九.火の神・カグツチとの戦い②
「ツクヨミ! やったか!?」
先ほどのスサノオの、胴を貫いた一撃は通じなかったが、ツクヨミの放った斬首攻撃。
かつて父イザナギがやったのと同様に、カグツチの無表情な首が宙を舞う。
しかし……立て続けに奇妙な事態が発生した。
「うぐぐッ…………!?」
スサノオを掴むカグツチの両腕の力は全く緩まない。
「何……だと……!?」
ツクヨミもまた驚いていた。十拳剣で刎ねた首からは、一滴の血も噴き出さなかったからだ。
どころか、カグツチの頭部は中身が腐り落ちていた。無数の蛆蟲が湧いており、黄泉の神に相応しい穢れに満ちたおぞましき存在だった。
次の瞬間カグツチの胴体の、刎ねられた首の傷跡から、凄まじい炎熱が飛び出し背後のツクヨミを焼いた!
「ぐああああッ!?」
灼熱に全身を包まれ、苦悶の悲鳴を上げるツクヨミ。
さすがのスサノオも信じられない様子だった。
「馬鹿なッ……なんで、ツクヨミに即座に反撃できる!?
ツクヨミの姿が見えなくなったのに、記憶が残っているなんてッ……!」
「……確かにツクヨミの姿を見失えば、その記憶も消える。母イザナミはそう言っていた。
そう、『見失えば』ね。でも仮にボクが『見失っていなかった』としたら?」
首を失ったままのカグツチが、嘲るような声で言った。
「気づかなかったのかい? ボクの首から上は、父イザナギに刎ねられたと同時に死んでいた。
だから何の機能も果たしていない、ただのお飾りだったのさ。目も見えなければ、耳も聞こえない。
なのになんで、お前たちの事を認識できていたと思うんだい?」
「!……まさかッ……」
カグツチの首のあった場所から、ゆらゆらと青い炎が噴き上がった。
揺れ動く炎の中につり上がった目と口が浮かび、不気味な笑みを浮かべたように見えた。
「そうさ。ボクは火の神カグツチ! お前たちの姿ではなく『命の炎』を認識して居場所を捉えている。
つまり最初からツクヨミはボクから身を隠せていなかったし、背後を取る事も無意味だったという訳さ!」
カグツチは両腕に力を込め、スサノオを抑え込みにかかる。
スサノオも決して腕力に劣る神ではない。だが絶えず焼かれる上に位置が悪く、完全にカグツチの優位だ。
「さあ悪神ども! ツクヨミとスサノオを殺せッ!」
カグツチが命じると、最初に炎の渦を作っていた悪神どもと、先ほどスサノオの剣によって生まれた悪神どもが同時に動いた!
ドドドガガッ!!
彼ら全員が、カグツチの命令通り二柱に襲いかかっていれば、そこで決着だったかもしれない。
だが次の瞬間起きたのは、悪神どうしの奇妙な乱戦の様相だった。
「……どういう事だッ!? 何をしているお前たち……!」
「カグツチの兄貴よォー……オレの逸話についても知らねェみてぇだな」
スサノオは笑みを浮かべて言った。
「オレが父上に、海原を治めるよう命じられた時の事だ。
だがオレは何年も海を荒れ放題にして、悪神どもの巣窟にしちまった。
そのせいか、オレは結構……こういう悪神どもに好かれやすいし、御し方も慣れてるのさ」
悪神どうしの潰しあいにも、実は法則性があった。
ツクヨミやスサノオを利して立ちはだかっているのは、明らかに先ほど十拳剣で飛び散った血から生まれた神々だった。
「同じ兄貴の血から生まれた神かもしれねェが……
少なくとも、オレの十拳剣で飛び散った血の方は……オレが生みの親だぜ!」
「なんだと……小癪な真似をッ!!」
「詰めが甘ェんだよ、カグツチの兄貴ィ!!」
動揺したカグツチの戒めから、一瞬の隙を突いてスサノオは脱出し……勢いよくカグツチの腹を蹴り上げ、突き刺さった神剣を引き抜いて大きく跳ぶ!
「ごあああッ!?」
カグツチの身体から新たにどす黒い血が撒き散らされると、そこから新たな悪神が生まれつつあった。
その間にスサノオは、炎に焼かれたツクヨミの傍へ着地し、庇うようにカグツチとの間に立つ。
「ツクヨミ! しっかりしろ。意識はあるか?」
「なんとかね……手酷く火傷は負ったけれど。助かったよ、スサノオ」
スサノオが到着したのを見計らい、消火も兼ねてツクヨミは再び黒い勾玉に変身し、スサノオの首飾りの一部となった。
「さーて。仕切り直しと行こうじゃあねーか、カグツチの兄貴!」
体勢を整え、十拳剣を構え直し油断なく対峙するスサノオ。
周囲ではカグツチ・スサノオにそれぞれ従う悪神どもの、不毛な殺し合いが不快な喧騒を立てている。
「……そうだね、我が弟たちよ」
メラメラと怒りの波長を声に滲ませていたカグツチだったが、不意に平静な口調に戻っていた。
「ボクの『増援』も到着したようだ。
お言葉に甘えさせて、仕切り直させてもらおう」
「増援…………?」ツクヨミが訝った。
次の瞬間、熱泥地獄の真っ暗な上空から……四本の稲光がカグツチに向かって、轟音と共に降り注いだ!
「母上も用心深い事だ。
ボクのためにわざわざ、地上に出向いていた四柱を呼び戻したらしい」
カグツチの周囲に、四柱の穢れた雷神の姿があった。
「てめェらはッ……八雷神ッ……!」
その見覚えのある姿に、スサノオは歯噛みした。
姉アマテラスの『魂』を黄泉の国に連れ去った実行部隊。
忌々しき恥辱を強いた者たち。忘れる筈もなかった。
「カグツチ様。黄泉大神の左手に宿りし若雷! 加勢致しますッ」
「カグツチ様。黄泉大神の右手に宿りし土雷! 助太刀致す!」
「カグツチ様。黄泉大神の左足に宿りし鳴雷。参上……」
「カグツチ様。黄泉大神の右足に宿りし伏雷。見参……」
轟雷と共に、周囲に爆発的に閃光が広がった。
思わず目を覆うスサノオ。光が晴れた後、その場に現れたのは──禍々しい雷を纏った剣と盾、そして雷雲の如きドス黒い巨大な翼を背中から生やした──火の神カグツチの恐るべき姿であった。