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桃園結義異聞  作者: 胡姫
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劉備、田豫(でんよ)という知己を得る

迷路のような路地を、劉備は走り続けた。もうどこがどこなのかさっぱりわからなかった。公孫瓉(こうそんさん)に殺されるよりは、迷子の方が何千倍もましだった。

どれだけ走っただろう。さすがにこれ以上は無理、と倒れそうになった頃、二人は大きな市楼のある、中央広場にたどり着いた。役所のあるところだ。

「ここまで来れば、役所に駆けこむことも出来る。少し休もう。」

二人は市楼の石段の、なるべく人目に付かないところを選んで座り込んだ。

劉備は改めて目の前の相手を見た。思った通り、さっきの若者だった。

「…どうやって…あいつを…。」

「ああ、目に唐辛子をぶつけてやったのさ。どんなに鍛えていても、目だけは鍛えられないから。」

若者は劉備より少し年上のようだった。息も劉備ほどは上がっていない。

ひどい目に遭ったというのに、彼は全く取り乱していなかった。肝の据わったやつだ、と劉備は内心感嘆した。

「…助かった。ありがとう。」

涼しげな瞳は睫毛が長く、妙齢の女性のようだった。体つきも細い。知らなければ女性と間違えられるかもしれない。

若者の裂かれた上衣はほとんど肩からすべり落ちそうになっていた。衣(下着)も身につけていない。

劉備は自分の上衣を脱いでかけてやった。

「礼を言うのは俺の方だ。さっきはさすがにヤバかった。あんたが来てくれなかったらどうなっていたか。」

思い出したのか、ぶるっと若者は身を震わせた。

やはり相当な恐怖を感じていたのだ、と思っていると、

「俺はタチだっての。ネコ扱いされてたまるか。くそっ気色悪い。」

「…は?」

若者の口から意味不明な単語が飛びだした。劉備がけげんな顔をしていると、若者は「あんたは知らなくていい」と言って苦笑した。

「俺は田豫(でんよ)。字は国譲(こくじょう)漁陽県(ぎょようけん)の出身だ。あんたは?」

「劉備。字は玄徳。涿県楼桑村(たくけんろうそうそん)から来た。」

「ふうん、いくつだ。」

「十五。」

「十五にしては喧嘩慣れしていたな。俺は十八だ。」

田豫はふと思いついたように聞いた。

「そういえば、お前、何であそこにいたんだ?」

「あっ!」

劉備は雑貨屋の一件を思い出した。

「俺は、お前に踏まれて大怪我させられたんだ!」

田豫はちょっと考え込んで、ああ、と膝を打った。

「麻ばあさんの店にいたやつか。そういえば踏んだな。あんただったのか。」

「踏んだな、じゃない!背中に血がべっとりと、」

「血?」

田豫は劉備の背中をのぞきこんだ。上衣は田豫に貸したので、今はTシャツみたいな衣一枚である。

田豫はそれをめくって、中をのぞきこもうと顔を近づけた。

「――玄徳!」

その時、すぐ耳元で、聞き慣れた声が聞こえた。劉備はびっくりして顔を上げた。

と同時に、田豫がすごい勢いで吹っ飛ばされるのが見えた。

「あなたは…こんなところで何をしているんです!」

劉徳然だった。徳然が、ようやく劉備を探し当てて、ここまでたどり着いたのだ。


徳然は怒りで目の前が真っ白になる、という体験を初めて味わった。

ようやく見つけた劉備が、見知らぬ男に石段の影に連れ込まれ(と徳然には見えた)、裸にされそうになっていた(ように見えた)のだ。

その瞬間、すべての理性が一瞬で吹き飛んだ。

大股で歩み寄り、徳然は有無を言わさず田豫を殴り倒した。

「だから言ったでしょう!私から離れて出歩くから、こんな男に引っかかるんです!」

「は?俺は何も引っかかってないぞ。何言ってるんだ?」

「その格好は何です!」

自覚がなかったが、劉備は今かなりきわどい恰好をしていた。下着一枚、それも半分以上めくられて、ほとんど半裸の状態である。

田豫が口元をぬぐいながら起き上った。今の衝撃でかなり切ったらしく、押さえた手の間から鮮血があふれていた。

「玄徳、誰だこいつ。」

「お前こそ誰だ!なれなれしく呼ぶな!」

またもや一触即発。劉備は全く聞く耳を持たない徳然に驚いた。普段はこんなに喧嘩腰で話したりしないのに、一体どうしたのか。

「徳然、こいつは田豫といって、俺の命の恩人だ。頼むから落ち着いてくれ。」

「こんなやつをかばうんですか!…え、恩人?」

ようやく徳然の剣幕がおさまった。徳然はくるりと劉備に向きなおった。

「そう。公孫瓉って悪党に殺されかかってさ、まあ聞けよ。」

劉備が手短に経緯を説明すると、徳然の顔がみるみる青くなった。

「そんな大変なことが!ああ、あなたが無事でよかった。」

徳然は劉備をぎゅっと抱きしめた。裸の肌から劉備の体熱がじかに伝わってきた。そのぬくもりに、徳然はしばし陶酔した。ああ、可愛い。食べてしまいたい。

「で、こいつが背中に大怪我したって騒ぐから、見てやろうとしたんだよ。」

田豫がぶすっとして話に割って入った。

いきなり現れた従兄だとかいう男が、田豫はどうも気に食わなかった。はっとするほど端正な顔をしているのも、優等生めいた所作も、何もかも気に入らなかった。何より劉備にべたべたしすぎだと感じた。

「血なんて、見間違いじゃないのか。怪我なんかしてないぞ。」

「そんなはずない。この上衣にもほら、赤い染みが、」

「これ…丹砂じゃないですか?」

徳然が上衣を見て言った。丹砂は口紅の原料になる赤い顔料である。染みは足型にべったりと付いていた。

血ではなく、田豫が踏んだ丹砂がついたと見るのが自然であった。

「そういえば、あの店に入る前、白粉屋(おしろいや)の樽をひっくり返した。」

劉備は一気に脱力した。あんなにむきになって追いかけたのが、全くの無駄だったのだ。

「だいたい、何だってあんなに走ってたんだよ!」

「金をすられてさ。」

田豫は、走っていたのはかっぱらいを追っていのだと説明した。童子の二人組に銭束をかすめ取られ、先回りしようと路地を走り回っていたところに、運悪く公孫瓉の取り巻きに激突してしまったのだという。

「…ま、あいつには前から目をつけられていたからな。さっきのも嫌がらせだ。くそっ、えげつない手を考えるやつだ。」

「知り合いなのか?」

「ああ、塾で。」

「塾って、もしや盧先生の?」

「そうだよ。このあたりで塾と言ったら盧下塾だ。この市場にも塾生はごろごろ来ているぜ。」

塾生も千人規模となるとピンキリで、中にはたちの悪いのもいる。公孫瓉みたいなインテリがゴロツキを仕切って、小遣い稼ぎにヤクザまがいの悪事をすることも珍しくなかった。

「奇遇だな!実は俺たちももうすぐ入る予定で…」

「ちょっと待ってください。さっきから気になっているのですが。」

話が長くなりそうなのを見て、徳然が苛々とさえぎった。このまま放っておいたら、いつまでしゃべり続けるかわからない。

「二人とも、その格好を何とかしてください。話はその後でもいいでしょう。」


三人は古着屋を見つけて入り、一番安い服を買った。

徳然は早く劉備の上衣を取り返して田豫を追い払いたかったのだが、田豫は有り金をすられて無一文の上、劉備も銭袋を投げてしまったので、結局徳然が田豫の服を買わされる羽目となった。

厄日である。

それでも、これでようやく劉備と二人きりになれる、と思い我慢したのだが、次の田豫の一言で事態は一変した。

「世話になったな。礼をしたいんだが、これから俺の家に来ないか?」

「やった!行こうぜ、徳然。」

「玄徳!」

徳然はもう運命を呪いたくなった。今日のプランは台無しを通り越して悲劇ですらある。劉備相手では一筋縄ではいかないと覚悟していたが、まさかここまでとは。

――嗚呼、天は我を見放したか。

しかし断るのも失礼、何よりノリノリの劉備に徳然が逆らえるはずもなく。不本意ながら田豫の家を訪れることとあいなったのであった。




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