百六十六話 別れ-5
「…………!?」
目の前を炎熱を纏ったモノが通り過ぎた。髪の毛何本かが宙を舞う。
スローモーション。自分の一部だった黒糸がフィラメントのように発光し、燃え尽きる。
焦げた匂いを皮切りに現実時間に引き戻された。
ガブが大きく口をあけている。ギザギザした牙が生えそろっている。あんなものでガブりとやられたらかなり痛いだろうな。
「……ギィー」
ゆっくりと口を閉じて、甘えた声を出すガブ。イケ龍のガブさんの声は、低重音なので、表情まで読み取らないとよくわからない。
ぎこちない笑顔。
一睨みすると、ばつが悪そうに項垂れて、何を思ったのか尾っぽを振り始めた。
ヒュン、ヒュンと風切音。岩盤にぶつかるために砕けた破片が飛び散る。
これは新技のお披露目ということだろうか。あんな危険度MAXの最上クラスの鞭が直撃した日には、骨が砕けてしまうと思う。
「ガブ君やーい。何がしたいんだよー」
一心不乱に暴力をまき散らすガブに呼びかける。
「…………ギィー」
「何を怒って――」
ガブの咢が眼前に迫る。抵抗はしない。
「その鋭さでは甘噛みなんて、成立しないぞ」
首根っこ――シャツの襟を器用に加えて、俺を持ち上げる。
クレーンゲームの景品になった気分だ。
可動域の問題か。着地は少々乱暴のようだ。放り投げられ、ガブの背中に墜落する。
至福のモフモフは存在しない。背中を強打した。鉄板のように堅いガブの背。
「ギィー、ギィー」
背中に越しにガブの熱が伝わってくる。まるで岩盤浴をしている気分だ。
たぶんこの熱を享受できるのは、世界で俺だけなんだろう。
「――なぁ、ガブ。俺はたしかにモフモフフリークだけどさ、ガブは特別枠なんだよ。フェンリルの真似なんてしなくったてそれは変わらない」
嫉妬というほどでもないんだろうけど、ガブには思うところがあったようだ。
こんな立派な龍王が、カワイイことをしてくれるものだ。
ゆっくりと上半身を起こす。
「かならず迎えに行くから。少しだけ待っていてほしい」
「ギィー?」
ガブは人里では暮らせない。それ以上に問題なのは、一緒にいると力が循環してしまうことだ。それは、彼に近づくことを意味する。
今は、アワイとヒジリがかなりの無理をして抑えてくれている。
その根源――問題さえ解決してしまえば……それは世界規模の話にはなろのだろうけれど……。
「全部が終わったら、一緒に暮らそう。あと一つだけお願いがあるんだけど……」
「ギィー?」
「ガブの背中に、乗せたい人がいるんだ」
いい歳をして、こんなことで恥ずかしがる必要もないのだろうけど。お嬢様を喜ばせることは本当に大変だ。
【承諾した】
「ん、ガブ何か言ったか?」
「ギィー、ギィー」
「だから、尻尾をふるなよ。危ないだろ」
あと数分でこの楽しい時間は終わる。でも、これが最後じゃない。
世界を救うとかそんな大層な動機なんてしっくりこない。
もっと、手近で、個人的な動機のほうが気力が湧く。
『約束を守るため』に、俺は突き進む。
「またな」
「ギィー」
笑って別れよう。悲しいことなんてない。
一歩、一歩ガブから遠ざかって行く。決して振り向かない。
お願いだから、ガブ――
『ギィーーーーーーーーー』
遠吠えのような咆哮。その声色は震えていて、悲しみに満ち溢れいる。
後ろ髪をひかれる。視界がぼやける。無意識に早足になって、最後は駆けだしていた。
振り向くな。振り向くな。自分弱さが恨めしい。そんな負の感情で思い出の再生を強引に堰き止めた。




