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ツクヨミ奇譚 ~天岩戸異聞~  作者: LED
第四章 激闘の果て
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二十一.決着

「……これは、一体……この姿はッ……!」


 己の姿に驚いたのはイザナミだけではなかった。

 その場にいたタヂカラオ、ウズメ、オオゲツヒメ、ウケモチもまた……突如出現した神々しくも美しい、国産みの女神の姿に心奪われていた。


「……母上の願いと、父上の記憶を元に。

 このツクヨミが……貴女の『時を戻した』のですよ、我が母イザナミ」


 響いたのは、月の神ツクヨミの声。

 いつの間にか彼は闇の御衣みそを纏い、物言わぬ女神の傍に降り立っていた。

 この場にいる神々は知る由もないが、すでに男神の姿に戻っており、負傷さえも見当たらない。


「この女神の名は……キクリヒメ」

 ツクヨミは女神の手に触れ、彼女の名を記憶から読み取って答えた。

「アマテラスの気と、スサノオの意思と、イザナミの血から再び生まれた……想いを紡ぐ女神」


 キクリヒメ。古事記にその記述はなく、日本書紀においてわずかに登場する女神である。

 イザナギはイザナミと黄泉にて喧嘩をした際、彼女の言葉に大いに感心して黄泉の国を後にしたという。

 彼女がいかなる言葉を語ったのかは記録にないが、この逸話により縁結びの神として伝わっている。


「ツクヨミ、そなたの仕業かッ……愚かな事を!」イザナミは声を荒げた。

われを生前の姿にまで『時戻す』などッ!

 いかにそなたの神力でも、どれだけ激しく消耗すると思うておるのじゃ!?

 今すぐにでも、このまやかしを解くがよい!」


「母上……このツクヨミとて、自分ひとりの力でこれほど強い『時戻し』をかける事は叶いません」

 ツクヨミは穏やかに言った。


(私のこの力は、今この時のために、授けて下さったのですか?

 我が父イザナギ……)


 ツクヨミは困惑するイザナミの瞳を見据えた。


『母上……聞こえますか?』


 ツクヨミの発した新たな声に、周りの神々は誰も気づいていない。

 それはイザナミにのみ通じていた。


『なッ……ツクヨミ。そなた、この会話をどうやって……?』


『時を戻すため触れた時、母上の記憶も読んだのです。

 貴女は大雷オオイカヅチの糸を使って、密かに連携を取っていた』


 ツクヨミの手には、大雷オオイカヅチの張った糸が握られていた。

 仮に糸を持っていたとしても、これを使って意思疎通を行うにはそれなりのコツが要る。

 だがツクヨミの「記憶を読む」力によって、瞬時にそれも理解したのだろう。


『母上、これ以上の戦いは無益です。スサノオ達を解放してやって下さい』

『……解放せぬと言ったら?』


『私は貴女の記憶を読んだ、と言った筈です。

 私が拆雷サクイカヅチを退け、彼の支配する地獄を崩壊させた事も貴女は知っている。

 だが……私がどうやって彼らを退けたか、貴女は把握できていない』

『!』


『貴女が黄泉の国の情報として把握できるのは、五感に関連するもののみ。

 それ以外の攻撃手段の情報は得られない。

 故に私の未知の力に、対処する事は不可能だ』


 ツクヨミの言葉に、イザナミの返事はなかった。沈黙は肯定を意味していた。


拆雷サクイカヅチたちを発狂させた力は、非常に危険な代物。

 扱い方を誤れば、私自身もまた破滅しかねない。

 でもこれ以上戦い続けるというなら。スサノオ達を傷つけようというなら。

 私は躊躇ためらわない。もう一度この場で、切り札として使わせて貰う』


 無論使用すれば、スサノオ達にも影響を及ぼしかねない、諸刃の剣なのだが。

 ツクヨミの毅然とした態度は、覚悟の現れでもあった。


 イザナミの心に恐怖が芽生えているのをツクヨミは感じた。だが不十分だ。

 それにツクヨミも、イザナギとイザナミの子。ただ母を脅すだけの説得はしたくなかった。


『……でもこれは、あくまでも最後の手段ですよ。母上。

 私もスサノオと同様に、本当は心優しい母上を信じたい。

 恐らくこれが、和解する最後の機会チャンスでしょう。

 母上、どうか……スサノオや私の想いを、尊重してやって下さい』


『…………』イザナミの心は激しく揺れ動いていた。


『私は父イザナギの記憶も読み取りました。だから分かるんです。

 今でも父は──妻たる貴女を深く愛している。

 私の時戻しによる母上の姿こそ、何よりの証。

 貴女の今の神々しくも美しき姿は、父イザナギの愛情の現れなのです──』


「なん…………じゃと…………」


 いつしかイザナミの瞳から──涙が一滴、頬を伝わった。


 荒ぶっていたイザナミの魂は自然と鎮まり、久しく忘れていた清々しい気持ちになっていた。

 彼女から溢れ出る神力に、黄泉の国に漂うけがれは一目散に逃げ出していった。

 傍で倒れていたスサノオに憑いていたけがれもまた、洗い流され……スサノオはうっすらと目を開けた。


「……母上、すげェ……綺麗だ……」

「スサノオ……しっかりするのじゃ、気を確かに持てッ」


 イザナミは自然と体が動き、スサノオを助け起こしていた。

 傷ついた子を母親が助ける事に、理由など必要なかった。


「……やっぱり、信じて良かった……

 母上は、オレの思っていた通り、色々教えてくれる、優しい母上だった……」

「分かった、もうよい! われの負けじゃ。

 われは……そなたらが死して腐り落ちる姿を見るなど、耐えられぬッ……!」


 ツクヨミも、スサノオも。そしてアマテラスでさえも。イザナミは直接産んだ訳ではなく、真に親子の情念を抱く事はないだろうと思っていたが。

 しかし今、目に映る彼らの顔には、かつての夫イザナギの愛おしい面影が色濃く残されていた。


(こうして、命ある姿で子に触れられる日が来ようとはのう……)


 だがこれは、ツクヨミの神力による一瞬の出来事。

 永遠ではない。過去は戻らない。

 キクリヒメの語る「思い出」が教えてくれたのは、そういう事だったのだ。

 恐らくはかつて、イザナギに対しても同じ事を……


「…………大雷オオイカヅチ

「……は、はい。大神オオカミ……さま」


 大雷オオイカヅチは名を呼ばれ返事はしたが、美しき清らかな女神の姿となったイザナミに、戸惑いを隠せぬ様子だった。


「そなたの戒めを解け。スサノオ達の邪魔立てはもう、やめじゃ」

「……本当に、よろしいのですか?」

「二度は言わぬぞ」

「……はいィ。畏まりました、大神オオカミさま」


 蜘蛛の姿をした雷神は、直ちにイザナミの命に従い、タヂカラオらを縛っていた糸を解いて、地に潜って消え失せた。


「……ありがとう、母上」

「勘違いするでないぞ。そなたらやイザナギを許した訳では決してない。

 そなたは誓約うけいに勝った。負けた側が従うのは、当然の事じゃからな」


 スサノオのまっすぐな視線に、イザナミは顔を背けてしまった。


「それでも、ありがとう。姉上を返してくれて。皆を助けてくれて」

「……これ以上、繰り言を述べるでない。

 われの気が変わらぬうちに、早々にこの黄泉の国を立ち去るがよい!」


 決して情愛にほだされただけではない。

 ツクヨミの脅迫を交えた懇願も、彼女を和解に踏み切らせた大きな要因だろう。


(今更こんな事をしたところで、われが犯した、多くの命を奪い去った罪が消える訳ではないが。

 子であるスサノオがそれを望み、然るべき証を立てたのじゃ。

 それに従わぬ道理はない。

 ツクヨミも、スサノオも。子はいつの間にか、成長するものなのじゃな……)


 結局、イザナミの願いは叶わなかったが。

 喜びを分かち合うツクヨミ達を、彼女は朗らかな気持ちで見守っていた。


**********


 イザナミとの和解を経て、アマテラスの魂を取り戻し、黄泉の国を後にするツクヨミ達。

 その帰路は、順調であるかに見えた。

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