八.黄泉醜女(ヨモツシコメ)が来る①
ツクヨミ、スサノオらはオオカムズミの桃の木の下で一晩を明かした。
桃木の女神の助力を確約した一行は、彼女から桃の実五個と種を貰い、種はオオゲツヒメが体内に取り入れた。
桃の実は昨晩癒してもらったウズメを除く、五柱がそれぞれ持つ事にした。
そしてウケモチは宣言通り、一晩で桃の木の弓と葦の茎の矢を作り上げていた。
「へっへっへーん、オイラ専用の鬼遣の弓矢の完成だぜ!」
ウケモチは貫徹直後の意気で、完成したばかりの武器を皆に見せびらかした。
「うむうむ。良き『神』が宿っておるぞウケモチ」
オオカムズミも満足げに頷いていた。
「見るがよい、妾とウケモチによる共同作業の結晶たる神の姿を!」
桃弓と葦矢から、フワリと舞う小柄な双子神の姿が垣間見えた。
二柱は瓜二つの容姿を持ち、それぞれ対となる男女神であった。風に乗る軽やかな翼を持ち、ウケモチよりさらに小さき姿だが、獣のようなしなやかな身体と猫のような瞳には、秘めたる闘志が漲っている。
残念ながらこの二柱の神の名は伝わっていない。ここでは仮の名として、安直ではあるがモモユミヒメとアシヤヒコとでも呼ぶとしよう。
「……すっごく可愛いんだけど! お持ち帰りしたいんだけど!」
案の定、ウズメが小さな双子神に熱烈な視線を向けていた。
「ウケモチくん! その子達ちょうだい! っていうかあたしにも作って!」
「ゲッ、やだよ! オイラ専用なんだから! 欲しけりゃオオカムズミに頼んで、自分で作ってくれ!」
「前から思ってたけど……ウケモチって本当に器用だよなぁ……」
追いかけっこをするウズメとウケモチを見やりながら、タヂカラオがしみじみと言った。
「ええ、ウケモチの技にはいつも助けて貰っています」
隣でオオゲツヒメが微笑みながら答えた。
「真綿や食膳、それにお酒もウケモチが考えて色々作って下さるんです」
「へえ……あの時の晩餐で飲んだ酒もアイツが造ったのか。
道理で美味かった訳だ」
休息を取り終えたツクヨミ、スサノオたちはオオカムズミに礼を述べ、黄泉比良坂を後にした。
別れ際にオオカムズミは、ツクヨミに助言を授けた。
「この先はいよいよ黄泉の国となる。
じゃがイザナギの残した、穢れに侵されておらぬ食物がまだ残っておる筈じゃ。
イザナギの黒い髪飾りより生まれし葡萄と、爪櫛の歯より生まれし筍がな」
オオカムズミが言うには、葡萄には失われた気力や神力を取り戻す加護があり、筍には精神を平静に保ち、荒ぶる魂から身を隠す呪力が宿っているという。
イザナギの置き土産とも言えるこの二つを見つける事ができれば、桃の実と同様に大きな助けとなるだろうと彼女は言った。
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黄泉の国の最奥、黄泉大神たる女王イザナミのおわす骨の玉座にて。
黄泉比良坂に侵入者あり、との報せが届いた。
「ほう……火雷が言った通りになったか」
イザナミは頭に宿りし大雷に命じ、侵入してきた神々の姿をその目に捉えた。
「ふふふ、スサノオかや。それに……火雷らの邪魔立てをしたタヂカラオ。
あのふしだらな姿の女神は知らぬ顔じゃな。
もう一柱の女神は……オオゲツかや? 懐かしき顔じゃのう」
オオゲツヒメと言えば食物神だ。スサノオも意外と考えたものだ、とイザナミは感心した。彼女の加護があれば、ヨモツヘグリを食さずとも黄泉の国を旅する事ができるからだ。
「ふむ……しかし腑に落ちぬのう。スサノオはオオゲツの事を知っておったか?
それとも、オモイカネあたりの入れ知恵かのう……」
最初は亡者の群れに対するスサノオたちの奮戦ぶりを、半ば愉悦を交えて見物していたイザナミであったが……彼らの中に、紫がかった闇の御衣を纏った神の姿を認め、大きく目を見開いた。
「なッ…………あやつは、ツクヨミではないか。
何故じゃ。あやつは夜之食国におった筈……!」
呟きの途中、イザナミはようやくツクヨミの持つ神力と、それに伴う呪いの噂を思い出した。
ツクヨミの姿を見失えば、その記憶もまた失われる。噂は事実であった。
黄泉比良坂で目撃される前のスサノオたちの動向が、イザナミの耳に全く入って来なかった事がそれを証明している。
「ツクヨミ……? 三貴子の月の神ですか?」
女王の言葉を聞き、大雷は今初めて聞いたかのように間抜けな声を上げた。
「まァ問題ありますまい。
ツクヨミの力が強大であれば、我らの耳にも入ってきている筈。
それが無いのですから、彼奴の神力とやらも、大した事はないのでしょう」
(痴れ者め……! 強大であるが故に、まったく耳にも記憶にも残らぬのが、ツクヨミの力の恐ろしさだというに……!)
イザナミはもどかしさに歯噛みしたが、ツクヨミの呪いを物ともせずに、記憶に留められる神も限られている。
イザナミ自身を除けば、スサノオやアマテラス。そして彼女の元夫たるイザナギぐらいのものであろう。
イザナミは素早く頭を巡らし……ツクヨミたち侵入者を排除するための方策を案じ、矢継ぎ早に命じた。
「大雷。カグツチと火雷、黒雷に命じ、侵入者を迎え撃たせよ。
そしてそなたは至急地上に向かい、残り四柱の雷神をこちらに呼び戻して参れ」
「……畏まりましたァ、大神さま」
大雷は一礼し、瞬く間にその姿を消した。
「こちらの体勢が整うまでは、あやつらがスサノオたちの足止めをしてくれよう。
足止めどころか、そのまま喰い殺してしまうやもしれぬがのぅ……」
イザナミの見やる先には、黄泉の国の荒んだ大地を蜘蛛のように這い回る、奇怪な亡者たちの姿があった。
黄泉大神たる彼女の命すら理解せぬほど、知性も理性も持たぬ身ながら、生者の魂魄や穀霊すらも貪り喰らい、己の穢れと変える恐るべき者たち。
黄泉醜女である。




