四十二話 太陽と月の邂逅-21
布で首から口元を隠している。マフラーをしているわけではあるまい。夜間ならともかく今はそこそこに熱い。ダーバンを撒いているけど、赤い前髪が出ている。隠蔽するならもっと完璧にしてほしいものだ。……ちょっと待て、赤い髪にあの体躯て、あれはソールか。よくよく見ればソールの向こう側に虎を擬人化したような外見の奴がいるじゃないか。牙をガチガチと鳴らしながら肉食獣特有の瞳でこちらをねめつけている。早く何んとかしないとソールが危ない。
「お兄ちゃん!」
「どうした、凛……」
首筋に冷たい感触。
「動かない下さい」
いくら動転していたとは言え、ここまで接近されるまで気づかないなんて。凛の言う通り俺は相当に劣化しているみたいだ。
「お兄ちゃんから離れろ、木偶人形。お兄ちゃんを傷つけたら万回殺すにゃ」
語尾がカワイイ。凛はそこそこ怒っているみたいだ。兄冥利に尽きるな。声を発したら首を掻き切られそうな雰囲気だ。取り合えずこいつの出方を窺えと目配せしてみる。
「分かっているよ。大局の前では多少の犠牲は付き物だよね。断腸の思いだけど、お兄ちゃんの意志を尊重するよ」
助走もなく凛が駆けだした。二秒で宮殿の外壁に到達して、壁を蹴ってバルコニーの手摺に手をかける。あっと言う間に、ヒラール姫の目前まで辿りついた。
黒髪従者は何故だか俺を殺そうとしなかった。無論、殺されるつもりもなかったけどな。
「--これでよしと、では交渉を始めようかお姫様」
数十秒の沈黙のあと、凛の声が広場に響いた。拡声器でもあるのか。
「名は?」
「神代凛。最狂の異界守、神代栄太の妹。忠告しておくけど、あそこでお兄ちゃんを害そうとしている木偶ーー転生者なんかの紛い物とは違うから。私達神代は、生え抜きの化け物だから、神ですらないお姫様がどうこうできる存在じゃないんだよ」
「神代栄太の妹か。この蛮行は兄の差し金か?」
「たかが小国の姫風情が、お兄ちゃんを愚弄しないでくれかな。お兄ちゃんが本気になればバリークなんて一瞬で消し炭だよ、消し炭。単にそうならないのはお兄ちゃんの優しさ故だよ。私達はいつだって交渉を破断にできる」
凛もだいぶ強気にでたものだ。そんなはったりが一国の姫に通用するわけがない。ただ、凛の身のこなしが常人を超越していたせいか、周りの連中は俺達から少し距離を取っている。中には今にも戦いたくてうずうずしている奴もいるみたいだけど。仮に、混戦になったら凛を守りきれるかどうか怪しい。
「君なら、あの人を止められるか」
囁き声が聞こえた。気のせいではないだろう。声の主は黒髪従者か。あの人とは誰のことだ。
「ちゃんと説明しろ」
ふっと、背後の気配が消えた。首元に突き付けられていた金属の冷たい感触がわずかに残っている。