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ツクヨミ奇譚 ~天岩戸異聞~  作者: LED
第一章 陽が翳るとき
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四.誓約(うけい)

 スサノオが高天原タカマガハラに赴き、姉のアマテラスに会うつもりであると聞いて、イザナミは声を弾ませた。


「おお、そうであったか……これは渡りに船ぞ。

 実はわれも、そなたに高天原タカマガハラに入り、成し遂げて欲しい用向きがあって、この大雷オオイカヅチを遣わしたのじゃ」


 イザナミの言葉に、スサノオは驚いた顔をした。

 スサノオ自身、アマテラスに別れの挨拶をした後はすぐにでも、黄泉の国に赴く予定だったのだ。


「よいかスサノオ。何としても高天原タカマガハラに入り、われの今から言う事を成せ」


 イザナミがスサノオに伝えた『高天原タカマガハラに入ってから成す事』。

 粗野な乱暴者として通っているスサノオからしても、にわかには信じがたい内容であった。


「……理不尽に思えるかも知れぬが、そなたとわれが再び会うために、どうしても必要な事なのじゃ。

 どうじゃ、やってくれるか? スサノオ」

「母上がそこまで頼み込むって事は、大事なことなんだな……

 分かった。約束する」

「礼を言うぞ、愛しき我が子よ……」


 さて翻って高天原タカマガハラを見やると、中から物々しい具足の音が鳴り響いている。


「……なんだ? 妙に騒がしいな」スサノオは訝った。

「ふむ、スサノオや。そなたここに来るまでに、散々に道々の山や川、国土を騒がせたであろう?

 恐らくアマテラスは、そなたが高天原タカマガハラを奪いに来たと早合点して、戦準備をしておるのであろう」

「戦準備ィ!?

 オレはただ、黄泉の国に行くって話をしにきただけだってのに……」

「そなたが申し開きをしても、アマテラスは信じはすまいな。そなた、日頃の行いが悪すぎるのう」


 きっぱりとイザナミに言われ、スサノオは気落ちして俯いてしまった。


「……案ずる事はない、スサノオ。われがそなたを助けると言うたであろう?

 よいか。アマテラスがそなたの心を疑ってきたなら、誓約うけいをするように申し出るのじゃ」

「…………誓約うけい?」

「何、知らぬのか?……イザナギめ。こんな大事なことも教えずに、スサノオを放り出したのか。

 我が夫ながら、まったく無責任な話よのう……」

「すまない、母上……オレが無知なばっかりに」

「……よい、気にするでない。知らぬ事は恥ではない。

 知っている者に教えを乞い、学べば済む話なのじゃからな」


 誓約うけい。日本神話においてたびたび登場する、選択に迷った時に行う神頼みのようなものとお考えいただきたい。

 大抵は誓約うけいを行う前に、二者択一の条件を提示するのが一般的なやり方だ。

 簡単な例を挙げれば「分かれ道に差し掛かった時に棒を立てて離し、棒が倒れた方に進む」。

 あるいは「好きな人を思い浮かべ、『好き』『嫌い』と言いながら花びらを一枚ずつ千切る」など。

 読者の皆様も、何気なくやった記憶があるのではないだろうか?

 これらも立派な誓約うけいである。


 スサノオはイザナミから誓約うけいの概要を教わった。


「でも、オレの言う事を信じてもらうための誓約うけいって……

 どういう提案をすればいいんだ?」

「そうさのう……スサノオ。

 この世では、ありとあらゆるものに神が宿る。知っておるな?」

「もちろんです、母上」

「山や川、風、鉱物、かわや……

 そして無論、人や神が身につけておる『持ち物』にもな」

「持ち物……」

「その持ち物に宿るという神は、えてしてその『持ち主』の心を映した神となる。

 これがどういう事か、分かるか? スサノオや……」


 イザナミに問われ、しばし考え込んでいたスサノオであったが、やがて思い至りて目を見開く。


「!……そうか! オレの持っている持ち物から生まれた神が善神なら!

 オレに邪心がないという事の、この上ない証ってことになる!」

「……よう答えた、スサノオ。

 そなたなかなか、道理に適った答えを返すではないか」


 母イザナミに褒められ、スサノオは誇らしくも暖かい気持ちで満たされた。


「スサノオ。われからの贈り物を受け取っておくれ。……大雷オオイカヅチ

「はいィ。大神オオカミサマ」


 イザナミの声に促され、大雷オオイカヅチは懐から、絹の鞘に封じられた十拳剣とつかつるぎを取り出し、恭しくスサノオに差し出した。


「……大雷オオイカヅチ、そなた直に剣に触れておらぬであろうな?」

「滅相もなく。せっかくの神剣、我がけがれに晒されては元も子もございませぬ故」


 スサノオは剣を受け取り、中を見た。

 磨き抜かれた神剣は、いかなる神も宿していないにも関わらず、陽光のようなきらめきを放っている。


「スサノオ。邪念を払い、無垢なる気持ちでその十拳剣とつかつるぎに強く念じよ。

 今まで己がしてきた事への償いと、これから成すべき事。決してよこしまな心で行うものではない、とな」

「…………はい、母上…………」


 こうして、スサノオは高天原タカマガハラに赴く準備が万端に整った。

 大雷オオイカヅチは去る。穢れた黄泉の神を従えていては、神聖なる天上において門前払いを食らいかねないからだ。


「…………ありがとう、母上」

「なんじゃ? 急に改まって」

「オレ、正直言って……母上に会いたいと思っていながら、心のどこかで母上を恐れてた。

 黄泉の国で、父イザナギがひどい目に遭ったってのを、聞いていたから……」

「スサノオ……」

「でも違った。母上は、オレの想像していた通りの、優しくて色々教えてくれる、オレの大好きな母上だった!

 母上とこうして話ができただけでも、オレすごく嬉しいよ」


 まっすぐなスサノオの感謝の言葉に、イザナミは思わず息を止め、言葉に詰まってしまった。

 イザナミがこれだけ色々と世話を焼いているのは、スサノオを己の計画に利用するためなのだ。

 スサノオは母の真意に気づいてもいない。イザナミの心はかすかに痛んだ。


「…………よいかスサノオ。気を抜くでない。

 そなたとわれが直に会うために成さねばならぬ事。ゆめゆめ忘れるでないぞ」

「ああ、分かっているよ、母上。

 それから大雷オオイカヅチ。お前のお陰で母上の声を聞く事ができた。

 お前にも礼を言うよ」

「……我はイザナミ様の命に従い、事を成しているに過ぎませぬ。

 ですがそのもったいなきお言葉。ありがたく頂戴いたします……」


 雷神が一礼し、その場を去った後。

 スサノオはすっかり憑き物の取れた、朗らかな表情になっていた。


**********


 この後、古事記にも語られし天安川アメノヤスノカワにおける、スサノオとアマテラスの誓約うけいが行われる。

 誓約うけいの結果、スサノオの持つ十拳剣とつかつるぎから、胸形ムナカタ三女神なる航海の安全を司る神が生まれ、スサノオに邪心がなく、海原を荒れ放題にしていた罪を悔いているという証が立てられた。

 スサノオはアマテラスの誤解を解き、高天原タカマガハラに滞在する権利を勝ち取ったのだ。


 しかしながらこれが、後の大いなる災いに繋がるのである……

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