七.桃弓と葦矢
「……して、そなたらのような神々が、このような穢れた場所に何の用じゃ?
ここのところとみに亡者の数が増え、黄泉比良坂も随分手狭になってしもうた。それと関係があるのか?」
桃木の女神の問いは、彼女が現状に関する情報を得ていない事の証左であった。
ウズメの傷を癒してもらった返礼として、ツクヨミから今の天上や地上の惨劇についての説明が行われた。
「そうであったか。イザナミがのう……
あの者、終いには自らの足でイザナギを追いかけ回しておったが……まだ諦めておらんかったのじゃな」
オオカムズミは他人事のようにしみじみと言った。
「ところでオオカムズミ。ひとつ聞いてもいいか?」スサノオが口を開いた。
「……何じゃ?」
「あんたの桃の実や、穢れを浄化する力は凄い。
オレの親父が助けられたし、ウズメちゃんの怪我も一瞬で治せたもんな。
なのに、あんたはその力を……疎んでる。口では自慢してるが、全然誇らしげじゃない。なんでだ?」
スサノオの指摘に、オオカムズミの表情が強張った。図星だったのだろう。
(スサノオ……我が弟ながら、直感的に核心を突くのが上手いな)
ツクヨミもオオカムズミの心情に薄々気づいてはいたが、スサノオのように一歩踏み出して尋ねる勇気はなかった。
「……妾はこの力のせいで、ここでは独りぼっちなのじゃ」
オオカムズミは先ほどまでの高飛車な態度はどこへやら、血を吐くような震え声を絞り出した。
「妾はかつて、大陸の桃源郷から種としてこの地にやってきた。
木々の神は、己の住む場所を選ぶことはできぬ。いかにその地が己にとって好ましからざる場所であろうが、一度根を張った大地を拠り所にして、生き抜く事しかできぬのじゃ」
天上や地上ならば、神々や人々に讃えられ信仰を集めていたであろう素晴らしき力も。
この穢れに満ちた黄泉比良坂では、皆恐れを為して近づく者すらいない。
他者から見れば優れている力でも、必ずしも自身がそれを望み、満足しているとは限らないのだろう。
「イザナギは妾に言った。
『お前が我を助けたように、葦原中国のあらゆる生ある人々が、苦しみに落ち、悲しみ悩む時に助けてやって欲しい』と。
妾はその願いを引き受けようと思ったのじゃ。
じゃが、この地におるのは妾に触れる事すら叶わぬ亡者ばかり。
妾は……妾独りでは、何も出来ぬ。無力な女神なのじゃ……」
しょんぼりした様子で俯くオオカムズミに対し、ツクヨミは優しく諭すように言った。
「オオカムズミ。今の地上や天上、そして黄泉にいるどんな神々でさえも。
独りではその力を十分に発揮する事はできない……このツクヨミも。スサノオも、タヂカラオも、ウズメも……オオゲツヒメたちも。
だからこそ、私たちは六柱でこの黄泉の国にやって来たんだ」
ツクヨミはオオカムズミの小さな顔に指を触れた。
月の神たるツクヨミの「月日を読む」力によって、彼女の記憶が流れ込む。
長い、余りにも長い……孤独と、悲しみに支配された記憶が。
小さな女神の目から零れ落ちた涙にそっと指を添え、ツクヨミは言葉を続ける。
「我が父イザナギがそうであったように。
独りではどんなに力のある神でも、その望みを叶える事はできない。
天地開闢の折に産まれし別天神たちですら、独り神であったが故に国土を固める事すらできずにお隠れになった。
今の葦原中国が在るのも、我らの両親たるイザナギ・イザナミが力を合わせて国産みをしたからなんだ」
「……ツク、ヨミ……」
「貴女の持つ、穢れを祓う聖なる力は……私たちの旅路において大きな助けとなるだろう。
今、天上と地上において、生ある神々や人々は、苦しみ、悲しみ、悩みに満ち、溢れ返ってしまっている。
オオカムズミ。もし貴女が我が父イザナギの願いを、今でも果たしたいと考えているならば。
どうか私たちにその力を貸して欲しい。……私たちには、貴女が必要なんだ」
ツクヨミの微笑みと懇願に、オオカムズミは顔を上げた。
息を飲むほどの輝きを持つ顔とその言葉に、桃木の女神は心奪われていた。
「……わかった……妾でよいのなら。妾の力が役立てるというのなら……」
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その日ツクヨミとスサノオら六柱は、オオカムズミの宿る桃の巨木の下で、一晩を過ごす事にした。
戦いの疲れを癒す意味もあったが、オオカムズミの協力をどのように役立てるかの話し合いも必要であったからだ。
最初に提案したのはオオゲツヒメだった。
「オオカムズミ様。こうしてはいかがでしょう?
貴女様の桃の種を、我が体内にある『田畑』に下さいませぬか。
黄泉の旅が終わった暁には、地上に桃の種を持ち帰り、人々に伝える事で桃の木を地上に植える事が叶います」
「確かに、妾にしてみれば願ってもない申し出じゃが……」
「むしろ、わたくしの方からお願い致します。
たとえ陽の光が地上に戻ったとしても……今まで命を落とした人々や獣、木々や穀物の命は蘇りませぬ。
多くの命を失い、打ちひしがれているであろう地上に、桃の種という『希望』は、きっと救いとなる事でしょう」
「……そこまで請われては、断る是非もなし。
承知した。妾も妾の子孫が、地上で栄える様を見たい」
「ありがとうございます、オオカムズミ様」
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次に提案したのはウケモチだった。
「……えーっとさ、アンタの木なんだけど。少し分けて貰うってできねーかな?」
「一体どうする気なのじゃ?」
「オイラの見立てじゃあ桃の木に宿る浄化の力は、実や種だけじゃなく木自体にも強く宿ってる。
オイラも自前の武器は持ってるけどさ、こんな小さいナリだろ? 大勢の敵や、図体のデカい敵が現れた時にどうしても不利なんだよ。
オオゲツの作る豆に頼るって手もあるけども、そいつはオオゲツの神力に負担をかける事になっちまう。
だから……アンタの桃の木を使って、穢れを祓うための『桃弓』を作ってみたいんだ」
「なるほどのう。そういう事であれば、好きに持っていくがよい」
えらくあっさりと了承するオオカムズミに、ウケモチは拍子抜けした。
「本当にいいのか? アンタの宿る木を切るってんだぜ? もっと難色を示すと思ってたが……」
「……何を勘違いしておる? 木も、穀物も、鉱石も。
人や神の手によって育てられ、刈り取られ、加工される。
それは死ぬという事ではなく、新たな形を帯び、新たな命を宿すという事なのじゃ。八百万の神々は自然だけに宿るのではない。剣にも弓にも、盛り付けられた食事にも。神は宿る」
オオカムズミは楽しげに微笑み、ウケモチをじっと見つめた。
「それにの。なかなか興が乗る提案ではないか。
妾も見てみたい。妾を使い、そなたがどのような『神』を作り上げるのかを」
最初に出会った時からは想像もつかないほど、魅力的で可憐な笑顔にウケモチは驚かされた。
「ところで、弓は良いとして……矢はどうするのじゃ?」
「あっ……そうだったな……」
ふとウケモチが視線を落とすと、桃の木からそう遠くない場所に、沢山の葦の茎が生えているのを見つけた。
オオカムズミの木の加護の為か、穢れも無く、活力を感じる太い茎だ。
「じゃあ、こっちの葦を使って矢を作る。構わないよな?」
「勿論じゃ。『桃の木の弓』に『葦の茎の矢』か……良いものを作ってくれよ?」
「任せとけ! オイラはウケモチ。オオゲツの下で今まで色んなモン作ってきてっからな!
酒を造るのだって得意なんだぜ。弓と矢ぐらい、一晩でやってみせらぁ!」
桃弓と葦矢。それぞれ対をなすものであり、後の世において、大晦日の朝廷にて執り行われた鬼祓いの儀、「追儺の式」に用いられる事になる。
補足説明のコーナー。
「追儺の式」は「鬼遣」とも呼ばれ、論語にも記述が見られるほどその起源は古いです。
余談ですが桃弓・葦矢よりも有名と思われる「破魔弓・破魔矢」は、南北朝時代の武将・新田義興の矢が由来で、江戸時代に平賀源内がプロデュースし大ヒットした結果普及したんだとか。
第三章五話目でオオゲツヒメがやっていた節分の豆撒き(?)は「追儺の式」から派生した後追いの祭で、8世紀初頭に誕生したものだったりします。
本作だと順序が逆になってますね(笑)。




