十三.食物の神の力
そんなある日、オオゲツヒメの神殿に村長が血相を変えて上がり込んできた。
一日に二度も訪ねてくるなど、滅多にない。
何があったのだろうと、オオゲツヒメは慌てて出迎えた。
「どうしました? 先ほどの量の食物では足りませなんだか──」
「いやいや、そうではなく。その……我らが見たこともないほどの尊き神々の御一同様が、オオゲツヒメ様をお訪ねに見えられたのです」
今日の来客の報せはない。だから村長も面喰らっているのだろう。
彼の焦りようからして、さぞかし尊い神がおいでになられたのか。
オオゲツヒメは、来客用の食事の支度をするので、居間に案内して待っていただくように言った。
神殿に入ってきた神は三柱。村長は畏れ多いとしてそそくさと退出する。
まだ幼さの残る顔立ちながら、無精髭を伸ばした、快活そうな男神スサノオ。
赤銅色に焼けた鍛え抜かれた筋肉を持つ、力強き男神タヂカラオ。
異国風な衣装を纏った、色艶やかな雰囲気を持つ女神ウズメ。
「これはこれは……高天原の天津神の皆様とは。
このような僻地に、遠路はるばる、ようお越し下さいました」
オオゲツヒメは平伏して三柱を出迎えた。
彼女の懐にいる闇の神ウケモチが、こっそりと耳打ちしてきた。
(オオゲツ、こいつらから……オイラの主、ツクヨミ様の匂いがする)
(まあ、ツクヨミ様の……?)
「突然訪ねてきて済まなかった。オオゲツヒメ……さんだっけ?」
スサノオが口を開いた。
「その……頼みがあって来たんだが。ツクヨミから直接話をした方がいいと思う」
スサノオの言葉が終わらない内に、彼の首にかけている黒い勾玉が形を変え……息を飲むほど美しき顔を持つ神の姿を取った。
オオゲツヒメにとって忘れるはずもない、恩義ある月の神。ツクヨミである。
「オオゲツヒメ、息災か。長い間訪ねる事もできず、済まなかった」
ツクヨミは深々と頭を下げて挨拶した。
「こんな形での突然の訪問、どうか許して欲しい。
村の人々に私の姿を見られるのは、後々厄介な事態になってしまうのでね……」
「そんな、何をおっしゃいますやら。お久しゅうございます、ツクヨミ様。
今のオオゲツが在るのも……全てツクヨミ様と、貴方様が遣わして下さったこのウケモチのお陰ですのに」
ツクヨミ達から、今空を覆っている暗雲の原因についての説明がなされた。
高天原のアマテラスが『魂』を黄泉の神に奪われ、意識を失い天岩戸に保護されている事。その魂を取り戻すため彼らは旅をしており、これから黄泉の国に赴こうとしている事。
そして黄泉の国に向かうために、オオゲツヒメの協力が必要である事。
「……なるほど。お話のほど、よう分かりました。
アマテラス様がお隠れになったが為に、暗雲が昼も夜も……
黄泉の国のお話は、オオゲツも聞いた事がございます。
ヨモツヘグリは穢れた食べ物。それを食してしまえば、かのイザナミ様のように、亡者となってしまいますからね」
「……行く事なんてねえぞ、オオゲツ」
オオゲツヒメの傍らにいた闇の神ウケモチが、口を尖らせて言った。
「なッ……お前、ツクヨミの眷属だろーが」スサノオが気色ばんだ。
「今のオイラの主は、オオゲツだ。ツクヨミ様は『元』主だ」
ウケモチは悪びれる様子もない。
「粟国はただでさえ、オオゲツの食糧でギリギリの状態なんだよ。
噂じゃあ、飢えた人々が食い物を求めて、ここに集まってきてるって言うじゃあねーか。こんな状態でオオゲツがこの国を離れたら、みんな飢え死にしちまう」
ウケモチの本心を言えば、粟国の人間がどうなろうが知った事ではない。
オオゲツヒメは感謝していると言っていたが、ウケモチにしてみれば人間など、都合のいい時だけ彼女に頼るムシのいい連中でしかなかった。
だがウケモチはオオゲツヒメを死なせたくない。
危険な黄泉の国への旅路など、冗談ではなかった。
「確かにそうだね。ウケモチ」ツクヨミは言った。
「酷な話だと思う。オオゲツヒメにとっても、この国の人々にとっても。
でもそれでも、私たちは彼女に頼るしかない。このまま手をこまねいていては、暗雲は晴れず、皆死に絶えてしまう。
我々はヨモツヘグリを食す訳にはいかない。黄泉の国に留まっている間、どうしても彼女の生み出す食物が必要なんだよ」
「……そうですね。では、尊き天津神の皆様。
わたくしがどのようにして食物を生み出すのか。実際に見ていただき、それから判断していただきとうございます」
「オオゲツ! それは……」
「ウケモチ。今回は、貴方の力は不要です。
黄泉路にわたくしの食物が必要だというなら、その覚悟があるか確かめなければなりません」
オオゲツヒメにぴしゃりと言われ、さすがのウケモチも二の句が継げなかった。
その場に居合わせた四柱。立ち上がったオオゲツヒメの姿を、固唾を飲んで見守った。
食物の女神は意識を集中させる。
すると彼女の目、耳、鼻から──白く暖かい光が漏れ、ふわふわと漂いながら、形を帯びていく。
同様に女陰や、尻に当たる部分からも光が出現する。
やがて目の前には……大量の稲、粟、小豆、麦、大豆といった五穀の食糧の山が積み上がった。
「……これは……!」
タヂカラオは不可思議な現象を前に、息を飲むばかりだった。
「体内から……食物を……?」
ウズメもどう感想を述べていいか分からず絶句する。
「彼女はね。身体の中に『田畑』を持っているんだ」ツクヨミが解説した。
「オオゲツヒメが体内に取り込んだ食物は種となって、彼女の中で養われ、育ち、増え続ける。
本来であれば、彼女自身が食物という名の命を生み出す、奇跡と呼ぶに相応しい力を持っている……」
ツクヨミの憂いの混じった言葉に、オオゲツヒメもまた顔を曇らせた。
直に見て、その力の本質を知れば、母が子宝を産むが如く、尊き神秘の力であるはずだ。
だが人々はオオゲツヒメの力を疎んだ。忌み嫌った。
無理もない話だったのかもしれない。
しかしその度に、彼女の心はひどく傷ついた。
「……確かに吃驚したけどさ。ツクヨミの言う通り、凄い力だとオレは思う」
皆が押し黙ってしばらくして、スサノオが食糧の山に近づいた。
オオゲツヒメが出した大豆に触れ、口に入れる。サラサラとした肌触りに、新鮮な食感だった。
「穢れてもいねーし、普通に美味いじゃん。
オオゲツヒメ。アンタすげーな!」
スサノオの素直な賞賛とその笑顔に、オオゲツヒメは目を丸くした。




