十二.分断
ウズメは無心で舞っていた。何にも煩わされる事なく。
黄泉醜女が全滅した事すら、彼女にとっては些事であった。
疲労はなかった。不安もなかった。
あるのはただ、極みに達したいという、渇望。
永遠に踊り続けたい。この恍惚を不変のものとし、普遍のものとしたい。
そのためならば、あらゆるものを投げ打ってでも。我は舞なり。舞こそ全て。
「ひふみよ──」
──ズメ! ウズメちゃん!
──しっかりしろ! もういい、終わったんだッ!
恍惚の極みにあったウズメの耳に、声が届く。ひどく懐かしく感じる声だ。
「いむなや──」
──返事をしてくださいませ、ウズメ様……!
──いつまで踊り狂ってんだ。戻ってこい!
一二三祝詞を紡ぐ時だけ、彼女にとってかけがえのない、絆の糸が見えた。絆の音が聞こえた。
「ウズメ、よくやった。私と一緒に言霊を合わせて」
『──ここの、たり』
自然と口に出た、続きの祝詞の言霊。ツクヨミの心優しき声が、ウズメの発したものと重なった。
極みは唐突に終わり、恍惚状態が解けた。
刹那、今まで感じる事のなかった疲労と不安が、肉体と精神にどっと押し寄せ……彼女は糸の切れた操り人形のように地面に倒れ伏し──気がつけば、ウズメのたおやかな肢体は、傷だらけのタヂカラオの太い腕によって支えられていた。
「…………あ、タヂカラオ」
「『あ』。じゃねえよ! 心配かけさせやがって……
助けて貰っといて何だけどよ。昔っから危なっかしいんだよ、ウズメ。お前は」
「アンタだって……ボロボロじゃない。こっちだって……心配、だったんだから」
「あぁ、それは悪かった。……助けてくれて、ありがとう。感謝はしてる」
ぶっきらぼうに言い放ち、タヂカラオは目を逸らす。
ウズメは疲労の極みにあったが、それでも自然と笑みがこぼれた。
「……悪いんだけど、タヂカラオ」
「ん?」
「そろそろ手を放して……服、着させてくれる?」
ウズメに言われてようやく、タヂカラオも今の状況に気づいたようだ。
激しく踊り続けた結果、彼女の胸元はさらけ出され、形の良い乳房が露になってしまっている。
「お、おう……そいつは、済まなかったな。でも立てるのか?」
「それくらい、大丈夫。舞い踊っている時は、たとえ素っ裸になったとしても平気なんだけどね。
でも今みたいに動けなくなったあたしは、全然駄目になってるから……だから、恥ずかしい……」
「いや、うーん、その……べ、別にそんな事は、ねぇんじゃあねえか……?」
「?」
顔を背けつつ、しどろもどろなタヂカラオの言葉の意図を、ウズメは理解できなかったようだ。
ただ、大の男が消え入りそうな声でモゴモゴ言っている様は滑稽ではあった。
(ツクヨミちゃんの力のお陰で、天衣無縫の極みが見えた気がするけど……
いくら自然と一体化するためとはいえ、意識まで完全に飛ばしちゃったらマズイわね。
ツクヨミちゃんがいなかったら、今頃あたしの魂は天に昇ったまま二度と降りて来なかったかもしれない)
危機は脱する事ができたが、成功する保証のない、危険極まりない綱渡りである事は否めなかった。
「……もう振り向いてもいいわよ、タヂカラオ。着終わったから」
**********
スサノオとタヂカラオは、桃の実を食べて黄泉醜女から負った傷を癒した。
これでオオカムズミから貰った実はツクヨミ、オオゲツヒメ、ウケモチが所持する残り三個となった。
「もう少し時間があれば、わたくしの体内で数を増やせるのですけれど……」
オオゲツヒメが済まなさそうに言った。
だが桃の種から木に成長し、実をつけるまで三年はかかるという。
昨日今日でどうこうできる時間ではないから仕方のない事だろう。
少しの間休息し、疲れを多少なりとも癒した一行は、イザナギが残したという葡萄と筍を探すために歩いた。
黄泉醜女がいたという事は、その場所は近い筈。と目星をつけて探索した結果、割とあっさりと群生地を見つける事ができた。
「葡萄が神力の回復で、筍が気配を消す……だったよな」
スサノオが、オオカムズミから教わった話を思い出しながら言った。
辺りは相変わらず静かで、亡者の姿ひとつ見当たらなかった。
目の届く範囲とはいえ、イザナギが逃走のために生み出した事もあり、葡萄と筍の群生地は離れていた。
最初に異変に気づいたのはツクヨミだった。
むき出しの灰色の大地に、不自然な形に膨れ上がった形跡があったのだ。
「?…………今のは…………」
気のせいではなかった。いつの間にか、肌寒かったはずの黄泉の大地が熱を帯び始めている。
灰色の大地のあちこちに、坊主の頭のような膨らみが湧き出て、餅のように膨れ上がっては弾け飛ぶ。
「……何かがおかしい、みんな戻れ──」
違和感が疑念となり、疑念が確信に変わった時には、すでに手遅れであった。
はっきりとした危険に勘付いたのは、ウケモチだった。
オオゲツヒメが筍を回収し終えたので、一緒に葡萄の群生地に足を踏み入れた時だった。
葡萄畑の周辺から異常な熱気が噴出し、オオゲツヒメの立っている地面が不気味に膨らんだのだ。
「おいオオゲツ! 気をつけろッ!!」
ウケモチが鋭く警告し、彼女は足元の異変に気づいたが。
すでに地面からは凄まじい炎が湧き出している。
このままでは、オオゲツヒメが火柱に包まれてしまう。
ブゴオオオオッ!!
泥のようになった大地から、紅蓮の炎が噴き上がった。
が、オオゲツヒメは無事だった。間一髪、危機を察したタヂカラオが飛び込み、彼女を抱えて地面を転がり難を逃れたのだ。
「危ねえ……! っていうか、熱ちちちッ!?」
飛び出した際、身体に少々火傷を負ったらしく、タヂカラオはのたうち回った。
しかし危機は去った訳ではなかった。
すでに驚くべきほどの広範の大地すべてが、高熱を持った不安定な泥の塊と化していたのだ。
次の瞬間、恐ろしいまでの地響きの起こり、立っていられないほどの振動が六柱を襲った!
「うおおおッ!? 今度は何だよ……!!」
「タヂカラオ様ッ……!」
二柱の縋っていた大地は形を変えて崩れ去り、タヂカラオとオオゲツヒメの姿が視界から消えた。
「オ、オオゲツ! オオゲツーッ!?」
「待ってウケモチくん! そっちに行っちゃ……きゃあッ!?」
オオゲツヒメを助けようと、泥化して崩落した中に飛び込もうとしたウケモチだったが、傍らにいたウズメと共に、やはり崩落した泥の中に沈んでしまった。
「なんだよ……何なんだよ今のはよォ! ツクヨミ!?」
ほんの数瞬で四柱の神々が次々姿を消すという、信じがたい現象を目の当たりにしたスサノオは恐慌に陥った。
「……葡萄も、筍も。母イザナミの仕掛けた罠だったんだ」
ツクヨミは唇を噛んだ。
「迂闊だった……母上は見抜いていたのだろう。
私たちがオオカムズミの下を訪れた後、父イザナギの残した果実の場所に向かうだろうと。周りに誰もいないのは黄泉醜女のせいだと思わせた上で、わざとここに誘い込まれたんだ。
……見事に、分断されてしまったな。
私たちをバラバラにして、確固撃破するつもりかッ」
ツクヨミの推論に、突如として泥の中から燃え盛る姿を持つ神が出現し……拍手の音が響いた。
「正解だぜ、我が弟たちよ。
お前らは間抜けにも、母イザナミの仕掛けた策にまたしても嵌まったって訳だ。学習能力のないうすら馬鹿どもめ!」
勝ち誇り、傲慢な態度で二柱を嘲笑ったのは……神産みの際、イザナミが最後に産みし一柱。
イザナギに首を刎ねられ、黄泉の住民と化した──火の神カグツチであった。
(第三章 黄泉の国へと 了)