六話 異世界求職者-6
どうする。どうする。防御なんて論外だ。射程外に脱出する。それだけだ。クラウチングスタートを決め込む時間はないが、短距離走選手並みの加速が求められる局面だ。
「あっ」
二歩目でつまずいた。服がびしょぬれだったのを失念していた。
「仇敵様、何をなさっているのですか?」
「そっとしといてくれる」
もう逃げられない。あとは自分の運を信じるのみだ。
「……」
一向に矢が到達する気配はない。
「仇敵様、私は理解に苦しみます。何故、慌てて空回りしているのでしょうか。この程度の攻撃など直撃したところで大事に至ることもないでしょうに。とりあえず受け止めはしましたが…」
でました人外のトンチンカンな発言。まあ、助けてくれたみたいだから文句は言わないけどさ。いつまでも突っ伏していても格好がつかないのでゆっくりと起き上がる。
「おっ、イッツアファンタジー」
思わず声が漏れてしまった。半球形の障壁が矢を受けとめている。水のバリアか、すごく滾るな。ただ、一つだけ気になることがある。矢がジリジリとバリアを貫通しようとしているように見えるんだが……。
「何らかの加護が働いているようですね。……黒神の力をねじまげて解釈しているわけですか。本当に質が悪い」
「えっと、このままだとどうなります?」
「人の身であれを受ければ絶命は免れません。しかしながら、あれに私達を害する程の力はありません」
「俺はただの無職なんですけど…」
「ムショクとはさすがと言わざるを得ませんね。私は栄養補給をしなければこの姿を維持はできませんから」
絶対的に噛み合っていない。少し格好悪いが気持ちを素直に伝えたほうが良さそうだ。
「助けて下さい」
「何故、仇敵様は矮小な私に願うのですか?」
「こんな所で死ねないからだ」
こんな得体の知れない場所で死んでたまるか。それに良くは思い出せないけど、この世界でやるべきことがあるような気がする。
漠然としていて得体も知れないけど、確かに心の奥底にある強い想い。
「私と仇敵様の因縁を鑑みれば、その要求を飲み下すことなど到底承諾しかねますが……」
「因縁って何だよ!」
逆恨みも甚だしい。
「私の根源を抜きにしても、私と仇敵様は相容れない理由があります」
そんな真剣な顔で言われたら、俺はどう反応すれば良いんだよ。そうこうしている内に第二射がきてしまうかもしれない。
「これ以上、私を謀っても得になるとは思いませんが」
「わかった。俺はここから離れる」
「見す見す逃がすとお思いですか?」
やっぱりそうくるか。ウンディーネが不穏な空気を醸し出し始めた。あとは助けがくるのを待つしかないか。あのモフモフもさすがに起きたんじゃないか。
「ああっ、神獣の末を待っているなら無駄ですよ」
ウンディーネの手のひらに水球が生まれた。それは宙に浮いて俺に向かってくる。攻撃か。
「そんな身構えないで下さいませ。ただの投影にございます」
俺の目前で水球が静止した。透明な球体の中に色が浮かび上がる。色は鮮明に輪郭を成し映像を浮かび上がらせる。
「フェン?」
フェンリルが牙を剥いて人影に飛び掛かる。相手側は弓矢や半月刀で武装している。
一頭対多数。さながらモンスターハントの一場面を見ているようだ。
フェンが狩られる所なんて見たくはない。
「心配しなくて大丈夫でございます。あれは白神が太陽神に下賜した神獣が末。ただの常人種ごときが害せる存在ではございません」
「助けもこないが、邪魔が入る心配もないわけか」
「では、そろそろ始めましょう」
「一体、何を始めようとしているんだ?」
「単純なことにございます。存在をかけた果たし合い。俗な言い方をすれば殺し合にございます」
「一方的な虐殺の間違いだろう」
「ご謙遜を。私ごときが仇敵様の命を摘み取れるとは夢にも思いはしません。腕の一本でももぎ取れれば上出来にございます」
「まだ、名を聞いていなかったな」
「私は、#女神の涙__デアダクリ__#。転生者に恨みを持つ水妖にございます」
「俺は神代栄太。現在求職中の無職だ。ちなみに、異世界転生者ではなく異世界求職者だからな」
「異世界求職者。初めて聞く称号にございます。しかしながら、我らが辿る結末に何らの変化もございません」
「……」
水妖とのガチバトル。敗北は死を意味する。やっぱりさ、異世界ファンタジーとかって安全圏から眺めているから楽しいんだよな。
いざ自分がその場に立たされればこんなにも逃げ出したくなる。せめて、勝算が二割くらいあれば話は変わってくるんだけど……。