雨のたびに水が濁っていきそうだから魚妖や川妖たち総出で石を積んできたわ。水もきれいにしてきたし、あれで当分、問題ないとおもうわ。」
「そうか。それならよかった。」
「ホッホ。それなら、わしはもう御役御免ということかのう。」
厨房の一角におかれた水瓶の蓋の上に、沢女と同じサイズの小さな老人が座っていた。
亀の甲羅を背負い右手に杖を持った老爺で名を『瓶長』という。
沢女のいない間、代役を務めていた。
「ええ。ご苦労様。急なお願いだったのに、引き受けてもらって感謝してるわ。」
「ホッホ。いやいや。これで代役も終わりとなると、ここの酒が飲めぬからのう。残念じゃ。」
「あら? お酒をもらっていたの?」
「ホッホ。毎日、仕事終わりに御猪口に一杯だけの。人間界の酒というのは、この世界のものとはひとあじ違うのう。」
「まあ。あきれた。お礼は私からちゃんとするって、伝えてあったのに。まよいさんに迷惑かけたりしてないでしょうね?」
「ホッホ。仕事はちゃんとやっておったぞ。まあ、おぬしほどのことはできんかったがのう。それより、ひさしぶりに会ったんじゃ。出て行く前に酒でも飲みながら、思い出話に花を咲かそうぞ。」
瓶長は手で杯を傾けるゼスチャーをする。
「もう。あなた、今日、仕事が終わったときにお酒もらったんでしょう?」
呆れた顔でため息をつく。
「ふ。まあ、いいではないか。実はわたしも久しぶりに飲みたくてな。沢女の帰りを待っていたんだ。」
そう、言ったのは迷い家だった。
沢女と迷い家は、ときどき夜中にこっそりと酒を飲んでいたりする。
「もう。迷い家まで。 あとで、まよいさんに叱られてもしらないから。」
そう言いながらも、沢女もなにやら楽しそうであった。
かくして、沢女の帰還と瓶長の仕事収めを祝う歓送迎会のような小さな酒盛りが幕を開けることとなった。
酒盛りといっても、そうたいそうなことではない。
唯一人間サイズの迷い家が戸棚から、日本酒の一升瓶を取り出し、ミニサイズ妖怪に御猪口に注いでやるだけだ。
「ぷはぁーー。やっぱりうまいのう。この人間界の酒は。」
酒好きの瓶長は以上ないというほど幸せな顔で飲んでいる。
小さな御猪口といえど、瓶長にはおおきな洗面器ほどの大きさだ。顔をつっこまんばかりの飲み方だ。
かたや、沢女は酒を水神の能力で操り、小さな水滴にして口へと運んでいる。
迷い家は普通にコップに入れて飲んでいる。
三人三様だ。
妖怪の中でも古参の三人は、あれやこれやと昔話をしたり、店の話をしたりと、薄暗い厨房で楽しい時間を過ごしていた。
すると、突然、ドンドンと大きな音が厨房に響く。
「オイ!開ケロ! ワカッテルゾ!!」
音は厨房に設置してある冷凍庫から発せられていた。
迷い家が冷凍庫の扉を開けると、中から氷の塊が飛び出す。
「ヤッパリダ! 拙者ニカクレテ、酒ヲノンデイタナ!」
氷の塊は『冬将軍』という妖怪だ。
氷でつくった五月人形のような姿で、《カフェまよい》の冷凍庫の管理をしている。
「おい。もうみんな寝ている時間なんだ。そんなおおきな声で騒ぐな。」
迷い家がたしなめるが、冬将軍は黙らない。
「酒ヲノムナラ、何故ヨバヌ! スグソコノ冷凍庫ナル箱ノナカニイタトイウノニ!」
冬将軍はピョンピョンと飛び跳ねて抗議する。
「ホッホ。よいではないか。そう怒らずとも一緒に飲めば。まだ酒盛りははじまったばかりじゃぞ。」
瓶長が、御猪口に顔を突っ込みながら言った。
「もう。・・・そのかわり、あんまり騒がないでよ。夜中なんだから。」
沢女も渋々了承した。
かくして冬将軍も迷い家に御猪口に酒を注いでもらい、酒盛りは四人で続けられることになった。
翌朝。
「おはよー。」
いつもより少しはやめの時間に真宵が厨房へとやってきた。
どうやら、一番乗りのようで、右近や小豆あらいもまだ来ていないようだ。
真宵は厨房に入るなり、なにやら異変を察知する。
(ん?お酒くさい・・・。)
今までも何度か、そこはかとなくお酒のにおいがすることがあったが、今日のはそんなものではなく、あきらかに酒のにおいが厨房に漂っていた。
「あー!瓶長さん!」
厨房を見渡してみると、床に小さな老人がいびきをかいて大の字に寝ている。
真宵は急いで戸棚の中のお酒を確認すると、あきらかに昨日より減っていた。
純米吟醸酒はたまにしかつかわないが、昨日の仕事終わり、瓶長に給料代わりの御猪口一杯をあげたばかりなのでよく覚えていた。
「もう!瓶長さんたら、夜中に盗み飲みなんて!」
真宵は憤慨した。
しかし、それよりひとつおおきな問題があった。
「やだ。今日の営業どうしよう。」
瓶長がいないと、店で使う大量の水が確保できないことになる。
しかし、その心配は杞憂に終わる。
よく見ると、水瓶の上にはいつもどおり沢女が座っていたからだ。
「あら?沢女ちゃん、帰ってたの?」
真宵の問いに、沢女はにっこり微笑んで手を振った。
「まあ。それで安心して、こんなとこで酔いつぶれているのね。まったく、いいお歳なのにどうしようもないわね。」
真宵は仕方なく、瓶長をそっと持ち上げる。
「とりあえず、母屋のほうに寝かせてくるわ。こんなとこに寝かせとくわけにもいかないし。」
そう言って、真宵は母屋のほうへと戻っていった。
それを沢女は無言で見送った。
実際、酒を飲んだのは瓶長だけでなく、沢女、迷い家、冬将軍を含めた四人であったのだが、沢女は黙して語らず、迷い家は建物に戻り、冬将軍は早々に酔いつぶれて冷凍庫に帰されていた。
かくして、酒盛りの罪は瓶長ひとりのせいにされたようである。
読んでいただいた方、ありがとうございます。
幕間劇 最後のおはなしとなります。
次回より 五章 蝉時雨 が開幕予定です。
七月下旬からお盆くらいまでのおはなしになる予定です。
引き続き読んでいただければ、幸いです。




