二話 異世界求職者-2
緑色の澄んだ瞳がこちらの様子を窺っている。飼い主の命令とは言っても、素性のわからない者を背に乗せるのは抵抗があるのかもしれない。
「恐がらなくても、大丈夫。フェンはよっぽどのことがない限り噛まないから」
てことは噛まれる可能性があるってことか。知性のある生き物は自分よりも格上だと判断した場合には蛮行に及ばない。
つまり、怯えていたら噛まれる可能性が高くなるわけだ。それなら強気で行こう。意を決してフェンリルに歩み寄る。そして、手を伸ばす。挨拶代わりに、背中を撫でてやろうとしたわけだが……。
「グルルルッーー」
フェンリルが低く呻った。俺が無職だからか! 確かに、社会貢献度とか低いかもしれないけどさ。
「離れろ!」
「どうしてだ?」
噛まれたって大した怪我なんてしないだろう。別に、まだ始まったばかりじゃないか。一噛み、二噛みされて友情が育めるなら安いもんだ。
「フェンに噛まれたら軽傷じゃすまないぞ」
剥き出しにされた犬歯をみても恐怖を感じない。
「フェンやめろ!」
静止もむなしく、フェンリルが俺に牙をむいた。それからは、一瞬の出来事だった。前足で地面に押し倒され、顔面をかばって突き出した右腕を噛まれた。
鋭い痛みを感じながらも頭は妙に冷静で、無意識の内に左手が動いた。たぶん、一撃で倒せる。
「……クゥ~ン」
反撃する前にフェンリルが俺から牙を外して、顔を舐めてきた。
ペロペロと舐められて涎で顔がべちゃべちゃだ。
「可愛いな。尻尾をモフモフしても良い?」
フェンリル自ら尻尾を向けてきた。どうやら人語を理解しているようだ。
「フェン、こっちに来い!」
飼い主が鋭い口調で言い放つ。何を怒っているんだ。フェンが名残惜しそうに俺から離れる。
「もしかして、お前は転生者か?」
フェンの飼い主が俺のことを睨んでいる。それにしても転生者って……?。
「いかにも、俺は転職者だ。社会という荒波に身一つで立ち向かう勇者みたいなもんだな」
とりあえず場を和ませようと自虐的にボケてみたけど、難しい顔をしているところから察するに上手く理解されなかったようだ。
「勇者……転職者は転生者よりもすごいのか……」
すげぇ悩んでいるみたいだ。これ以上、命の恩人を困らせるのは人として底辺だな。
「ごめん、意味不明だったよな。ちょっとしたジョークのつもりだったんだ。それにしてもだ、就職活動で心を摩耗させた無職の戯言なんだからもっと笑ってくれてもいいんじゃないか?」
「……就職活動……無職。俺の知らない単語ばかり、ということはやはり転生者なのか……」
フェンリルが心配そうに飼い主に寄り添っている。
「転生者って良くわからないけど、俺は違うと思うよ」
「隠す必要はない」
「別に、隠してないって」
「では、手の傷はどう説明するんだ?」
「傷?」
右腕に視線を落とす。あれ? 傷が塞がりかけている。
俺ってこんなに治癒力高かったか? 日常生活の中で怪我をするようなこともなかったので対比しようがないが……。
平和な日本で猛獣に噛まれることなんて稀だしな。
「その速度で傷を完治させるのは、常人では不可能な所業だ」
「その不可能を可能にできるのが転生者てことか?」
「それ以外は納得できない」
ここらで一つ、状況を整理してみよう。まず、俺はただの無職。気づいたら砂漠にいて、行倒れた所をフェンリル(大型の狼)とその飼い主に助けられた。
しかも、彼が言うには俺は十代半にしかみえないらしい。そして、今の俺はありえない程の回復力を備えている。
導きだされる答えは……。
A 夢をみている。
B 地球上のどこかの砂漠にやってきた。
C 異世界にやってきてしまった。
D その他。
Aはないよな。さっきの一件でしっかりと痛みを感じたし、何よりこんな鮮明な夢がみられるようならとうに就職できているはずだ。Dはとりあえず消去してと、A or Bだな。
結論は保留として、次のステップに進もう。
どうして、この場所にやってきた?
ここまでの道のりに関する記憶が一切ない。すげぇ恐い。突発的な記憶喪失とかだろうか。いや、そうとも限らない。瞬間移動してしまったとか、宇宙人に攫われたとか。
そんな非日常的な選択肢まで増やしていけば限がないな。ここは与えられた情報を元に答えを導いてみよう。
見聞したことがない動物がいて、超能力が身についた上に少し若くなっている身体。先程から耳にする『転生者』という単語。
こ…これは、もしかすると、世に言う異世界転生という代物なのではないだろうか。でも、転生って生まれ変わるってことだよな。俺は若返っているだけで、姿は変わってないみたいし……。そうすると異世界転移と言ったほうが妥当だろうか。まぁ、転生だろうと転移だろうと重要なことは目的だ。お決まりのチュートリアルが始まる気配はない。もし、世界を救えとか言われても全力で拒否するけど。だって、俺みたいな弱者には周りの者を守ることだって難しいことだから。自分の人生なんだ、目的というか目標は自分で設定することにしよう。当面の目標は定職を手に入れること。きっと、この異世界転移は就職活動の神様が俺に与えてくれたチャンスなんだ。
「やってやるぜ、神様! 俺はこの異世界で職を勝ち取る!」
拳を天に突き上げた。フェンリルと飼い主が怪訝そうな表情でこちらをみている。
「そろそろ移動しようじゃないか。俺の輝かしい未来のために」
少し高めのテンションで握手を求めてみる。もちろん笑顔は絶やさない。
何故だかフェンリルが耳を垂らした視界を塞いでいる。急に大声を出したせいかもしれない。
強張った表情で反応に困っている飼い主に近づく。
「俺は、神代栄太。異世界転生者ではなく異世界求職者だ。以後、よろしく頼む」
「……俺はソール」
「ソールか。良い名前だ。フェンリルもよろしく」
背中を撫でようとした瞬間、ビクッとフェンリルが震えた。犬は気分に斑がある人間を嫌う習性があると聞いたことがあるが、今の俺のテンションって変なのだろうか。
俺の短所は客観的に自分をみれないところかもしれない。