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桃園結義異聞  作者: 胡姫
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惨劇

さすがに徳然も予想していなかったため、反応が遅れた。

火鉢から燃える炭火がふりかかった。徳然は袖を大きく振って防いだ。ごろんと火鉢が足元に転がり、徳然はたたらを踏んでバランスを崩した。すかさず劉備が体当たりしてくる、と予測して身構えたが、衝撃はやってこなかった。

劉備は丸窓に取り付いていた。中庭に面した丸窓には、人一人がやっと通れるほどの幅しかなかった。劉備は木枠をはずし、今まさに飛び下りようとしていた。

「悪い徳然、手紙書くから!」

劉備は躊躇いなく二階から身を躍らせた。駆け寄った徳然が伸ばした手は、虚しく空を切った。

「待ちなさい!」

「お前、無茶苦茶だぞ!」

驚いたのは田豫である。事前に何の打合せもなく取り残され、田豫は少なからず慌てた。こんな徳然と二人きりにされては命が危ない。田豫は劉備を追おうとしたが、丸窓は田豫が通り抜けるには小さすぎた。

戸は開いたままだった。田豫は部屋から飛び出そうと試みた。視界の端に、徳然が立ちふさがるのが見えたが、構わず突進した。

「通しませんよ!」

徳然は腰にさした長剣を抜いた。まさか抜くとは思っていなかった。田豫はややひるんだが、徳然の顔面めがけて蹴りをくらわすことにした。しかしかわされて(たんす)に激突し、徳然の長剣が鼻先をかすめた。すばやく体勢を立て直し、田豫も長剣を抜いた。今度は徳然の足を狙って斬り込んだ。

切っ先は徳然の膝下をえぐったが、深手には至らず、田豫はさらに切りつけようと長剣を握り直した。狭い室内では長剣の長さがかえって邪魔になる。田豫は小回りのきく懐剣に持ち替えた。わずかな隙が生まれた。

きらりと何かが光を反射した。

とっさに懐剣をかざして胸を防御したが、激痛が襲ったのはその下だった。しまった、と思ったが遅かった。体をひねって避けようとしたがよけられなかった。


骨と骨の間、やわらかい脇腹に、異物がめり込んできた。ずぶり、と嫌な音が聞こえた。ずぶり、ずぶずぶ。

異物は体を貫通しもう片方の脇腹を突き破った。

猛烈な痛みが田豫を襲った。臓腑(はらわた)が焼け、喉の奥からごぼごぼと血が噴き出してきた。

田豫は体を半分に折り、その場に崩れ落ちた。

長剣が、田豫を文字通り串刺しにしていた。


徳然は感情のない目で田豫を見下ろした。串刺しにされた田豫は、虫の標本のようだった。田豫は身動きもできず、まなじりを決して徳然を睨み上げた。

「ここまで…するかよ…」

答えず徳然は長剣を引き抜いた。せき止められていた鮮血が勢いよく噴き上がった。血の汚れを一振りし、徳然は無言のまま、再度長剣を突き刺した。

「!!」

二度、三度、四度。徳然は表情も変えず田豫の体を刺し続けた。どれも意図的に、急所をわずかに外していた。

放置された炭火から、わずかに煙が立ちのぼり始めていた。


中庭では、老婆が一人、緩慢な動作で箒を使っていた。劉備に気づいたが、眠そうな目で一瞥しただけで、また庭掃除に戻っていった。自分の仕事は庭掃除であって不審者の詮議ではない、と言いたげだった。

劉備は柳の大樹の陰から、二階の丸窓を見上げた。田豫も徳然も追ってこないのが気になった。このまま一人で行方をくらますことも考えたが、何か嫌な予感がした。

劉備の第六感は意外と当たる。

あの部屋にもう一度引き返すのは気が進まなかったが、待っていても嫌な予感は増すばかりだった。

粗末な通用口を見つけると、劉備はそろりと中に入った。


妓楼の中は気だるい静寂に包まれていた。女たちに出くわさないよう用心しながら、劉備は薄暗い階段を上がっていった。妓楼の女は昼前までは寝ているはずだったが、物音で起き出して来ないとも限らない。

静まり返った階段を一段上がるごとに、胸騒ぎが強くなった。ごくわずかだが、きな臭いにおいが漂ってきた。

しかし二階に上がると、それを上回る濃厚な血のにおいが充満していた。

「…?」

田豫の逗留する部屋は、戸が開いたままだった。そろそろと近づき、劉備は戸の陰に回り込んだ。煙がひと筋、部屋の中から流れてきた。


徳然の、長身の後ろ姿が見えた。

彼は長剣で何かを突き刺していた。何度も。何度も。

血で真っ赤に染まったそれは、人の形をとどめぬほどめった刺しにされていた。(なます)のようなその物体は、

――田豫。

「うわあああああ!」

劉備の口から、絶叫がほとばしった。


「やめろ徳然、やめろ!」

劉備は徳然の後ろ姿に飛びついた。徳然は劉備の声にも反応を示さず、なおも長剣をふるい続けている。

とっくに田豫は絶命していた。

「やめるんだ、徳然、徳然!もう息をしてない!」

徳然はやめない。劉備は徳然から長剣をもぎ取ろうとしたが、強い力で振り払われた。再度しがみついたが、どうしても離そうとしない。血の脂で指が滑る。床の血溜まりで足も滑る。劉備の衣はあっという間に赤く染まった。

「離してくれーー頼むから!」

劉備は渾身の力をこめて長剣を引っ張った。徳然の指が滑ってわずかに柄から離れた。そして。

指が飛んだ。

四本の指が、ばらばらと床に落ちた。

徳然の右手は、親指だけを残して切断されていた。


「…ああ、玄徳。」

ようやく徳然は顔をあげた。端正な顔は返り血で汚れていたが、先ほどまでの殺気だった様子は消えていた。

「戻ってきてくれると思っていました。遅くなってすみません。」

「お前…指…」

「指?」

徳然は自分の右手を眺めた。ないですね、と他人事のようにつぶやき、それから田豫の死体を眺めた。凄惨極まりない現場にも、表情は全く変わらなかった。

「徳然、どうして、どうしてこんな、」

劉備は徳然の襟をつかんで揺すぶった。愚問だと分かっていたが詰め寄らずにはいられなかった。田豫を置き去りにした自分自身への怒りでもあった。さすがの劉備も、徳然がここまでするとは思いもしなかったのだ。結局最後は徳然も許してくれる、そんな甘えがなかったとはいえない。

次の瞬間、轟音とともに火柱が上がった。


横倒しになった(たんす)からあふれた衣裳に、火が燃え移っていた。部屋のあちこちで炭火が発火し、橙色の舌を伸ばしていた。あふれかえっていた血のにおいが消え、かわりにひどい焦げ臭さと、熱風による息苦しさが襲ってきた。火は既に徳然の足元にまで這ってきていた。

劉備は田豫の遺体に駆け寄った。体は(なます)に切り刻まれていたが、顔はほぼ無傷だった。かっと見開いたままの眼を、劉備は閉じた。後悔で胸がつぶれた。

自分が巻き込まなければ。会いに来なければ。そもそも最初から出会っていなければ。

自分は田豫にとって死神のようなものだった。感謝も謝罪ももうできない。文句の一つも聞けない。

火だるまになった屏風が倒れてきた。火勢はいよいよ増すばかりで、火はまさに天井に達しようとしていた。女たちの悲鳴と怒号が階下から聞こえてきた。

「徳然、手を貸せ。連れて帰るぞ。」

劉備は血でどろどろになった遺体の背中に手を差し入れ、持ち上げた。せめて家族のもとへ返さなければと思った。本人は不本意かもしれないが、やはり最後は肉親のもとに帰るべきだ。無縁仏では祭祀もできない。

遺体は思った以上に重かった。徳然は手を貸そうとしなかった。仕方なく一人で部屋の外まで引きずっていこうとして、劉備は足を止めた。

戸が閉まっていた。

徳然が後ろ手で戸を閉めきり、出口をふさぐように立っていた。



スプラッタです。大丈夫でしょうか。田豫さん悲しい…。

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