表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桃園結義異聞  作者: 胡姫
16/17

凶星現れ、三国志の幕が上がる

何という選択か。

「そんな選択、出来るわけないだろう!」

劉備は叫んだ。よりによって徳然の命数を奪うということがどういうことか。考えただけで背筋が凍る。

「そんなこと…出来るわけ…」

「出来なければ言うか。儒者は机上の空論を論ずるものに非ず。何故(なにゆえ)儒者が歴代王朝に、かくも重用されてきたか分からぬか。我らが力、こんなものではないぞ。」

盧植はにやりと笑った。高名な学者にあるまじき、悪魔の如き笑いであった。御簾(みす)越しに仰ぎ見てきた我が師とはこれか、と劉備は呆れながらも妙に感心した。儒教など立身のためのつまらん道具(ツール)のひとつとしか思っていなかったが、実はダークな悪魔的秘術でもあったらしい。

「だいたい俺が世に出たらまずいんだろ。生かしてどうするんだよ。」

「その通り、このままでは世に出せぬ。よって、」

盧植はふふ、とメフィストフェレスばりの笑いをもらした。良い策を思いついたらしい。ダーク儒者の本領発揮である。歴史にとっては良いことか悪いことか。

「強力な用心棒を付けるがよい。それも一人では足りぬ。天下無双の豪傑を二人見つけよ。これがそなたを世に出す条件じゃ。」

「は?天下の豪傑なんてどこにいるって言うんだよ!」

「うるさいのう。わしの華麗なる妙案が気に入らぬとでも?これしきの決断も出来んで何が英雄か。では大人しく死ぬがよかろう。」

「嫌だ!俺は死なない!」

その瞬間、劉備は悟った。

絶対に死にたくなかった。何を犠牲にしても、誰の命を奪っても、絶対に死ぬわけにはいかない。

それは本能からの、根源からの、強烈なエネルギーの欲求だった。魂の奥深くで、自分の意識以外の何かが、ぞろりと首をもたげる気配がした。

俺は死なない。中国全土の最後の一人になるまで、戦って戦って戦い抜く。

自分以外の何か強力な力に突き動かされるように、劉備は叫んだ。

「俺は生きたい!徳然の命をくれ!」


盧植は虚空を指差した。夜空に満天の星が広がっていた。

やはり夢なのだと劉備は思った。

「見よ。凶星じゃ。」

血のような色をした小さな星が出現していた。劉備は星を読むのは苦手だったが、今まで見たこともない星だということは分かった。星は小粒ながら強烈な存在感を放っていた。

そして近くにはさらに凶悪そうな星が二つほど見えたが、もとからあった星なのか今出現したのか劉備には分からなかった。

「あの星はそなたの星。乱世の始まりじゃ。」

満足げな笑いとともに、盧植の姿が見えなくなった。


ごうっとものすごい熱風が吹きつけてきて、唐突に色と音と熱が戻ってきた。ということは今まで色も音も熱も感じていなかったということだった。

劉備の目の前の壁が真っ二つに割れ、火だるまになって階下に落ちた。ぽっかりと空間が空き、外気がどっと入ってきた。

足場が崩れた。同時に竜巻のような熱風が巻き起こり、劉備は戸外に吹き飛ばされた。

次の瞬間、建物が大爆発を起こした。もはや建物としての形をとどめられず、妓楼は断末魔の叫びを上げながら自身の重みで崩れていった。

劉備は路地の隙間まで吹っ飛ばされて倒れていた。驚いたことに無傷で、軽い火傷すら負っていなかった。


妓楼は全焼だった。火は隣接する一帯を焼き払い、被害は甚大であった。

助かった者は皆無であった。ただ一人、劉備を除いては。

しかし関係者が全員死亡したため、劉備がこの場にいたことを知る者はいなかった。夢でなければ盧植が知っているはずだが、盧植は決して口外しないであろう。

田豫でんよの遺体は見つからなかった。

田豫の存在は田氏本家によって抹消され、闇に葬られた。のちに正史に登場する、劉備、公孫瓉こうそんさん袁紹えんしょう、曹操に仕える田豫国譲は、田氏本家に生まれた二人目の田豫である。

徳然は焼け残った木組みの間から発見された。奇跡的に目立った火傷はなく、白い肌はほんのりと桃色に染まり、生前と変わらぬ姿に見えた。

徳然は既に息絶えていた。

命数が尽きたのである。


劉備は塾を辞め、故郷へ帰った。


「つまり玄ちゃんは、その盧植って人もたぶらかしたんだね。」

劉備の長い話を聞いた簡雍(かんよう)の、第一声がそれであった。契兄弟のことは伏せてある。やや歯切れの悪い話になるが致し方ない。

「何でそうなるんだよ。そういう話じゃないだろう。」

「そういう話にしか聞こえなかったけど。だって土壇場で、命数をちょろまかしてもらったんだろう?」

楼桑村(ろうそうそん)である。

簡雍(かんよう)は劉備の家の庭先で、のんびりとぬるい茶をすすっている。じじむさい姿は三年前と少しも変わったところはなく、簡雍は簡雍のままであった。

しかし劉備母子を取り巻く状況は激変した。

故郷に帰った劉備を待っていたのは、予想以上の風当たりであった。

徳然の母、金蓮は半狂乱になり、力の限り劉備を責めた。

自慢の息子が、こともあろうに妓楼の火事に巻き込まれて死んだなど、到底受け入れられるものではなかった。ましてや徳然は、仕官が決まったと手紙で知らせてきたばかりだった。

「あの子が妓楼なんかで死ぬわけがない。全部お前のせいだ!」

金蓮は劉備のせいだと決めつけ、衆目の眼前で罵倒し殴りかかった。挙句に刃物を持ち出して劉備に切りつけ、周囲に取り押さえられる騒ぎまで起こした。

「お前などと一緒に行かせるんじゃなかった。学費まで出してやったのに、恩知らずめ!」

金蓮の怒号は、静かな楼桑村に響き渡った。噂は瞬く間に村中に知れ渡った。

「お前の方が死ねばよかったのに!」

劉備は一切反論しなかった。反論どころか全てその通りだと思った。母親の勘なのか、金蓮の言葉は恐ろしいほど正鵠(せいこく)を射ていた。

劉備の母の小香は何も言わず静観していた。こちらの沈黙も怖かった。

徳然の葬儀にも、劉備は参列しなかった。金蓮がかたくなに拒否したからである。これまで劉備の最大の味方であった劉元起も、今度ばかりは劉備に冷ややかな態度をとった。劉備母子は孤立した。

劉備は以前にもまして遊び歩くようになった。

劉備は終日市場にたむろし、酒場に入り浸り、ヤクザまがいの任侠者と好んで親交を持った。趣味のファッションや歌舞音曲にもますます傾倒し、狩猟を好み、楼桑村で厄介者扱いされるようになっていった。

簡雍(かんよう)と張飛だけが劉備と変わらず接していた。

「しかし天下無双の豪傑とはねえ。盧植って人、無茶ぶりもいいところだね。」

「お前、夢の話なんか信用するのか。」

「玄ちゃんの話だったら何でも信じるよ。張翼徳(張飛)なんてどう。あいつ馬鹿だけどやたら強いよ。」

「張飛が天下の豪傑ねえ。まあ考えておくか。」

劉家の庭先には犬の死骸やら糞やら投げ込まれるようになった。けちな嫌がらせである。小香が怒り狂って叩き出しているが、臭う。そんなところで茶を飲む簡雍も簡雍である。

「お前が豪傑のわけないしな。」

「ははは何言ってんの無理無理。でも玄ちゃんの行く所ならどこへだって行くよ。」

事実簡雍は最後まで劉備の流浪につき従い、しょくで死んだ。劉備陣営の最古参で、一番の親友であり一番の無礼者だったと伝えられる。

小香は劉備のおかげで苦しい立場に立たされたが、劉備に向かって文句を言うことも、遊学中のことを問いただすこともなかった。あれだけうるさかった小言も一切言わなくなった。

「あんたももう一人前の男だから」

というのが小香の言い分であった。


そして五年が過ぎた。


   


やっと本編につながった…かな。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ