四十七話 黒の勇者-3
『お兄ちゃん、助けてよ。凛を一人にしないで』
記憶がフラッシュバックする。これは幼い凛が誘拐された時の映像か。一桁に及ばない。それでも俺は特別されていた。家柄、血筋。俺自身とはかけ離れたところで評価されていただけのことだけど。当時の俺はそれを正当な評価だと思いこんでいた。
そんな痛々しいガキが一桁に至った化物の狂気に晒されればどうなるか。両手足の骨を折られて、負け犬じみたセリフは情けないほど震えていた。結局、俺はことの顛末を見届けることなく気を失った。相手は姉ちゃんより格上の第六位だったけど、辛くも勝利したらしい。姉ちゃんの瀕死の重症を凛が治して、また日常が戻ってきた。その時、俺の心に歪みが生じた。俺は矮小で弱い存在だ。だから、その後は狂ったように鍛錬に明け暮れた。もう二度と姉ちゃんと凛が傷つかなくていいように……。
「私はお兄ちゃんを信じてる」
凛の言葉が何の力にもならない理性を瓦解させる。今の俺は正気じゃないのかもしれない。でも、一欠けらでも凛が傷つけられる世界を許容できない。
地面に転がっている火竜丸を手元に手繰り寄せる。熱を放つ刀身が、未だ足に絡みついている水蛇に触れて水蒸気が発生する。アワイが苦悶の表情を浮かべる。
「……主様、お気を確かにお持ちくださいませ。主様なら神の呪縛にすら抗えるはずでございます!」
「アワイさん、とりあえず栄太を止めよう。それから解呪したほうが確実だ」
「デモドウヤッテ」
「フェン、栄太の目を覚まさせてやろう」
「ホンキデブツカッテモ、エイタナラシナナイヨネ」
「フェンリル殿後ろに下がって下さい。私が主様を封じます」
アワイが手の平を合わせる。地面から、水が噴き出した。俺を囲むように出現した四柱が徐々に間隔を狭めてくる。
あと数秒で俺は水の牢獄にとじ込められる。
仮にも俺はアワイの主人だ。アワイの力を打ち破れない道理はない。柄を握る右手に力を込める。
『やめろ』
無職が吠えるなよ。そもそも、俺は今の自分に納得いっていない。凛と姉ちゃんを守るどころか、自分の生活だってままならない。そんな劣化した俺には何の価値もないだろう。
『あの人のことを思い出せよ。お前が心からーー』
急速に意識が覚醒する。しばらく間を置いて、鋭い刃が胸部を貫通していることに気づく。黒色の刀身。見ているだけで心がざわつく。
認識が追い付かないのか、まだ痛みはない。
「主様! 転生者風情がーー」
アワイが激高している。
「フェン、止血する包帯をもってこい!」
ソールが駆け寄ってくる
「エイタ!」
フェンリルが取り乱している。
凛はどうした?
「……」
凛が俺をみている。まるで、壊れた玩具に興味を失った子供のような表情で……。
よかった。凛が無事ならそれでいい。痛みはないけどすごく寒い。ドクドクと赤い液体が流れていく。
目を閉じたくない。でも、これ以上は逆らえそうにない。意識が暗転した。