七十四話 黄昏と鬼神-10
もう少しで、劣化再現できるその刹那。狂音が耳朶を叩いた。超音波じみた音が俺から集中力を易々と奪った。
どっと汗がでて、胸が締め付けられる。呼吸が苦しい。
「はぁはぁはぁはぁ」
鼓動が速い。プルートーの次の一手か。これはヤバい。これ以上は正気を保っていられない。
「チッ。邪魔が入ったか。妾が手を下さなくても、バリークは終いだな」
「…………」
「妾はカズキを回収して、去る」
「……待て…凛の…」
駄目だ喋る余力すらない。視界が歪む。立っていられない。
「生き残れたなら、追ってこい。その時、妾が命を摘んでやる」
視界がぼやける。プルートが遠ざかって行く気配がする。這ってでも追いかけなけらばいけないのに、苦痛が臨界に達して身体の自由がきかない。
最後の力を振り絞って、立ち上がろうとするも失敗、辛うじて仰向けになることはできた。ぼやけた視界に黄昏時の空がうつる。頭に釘を打ち付けられたような激痛が走る。
頭を抱えてのたうちまわりたくても、そんな体力は残っていない。
『……思い出したくない』
そんな感情が痛みの向う側から唐突にやってくる。決して開けたくはない記憶の箱。必至に目を反らしてきた現実。世間知らずの若輩異界守、普通に焦れた無職。どっちも俺だ。その狭間の俺は何をしていた?
狂音が次第に強くなっていく。何重にも張り巡らせていた防壁がいとも簡単に破壊されいく。
潜入初日。同年代の奴らの生活に衝撃を受けた。生傷一つない彼らを弱者と決めつけた。野外授業中、現れた害魔をクラスメイトの協力を得て撃退した。いくばくかの利用価値を見出して評価を少しだけ改めた。凛が誘拐された時、本部の協力が得られなくて途方に暮れていた俺をみんなが助けてくれた。何等の見返りもなく手を貸してくれた、初めて家族以外に信頼できる他者ーー仲間ができたと感じた。遊園地への潜入調査。人生最初で最後の文化祭……。色々な思いでが走馬燈のように流れいく。連なる幸福な記憶。どうして俺はこの記憶を封じていたんだ? あと少しで全て思い出せそうだ。
『絶対に思い出してはいけない。そうしなければお前は人でいられない』
逃げるのは生に合わない。一桁の連中ーーとりわけ七位にボコボコにされたけど、仲間が教えてくれた。一度の失敗で歩みを止めてしまうことがどれだけ愚かかってこと。今日勝てなかったら、次勝てるように努力すればいい。それが人としての正しい在り方。
どんな記憶だって俺を構成する大事な一欠けらだ。他人に無理やり思い返されるものじゃない。だから、最後の扉は自分で開く。
『お帰り、そしてさようなら人としての俺』
意気揚々と開け放った扉の向こう側は、赤一色に染まっていた。