五.黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)の戦い・後編
「みんな、もうひと踏ん張りだ!
桃の木が見えた! あそこまで辿り着ければ、一息つけるッ!」
タヂカラオが亡者を薙ぎ払いつつ叱咤した。
道を切り開く男神たちの背後では、女神ウズメとオオゲツヒメが懸命に遅れまいとしている。
当然、後ろからも亡者たちは殺到してきていた。
ウズメは舞い踊る動きで彼らを翻弄し、両手に持つ筆架叉(註:かんざしに似た武器)で亡者を寄せ付けない。護りに重点を置いた、彼女らしいやり方だ。
一方、オオゲツヒメはというと……なんと己の体内から生み出した小豆・大豆を、亡者に向かって投げつけていた。
彼女の生み出す五穀には、穢れを持つ者たちの嫌う穀霊が宿っている。
つまりこれらを投擲する事で、オオゲツヒメも立派に戦えるのだ。
最初は五穀それぞれを生み出し投げていた彼女だが、すぐに投げやすい豆を中心に切り替えた。
手を使って投げるのも、そのうち亡者の数が多すぎるため追いつかなくなり……最終的にはウケモチの力を借り、宙に漂わせた無数の豆をつるべ撃ちに放つ戦術に落ち着いたのである。
「おー、こいつは便利だぜ!」
ウケモチは自分の針状の武器を目にも留まらぬ速度で振り回し、四方八方に豆を飛ばして亡者を追い散らす。
オオゲツヒメの神力が宿った小豆・大豆は、昏き黄泉路にて青白き彗星のような軌跡を描いていた。
「小さなオイラでも、こういう飛び道具があれば大軍もドンと来いってんだッ!」
「あははッ! やるじゃないオオゲツちゃん! ウケモチくん!
何だかちょっと楽しそう!」
ウズメが弾んだ声を上げた。
「その豆を撒くやり方、きっと後の世に流行るわよ!」
「そう……でしょうか?」
オオゲツヒメは豆を投げる。
確かにウズメの言うように、撒く度に不思議と気分が弾む感じがする。
「流行る流行る! あたしの予言、結構当たるって評判なんだから!」
亡者の群れはいつ果てるとも知れず押し寄せるものの、スサノオたちは少しずつ桃の木に近づいていく。
目的地が近い。その考えが、気の緩みを生んだのかもしれない。
オオゲツヒメの手持ちの大豆が底をつき、新たに生み出すべく体内より召喚している最中。白き光が豆に具現化するまで、どうしても時間差がある。
亡者の動きは緩慢だが、数に物を言わせて補充の隙をつき、ウケモチに迫ろうとしていた。
「危ない、ウケモチ!……あっ」
ウケモチに近づこうとしてオオゲツヒメは足を取られ、体勢を崩してしまった。
オオゲツヒメの下に亡者の群れが殺到する。ウケモチも彼女を救おうと足掻くが、彼は彼で自分に迫った亡者を相手取るので手一杯だ。
亡者の黄色く穢れた爪が、立ち上がりかけたオオゲツヒメの顔を引き裂こうと動いた。
「あぐッ…………!?」
亡者の爪は、間一髪で割って入ったウズメによって防がれたものの、受け止めようとした彼女の左腕を大きく傷つけた。
襲い来る穢れの侵蝕! ウズメの美しい顔が激痛に歪む。
「痛ッ…………たいわねッ!」
気力で痛みを振り払い、ウズメは右の筆架叉で亡者を払い除けた!
「申し訳ありません、ウズメ様……わたくしなどの為に……!」
「バカな事言わないの、オオゲツちゃん! このぐらい、大した事ないッ……!
今はみんなで、桃の木に辿り着く事だけを考えましょ!」
窮地は脱したものの、ウズメの動きは負傷のため、明らかに精彩を欠いている。
さらに迫りくる亡者たちは、オオゲツヒメの新たに生み出した豆が追い散らしたが、敵の数は一向に尽きる気配がなかった。
入口とはいえ、黄泉比良坂も黄泉の一部である事に変わりはない。
さらに普段とは比べ物にならないほど空気中に漂う穢れが、ウズメの傷から体力と気力を奪いつつあった。オオゲツヒメの比礼の加護がなければ、ウズメは戦う力すら失っていたかもしれない。
「はあッ、はあッ……くゥッ……こんな所で……!」
ウズメは武器を振るうたびに、先刻までとは段違いの疲労が全身にのしかかるのを感じた。
(このままじゃ、いずれ動けなくなっちゃう……そしたら、みんなを守り切れなくなる……!
あたしが足を引っ張って、みんながやられちゃう? そんなの嫌ッ……!)
「…………ウズメ」
背後から、優しく呼びかける声がした。ツクヨミだった。
いつの間にかツクヨミの闇の御衣が、ウズメの背中に触れる距離にいた。
「……ツクヨミ、ちゃん……?」
「すまない。でも今は、ほんの少しだけ休んで」
ツクヨミは御衣でウズメの身体を受け止める。疲れ切った彼女は、身体を預けるように力が抜け、ツクヨミにもたれかかる格好になった。
その間にも亡者は迫っていたが、ツクヨミは闇色の神剣を振るい、ことごとくを打ち祓う。
ツクヨミの神力が、紫色の光を帯び……ウズメの左腕の傷口にそっと触れた。
「あァッ……!?」
接触した際に痺れるような激痛を伴い、ウズメは苦悶の呻き声を上げた。
だがその痛みも一瞬だった。紫色の光が消失する頃には、彼女の傷は跡形もなく消え去っていたのだ。
「ツクヨミちゃん……これは一体……?」
「私の神力で、貴女の傷を受けた左腕の『時を戻した』んだ」ツクヨミは言った。
「今感じた痛みは、戻す際に五感の受けた感覚が再現されてしまうためのものだ」
(……これが……月の神の力……!)
ウズメはツクヨミの底知れぬ神力に絶句した。傷を癒すのではなく、時を戻す?
そんな力の使い手など、高天原でも海を渡った大陸でも聞いた事がない。
「……もっとも、これは一時しのぎのものだよ。戻した時はいずれまた動き出し、再び傷を負ってしまうだろう。
しかし今の間だけは貴女の体力も戻っているし、穢れに力を奪われる事なく十全に動ける筈だ」
「それだけで十分ッ!……ありがと、ツクヨミちゃん!」
ウズメはもたれかかった身体を起こし、再び両手に筆架叉を構えた。
ツクヨミの言う通りだった。時を戻した結果、傷だけでなく先刻までの重い疲労感すら消え失せ、彼女は普段の舞うような身のこなしを取り戻していた。
「でもツクヨミちゃん。前は二人だけで大丈夫なの?」
「それなんだが……スサノオとタヂカラオだけで十分過ぎるほどさ。見てごらん」
前線の方ではタヂカラオが雄叫びを上げ、どこから拾ってきたのか、巨大な柱のような岩を武器に、亡者どもをなぎ倒して道を拓いている姿があった。
「はッはァ! おあつらえ向きに、このタヂカラオ様の力を揮うにピッタリの武器があるじゃあねえかよ!」
タヂカラオの岩柱が旋風を巻き起こすたび、亡者たちは数十体単位で右に左に、文字通り宙を舞い、吹き飛ばされている!
「うっわー……怪力だとは思ってたけどさ、タヂカラオ。出鱈目すぎるわね……」
ウズメは驚きを通り越して、呆れ声を漏らした。
「彼が味方で良かった。あんなに頼もしく力強い神は、三界を探し回ってもそうはいないだろう」
ツクヨミも苦笑まじりに言う。
「ずりィぞタヂカラオばっかり! オレだって派手に活躍してえ!!」
スサノオは子供じみた声を上げながらも、タヂカラオの振るう岩柱を軽々と躱しつつ前に進み、十拳剣で亡者の残党を次々と打ち倒していく。
怪力神ほどの剛力こそないが、その卓越した剣術と抜け目ない動きの軽やかさは驚嘆に値するものだった。
「あんなの見せつけられちゃったらさ……
あたしだって負けられないじゃない!」
ウズメは心が弾むのをはっきりと感じた。頼もしすぎる仲間たちの活躍が、折れかけた彼女の心に挫けぬ活力を与えていた。
絶望的に思えた亡者の群れの海を割り、六柱の神々が桃の巨木に辿り着くのに、もうさほど時間はかからなかった。




