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桃園結義異聞  作者: 胡姫
8/17

劉備、程普(ていふ)と韓当(かんとう)に会う

盧植の塾にほど近い田園地帯の中に、田豫でんよの家はあった。

予想に反して、そこは貸家ではなく普通の民家であった。田豫の遠縁の老婆が住んでいるというその家は、老婆が一人で住むにはかなり大きい家であった。

家主の老婆は、庭先の鶏小屋にしゃがみこんで鶏に餌をやっていた。

「婆さん、帰ったよ。」

「あんたかい。やれやれ、また客を連れてきおって。」

老婆は緩慢にこちらを見た。容貌が、雑貨屋にいた老婆に酷似している。劉備がしげしげと覗き込むと、見透かしたように田豫が「麻ばあさんの妹だよ」と言った。

「市場でこいつに助けてもらった。酒を用意してくれないか。ついでにその鶏もつぶしてくれ。」

「田の坊っちゃんは人使いが荒いねえ。」

よっこらしょ、と麻婆は立ち上がった。立つと麻婆は田豫の背丈の半分ほどしかなかった。

「酒なら先客が来ているよ。程と韓と言ったかね。」

「あいつらか。ちょうどいい、玄徳にも紹介してやる。」

徳然は皆に聞こえぬよう、小さく舌打ちした。形ばかり訪問して辞去しようかと算段していたのだが、すぐには帰してもらえなそうである。

部屋に入ろうとした途端、熊のような黒いものが飛びかかってきた。

とっさに徳然は劉備を背にかばった。熊は田豫に激突し、二人はもんどりうって倒れた。

「おお、田の坊っちゃん。相変わらずべっぴんさんだなあ。」

韓当かんとう!」

劉備は目をぱちくりさせた。熊が田豫を襲っている?いやいやここは人里。それに今言葉を話していた…。

「本名で呼ぶなよ、礼義がなってないな。」

「こんなことして何が礼儀だ。もう酔っ払っているな。」

熊は豪快に笑った。もちろん熊ではなく、熊によく似た人間であった。年は田豫より少し上のようで、二十をひとつかふたつ超えたくらいか。全体に毛深く、ずんぐりした体格で、熊の毛並みのような色の上衣を着ていた。見間違えるわけだ。

奥からもう一人出てきた。同じくらいの年恰好の、しかしこちらはずっと風采の良い男である。筋肉質の体格と、抜け目なさそうな顔をしていた。

「悪いな、こいつ、昨日旅から戻ったばかりで。…おや、こちらは。」

男は劉備と徳然に目を止め、これは失礼、と軽く辞儀をした。

「私は程普ていふ、字は徳謀と申す。友人の非礼、ご容赦願いたい。」

「いいえ。少し驚きましたが。田さんは変わったご友人をお持ちですねえ。」

徳然が営業用スマイルで応じながら、ちくりと皮肉った。

程普と韓当。この二人、のちに呉の宿将として天下に名をとどろかせることになる。

呉のイメージが強いので意外だが、程普と韓当は幽州人で、劉備と同郷である。程普は右北平郡、韓当は遼西郡出身である。

「こら義公(韓当の字)、酔っ払ってないで挨拶せんか。」

「なにー?わしはこの程度の酒で酔ったりなどせんわ。ははははは。」

韓当は程普の肩をばんばんと叩いたかと思うと、ばたりと倒れた。そしてそのまま動かなくなった。

「死んだのか?」

「いや、寝てる。飲まず食わずで野宿しながら、ここまでたどり着いたと言っていたからな。」

田豫と程普は、韓当を部屋の隅に引きずって行った。荷物のようにごろんと転がすと、田豫は劉備と徳然に向きなおって、満面の笑みを浮かべた。

「さ、自分の家だと思ってくつろいでくれ。」

そんなこと言われても!と思ったが、ちょうど麻婆が鶏をさばいたやつを持って入ってきた。血のしたたる首なしさばきたてほやほやの、アレである。

「これ、何にするかね。炙るかね。あつもの(スープ)にするかね。」

もはやどうツッコミを入れていいかわからないうちに、宴会が始まった。


程普は一時盧植の塾に在籍したことがあると言った。ただしほんの短期間で、近在の村で小役人の口が見つかったためすぐに辞めたという。

「でも役人も性に合わなくてね。今は気の向くまま、諸国をふらついたりしているよ。韓当のやつとも旅先で知り合ったのさ。」

他国で同郷人に会うのはとても心強い。現在と違い、旅は死と隣り合わせの厳しいものであった。多くの旅人が路傍でのたれ死んだものだ。二人が意気投合するのも道理であった。

「この家は、私が塾生のころに住んでいたことがあってね。時々寄らせてもらうんだ。」

「昔、麻婆は塾生相手の下宿家をしていたんだ。年をとって引退したけど。」

田豫が続けた。道理でものに動じない婆さんだと思った。料理もうまい。

「そうだ、玄徳もまだ住むところが決まっていないんだろう?ここに住めよ。」

「えっ、いいのか?」

「とんでもない!」

劉備と徳然は同時に叫んだ。

徳然は、せっかく二人で遊学するのだから二人きりで住むつもりでいた。小さな貸家を借りて、賄いも二人でして、質素だけどささやかな水入らずの生活なんぞを思い描いていたのだ。

田豫に二人の生活を邪魔されるなど、冗談ではない。

それに徳然は、田豫に何か嫌な予感を覚えていた。これ以上、この男に劉備を近づけたくない。近づけてはならない気がしていた。

「ご厚意はありがたいのですが、もう引退なさったのなら申し訳ないですから、」

徳然はにこやかに断ろうとしたが、田豫は徳然を無視して劉備にずい、と顔を近づけた。

「塾のこと、いろいろ教えてやるよ。部屋は余ってるし、一人や二人増えたってどうってことない。」

「それはいい。こいつはこう見えて田氏のお坊ちゃんだから、世話になって損はないぞ。」

程普も口をはさんだ。余計なことを!と徳然は笑顔がひきつるのを感じた。

「田氏って?」

漁陽ぎょようじゃちょっと名の知れた名士だよ。もっともこいつは妾腹で、本家からはつまはじきにされて…。」

「やめろ!」

田豫の鋭い声が飛んだ。

はっとしたように程普が口をつぐんだ。

その場が凍った。劉備は田豫の目元が切れあがり、怒りに震えるのを見た。

重い沈黙を破ったのは、熊のような大あくびだった。

「ぐああー、よく寝た。おおっ、宴会か!」

韓当だった。

誰もがほっと息をついた。韓当がのっそりと起きだしてきたため、一触即発だった空気はもとのなごやかさに戻った。

「ああ義公(韓当の字)…おはよう。お前はいいやつだな。」

程普がしみじみと言ったが、もちろん韓当には通じなかった。韓当は韓当のペースであたりを見回し、歓声を上げた。

「おお、客人が二人もいるじゃないか。どれ、旅の話を聞かせて進ぜよう!」


それから韓当の旅の話が始まった。田豫も、先ほどの態度は嘘のように、終始にこにこと韓当の話を聞いていた。酒が注がれ、料理が供される。宴会はにぎやかに進んだ。

「…で、お前さん、名は何というのだっけ。」

かなりたってから、韓当は目の前の劉備に問いかけた。今更か、と劉備は呆れた。お互い名乗りもしないで盛り上がっていたのだ。酔っ払いなどそういうものである。

「劉備だよ。字は玄徳。こっちは従兄の劉徳然。」

「劉玄徳。ふむ。」

韓当は劉備の顔を見ていたかと思うと、おや、とつぶやいて急に黙り込んだ。

そして、劉備に寄り添うように座る徳然を、じっと見た。難しい顔が更に難しくなった。

「…悪く思わないでくれ。劉徳然、この子といると死ぬよ。」

「え!?」

劉備は思わず盃を取り落とした。かしゃん、と乾いた音を立てて盃が割れた。田豫と程普が振り返った。

徳然は黙ったまま韓当を見返している。心なしか、色白の顔がいつもより青ざめて見えた。

「おい、悪い冗談はよせよ!いくら酒の席だからって、」

劉備が声を荒げると、田豫も「どうした」と言いながら寄ってきた。

韓当は首を振った。

「冗談でこんなことは言わんよ。」

「…こいつは少し人相見ができるんだ。」

いつのまにか程普が後ろに来ていた。

「旅先で多くの人を見たせいか、ごくたまに、人の運命が見えることがあるらしい。」

まさか、と劉備は笑おうとしたが、誰も笑っていなかった。みな酔いが醒めた顔をしていた。

冗談ではない。本気なのだ。

――徳然が死ぬ?

劉備は急に恐ろしくなった。考えたこともなかった。考えたくもなかった。そんなことは、ありえないと信じていた。足元がすっと冷えていった。

「そんなの…嘘だ。」

劉備は無意識に徳然の袖をぎゅっと握りしめた。背中を冷たい汗が伝った。

「俺たちはいつも一緒だったんだ。今までも、これからだってずっと。徳然は俺と一緒にいなきゃならないんだ。だから、」

そんなの嘘だ!ともう一度叫んだ劉備を、徳然の腕が包み込んだ。

「死にませんよ。ただの占いです。」

「でも、もし、」

「死んでも、いいんです。」

はっと劉備は顔を上げた。徳然は静かな目をして、微笑っていた。

「安心しろ。一緒にいたら、と言ったんだ。一緒にいなければ死ぬことはない。」

韓当が言うと、徳然はゆっくりと韓当に向きなおった。

静かな怒りが身の内に燃えていた。自分の運命に、ではない。劉備の心を乱したことに対してだ。

「ご忠告ありがとう。でも、私は玄徳から離れたりしない。」

「しかし、」

「絶対に離れない。何があっても。」

徳然の声は静かだが、断固とした響きがあった。さすがの韓当も、気圧されたように黙った。

そのまま宴会はお開きになった。


その夜は田豫の家に泊まった。あまり眠れず、劉備は寝返りばかり打っていた。

ふと気づくと、傍らに徳然の姿がなかった。劉備は音を立てないよう、そっと夜具から抜け出した。

部屋の外で何やら話し声がする。

「――それで、占いを避ける方法はないのか。」

「ない。」

徳然と、韓当の声。劉備はその場から動けなくなった。

「…そうか。」

徳然が戻ってくる気配がした。劉備はあわてて夜具にもぐりこんだ。今聞いた言葉が胸に突き刺さった。

――俺がいなければ、徳然は死なない。俺さえあいつから離れれば…。

「…なあ、やっぱりここに住めよ。」

不意に、眠ったと思っていた田豫が話しかけてきた。

その瞬間、劉備の心は決まった。

「世話になる。ただし、俺一人だ。」


翌朝早く、劉備と徳然は田豫の家を発った。







程普と韓当って劉備と同郷だったのですね。私も初めて知った時は驚きました。てっきり呉の人かと。年も近いし、どこかで会っていたかもしれませんね。というわけで田豫さんちで会わせてみました。韓当が占いをする、というのは眉唾ですが(笑)。実は韓当の占いはもう一つありますが、それはのちほど。

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