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桃園結義異聞  作者: 胡姫
11/17

契兄弟

その年の秋、田豫(でんよ)の父が死んだ。

田豫の父はかなりの老齢で、大往生であった。

田氏の葬儀は盛大に行われることとなり、田豫も一時的に漁陽の生家に戻った。

「もう戻る気はなかったのに。親戚連中になんて会いたくない。」

渋る田豫を、麻婆が引っ立てるようにして連れて行った。

服喪期間は三十六日間である。その間、劉備は徳然と二人きりになった。

田豫も麻婆もいない家はがらんとして、いつもの見慣れた家とは違う気がした。

ふと劉備は背後に人の気配を感じた。

「いい機会だから、今後のことを考えましょう。」

徳然がやわらかく微笑んで立っていた。遊学期間はあと半年に迫っていた。そろそろ本気で身の振り方を考えなくてはならない。二人は向かい合って座った。

「徳然は、仕官が決まったんだよな。」

「ええ。来春、安喜県の県尉として赴任します。」

優秀な徳然は、内弟子の話は断ったものの、盧植の屋敷に出入りすることを許され教えを受けていた。盧植に認められて推薦状をもらい、仕官が決まったのだ。

徳然の口添えで、劉備も盧植の教える学堂に入ったが、以前のようには学問に身が入らなかった。

「俺は駄目だな。せっかくお前の親父さんに援助してもらったのに。このまま村に帰るわけにはいかねえよ。」

劉備は程普や韓当みたいに放浪してみたいと考えていた。諸国をめぐって、見聞を広げれば、新しい道もひらけるかもしれない。

しかし放浪には資金がいる。これが一番の難問だった。最近では学問そっちのけで、手っ取り早く稼げる方法ばかり考えている劉備である。例えば最近耳目を集めている太平道とかいう集団、祈祷とまじないで病を治すらしい。これをパクって紙切れを護符として高く売りつけるとか…。

相変わらずしょうもないことを企んでいる劉備の顔を、徳然が真剣な顔で見つめていた。

「まさか…どこかへ行くのですか。」

「いや、まだ、」

劉備は徳然の勘のよさに驚いた。この計画はまだ形にもなっていない。

「…一緒に来てください。」

徳然の口調が変わった。劉備が見上げると、熱のこもった瞳にぶつかった。

「私の気持ちは知っているはずだ。本当は、あなたの学業も仕官もどうでもいいんです。むしろ邪魔だ。」

徳然は両手で劉備の頬を包み込んだ。劉備はびくりと肩を震わせた。ひんやりとした指が、唇をなぞった。

今度こそ、決定的な状況になりつつあるのを、劉備は感じた。

「私が嫌ですか。」

「そうじゃなくて…ほら、俺も母がいるから仕官しないと。」

劉備はとっさに小香を言い訳にして取り繕った。こんなところが後世の孝行息子イメージにつながっているのかもしれない。小香もいい迷惑である。

「小香おばさまは私が面倒をみます。当然でしょう。だって私たちは、」

家族だから、と徳然は意味ありげな笑顔を見せた。家族、というのが、従兄としての意味でないことは明らかだった。そう来たか、と劉備は返答に詰まった。

「契兄弟になるのは怖いですか。」

劉備の心臓が跳ねた。脅えを見透かしたように、徳然が笑った。

「怖いことなんか、ありませんよ。」

いつもの優しい笑みではなかった。目が笑っていない。獲物を狙う獣の色がそこにはあった。

無意識に後ずさろうとして、劉備は強く袖を引かれた。振り払おうとした手を徳然がつかんだ。

劉備はあおむけに倒された。

そのまま徳然がのしかかってくる。しまった、と思う間もなく長綬が解かれ、上衣がはだけられた。大きな手に肌をまさぐられた時、何とも言えない違和感が劉備を襲った。

「やめろ!」

初めて口にした拒絶の言葉だった。ようやく分かった。男となんて、自分には無理だ。

徳然は熱にうるんだ瞳で劉備の目をのぞき込んだ。そして…笑った。

「…悪い子だ。」

言葉を封じるように、唇が塞がれた。舌が乱暴に差しこまれ、口内を蹂躙した。違う、と叫んでももう止めてはくれなかった。

下裳が引き剥がされるように脱がされ、足をひらかされた。劉備の声は声にならずに口内に消えた。


寝台に横たわる自分の体が、自分のものではないように痛んだ。我が身に起こったことが、劉備にはまだ信じられなかった。何かとんでもない悪夢の中の出来事のように思えた。

徳然が怖かった。あれほど怖いと思ったことはなかった。劉備の抵抗などやすやすと抑え込み、拒絶も哀願も一切聞かなかった。今までの優しい従兄とはまるで別人だった。

徳然は劉備の手をしっかりと握ったまま眠っていた。逃がすまいとするように、その手ははずそうとしてもはずれなかった。

「…これで契兄弟ですね。」

はっと気づくと、徳然の瞳が劉備を見ていた。今の動きで起こしてしまったのか、最初から寝てはいなかったのか。

「ひどくしてしまってすみません。あなたと早く契りを結びたくて。…あなたが、迷っているように見えたから。」

でもこれでもう安心ですね、と徳然は極上の笑みを浮かべた。

いつもの優しい従兄の笑顔だった。

見慣れたその笑顔を見たとき、劉備の中で、形容できない感情があふれてきた。

「ふざけるなよ!何で、何でこんな、」

「あなたこそいい加減諦めたらどうです。こうなる運命だったと。」

徳然は劉備の抗議をぴしゃりと遮った。

「どこにも行かないで。ずっとそばに…死ぬまで。」

どこまでも優しく、徳然はささやいた。そうすれば、劉備が拒絶できないことを知っているのだ。

子供の時からそうだった。父のいない劉備は、年長者からの優しさに弱かった。

劉備は急に全身の力が抜けたような気がした。

逃れられない、と劉備は悟った。


三十六日間の服喪を終え、田豫が戻ってきた。

季節はもうすっかり冬である。

田豫はひどく沈んでいるように見えた。父を喪ったからかと思ったが、そうではなく、憂いの原因は別のところにあった。

「参ったよ。塾をやめないとならなくなった。」

「え!?」

劉備は田豫の面やつれした顔をまじまじと見た。服喪の間に、田豫はすっかり生気を失っていた。頬の肉が落ち、白い顔は更に青白くなり、生家にいた間の心労を物語っていた。

「まだ学業の途中ではないですか。親戚の方に何か言われたのですか。」

徳然が心配そうに聞いた。以前のようなとげとげしさが全くない。おや、と田豫は思ったが、その違和感は後回しにした。

「親父が死んで代替わりしただろ。一番上の兄夫婦が家を継いだんだが、こいつが相当なけちで。」

正妻の子である長兄は、田豫とは三十以上年が離れている。年若い妾の子など一族の数にも入れていない。田豫の遊学費用を惜しんで、打ち切ることに決めたらしい。

「そんな急に。お前どうするんだよ。」

「さあな。家に戻れと言われたけど、どうせ給金なしでこき使うつもりだろうしな。」

「名士の家というのも大変ですね。同情します。」

徳然の言葉に、田豫の眉がぴくりと震えた。

「…何なんだよさっきから。心にもないこと言って。急にいいやつぶるなよ。」

徳然はゆったりと微笑んだ。余裕の笑みというやつだ。

「心外ですね。あなたにはいつも感謝しているのですよ。」

田豫は気味悪そうに徳然を眺めた。

「…なあ玄徳、こいつ何かあったのか。」

「何でもねえよ。」

劉備は席を立った。いずれ田豫にはばれると分かっていたが、今は話したくなかった。

背中に田豫の視線を強く感じたが、振り返らなかった。

劉備は中庭に出た。

あれから徳然は、何度となく求めてきた。

最初の時よりはずっと優しくされるようになったが、体の方はいまだ慣れることはない。

田豫が戻ればその機会もなくなるかと思っていたが、これは想定外の事態である。

こうなる前に断るべきだったのか。否、一緒に塾に来たこと自体が、そもそもの間違いなのか。

それでも幸せそうな徳然の顔を見ると、どうしても突き放せなかった。幼いころからの刷り込みなのか、劉備は徳然の優しさに弱かった。しかしそれは愛とは違う。

昔は気づかなかったが、どれほど援助してもらっていたのかも今では分かる。劉備は人一倍恩義を気にする性格だった。借りた恩は死んでも返す。体で返せというならそうするまでだ。

田豫が去れば、この家から出なければならなくなる。

それは劉備の遊学生活の終わりをも意味していた。契兄弟になった今、徳然は劉備を赴任先に連れて行くだろう。諸国をめぐる夢を、徳然が許すとはとても思えなかった。

劉備は満天の星空を見上げた。幽州の冬は厳しい。すぐに指先がかじかみ、感覚がしびれてきた。

「こんなところで、くすぶってたまるかよ。」

何に対するものか分からないまま、怒りに似た感情だけが劉備の胸の内を荒れ狂っていた。


   


やってもうた。劉備が龍陽という話は聞かないので、ノンケと仮定するとこういう流れに…。罪悪感。

歴史上の人物は書きにくい。

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