十四.引き剥がされし闇の御衣
ツクヨミはイザナミに完全に不意を突かれ拘束され、穢れに手酷く蹂躙された後……彼女の従える雷神・拆雷の変じた大蛇に絡みつかれ、締め上げられたままスサノオから引き離されてしまった。
カグツチの時のような地中に引きずり込まれる前触れもなく、瞬時にして雷神の支配する地獄へと転移したようだ。
拆雷の放つ雷撃に苛まれつつも、ツクヨミは周囲の景色が一変しているのに気づいた。
「イザナミ様のご命令だァ……簡単に意識を失ってもらっても困る。
ここは『雷地獄』。この拆雷の支配する地獄だ。
まァ名前通り、晴れる事のない雷雲がひっきりなしに雷を落とすだけの、平凡な地獄だがねェ」
大蛇はツクヨミの耳元で囁き、訪れた地獄の説明をした。
その間にもギリギリと締め上げられ、ツクヨミは苦悶の喘ぎを上げる。
「……あッ……がァッ……!」
「ン~~~~そそるねェ。
男神にしとくのは勿体ない、良い声で泣くじゃあねェか。
黄泉大神も、ここに来て素晴らしい玩具を賜って下さったァ!」
拆雷はいいように嬲られるだけのツクヨミの苦痛に歪んだ顔に、しばし満足していたが……段々と疑念の心が湧き上がった。
(しかし何なんだ……? コイツも一応、スサノオやアマテラスと同じく三貴子の一柱だろう?
確か魂魄を半分、自分の国に置いてきて神力も半減しているのだったか。
イザナミ様の穢れを浴びて消耗したとはいえ、手ごたえがなさすぎる……)
拆雷は警戒していた。いや、していたつもりだった。
しかし異変は起こった。締め上げつつ、十二分に拘束していた筈のツクヨミが……不意に姿を消したのだ。
「なッ…………!?」
ツクヨミはいつの間に戒めを脱出したのか、拆雷の背後に立ち、黒い十拳剣を抜き放った!
ザシュッ!!
「ゴゲエッ!?」
ツクヨミの剣撃は拆雷の大蛇の胴を中央から両断する!
頭部と尾部の二つに分かれ、奇怪な悲鳴を上げる雷神だったが……すぐに笑みを浮かべて恍惚とした表情になった。
「ギハハハ……痛ェ~~よッ! だが、全然物足りねェ。全ッ然ねええ!」
断ち切られた事すら、悦びであるかのように言い放ち……拆雷の肉体は断面が組み合わさり、あっという間に傷口が再生し治癒していく!
「……黄泉の神にしては、とてつもない再生力だな」
ツクヨミは声を荒げながら言った。
拘束は脱け出したものの、体力の消耗はいかんともしがたく、肩で息をしながら何とか立っているような有様だった。御衣も所々破れ、見るからに痛々しい。
「我は拆雷。イザナミ様の女陰に宿りし雷神なり!
女陰は生命を産み出す源泉ぞ。故に我は、八柱の中でも随一の耐久力と再生力を併せ持っているのだァ!
いたぶるのも、いたぶられるのも等価値に愉しめるって訳さァ……ヒャハハ!」
拆雷の肉体は完全に元通りとなり、傷跡すら残っていなかった。
「貴様の剣の腕はなかなかのものだし、鋭い技を持っている。それは認めよう。
だが全くもって、軽いねェ! 我の命を完全に断ち切ろうという、殺気も気概もまるで感じられねェ!
貴様の弟スサノオは、もっと凄まじかったぞ?
高天原の襲撃の際、奴は素手で、我が顔を掠めるだけだったにも関わらず。
我が首どころか、魂魄そのものを引き裂かれるかと錯覚するほどの絶大な恐怖を感じた……」
下劣な雷神は当時の恐怖を思い出し、身震いと恍惚感を同時に表現した不気味な笑みを浮かべていた。
「だがツクヨミ、貴様の攻撃は優しい……いや、甘すぎる!
そんな命を奪う気概の無い剣では、何百回振るったところで我が再生力を上回り、殺すには絶対至らぬ。
その程度の覚悟で、この黄泉の国の奥深くまで足を踏み入れ、イザナミ様と相対する気でいたというなら……とんだ心得違いの愚か者だと言わざるを得ねェよ!」
「ぐッ…………」
ツクヨミは剣を構えつつも、拆雷の言葉に気圧されるように後ずさった。
「貴様には確か『月日を読む』……すなわち時間を操る神力があったのだったな。
先ほどの拘束を脱したのも、時を止めて逃げた、といったところかね。
次はどんな大道芸を見せてくれる?
加速か? 記憶を読むのか? 時を戻すのか? ンン?
尊き三貴子だか何だか知らんが、貴様一人ではやれる事も限られるのかね。
まったくとんだ拍子抜けだァ」
雷神は完全に侮るような発言を繰り返していたが、心の奥底では奇妙な警戒心が芽生えていた。
この月の神の持つ力は、こんな程度のものではない……筈なのだ。何か切り札を隠し持っている。根拠はないが、拆雷は何故か確信に近い感情があった。
(ここまで挑発しても、隠し玉を見せる気配すらないなァ……だが油断はできぬ。
イザナミ様がスサノオを殺すまでの時間稼ぎが我の目的ではあるが、下手に攻めて手痛いしっぺ返しが来ないとも限らん)
拆雷は試してみる事にした。
「ま、貴様が何を考えていようと我には関係ねェがな。
後の始末は、コイツらがしてくれる……」
ツクヨミの背後に、二つの異形の亡者が姿を表した。
仰向けに這いずり、強力な穢れを宿した腐乱した女の亡骸。黄泉醜女だ。
「貴様一人で二体の黄泉醜女に対処できるか?
できなければ死ぬだけだがなァ……こいつらは我の命令も、イザナミ様の命令も聞きはせん。
美味そうな陽の気を放つ餌に群がり、食い漁るだけだァ……」
ツクヨミの美しい顔に、焦りと怯えの色が浮かぶ。
迫りくる危機に立ち向かおうとするものの、消耗しきったその身のこなしはどうしようもなく鈍い。
ギギギヒヒヒッッッ!!
おぞましき亡者どもが耳障りな奇声を発し、即座にツクヨミへと襲いかかった!
「……あがッ……ああああッ!!」
ツクヨミは超速の黄泉醜女の動きに全く対応できず、右の首筋と左の脇腹をそれぞれ食いつかれてしまった。
無慈悲にツクヨミの肉を貪り、鮮血がほとばしる。そして彼女らは腐乱した手足をバタつかせ、すでに傷だらけだった闇の御衣をバラバラに引き裂いた。
「ククヒヒヒ……! 男神の脱衣なんぞ趣味じゃあねェんだが……
ツクヨミ。貴様ほど艶のある神なら、興が乗るってモンだよなァ。
せいぜい拝ませて貰うぜェ!」
衣服を裂かれ、露になったツクヨミの肉体を一目見ようと、拆雷は大きく身を乗り出した。
だが次の瞬間、彼の目に飛び込んできたのは凄まじい輝きだった。
真っ黒な球体が見えた。その外周から放たれる、眩しき光が拆雷のみならず、ツクヨミの肉を貪っていた黄泉醜女二体の目をも灼いてしまった!
「ギャッ…………!? な、何だァッ…………?」
光自体は大した損傷ではなく、雷神の視力は再生能力によりすぐに回復する。
彼が見た先にいたのは、激しく血を流しつつも、亡者どもを振り払い悠然とその場に立つ……ツクヨミの真の姿であった。