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ツクヨミ奇譚 ~天岩戸異聞~  作者: LED
第三章 黄泉の国へと
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六.桃木の女神オオカムズミ

 ツクヨミ、スサノオら六柱が辿り着いた、無数の桃の実のなる巨木。

 その周囲にはけがれを感じない。土地のみならず、空気までもが絶えず浄化され、黄泉の国とは思えぬ清々しい気分になる。


「…………助かったぁ。痛ッ」

 安堵の溜め息をついたウズメは、へなへなと尻餅をついた途端、左腕を押さえて苦痛に顔を歪めた。

 ツクヨミの施した『時戻し』の力が失われ、再び時が動き出したようだ。周囲に桃の木の力が働き、傷口からけがれが侵蝕して来ない事だけが救いだった。


「大丈夫ですか? ウズメ様……」

 オオゲツヒメが心配そうにウズメに駆け寄る。先ほど彼女の不注意で負わせた傷だけに、気が気ではないのだろう。


「心配しないでいいわよ、オオゲツちゃん」

 ウズメは痛みを感じるものの、幾分余裕のある笑みを浮かべて答えた。

「ツクヨミちゃんの時戻しのお陰で、けがれのど真ん中で傷口が開く、なーんて目も当てられない事態は防げたし。

 ……この桃の木も、本当に凄いわねー。亡者も穢れも全然寄ってこない。それにとってもいい香り!」


 桃の持つ力については、大陸に渡った事もあるウズメはよく知っていた。

 桃の木は仙木とも呼ばれ、邪気を祓う呪力がある。仙薬として万病に効果があるとされ、不老長寿の仙果としても有名だ。

 日本においても、3世紀前半に栄えたとされる大和国やまとのくに(註:奈良県)の纏向まきむく遺跡から大量の桃の種が発見されており、古来より祭祀に使われ、信仰を集めていた事が伺える。

 童話の「桃太郎」や、「桃の節句」とも呼ばれる雛祭りなど、桃と関わりのある伝説や風習は枚挙にいとまがない。


「確かこの桃の木、父イザナギを助けてくれたんだよな」

 スサノオが木に近づいて言った。

「名前もつけて貰ったんだろ? 確か……ええと、オオカムズミ」


 スサノオがその神名を口にした途端、桃の木の雰囲気が変わった。


「……気安く、わらわの名を口にするでない。イザナギの子、スサノオよ」


 桃の巨木から鈴の音のような声がしたかと思うと、木の裏から桃色の衣を纏った女神が姿を現した。

 そのかんばせは、ややあどけなさの残る可憐な容姿ではあったが、不機嫌そうな表情で六柱に品定めするような視線を注いでいた。

 よくよく見れば衣の端から覗く素肌は、虎のような獣毛がうっすらと生えているのが分かる。


「えっと……あんたがその、オオカムズミ?」タヂカラオが尋ねる。


「ぬし、頭が良うないのか?

 今そちらのスサノオが、わらわの名を呼んだではないか」


 獣人めいた幼き顔の女神は、嘆息してからかうように言った。

 巨木の女神にしてはその背丈は低く、タヂカラオの腰くらいしかない。だが少しも物怖じしない態度に、タヂカラオは「ああ、すまん」と詫びた。


「幾度も確認をする必要などあるまい。じゃが分からぬなら、自ら名乗ろうか。

 わらわはオオカムズミ。黄泉比良坂ヨモツヒラサカの麓にある、この桃の木に宿る女神じゃ。

 ツクヨミ、スサノオよ。そなたらが生まれる前より、そなたらの父イザナギを、黄泉の軍勢より救った事がある」


 イザナギは黄泉の国から逃げ帰る際、迫りくる黄泉の軍勢に向かって、桃の実を三つ投げつけたという。

 するとたちどころに軍勢や、それを率いる雷神たちは悲鳴を上げて逃げ惑った。そのためイザナギは難を逃れる事ができた。

 その際にイザナギは大変感謝し、桃の木に「オオカムズミ」の名を授けたのだ。


「その節は大変ありがとうございました。

 父イザナギに代わって礼を申し述べます」

 ツクヨミはその場に跪き、恭しく頭を垂れた。

「オオカムズミのお力添えがなければ、私やスサノオは今頃生まれてもいなかったでしょう。

 貴女は我々の命の恩人です」


「お、おお。偉大な三貴子と聞いておったが、なかなかに殊勝な心がけじゃな」

 面と向かって感謝され気分が悪くなかったのか、オオカムズミの声は平静を装いつつも少し弾んでいる。

 そして、チラリとスサノオに物欲しげな視線を送る。


「?」スサノオは最初は意図を掴めず呆けていたが、後ろからウズメに小突かれてやっと、形だけツクヨミと同じ姿勢を取り、まったく感情のこもっていない声で「ありがとよ」とだけ言った。


「……ふん、まあよかろう」オオカムズミは不服そうだったが、話を打ち切る事にしたようだ。

「今はそれどころではあるまい。そちらの女神。傷を負っておるな?」


 オオカムズミはウズメを指し、彼女が頷くと……木に生えている桃の実を一つ、フワリと浮かせて手繰り寄せた。


「この実を授けよう。食するがよい」

「は、はい……ありがとうございます」


 戸惑いながらもウズメが桃の実を口に運ぶと……途端に彼女の全身に暖かな光が満ち、左腕の傷が溶けるように消え去っていく。


「!? 凄い……こんな一瞬で傷が。痛みも全然ない!」

「ふふ、どうじゃ。わらわの桃の実は。生者が食べるとその傷を癒し、亡者が触れれば激痛を伴うのじゃ」

「うん、凄い凄い! オオカムズミちゃん! ありがと!」

「ちょ……こら、気安く触れるでない! 感謝の意は伝わったゆえ、手を振り回すのをやめるのじゃ!

 こう見えてもわらわは、そなたらなどよりずっと年長の女神なのじゃぞ!?」


 破顔一笑したウズメに嬉しそうに両手を掴まれ、文字通り振り回されたオオカムズミは、慌ててその手を振りほどいた。

 少々棘のある態度で子供じみた話しぶりではあったが、悪い神ではなさそうだとスサノオは思った。

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