十八.最後の戦い③
「忌々しや! 余計な口を閉ざすがよいぞ、この小神めがッ!」
イザナミの声が怒りに震え、大気を騒がせた後……タヂカラオが撃ち崩した断崖から、巨大な仄暗き腕が勢いよく飛び出してきた!
「こいつは受け流し切れねえ! いったん大きく跳ぶぞ、ウケモチ!」
「おう! 退路の確保はこっちに任せておきな!」
ウケモチは針状の武器を取り出し、スサノオの飛び退る方角にある大雷の糸を断ち斬り、退路を切り開く!
間一髪、仄暗き腕の魔手が地表を押し潰す寸前、スサノオとウケモチは跳躍して逃れる事ができた。
ドズウウウウンッッ!!
イザナミの巨腕が、黄泉の国の大地をひっくり返さんばかりに揺るがす!
だがスサノオはイザナミの凄まじい力よりも、気がかりな事があった。
スサノオの剣の輝きは、今は消えている。
(やはりだ……さっき、ツクヨミが雷神に攫われた時にも起きた……!
これはひょっとして……)
「ウケモチ。次に母上は、どういう行動に出ると思う?」
「さぁな……せいぜいこっちを無駄に疲れさせるための陽動を繰り返して、本命を狙ってくるって所じゃねえか?」
「……なるほどね。オレも同意見だ」
スサノオの思考と推論は、ウケモチの返答によってさらに補強された。
後はどれだけ相手の裏をかけるか。緊迫した命のやり取りの最中にも関わらず、いやそれ故か……スサノオの精神は高揚していた。
(ここからが正念場だぜ……! さあ来い母上……!)
絶え間なくスサノオを攻め立ててくる、イザナミの千万腐手。
穢れを纏いし無数の手は、一日千の人間を絞め殺すため魂魄を黄泉へと引きずり込む、荒ぶる死の具現であった。
確かに恐るべき力だ。スサノオはウケモチと共に迫りくる手を躱し、払い、時には十拳剣で斬り裂く。
この攻撃を無限に繰り返されるだけでも、スサノオたちの体力は削られ、やがては疲弊してしまうだろう。
(だがッ……これはオレの待っている攻撃じゃあねえ……
まだだ。もう少し耐え忍べ……!)
スサノオは激しく動き回りながらも、機を執念深く待ち続けた。
「どうした、スサノオ……動きが鈍くなっておるぞ」
イザナミの嘲笑の声が響く。スサノオの軽やかだった身のこなしは徐々に精彩を欠き始め……腐手がスサノオの身体を掠めるようになった。
「ぐッ……くっそォ!」
スサノオの表情に焦りの色が浮かび、呼吸が乱れていき、神剣を振るう力も段々と弱まってきている。
体力の限界が近いのだ。イザナミの思惑通りに戦いは推移していた。
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(ああ……スサノオ様、ウケモチ……)
劣勢のスサノオらの苦闘ぶりを、オオゲツヒメは気を揉みながら注視していた。
彼女は予め筍を食べて、イザナミから気配を隠している。この恐るべき戦いの最中、彼女にできる事は少ない。
仲間たちの奮闘を見続けていたためか、彼女は背後で穢れの気配が膨らんだ事に気づかなかった。
不気味なイザナミの亡骸が、いつの間にかオオゲツヒメの後ろに立っていた。
「……オオゲツヒメや。ここにいたのかえ」
「ッ!?」
オオゲツヒメが驚いて振り返ると、イザナミは腕を伸ばし、彼女の首を掴んだ。
「がッ…………!」
「愚かな。恐らく筍の力で吾から隠れておったのであろう?
じゃが仲間の苦戦に夢中で、力が切れておるのに気づかなかったようじゃな」
「……確かにわたくしはイザナミ様の……接近に気づきませんでした」
ギリギリと首を絞められ、苦しげに言葉を紡ぐオオゲツヒメ。
「ですが、わたくしを狙ってくるだろうとは……見当をつけていたのですよ」
「……何じゃと?」
イザナミは異変に気づいた。戦いに長けている訳でもない、食物の女神。
にも関わらず、渾身の力を込めても首骨を折るどころか、絞め落とす事もできなかった。
イザナミの両手はオオゲツヒメの首に届いていなかった。
彼女の首には、絹でできた比礼が巻きつけてあった。
穢れを祓う力を持つそれは、イザナミの首絞めを寸での所で防御していたのだ。
ヒュカカカッ!!
さらに次の瞬間、鋭い音が重なったかと思うと、無数の葦の矢がイザナミの両腕に突き刺さった。
彼女の穢れた腕は凄まじい熱を帯び、バラバラに弾き飛ばされた!
「何ッ……ぎイイイイイッッッッ!?」
「オオゲツに手を出すんじゃねーや……この腐れ神がッ」
矢の飛んできた方角には、ウケモチが桃弓を構えて立っていた。
ウケモチとオオゲツヒメの頭上には、それぞれ翼の生えた双子神の姿があり、彼らの神力によってウケモチの矢は正確に命中するのである。
イザナミの両腕が吹き飛ばされた途端、スサノオを取り巻いていた無数の腐手もまた塵と化し消え失せた。
「くォのッ……小神どもがァァァァッ!!」
「小さいからと侮ってはいけませんわ。こう見えても、オオカムズミ様の木と穢れなき葦を使いウケモチが造り上げた、鬼祓いの力を持つ強力な神なのですよ」
ドヒュン!!
突如凄まじい風切り音がし、イザナミとオオゲツヒメに向かって急接近してくる影があった。
イザナミは目を疑った。
スサノオは腐手の力で遠くに足止めしていた筈。なのに彼は輝く十拳剣を手に、彼女の間近に迫っていた!
「なッ……スサノオ……!?」
「ずっと待っていた。体力が底をついたフリをして……母上が自ら、オレ達の誰かを襲ってくる瞬間をな!
オオゲツヒメを狙ってくるんじゃあねーかと思って、ウケモチと示し合わせて、ワザと筍の力を短めに調整してよォ!」
「しかし何故じゃ。何故そなたら、本物の吾がここにいると分かったッ?」
「姉上が……教えてくれたのさッ! アンタの腹をよーく見てみなッ!」
「姉……アマテラスが、じゃと……はッ!?」
イザナミが己の下腹部を見下ろすと、確かに鈍い輝きを放っている。
それはスサノオの持つ十拳剣の光と同じ、太陽神アマテラスの持つ陽の気の輝きであった。
「姉上から貰ったこの神剣に宿った陽の気が、母上の抱えている『鏡』の陽の気と共鳴を起こしてるんだよッ!
そいつが目印になるのを待ってたのさ!
後はオオゲツヒメが時間稼ぎをしている間に──」
「オイラが持っていた葡萄を、スサノオに食わせて神力を回復させた」
先刻までスサノオのいた場所でウケモチが、得意満面の様子で言った。
「あとは大風さえ巻き起こせば、スサノオは一瞬で距離を詰められる。どの仲間が狙われてもいいように、立ち位置はキッチリ調整しといたんだけどな」
「おおおのれええええッッッ!?」
「母上、腕ずくで奪えって言ったよな?
今こそ、返してもらうぜッ! 姉上の『魂』を!」
スサノオの十拳剣が、稲妻の如き速さで閃いた!
イザナミの腹が大きく裂かれ、腐汁と穢れが盛大に飛び散っていく!
「あがごおおおおおおッッッ!!」
けたたましき絶叫を上げるイザナミ。
彼女の斬り裂かれた腹部から、目映い光を放つ鏡が姿を表した。アマテラスの『魂』の結晶だ。
その陽の気に焼かれ、骨だけになりながらも再生を続ける不気味な二本の腕が、しっかりと鏡を握り締めている。
「こいつはあの、拆雷って奴の腕か……悪ィが手を離してくれ。
てめェごときにゃ、勿体ない『魂』だからよォ!!」
スサノオはすかさず鏡に手を伸ばし、凄まじい旋風を発生させる!
たちまち雷神の腕はガクガクと揺れ、イザナミの腐った肉体と共に吹き飛び……スサノオはとうとう、ずっと求めて止まなかった『鏡』をその手に掴んだ!




