余話・タカミムスビの謎
高天原にて、オモイカネは目覚めた。
「…………ッ!?」
《お目覚めになりましたか、オモイカネ様》
意識を取り戻したばかりのオモイカネに、船の神トリフネが声をかけた。
「そうか……あれから、私は意識を失って──」
《タケミカヅチ様の命により、オモイカネ様を接収、保護させていただきました。
余り無理をなさいませぬよう。布留の言による神力の消耗から、まだ貴方は立ち直っておりませぬ》
オモイカネは頭の芯が泥の中に沈むような酩酊感を覚えたが、それでもトリフネに尋ねた。
「アマテラス様は……ご無事か?」
《すこぶる快調です。ただ、スサノオの処遇に関しては、最後まで異を唱えておりましたが》
弟想いのアマテラスらしい、とオモイカネは思った。
しばらくは彼女のご機嫌取りをしなければなるまい。
《それともう一つ。タカミムスビ様より念話が届いております》
「…………繋げ」
タカミムスビ。オモイカネの父の名だ。
しかしオモイカネはその名を聞いた途端、人間らしい感情を捨て去ったような無表情となった。
トリフネに与えた念話の神力により、オモイカネの脳内に直接、タカミムスビの声が聞こえてくる。
『此度のアマテラス復活の宴、大義であったぞ、我が子よ』
「……滅相も無きお言葉……」
『何より素晴らしいのは、あの女神像よ。
榊の木を使ったのだな? 神の依代として、大いに役立つ事が証明された』
「何を……言っておられるのですか? 父上……」
『よいかオモイカネよ。コヤネとフトダマに、再び榊を集めさせよ。
儂も近々、高天原に上る事になる。その為の依代となる身体が必要じゃ』
「な……父上、正気……ですか?」
『……重ねて命ずる。至急、榊の木を集めさせるのだ』
タカミムスビの言葉に、オモイカネは空恐ろしい気分になった。
宴の前日、ツクヨミに話したタカミムスビに関する懸念。それが、現実のものとなりつつあった。
『此度の宴で、オモイカネよ。そなたの声望は否応なしに高まっておる。
知識の神たるそなたの言葉に、逆らえる天津神はおるまい。
我が娘にして、そなたの妹でもあるアキツシヒメと共に常世国を渡り、そちらに参るでな。
……早急に準備を整えておけ』
「しかし父上……何故、こちらに赴かれるのですか?
しかも、別天神たる父に、木とはいえ身体を用意せよとは──」
有無を言わせぬタカミムスビに、オモイカネは戸惑い、疑問を口にした。だが──
『……オモイカネ。そなたに質問を許した覚えはない。
スサノオの時と同様、そなたは我が言葉に従っておればよいのじゃ。
余計な事に思案を巡らせるでない。……よいな』
「…………か、畏まりました」
タカミムスビの言葉はにべもない。いつも通りだった。
オモイカネは父の言葉に逆らえない。いつも一方的だったが、彼に才智の神力を見出されたが故に、常世国から高天原に出向く事ができたし、最高神アマテラスの相談役の地位まで手に入れたのである。
『案ずる事はないぞ、オモイカネ。全ては平穏なる国のためぞ。
国を統べる者は、正しき血統を持つ尊き神を祖とせねばならぬのじゃ。
さもなくば国は乱れ、住む人々の心は安らぐまいぞ……』
父の言葉に唯々諾々と従いながらも、オモイカネは思い起こしていた。
いつからだろう? あの優しかった父が、ここまで変わってしまったのは。
いと尊き独り神にして別天神でありながら、子を欲し、肉体を欲し、今度は高天原に上る事を欲している。
(とても超然たる別天神の振る舞いとは思えぬ。まるで、心卑しき俗物──)
オモイカネは神々の権威や地位を露骨に望むようになったタカミムスビに対し、恐怖を抱くようになっていた。
いずれ必ず、行き過ぎた欲が他の神々を巻き込み、災いの引き金になるような気がしてならない。
(我が父は、どういう訳かスサノオ様を異様に憎んでおいでだ。
スサノオ様の一族によからぬ企みを仕掛け、困らせねば良いが──)
その時には、オモイカネもまたスサノオに敵対する側として、動かねばならないだろう。
そのような日が来ぬ事を祈るばかり。杞憂であって欲しいと、願わずにはいられなかった。
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アマテラスの復活が成った後、タカミムスビは高天原に娘と共に上り、確固たる地位を急速に築いていく。
彼は榊の木像に魂魄を宿した事から、高木神と呼ばれるようになった。
そして己の娘とアマテラスの子を婚姻させる。
後に生まれし天孫ニニギを天下らせ……後のスサノオの子孫が治める国々を譲り渡すよう、脅迫する作戦の陣頭指揮を執るまでに至る。
(ここまでは計画通り。このタカミムスビ、我が名と血を遺す事に力を惜しまぬ。
儂は腑抜けのミナカヌシやカミムスビとは違う。別天神? 造化三神?
そのような、肩書だけ尊ばれても何にもならぬわ。信仰を忘れ去られた神ほど、無価値な存在はない──)
一度は身を隠した別天神であるタカミムスビは、他の神々とは違い、忘却による二度目の死を極端に恐れるようになった。
(後の世まで尊き神として崇められ、力を保つためには、神々からの信仰だけでは足りぬ。
葦原中国に住む人々からの尊崇も集めなければならぬ。
さもなくば忘れ去られ、名だけが残るか、その名すらも闇の彼方に葬り去られる事となろう。
何故ならいずれ、世界の理は神から人へと移り変わっていくからだ──)
彼の究極の目的は、己の血を引く者が天孫として崇められ、国を統治し──自分が祖神として祀られる事にある。
今回のアマテラス復活のため、オモイカネに助言したのもその布石であった。
(今に見ておれ、イザナギ・イザナミよ。
国を産み、神を産む事を命じられただけの貴様らが、命じた儂を差し置いて信仰を集めるなど許されざる事だ。
この儂タカミムスビこそが、天上と地上に君臨する祖神として相応しい事を証明してみせよう──)
タカミムスビの尽きせぬ野心は、死の忘却に対する恐怖と、イザナギ達に対する嫉妬から生まれたものであった。
彼の存在は後々、平和だった葦原中国に大きな禍根を残す事となる……
(余話・了)
高御産巣日は別天神にして造化三神の一柱という、肩書だけなら超エライ神様。
しかしながら独り神で、天地開闢の折に他の別天神と同様に隠れてしまった、という初期設定を無視して、オモイカネやアキツシヒメといった子供がいたり、後のオオクニヌシへの国譲りを迫る事件では、高木神と改名して最初から高天原の重鎮であったかのように振舞い、主神アマテラスと共に中心的な役目を率先してこなしていたりする。
この矛盾に満ちた展開のせいで、アマテラス=持統天皇、タカミムスビ=藤原不比等なる説が誕生し、天孫ニニギを天皇家の祖としたのは、タカミムスビの血脈(=藤原氏)を皇家に入れる事を正当化するための史書改竄だったのでは……などとまことしやかに言われている。
この辺の記述は全編通しても設定ガバガバで杜撰すぎるので、もうちょっと上手に書き替えろよとかツッコミ入れたくなりますね(笑)。