起動
◇
いつもは静けさを誇る山林も今日は騒がしい。
山中の深い緑に囲まれたお寺は人が人を避けるためにそこにある。
静寂のなかで崇高なる精神を研鑽するために築き上げた聖域。しかしそれを汚すのもまた人の業。
お堂の前に群がる報道陣が、煽るようにフラッシュを焚き、マイクをかざし、カメラを向ける。
仏像のように口をつむぐ僧たちに守られた扉の先、マスコミはその中で行われる出来事に興味を示す。
「17歳という若さで世界をまたにかける天才実業家、城蒼生。彼が堂入りしてから十日目を迎えました…」
取材クルーの、熟練の女性リポーターが怪談でもするかのようにかすれた小声でカメラに視線を向ける。
「入堂前の生き葬式の儀式を済ませたのが十日前のちょうどこの時間帯、正午とのこと…そこからお堂に篭って十日間にわたって行われる読経…それはただ経文を読むだけではありません。十日間、じつに十日間断食断眠のなかお経を唱え続けるという過酷な荒行なのです。もし途中で断念したならば自害せねばならないという厳しい仕来りがあります。それ故、この長い歴史のなかでこの荒行を成功させた者は十人といません。堂入り前の修行過程を省いた異例の型式ではありますが、なぜ彼は死と隣り合わせの過酷な試練を自らに課したのでしょうか!?いまだに閉ざされた扉は沈黙を守ったままです…ですがもうまもなく!彼が無事ならばもうまもなく、お勤めを終えて姿をあらわすはずです!」
リポーターは右肩上がりに語調を荒げていく。
◇
薄暗い御堂の中。
不動明王が睥睨する。不届きにも面前に対立する若者に対し威を放つ。怒髪天の形相は今にも手に握る剣を振り下しそうに見える。
少年、蒼生は目を逸らさない。獰猛な餓えを訴える獣のように、充血しきった眼に神を据えたまま経を唱え続ける。
かたわらでそれを見守る住職は、まさに蒼生のこの荒行の請け負った張本人である老体は、いま自分の目の前で起きている出来事に戦慄していた。
(なんていうことよ…)
この若者は死と向き合ってなお神を恐れない。それどころか神を喰らおうしている。
もうこれは本来の修練の主旨とは似ても似つかないものと成り果てている。
そもそもの苦行の所在は神への信仰にある。
神になれないからこそ神を崇めるのだ。その信仰の深さを五体に刻み込むことによって、神の教えを代弁する許しを請うのだ。
しかしこの少年は神に近づこうとしている。いや、自らが神となろうとしている。
少年は見事なまでに経文を暗誦する。
ほんの数日で諳んずることそれ自体にまず驚嘆にあたいするが、断眠断食のなか信仰なき勤行を貫く精神力に住職は畏怖した。
(これを勇健といえようか…)
蒼生は朦朧とする。途切れようとする意識をこらえて、ただひたすらに経を唱え続ける。
◇
アメリカの西海岸。ロサンゼルスの郊外で、ひときわ存在感を見せつける豪邸。
おそらく有名な建築士が趣味嗜好を凝らして建てたであろう、洗礼されたアバンギャルドなデザイン。中庭にはお約束のようにプールがあり、陽射しに水面を輝かせる。人々の羨望を集める、まさにアメリカンドリームの象徴である。
広いリビングの床をメタリックな小型円盤が動きまわる。
掃除ロボットだ。テーブルや椅子といった障害物を避けながら、すいすいと床を這いまわっている。
身の世話をマシンにゆだねるにしても、自律AIを搭載したヒューマノイドが出回っているこのご時世、掃除のみに特化した、それもフローリングという局地的な活躍しかできないロートルマシンは今やオーパーツに等しい。
「クレイジーだ!まったくもって理解できん!」
嘆き声が響き渡る。
清掃に勤しんでいた掃除ロボットは声に反応して静止する。そして声主の方にくるりと向き直る。
そこにいるのは、ソファーでくつろぎながらウェブパッドを見る豪邸の主、ウェイン・ゴールドマンである。甘いマスクの白人男性。そしていやでも目が行くのは輪郭がわからないほど伸びきった無精髭。それは彼の開放的で自由な性分を端的に表している。
「宗教において、神に対する信仰心を表現するため身を呈する修行行為は幾つもある」
掃除ロボットはウェインの嘆きに応えて喋り出す。聞き惚れるほど渋みのある男性の声色と、胴体のフロントに取り付けられたLEDが喋りにシンクロして点滅する様はなんともミスマッチングである。
マシンの名はX。ボディこそ掃除ロボットだが、思考形成に特化した超自律AIである。
イクスの喋りは続く。
「なかには自身にあらかじめ防腐加工を施して祈祷を続け、そのままミイラになるという修行法もある」
「イカれてるな。そんなのはただの自殺じゃないか」
「理想の体現という観点からみると、自己完結している分、私はスマートだと感じる。それを自棄的な行為と括るなら、君も自殺志願者の一人だ」
「どういうことだ?」
「私はテーブルの上を片づけることはできない」
ソファー向かいのローテーブルの上。そこにはおびただしい数の、そして多種多様な酒のボトルとグラス、ビールの缶がところ狭しと並んでいる。
「あなたのアルコール摂取量は身体への負担が大きすぎる」
ああ、なるほど。と、ウェインは一人頷いて飲みかけの缶ビールを手に取る。そして一気に飲み干す。
「ありがとう、イクス。またひとつ賢くなれた。つまりモンク(修行僧)たちよりも気持ちよくなれている分、わたしは得してるってことだ」
「そう前向きにとらえているのであれば、これ以上言及しない」
「じゃあ、こいつはどうなんだ?」
ウェインはウェブパッドをかかげて画面の映像をイクスに向ける。そしてイヤホンのコードを乱暴に抜く。せきを切ったように、音が飛び出す。
『―たったいま!たった今、少年が姿をあらわしました!僧たちに担がれながらぐったりとした様子!意識はあるのでしょうか!?生きているのでしょうか!?』
声を荒げて渾身の実況をする女性リポーター。騒然とする場のなか、映像のカメラは御堂から僧に担ぎ出される蒼生の姿をズームで追う。
「アオイはなにがしたいんだ、こんな大事な時に。電話にすら出ないと思ったら、こんなふざけたパフォーマンスで世間を沸かしている。あいつが信仰に目覚めたって?そんな冗談、神様も信じやしないさ。まったくもってあいつの行動が理解できん」
「わたしもアクセスして同じものを見ていた最中だ」
「なんだ、掃除なんかしてるふりしてサボってたのか」
「語弊がある」
「まあいいさ。問題はアオイだ。なぜ周りはあいつを止めなかったんだ」
「止めるも何も、誰にも相談していない可能性がある。現に、彼が直接指揮をとるプロジェクトと承認待ちの案件が合わせて7つ、停滞している」
「いや、8つだ。最重要案件が抜けている」
「それは、君の遊び相手になることか?」
ウェインはウェブパッドをソファーに放ると、テーブルをまさぐり掴んだウィスキーボトルをラッパ飲みする。
不機嫌そうに空を睨む。それは楽しみをおあずけされた子供のような稚拙な苛立ちである。
「…イクス、日本に飛ぶぞ」
直情的で行動家の彼ならでは。思考がそのまま言葉となる。そしてすぐさま行動に移す。
「本気か?明日のプレジデントとの会合はどうする?」
「キャンセルだ。無理なら代理を立てておいてくれ」
ソファーから跳ね起きると、いそいそと支度に取り掛かる。
「イクス、出発は二時間後だ。ジェットを手配してくれ」
そう言い捨てると、リビングから消える。
取り残されたイクス。
「アオイも君も、私から言わせれば同類だ」
イクスは一人ぼやく。
◇
高層ビルのマンション一角。
リビングは久々に家主を迎え入れる。
明かりをつけると、雑然としたまま放置された部屋がほこりをかぶっていた。
ここに戻ってくるのも一か月ぶり。
蒼生は荷物を床に放り投げると、散乱する大量の書物を踏みつけ、足でかき分けながらソファーにたどり着く。
ソファーに体重を預けると、リモコンでテレビをつける。
例の一部始終をちょうどテレビでやっていた。
蒼生はテレビに映る無様な自分の姿を嘲笑する。
マスコミが嗅ぎ付けてきたのはイレギュラーだった。想定すらしていなかった。
目的が定まったなら手段なんてなりふり構わない性質だが、こうも大っぴらに晒されるのであればもっと慎重になっていた。
いや、そもそも何故あいつらはその場にいたのだろうか。ネタが転がっているところには何処にでも現れる。
ちゃんと坊主どもの口封じもしておくべきだった。そんな後悔が少しよぎる。
そもそも住職には無理を頼んで荒行をさせてもらうにあたり、相当な額をお布施として寄付したわけだ。それは寺を立て替えて、明王様を金箔に塗り替えてもおつりがくる額だ。
それがまさか寺の広告塔にまで使わされるとは想定外だ。
まったくもって終始不快な思いをしただけだった。
荒行に臨んだことは殊勝な取り組みでもなんでもない。
衝動的にやった。ただそれだけ。
毎夜毎夜、夢に出る、あの忌まわしき竜の姿を忘れるための自分なりの荒療法だった。
(…弱気になってやがる)
そんな自分が腹ただしい。
人生を復讐のためだけに捧げてきた身。
世界を動かす権力を手に入れた。
それが真実に近づくための一番の近道だと信じていた。
今や社会において手に入らない情報などない。世界情勢を網羅し、政治や軍事の裏側まで覗き見ることができるようになった。この世で知り得ないことはないはずだ。
…なのに、父と母の命を奪った、あの竜の手掛かりは一向にでてこない。
十年前の、目に焼き付いたあの凄惨な光景…大人たちが信じなかった子供の妄言は、幻のまま、記憶とともに消え入ろうとしている。
(あれが…あれさえ起動すれば…)
― ピンポーン
不意に、インターホンが鳴る。
(マスコミか?フロントにも何人かいたが)
荒行で気絶した後、搬送された病院でまる二日間療養し、自らの足で退院したわけだが、家に着くまでのその帰路にも、マスコミはねちっこく纏わりついてきた。
まあ、退院といっても、退屈すぎて無断で抜け出してきただけだが。
― ピンポーン
再び鳴り響く。
蒼生は動かない。もっと深くソファーに身を沈めて目を閉じる。徹底的に無視する構えだ。
― ピンポーン!ピンポン!ピンポン!ピン!ピン!ピン!ピン! ―
「うるせえ!」
露骨な悪意に挑発され、いきり立って廊下に駆け出す。
勢いよくドアを開けると、そこには秘書の白瀬冬子が立っていた。
赤いフレームのメガネが特徴的で、スーツの佇まいに知性の品性を感じさせる端麗な美女だ。
「ご無沙汰です。御無事でなによりです」
悪びれた様子もなく、淡々とした口調で挨拶する。
「おう、冬子か。てか、どうやってフロントくぐってきた?」
「話したいことが山ほどあります。上がってもよろしいでしょうか」
「明日にしてくんねえかな、疲れてる」
「なら明日までここで待ちますが」
冬子は表情を変えない。冷静で感情を表に出さない彼女だが、眼鏡越しの瞳は据わっている。慎ましく怒りを訴えている。
「なんだ、明王さまよりよっぽど怖えじゃねえか」
蒼生は仕方なく冬子を部屋に招き入れる。
「床のもの勝手に除けていいから。座りたきゃ勝手に場所つくれよ」
もてなす気はさらさらない。そう言い放つと、自分は悠々とソファーに腰掛けるわけだが、冬子はお構いなく蒼生の隣に並んで座る。
不意に、香水の香りが鼻をくすぐる。
思わずたじろぐ。美人秘書の大人の色気に、思春期の地が出てしまう。
「メールのほうは確認されましたか」
「いや…」
アオイはばつが悪そうに視線を逸らす。
「早速で申し訳ありませんが、明日からのスケジュールを確認させていただきます」
そう言いながら、バッグからノートパソコンを取り出すと膝の上で起ち上げる。
「それと、こちらの報告書を確認お願いします」
分厚い資料を蒼生に突きつける。
嫌々手に取ると、仕方なく目を通す。
その間、冬子は淡々とスケジュールを読み上げ、資料の説明を挟んでいく。
当の蒼生は気持ちここにあらず。冬子の説明に対して適当に相槌をうつだけ。
(さて、どうしたもんかな…)
漠然とした未来設計が脳裏を過る。
(普通に学校に通って、青春して、そういう人生もありなんじゃないか…)
― ピンポーン
インターホンが鳴り響く。
冬子は説明を中断する。
「いかがなさいますか」
「ほっとけばいいさ」
では ― と、冬子も気にしない様子。自分の仕事を淡々とこなすだけ。説明を再開する。
― ピンポーン!ピンポン!ピンポン!ピン!ピン!ピン!ピン! ―
つかの間の、本日二度目のインターホン連打。
鳴り止まぬ残響のなか、蒼生と冬子は無言のまま見合わせる。
冬子は率先して立ち上がると、廊下に出向く。
そしてドアを開ける。
冬子は眼鏡越しから、目を丸くする。
そこには季節感のないアロハシャツ姿の、リュックを背負ったウェインがにこやかに立っている。
「ゴールドマンCEO!?」
さすがの冬子も驚きを隠せない。
IT産業の世界最王手企業アルファベータ社。その最高責任者が目の前にいる。
冬子にとっては自社の社長。とはいっても、日本支社の、末端の構成員がお目にかかることなどかなわない、いまやアメリカ大統領よりも発言権を持つとまでいわれる世界経済の最重要人が突然現れたのだ。驚かずにはいられない。
「いるんだろ?アオイ」
「え、ええ。います」
「親友二人が会いに来た」
そう言って、背中のリュックを向ける。そこにはリュックからはみ出したボディをのぞかせるイクスの姿がある。
「はじめまして、ミス冬子。イクスと申します」




