余話・カグツチとイザナミ
激闘が終わり、ツクヨミ達の立ち去るのを見送った後。
イザナミの肉体は、生前の激しい痛みの繰り返しを経て、黄泉大神としての穢れた姿に戻っていた。
見れば、身体に宿りし八雷神も元通りに戻っている。
(ツクヨミめ……初めからこうするつもりじゃったのか?)
雷神たちのほとんどは、ツクヨミが去った為、彼らと邂逅し戦った時の記憶を失っていた。
恐るべき呪いと力だ。しかしツクヨミは、肝心の交渉の際には大雷の糸を使い秘密裏に脅迫を交えてきた。
己の持つ狂気の力を気取られない為でもあったろうが、イザナミが情に打たれ、和解を選んだという筋書を演出する為にやったとも言える。
(ツクヨミなりの……母たる吾を気遣っての事かもしれぬのう)
スサノオを助け起こした時の幸せそうな笑顔を思い出し、イザナミはついほくそ笑んでしまった。
「…………母上」
そんな折、イザナミの下に訪れたのは火の神カグツチであった。
「カグツチ……無事だったか」
「申し訳ございません。我が力が至らぬばかりに……」
「……もうよい。過ぎた事じゃ」
そう、何もかもが過ぎた事。
人の死の訪れは、黄泉大神たるイザナミですら制御しきれるものではない。
だが死を身近に感じるからこそ、生きたいという願いも強くなる。
もし死が徹底的に忌避され、日々の暮らしから排除されてしまえば。
人々は「生きている」という実感すら薄れ、無気力に陥るであろう。
「……何とも、因果なものじゃのう」
「……母上?」
「ふふ、カグツチよ。そう不思議がるでない。
吾は今、こう見えても気分が良いのじゃぞ?」
イザナミはあの戦いの果てに見た思い出と、己の姿の変化を経て。
ついにある事に思い至った。
「……近う寄れ、カグツチ」
「しかし……母上。よろしいのですか?」
躊躇いがちに問う火の神。
彼の身体は常に炎が噴き上げている。近づけばイザナミの腐乱した肉体は業火に焼かれるだろう。
「構わぬ。もっと早くに、そなたの想いにも気がつくべきであったな」
「…………仰せのままに」
イザナミはカグツチの燃え盛る姿を抱き寄せた。
たちまち彼女の肉体は炎に包まれる。
「……苦しくはありませぬか? 母上……」
「吾を誰だと心得ておる? 黄泉大神イザナミぞ?
そなたの炎ごときで、我が穢れの全てを祓えるなどと思うでない」
「……はッ、申し訳……」
「……むしろ、心地よい」
「…………ッ!」
「荒ぶっていた心が鎮まる。実に清々しい気分じゃ。
皮肉なものじゃのう。
生きておる間は叶わなかった事が、死して後にこうして行えようとは」
イザナミの穏やかな言葉を聞き、カグツチは心の中で涙した。
同じ想いだったのだ。カグツチも、イザナミも。
生きている間は、抱く事もできずにその命を終えた後悔。
親子二柱は死してなお、ずっと同じ想いを抱きながら、言い出せずにいた。
だが今にしてようやく、その未練を果たす事ができたのだ。
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日本の歴史において、火葬と土葬の習慣は入れ替わりが激しい。
天皇の火葬も江戸時代に入ってからは土葬に変わった時期があり、現代の火葬は1617年の後陽成天皇から約400年ぶりに復活した。
土葬は手間がかかり、国民生活に与える影響も少なくて済む火葬の方が望ましいという理由かららしい。
火葬が初めて行われたのは八世紀初頭と以前書いたが、長野県の大村市より発掘された竹松遺跡(弥生時代後期のものとされる)において、焼骨を伴った儀式の跡が発見されたとの事。
また大阪・静岡・兵庫に「かまど塚」なる古墳が確認されており、遺体を焼いて弔っていたと考えられている。
これらがもし本当なら、仏教伝来以前に日本には火葬の習慣があったという事の証明になるだろう。
(余話・了)