十四.曇天に誓う
スサノオの大胆な行動に、タヂカラオやウズメは元より、ツクヨミや当のオオゲツヒメですら驚いていた。
「ス、スサノオ様……? お気持ちは大変嬉しゅうございますが……
そのように無理をなさらなくても……」
「無理なんかしてねーよ。さっきも言ったろ? ちょっと吃驚しただけって。
それに、長旅で腹減ってたからさ。思わず食べちまったよ!
食材の段階でこんだけ美味いんだ。
調理したらきっとスゲー御馳走になるぜ、これ!」
スサノオは一気にまくし立てるように、オオゲツヒメの出した五穀を使って晩餐するように提案した。
「こんな沢山の材料がある食事なんて久しぶりだな~。
そうだオレ、試したい料理あったんだよ! 作らせてくれよオオゲツヒメ! なっ」
「スサノオ様、お待ちくださいませ!
夕餉の支度や盛り付けは、このオオゲツとウケモチにお任せ下さい!」
「何? ちょっと待ってよ! あたしもやる!」ウズメも名乗りを上げた。
「あたしだって、料理に関してはちょっとしたモノなんだからね!
大陸の珍味とか味わった経験だってあるし! 味には結構うるさいんだからッ」
ドタドタバタバタと、なし崩し的に夕食の準備に総出で取り掛かる事となり。
台所から飯の美味そうな香りが漂ってくる頃には、先ほどまでの陰鬱とした空気は、どこかに飛んでしまっていた。
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「あー美味かった! こんな腹いっぱい食ったの久しぶりだぁ!」
スサノオとタヂカラオは満腹感に包まれ、幸せそうに寝転んでいる。
「そうだなぁ。本当に久しぶりだ」スサノオの言葉に、タヂカラオも同意する。
「何しろツクヨミのいた夜之食国じゃ、腹は減らなかったがそのせいか、食事らしい食事もなかったもんなぁ」
「わ、私の国では、私の神力によって時が止まっているから……」
自分の国の話が出て、こき下ろされたと感じたのかツクヨミが珍しく上ずった声を出す。
「でも決して、食事が無い国という訳じゃあないから!
時々常世の国から、不老不死の力を持つ『時じくの香の木の実』を取り寄せたりしているし!
美味いし寿命も延びる! こんなに素晴らしい食物は他のどこにも……」
「へー何々ツクヨミちゃん、対抗心燃やしちゃってる?」
ウズメも酒が入ったのか、意地悪そうに言う。
いつの間にか「様」から「ちゃん」呼ばわりに変わり、例によって顔の距離が近い上に、胸元もだらしなくはだけていたりする。
「ひょっとしてさぁ。お前が偶然オオゲツヒメに会ったってのも、実は食べ物の匂いに釣られてフラフラと出てきちゃったとか、そんなんじゃねーの?」
スサノオの言葉に、皆が大笑いする。ツクヨミは真っ赤になって否定する。
そんな彼らの様子を、オオゲツヒメは朗らかな気持ちで見守っていた。
(なんだよコイツら、調子狂うなぁ……)
ウケモチが小声でオオゲツヒメに言った。
(でもなんつーの? 思ってたより、悪いヤツらじゃあなさそうだ)
「あ。オオゲツヒメちゃん、ゴメンね。
村の皆に配る予定だった食べ物、こんなに食べちゃってさ」
ウズメがハッとした様子で、オオゲツヒメに謝罪してきた。
「いいえ。お気になさらないで」オオゲツヒメは自然と微笑んで答えた。
「食事をして、幸せそうになさる皆様を見るのが……このオオゲツの何よりの喜びなんです。
それに皆様ここに来るまでに、満足に食べておられなかったようですし」
それはとりもなおさず葦原中国が、作物の育たない死の世界に変わりつつある事を物語っている。
オオゲツヒメは、覚悟を決めた。
彼らを助けなければ。アマテラスの魂を取り戻さなければ。
今目の前にある、幸せそうな団欒ですら、過去のものとなり消え失せてしまう。
このまま陽が差さない限り、オオゲツヒメの力にもいずれ限界が来るだろう。
そうなればこの粟国もまた、死の国へと沈んでしまう。
「……ツクヨミ様。そして皆様。先ほどのお話ですが。
このオオゲツも、お供させていただきとうございます」
「オオゲツ、お前……! いいのかよッ」
「いいのよウケモチ。わたくし自らじっくり考えて、決めた事なのだから。
村の人々にはわたくしから明日、直に伝えます」
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翌朝──相変わらずの曇天ではあったが。
オオゲツヒメの旅立ちの説明を聞き、粟国の村人たちは最初は驚いていたが……やがて村長が口を開いた。
「太陽の光を取り戻すために、オオゲツヒメ様のお力が必要なのですね。
そのような事情であれば是非もなし。お気をつけていってらっしゃいませ」
至極あっさりとした了承の返答だった。
「え……と……村長? それに村の皆も、よろしいのですか……?」
「何を今更。当のオオゲツヒメ様が、旅立ちたいと今おっしゃったのではございませんか」
「それは……勿論そうですけれど……」
「我々でしたらお気になさらず。
常日頃からオオゲツヒメ様より、多大な施しを受けております。
御存知ありませんか? 貴女様より受け取った五穀の一部から種を取り、密かに田畑を作って撒いているのですよ。
今はまだ試みの段階ですが……必ずや成果を出してご覧にいれます。
少なくとも、オオゲツヒメ様が旅立たれている間、食糧の心配はございませぬ」
嘘だ。オオゲツヒメは直感した。村長は調子のいい事を言っているが……周りの村人が不安げに顔を見合わせている事からも分かる。
それでも快く、彼女を送り出そうとしているのだ。憂いを残さぬよう、旅に専念できるよう。
自分がここを離れた後。この村がどれだけ悲惨な事になるか。想像に難くない。
村の皆も同じ気持ちだろう。それでも精一杯の笑顔を浮かべて、オオゲツヒメの志を尊重してくれようとしている。
オオゲツヒメの目から大粒の涙がこぼれ、稲穂の形となって地面に落ちた。
泣くつもりなどなかった。しかしこれほどまでに暖かく自分に接してくれた人々は、彼女にとって初めての事であった。そう思うと、心はもう抑えきれなかった。
「皆……ありがとう。本当に、ありがとう……!」
ウケモチは何も言えなかった。
村人たちの申し出は、彼の想定を遥かに越えていた。
村人たちがここまで彼女に感謝していた事を見抜けなかった自分を恥じ、ただ俯くばかりだった。
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スサノオたちは、そんな彼らの様子を遠くから伺っていた。
「…………」
ツクヨミは、自然と涙が頬を伝うのに気づいた。
オオゲツヒメの過去の記憶を共有していたため、彼女と同じく溢れた感情が零れ落ちたのだろう。
「急がなきゃならねえな……」
タヂカラオも、傍の誰に言うでもなく呟いた。
「ああ。あんな気のいい奴ら……出来れば誰一人だって、死なせたくねえ」
スサノオも頷いた。
「ツクヨミ。タヂカラオ。ウズメちゃん……改めて頼む。姉上を救い、天上や地上の皆を助けるために……力を貸してくれ」
「水臭いわねスサノオくん! 言われるまでもないわよぅ」ウズメは快く返した。
「黄泉の国がどんなに危険で穢れていようが、皆で絶対、生きて帰るんだから! 約束よ」
スサノオたちは、オオゲツヒメとウケモチを同行者として迎えた。
「勘違いすんなよ。オイラは仲間になった訳じゃねえ」ウケモチが言った。
「黄泉なんてヤバい所に、オオゲツだけを行かせられねえ。
オイラがついて行く理由は、それだけだからな!」
「構わねえさ、ウケモチ」スサノオは破顔して答えた。
「オレだって姉上を助けたいってだけで、こうして旅してんだ。
お前がオオゲツヒメを守ろうとするなら、それはオレ達を守る事に繋がる。
仲間として迎えるのに、十分すぎる理由さ」
「ケッ。勝手にしやがれ……!」ウケモチはそっぽを向いた。
彼らは改めてお互いの手を取り、アマテラスを救い、暗雲を打ち祓う事を誓い合った。
六柱はいざ向かう。黄泉の国へと。
(第二章 ツクヨミとオオゲツヒメ・了)




