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ツクヨミ奇譚 ~天岩戸異聞~  作者: LED
第五章 岩屋戸開き
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七.スサノオの追放

 アマテラスが目覚め、岩屋戸から出た事により、世界に光が戻った。

 その翌日。スサノオは高天原タカマガハラにあるみそぎの御殿にて、髭と手足の爪を切り、コヤネの唱えるはらえの儀式を受けていた。


あま益人等ますひとらが あやまおかしけむ 種種くさぐさ罪事つみごと

 天津罪あまつつみ 国津罪くにつつみ 許許太久ここだくの罪 いでいでば──」


 コヤネが唱えているのは大祓詞おおはらえのことばである。


 スサノオは高天原タカマガハラを荒らし、アマテラスの岩戸隠れを引き起こしたとして、罪を償う事となった。

 そのため、彼の所有物のほとんどは没収され、切った髭や爪にけがれを移し、罪の清めとされた。


天津宮事あまつみやごとちて 天津金木あまつかなぎ本打もとうり 末打すえうちて

 聞食きこしめしては つみつみらじと──」


 コヤネの祝詞を聞きながら、スサノオはじっと目を閉じ……昨夜の出来事を思い返していた。


**********


 岩屋戸開きの折、スサノオとツクヨミ、そしてタケミカヅチは百万の禍神マガツカミの襲撃から、宴のやしろを守らんと奮闘していた。

 だがツクヨミが去って後、月の神の呪いの為に、その活躍も神々の記憶に留まる事はなかった。


 黄泉の国に旅立つ前、ツクヨミが予言した通り。

 スサノオには栄光も称賛もなかった。

 残ったのは、アマテラスが岩屋に隠れる際に彼が行った、数々の乱暴狼藉の悪評と、それに伴う神々からの贖罪を望む声だけだった。


 宴が終わった後の夜。スサノオの軟禁されている御殿に、密かに姉アマテラスが訪問した。

 太陽の女神たる彼女の美しいかんばせには、強い憂いが表れていた。

 スサノオは姉に背を向けたままだった。

 アマテラスは躊躇ためらいがちに声をかけた。


「…………スサノオ」

「……姉上か。身体は、何ともねェか?」

「…………うん、全然平気」

「元気そうだな。本当に良かった──」


 務めて明るく振る舞うスサノオに、アマテラスは消え入るような声で言った。


「…………くない」

「えっ?」

「全然良くない! なんでッ……スサノオだけこんな目に遭うのよ!?」


 アマテラスは感情を爆発させ、スサノオを背後から抱きしめた。


「スサノオ、頑張ったじゃない。あんなに苦しんで、あんなに血を流して……!

 なのにみんな、分かってくれない。わたしが天岩屋アマノイワヤに隠れた事、全部スサノオのせいにしてッ……!」

「実際オレのせいなんだから。しょうがねえだろう?」


「母イザナミに、騙されただけでしょう? オモイカネから聞いたわ。

 乱暴狼藉だって、母上に遭いたい一心で、心ならずもやった事だって……」

「たとえ母上にそそのかされたんだとしても。

 実際にやらかしたのは、他ならぬオレなんだ。

 あぜを壊したのも。水路を埋めたのも。糞尿を撒き散らしたのも。

 馬を機屋はたやに投げ込んだのも。

 犯した罪は償うべきなんだ。でなきゃ、みんな収まりがつかない」


 スサノオは不思議なまでに、心が平静になっているのを感じた。


「でも……でも……スサノオは、それでいいの……?」

「正直に言うと、ちょっとは悔しいさ。でも……オレが本当は何をやったのか。

 姉上が知ってる。ツクヨミも知ってる。で、姉上は無事に目覚めてくれた。

 それで十分さ。オレが望んだ事は、もう全部叶ったんだから」


 アマテラスは、スサノオを抱きしめる腕にギュッと力を込め、身を震わせた。

 彼女は嗚咽していた。後悔と無念から、涙が止まらなかった。


「ごめんね……スサノオ、ごめん……」

「……何で、姉上が謝るんだよ……?」

「わたし、どうにかして、スサノオの受ける罰を軽くしてもらおうと……

 頑張ったけど……駄目だった……

 わたし独りの力じゃ、どうにも……ならなかった……」

「ありがとう、姉上。オレなんかの為に……」


 そこから先は、アマテラスの声は言葉にならなかった。長いこと号泣していた。

 スサノオの心は晴れやかだった。自分の為に、ここまで嘆き悲しんでくれる姉がいる。それだけで自分は幸せだと実感できた。


 ひとしきり泣き腫らした後、幾分気が落ち着いたらしく、アマテラスはスサノオに尋ねた。


「……スサノオ。高天原タカマガハラから追放されちゃったら……今度はどこに行くの?」

「そうだな。いずれは母上のいる黄泉の国の一部、根之堅洲国ネノカタスクニに行きたいな。

 黄泉の国を旅して思ったんだ。死者の神々だけじゃ、死して荒ぶる魂を安らぐ事ができないって。

 だからオレ、生者のままで黄泉に住むよ。オオカムズミにも会って、彼女の桃をもっと地上に広めたいし」


 スサノオの言葉は、もう母親に会いたがっていただけの、我儘な子供のものではなかった。

 天上と地上の行く末を見据え、己にできる事を精一杯成し遂げようとする意志があった。


「……たった独りで、黄泉に住むの?」

「いや。母上を安心させたいからさ。

 しばらく地上を旅して、立派な神になってから、かな。

 タヂカラオも言ってたけど、責任ある大神おとなになるには、その……好きな女の一柱ひとりでも見つけなきゃ、なんねえみてーだし……」


 やや頬を赤らめながら言うスサノオに対し、アマテラスはようやく顔を綻ばせる事ができた。


「そう……いろいろ考えてるのね、スサノオも。

 だったら、約束して。……もう、危険な事はしないって」

「…………えっ?」


「地上にも、色んな悪どい神や怪物がいるわ。

 スサノオが今まで見た事もないような、強大な敵だっているかもしれない。

 だから約束して。女装でも騙し討ちでも何でもいいから、危険を顧みないなんて事はしないで。

 もうわたし……これ以上スサノオが傷つくのを見るの……嫌、だから……」

「……心配性だなぁ、姉上は……

 分かった。危険な真似はしないって、約束するよ」


 スサノオは苦笑しつつも、アマテラスの約束を承諾したのだった。


「でももし旅の途中で凄いお宝とか見つけたら、真っ先に献上するからよ。楽しみにしててくれよな」

「……もう。そんな口実作らなくたって、いつでもひょっこり戻ってきてくれたらいいのに」


「一応追放されるんだぜ、オレ?

 そんなしょっちゅう会いに行ける訳ねえじゃん!」

「……それもそうかぁ……うー、許すまじ高天原タカマガハラ

 よくもわたしの可愛い弟をこんな目に……!」


 アマテラスの声と瞳に、不穏な炎が浮かびつつあったのを感じ取り、スサノオは慌てて制した。


「姉上! 話が最初に戻っちまってる!?

 いいから! もうその気持ちだけでオレ、お腹一杯……!」


**********


(ああして姉弟で笑い合えたの、生まれて初めてだったな……

 姉上。本当に元気になってくれて、良かった……)


「──科戸しなとかぜの あま八重雲やへぐもを はなことごと

 あした御霧みぎり ゆうべ御霧みぎりを 朝風夕風あさかぜゆうかぜはらことごとく──」

 

 コヤネの唱える大祓おおはらえも、終盤に差し掛かっていた。


大津辺おおつべ大船おおぶねを はなち ともはなちて 大海原おおうなばらはなことごと

 彼方おちかた繁木しげきもとを 焼鎌やきがま利鎌とがまもちて はらことごと

 のこつみらじと──」


 この祝詞が終わればスサノオの罪は清められ、高天原タカマガハラともお別れとなる。

 良い思い出はほとんど無い場所ではあったが、それでも多少は名残惜しい気分になった。


「──今日きょう夕日ゆうひくだち大祓おおはらへに はらたまきよたまことを 諸々聞食もろもろきこしめせとる」


 結びのことばが終わった。

 スサノオはコヤネに素っ気なく礼を言うと、裸一貫で高天原タカマガハラを後にすべく、歩き出した。


**********


 スサノオが高天原タカマガハラと地上を分ける門に差し掛かった時、背後から呼びかける声と足音がした。


「おい、待てよスサノオ! 何も言わずに行っちまうつもりか?」

「そうよスサノオくん! 水臭いったら。お別れの挨拶はちゃんとするものよ!」


 タヂカラオとウズメであった。

 二柱して息せき切っている所からすると、大急ぎで追いかけて来たのだろう。


「オレは高天原タカマガハラを追放された、罪神つみびとだぜ?

 いいのかよ。オレなんかと別れ際に話なんかしちまって」


「俺はお前の友達ダチだ! そんな些細な事はどうでもいいんだよッ」


 タヂカラオはこんな時でも笑顔だった。

 内心どう思っているか分からないが、実に彼らしい。


「黙って行こうとしたんだ。お前なりに考えがあっての事だろう、スサノオ。

 だから俺は引き止めねえし、決心が鈍るような事もしたくねえ。──でもな」


 偉丈夫の怪力神はグッと拳を握りしめ、スサノオも同じく握り拳を作り……互いに軽く打ち合わせた。


「……こいつは、再会の約束って奴だ。必ず……また会おうぜ」

「……ありがとう、タヂカラオ」


 タヂカラオとの再会の儀式が終わると、今度はウズメがスサノオに近づき……そっと抱きしめた。


「え、ちょ……ウ、ウズメちゃん……?」

「今度はあたしの番。これはね、大陸で教わったの。親愛なひととの抱擁ハグって奴ね。

 スサノオくん。あたしとの再会の約束も……忘れちゃ嫌だからね!」


 最初は面食らったスサノオだったが、やがてウズメのやったように、そっと彼女の背に両手を伸ばした。


「ありがとう。うん……オレ、本音を言うと、ちょっと寂しかったから、さ……

 すげェ元気出た。ありがとう……タヂカラオ、ウズメちゃん」


「スサノオ。元気でな……!」

「またね。スサノオくん……」


 タヂカラオとウズメとの、別れの挨拶を済ませ──今度こそスサノオは、高天原タカマガハラを旅立った。


**********


 誰にも言わなかったが、実はスサノオには、真っ先に向かわねばならない場所があった。

 昨日のツクヨミとの別れ際に告げられた地で、落ち合う手筈なのだ。


 その行き先とは、粟国あわのくにである。



(第五章 岩屋戸開き  了)

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