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ツクヨミ奇譚 ~天岩戸異聞~  作者: LED
第四章 激闘の果て
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一.八十合神・影鰐(カゲノワニ)

 女神ウズメが意識を取り戻すと、目の前に広大な青い海が広がっていた。遠くに目を凝らしてみるが、白い煙のようなものに覆われていて見通す事ができない。


(あれ……ここは……? どこだっけ)


 海の美しさとは裏腹に、彼女の倒れていた地面は相変わらずの灰色であり、ここが黄泉の国の一部だと気づかされる。


(そっか……オオゲツちゃんとタヂカラオが泥に沈んで、あたしとウケモチくんも……完全に、みんなとはぐれちゃったのか……)


 皆と歩いている最中、地面が熱を帯び泥化して足を取られ……そのまま飲み込まれて意識を失ってしまったらしい。

 傍らには闇を纏った小さな神ウケモチが、同じく意識を失ったまま倒れていた。

 幸い身体に傷も火傷も見当たらなかったが、吹き荒ぶ風は冷たく、ツクヨミたちの行方も知れず、心細い。


「起きて、ウケモチくん……大丈夫? しっかりして」


 ウズメはウケモチを起こそうと彼に近寄り、肩を叩いてみた。

 いきなり頭を揺さぶったりするのは危険だと、大陸で交流のあった医術の神から聞いた事があったからだ。

 口元に手を当てると、呼吸をしているのが分かる。幸い深刻な事態ではなかったらしく、ウケモチはうっすらと目を開けた。

 彼は桃弓と葦矢を身に着けており、特性の巾着(桃の実や武器など、様々な道具を入れている)も無事だ。そして泥に飲み込まれる直前に咄嗟に掴んだのか、イザナギの残した葡萄をしっかり握り締めていた。


(あたしの持ち物は……

 筆架叉ひっかさ二つにオオゲツちゃんから貰った絹の比礼ひれ

 よかった。お互いに失くした物はないみたいね……)


「…………ウズメ、か…………?」

「よかった、ウケモチくん。目が覚めたのね」

「……オオゲツ……は……?」

「ごめん、分からない。はぐれちゃったみたい……

 ここにいるのは、あたしとウケモチくんだけ」


 ウケモチはウズメの言葉に落胆の色を隠せなかった。

 彼にとってオオゲツヒメは、己の半身と言っても良いほど特別な存在なのだ。

 だが先刻の状況からして、傷も負わず持ち物も紛失しなかった事は幸運といってよい。

 嘆息は出たが、すぐに起き上って辺りを見回した。


「なんだここ……海か? 黄泉の国の中に、こんな場所があるなんてな……」


 ウケモチが不思議そうにしみじみと言った。鉛の曇天と灰色の大地はいつも通りなだけに、眼前の透き通るような青い景色は奇異に映った。

 ウズメも同じ思いだったらしく、しばし青い海に視線が釘づけであったが、段々と違和感を覚えた。


韓国からくにに渡った時に見た海とは、全然雰囲気が違うわね……

 白煙のせいで遠くが見えないし、なんだか熱いような……?」


 彼女はそう言いつつ、そっと爪先を海に触れてみる。すると……


「熱ッ!?」


 予想より遥かに高い水温を感じ、ウズメは慌てて足を引っ込めた。

 幸いにして焼けただれるという程ではなかったが、限りなく沸点に近い高温の水である。迂闊に入り込めば低温火傷は免れなかったろう。


「……何なのよ……ここ……?」


 ウズメとウケモチが、不安そうに広大な海原の先を見ると……何かが凄まじい波しぶきを上げ、こちらに接近しつつあった。

 目を凝らしている間に、白煙も晴れ、彼らの姿が段々とはっきりしてくる。


 それは十艘からなる、巨大な葦の舟の艦隊だった。牛の角を持ち、虎縞の腰布を纏った屈強そうな鬼が、一艘につき十以上の姿が見える。

 総勢で百以上はいるだろうか? 鬼たちは黄泉軍ヨモツイクサと呼ばれる、イザナミに仕える獄卒の兵隊である。

 しかし何より異彩を放っているのは、葦舟の先頭に立つ、でっぷり太った黒光りする雷神であろう。


 海岸まで近づいてくる黄泉軍ヨモツイクサと雷神に、二柱は迎え撃つべく即座に身構えた。


「……意識、戻ったかァ……?」雷神はたどたどしい、くぐもった声を上げた。

「……よがったァ。気がついたんだな! 名前、聞いてもいいかァ?」


 明らかに敵なのは間違いないだろうが、何とも悠長な語りである。


高天原タカマガハラの女神、ウズメよ」

「オイラは闇の神……ウケモチって、呼ばれてるモンだ」


「……ウズメ! ウケモチ! どっちも知らねえ名だァ」

 雷神は轟くような大声を上げ、何やら落胆したような様子だった。

「オデは……黒雷クロイカヅチ……! 黄泉大神ヨモツオオカミさまにお仕えする……腹に宿りし雷神だァ!

 ここは……オデの管理する……海地獄……!

 おめェらを、食い殺していいと……大神オオカミさまはおっしゃっただァ。

 ンでも、残念だぁ。女は肉が柔らかそうだがァ……そっちのチビは一口で平らげちまいそうだァ……」


 黒雷クロイカヅチ。黄泉の女王イザナミに仕えし八雷神ヤツイカヅチノカミの一柱の名である。

 高天原タカマガハラで太陽神アマテラスが襲撃された時、スサノオの投げ入れた暴れ馬を殺し、皮を逆剥ぎにして貪り食らっていたけがれし神だ。


「どうせ食うなら……あの大男の神や、太った女神のいる方がよがったなァ……」


「好き勝手言ってくれるじゃあねーか、神のくせにブクブク太りやがって」

 ウケモチは怒りを露わにして言った。

「それにオオゲツは太ってる訳じゃあねえ! ふくよかな体型って言うんだよ! てめェと一緒にすんなッ!」


「チビ……おめェ……何言ってる……?」

 黒雷クロイカヅチは首をかしげている。あまり頭の回転は良くないらしい。

「オデ……あいつら……褒めてるづもり……! 肉が沢山あって……とっても食べ応えありぞうだものなァ……!」


 肥満体の雷神は、涎を撒き散らして夢見がちな瞳で曇天を仰いでいる。

 その奇怪でおぞましい様子に、ウズメもウケモチも思わずたじろいだが……真の衝撃はここからであった。


 黒雷クロイカヅチの大口が、見る見るうちに開いていき……その顎が臀部に達するまで裂け落ちたのだ。

 そして上下ではなく、左右に開いた。頭から臍まで大きく裂けた全てが、雷神の口であった。中には無数のノコギリのような鋭利な歯が生えており、すさまじい悪臭が漂ってくる!


 次の瞬間、雷神の口が襲ったのは……彼の従えている、傍らにいた黄泉軍ヨモツイクサたちであった!


『!?』

 二柱が驚いている間に、黒雷クロイカヅチは逃げ惑う獄卒どもを乗っている葦舟ごと次々と平らげ、その胃袋に収めていく。

 百はいたはずの黄泉の軍勢は、大した時間もかからずに貪欲な雷神に食べ尽くされてしまった。


「ちょ……何やってんだよお前……! そいつら、お前の手下だろう……!?」

 おぞましい光景が繰り広げられ、上ずった声を上げるウケモチ。


「ぞうとも……大神オオカミさまより借り受けた、オデの手下だァ……

 どう扱おうと、オデの勝手だァ!!」


 轟雷のような唸り声を上げ……黒雷クロイカヅチの肉体は瞬く間に変貌していく!

 気がつけば鉛色の曇天は、不吉な漆黒の雷雲へと変わっており、周囲の海に次々と雷が落ちていった。


 息を飲むウズメとウケモチ。

 雷神の姿は……この海地獄すべてを覆い尽くさんばかりの巨大な、黒光りする鮫の姿となっていた。


「……オデは……八十合神ヤソアワセガミ……影鰐カゲノワニ……!!」


 黄泉軍ヨモツイクサを食らい、そのけがれを体内に取り込んだ事で、格段に力を増したのだ。

 島ひとつ軽々と一呑みにしそうなほどの巨躯を持った黒鮫は、二柱に向けて大口を開けて迫ってきた!


「……とっとどお前ェらを食い殺してェ……

 他の神々もオデの腹ン中だァァァァ!!」

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