六.暗雲
高天原の神聖なる機屋にて、機織りの女神たちが仕事に勤しんでいる頃。
突如、機屋の天井からメキメキと嫌な音がして、次の瞬間、轟音と共に大穴が空いてしまった。
砕けた木片が辺りに飛び散り、女神たちは悲鳴を上げて逃げ惑う。
さらに恐ろしい事に、今度は汚らしい斑点が幾つも見える、醜い暴れ馬が落ちてきた!
謎の闖入者に女神たちは完全に恐慌を来たし、我先にと機屋から逃げ出してしまった。
しかしながら運の悪い者もいるもので、落ちてきた木片に足を打たれ、逃げたくても逃げられない女神が一柱だけ取り残されていた。
「ひッ……誰か、誰か……お助け……ッ」
昼間だというのに、穴の開いた天井から見える空はどんよりとした暗雲に覆われている。
機屋の天井の端には、なんとスサノオがいた。
天井に穴を空けたのも、暴れ馬を放り込んだのも、彼の仕業だったのだ。
(ああ、畜生……! 大雷の奴、どこで捕まえてきたのか知らねぇが、あんな重たい馬を機屋の天井にまで運ばせやがって!
しかしいよいよ分からねぇな。母上の最後の指示だっていうけど、こんな事して、本当に大丈夫なのかよ……!?)
スサノオは穴の開いた天井から下を見ようとしたが、空が暗いせいか、中の様子がよく分からない。
実は暗いせいだけではなかった。スサノオが放り投げた斑馬から、凄まじく濃い「穢れ」が振り撒かれ、黒霧のように機屋に充満して視界を悪くしていたのだ。
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足に傷を負い、機屋から逃げ遅れた女神は、間近で恐ろしいものを目の当たりにしていた。
放り込まれた暴れ馬の斑から、凄まじい量の「穢れ」が噴出し、ゴロゴロと不気味な音を立てているではないか!
恐怖のあまり息まで止まり、絶句する女神の前で、穢れに満ちた雷神たちが形を成しつつあった。
「ははははは! 素晴らしい! まさかここまで上手く行くとは!」
「さすがはイザナミ様よ。カグツチを使い、阿蘇の山神を怒らせ、その噴火の力を利用なさるとは」
「もはや地上も天上も、穢れに満ちた暗雲で覆われた!
この高天原とて例外ではない!」
「後はアマテラスよ。
あの女神さえ亡き者にすれば、黄泉大神の計画は成就する!」
口々に不気味な哄笑を上げる、禍々しき雷神たち。
イザナミに仕える八雷神であった。
大雷が言葉巧みにスサノオを操り暴れさせ、高天原に穢れを持ち込んでいる隙に、他の七柱の雷神は阿蘇山の地下に赴き、火の神カグツチの力を借りて山を噴火させた。
当然凄まじい爆音が轟いたが、日頃からスサノオが暴れていた葦原中国は常に騒がしく、神々は異変にまるで気づかなかったのだ。
阿蘇山の噴火に伴い、大量の火山灰が恐るべき勢いで吐き出され、穢れた暗雲はたちまち空を覆い隠した。
地上のみならず、天上にまで届く穢れの雲に乗って、雷神たちは高天原に忍び込んだ。
後は大雷が用意した、病を得て痩せた馬にとり憑いて、スサノオを騙して機屋に投げ込ませたのである。
「あァァ……なんと恐ろしい、なんと穢らわしい……」
この場から離れようと、不運な女神はもがいたが、すでに手遅れだった。
「見ィィたなァァ?」
雷神の一柱、イザナミの女陰に宿りし拆雷が、嗜虐的な笑みを浮かべて女神を踏みつけた。
「生かしておく訳にはいかぬなァ!」
拆雷は、近くに転がっていた梭(註:織物に使うシャトルのこと)を手に取り、哀れな女神の女陰目がけて突き刺した!
女神は悲鳴すら上げる事もできず、大量の血を流してやがて事切れた。
「……拆雷。貴様なんのつもりだ?」
八雷神の筆頭、イザナミの胸に宿る火雷が、非難がましい目を向けた。
「知れた事。我らの姿を見られては困るから殺したまでよォ!
問題はあるまい?
罪は全てスサノオになすりつけてしまえばよいのだからなァ」
「もう少しマシな殺し方は選べなかったのか? 下劣な奴め!」
「仕方あるまいて。
雷の力を使えば、我らの存在が明るみになってしまうではないか」
拆雷は悪びれた様子もなく言った。
翻って見れば、イザナミの腹に宿りし黒雷が、先ほどの暴れ馬の皮を逆剥ぎにして殺し、貪り食らっている。
火雷は顔をしかめた。
同じイザナミに仕える雷神ではあるが、穢れが溜まり過ぎると、こうも下賤な存在に成り果ててしまうものなのか。
ふと、外から足音がした。
足早に機屋に踏み込んできたのは、アマテラスだった。
その美しい顔は恐怖に青ざめ、中の惨状に息を飲み、立ちすくんでいる。
雷神たちは舌なめずりをして、一斉に彼女を取り囲んだ。